キャラベル船

ページ名:キャラベル船

キャラベル船(Caravel,カラベル船とも)は、およそ3本のマストを持つ小型の帆船。高い操舵性を有したことなどから探検活動が盛んとなった15世紀に主にポルトガル人とスペイン人の探検家たちに愛用された。 15世紀にポルトガルの国家管理の下で開発されたが、詳しい開発経緯、時期などは明らかではない。 名称はポルトガル語の「オーク材(Carvalho)」に由来すると言われているが、こちらも正確なところは定かでない。


背景
15世紀までヨーロッパの航海は沿岸付近に限られていた。当時は古来よりある貨物船で、重量50〜200tの艀やバリンジャー(バリネル)を使用していた。これらの船は1つのマストにスクウェアセイルを取り付けただけで、強風、浅瀬、強い海流により簡単に壊れやすく、遠出の海洋探査には不向きだった。
キャラベル船は、中世イスラムのqaribに基づいて造られた13世紀のポルトガルの漁船に起源を持つ。ポルトガルのエンリケ航海王子の後援の下、既存の漁船をベースに1451年頃に開発され、すぐにディオゴ・カオン、バルトロミュー・ディアス、ガスパール、ミゲル・コルテ・レアル、クリストファー・コロンブスなどのポルトガル人探検家にとって好ましい船となった。
また、ほぼ同時期に登場しているキャラック船は当時の造船技術においてひとつの技術的到達点を示したものといえるが、万能というわけではなく、必ずしもキャラック船を用いるのが適切でない場合・目的というものも一方で存在した。特にキャラックのように巨大で重装備を誇る大型船は、航行の精度を保つという点において要する人員数においても労力の点でも負担が大きく、未知の海域での調査という目的に必ずしも向いているものではなかった。そのため、探検家たちは100トン前後の軽キャラックや、地中海用の軽やかなラテンセイルを備えたキャラベルのような小型帆船を好んでいた。 より小型の船を用いるようになったことで、それまでは座礁の危険が高く困難だった沿岸の浅瀬や河川を探検することが可能となった。 さらに、キャラックのような大西洋での航行速度に重点を置いた大きな正方形の帆ではなく、キャラベルは小回りを重視した地中海用のラテン帆を備えたため、浅瀬での活動を迅速にするとともに、風を自在につかむことをも可能とし、操舵性が極めて優れていた。このように、キャラベルは当時の冒険家が求めた経済性、速度、操舵性、汎用性といった要素を満たしており、この時代の最も優れた帆船のひとつとしての地位を占めるに到った。
但し、キャラベル船は貨物と乗組員の容量が限られるという欠点があり、収益性の大きなキャラック船が用いられることも当然あった。


型の変遷

  • 前期型 キャラベル・ラティーナ(caravela tilhada)

ラテンセイルを備え付けたキャラベル船。初期のキャラベルは全長20mないし30m*1、重量およそ50~60t程度で、2本のマストを備えたものがポピュラーであり、全長と全幅の比は3.5:1とバランスが良く、高い速力と機動性を両立した。当時のポルトガルにより造船技術・理論の粋が凝らされており、前部のマストに巨大なメインセイルを用いるというのも造船アプローチとしては新しいものであった。

  • 後期型 キャラベル・レドンダ(caravela redonda)

スクウェアセイルを備え付けたキャラベル船。15世紀の末頃になって、喜望峰ルートが開拓されると、必然的に遠洋航海の必要性が高まり、3本(あるいは4本)のマストを用い、キャラックと同じくフォアマストとメインマストにスクウェアセイル、ミズンマストにラテンセイルという組み合わせがキャラベルにも取り入れられるようになる。ジブラルタル海峡近くの沿岸警備隊の船隊で、ポルトガル~ブラジル間の商船とケープルートの武装護衛として17世紀まで採用された。一部の人々は、この後期型キャラベルを戦闘ガレオンの先駆的存在と考えている。ちなみに、名称のレドンダ(redonda)はポルトガル語で「丸い」という意味だが、これは膨らんだスクウェアセイルが丸く見えるからである。
なお、いずれもキャラックとは異なり、高く持ち上がった船首楼や船尾楼は持たない。


有名な船
・los primeros prototipos de carabela(意味:キャラベルの第1号プロトタイプ型)
最初期のキャラベル。エンリケ航海王子がヌーノ・トリスタンに与えた。
・ピンタ号
コロンブスのアメリカ大陸探検航海に随伴したキャラベル・レドンダ。3本マスト。
・ニーニャ号
コロンブスのアメリカ大陸探検航海に随伴したキャラベル・ラティーナ。4本マスト。1492年のコロンブスによるアメリカ大陸への航海に際して参加したのは、旗艦としてコロンブスが乗り込んだキャラック船サンタ・マリア号と、それに随伴したキャラベル船、ピンタ号とニーニャ号の3隻である*2。サンタ・マリア号は後世でこそ名高いが、速度が遅く、航海中に2隻のキャラベルに置いていかれることもしばしばであったため、コロンブスには好かれていなかった。そのため、同船がアメリカ沖で座礁した際にコロンブスはニーニャ号に喜んで移乗し、ヨーロッパにもキャラベル船であるニーニャ号に乗ったまま帰還した。


*1 12〜18mの記事もある
*2 サンタマリア号は旗艦として機能する約100tのキャラック船であり、ピンタ号とニーニャ号は重量60〜75t、全長15〜20mの小さなキャラベル船である

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