ヌーノ・トリスタン

ページ名:ヌーノ トリスタン


ヌーノ・トリスタンはポルトガルの探検家、奴隷商人。1440年代初頭に活動し、ギニア周辺地域に到達した最初のヨーロッパ人であると考えられている(ガンビア川を越えてギニアビサウまで行った説もあるが、有力ではない)。エンリケ航海王子に仕える騎士で、計4回航海を行った。


1441年 5年前に探検隊(バルダイア)が到達した最南地点であるバルバ岬を越えて西アフリカ沿岸を探索するために、エンリケ航海王子によって派遣された。船は後期に開発されたプロトタイプ型のキャラベル船を用いることになった。リオ・デ・オロ周辺で彼は、同じ年にエンリケから別の任務で派遣されていたアントン・ゴンサウヴェスの船と出会った。
ゴンサウヴェスは1420年代に遠征が始まって以来、ポルトガル人がたまたま遭遇した原住民である1人の若いラクダ運転手を捕らていた。ヌーノ・トリスタンは召使いの通訳(エンリケに仕えるムーア人)を使って、そのラクダ運転手を尋問した。
彼ら2人は、近くにベルベル人が釣りをする小さな野営地があるという情報を運転手から引き出した。その後、現地の漁師を攻撃して約10人の捕虜を捕らえ、奴隷としてポルトガルに連行した。ゴンサウヴェスは奴隷襲撃直後にポルトガルに戻ったが、トリスタンは南に続きブランコ岬まで航海して引き返した。


1443年 再びエンリケに送り出され、ブランコ岬を越えてアルギン湾に到達した。アルギン島で、トリスタンは後に恒久的な入植地になるサンハジャ・ベルベル人の村を見つけた。トリスタンはすぐに村を攻撃し、約14人の村人を捕らえてポルトガルに戻った。トリスタンのアルギンにおける簡単で収益性の高い奴隷襲撃の根拠に関する報告書は、多数のポルトガルの商人や冒険家に奴隷取引許可証の申請を促した。1444年から1446年の間に、数十隻のポルトガル船がアルギン湾周辺の奴隷襲撃のため出港した。


1445年*1アルギン周辺の漁業集落はポルトガルの奴隷襲撃者によってすぐに壊滅的な被害を受けたので、ヌーノ・トリスタンはさらに南に進んで、新しい奴隷襲撃地を探すためにエンリケに送り出された。サハラ砂漠を抜けて、森林が始まるセネガルの国境地帯まで南下し、沿岸の住民は黄褐色のベルベル人から黒いウォロフス人に変化した。トリスタンは、セネガル川の河口周辺のポンタ・ダ・ベルベリア(Ponta da Berberia)*2まで到達したと考えられている。悪天候のため入港したり上陸したりすることができず、出航。ポルトガルに帰る途中、アルギンに立ち寄ってさらに21人のベルベル人を捕まえた。


1446年*3トリスタンは西アフリカ沿岸を下る4回目の航海に出発した。ヴェルデ岬の南の辺りで大きな川に出くわし、襲撃する集落を探すため22人の船員を上流まで連れて行った。しかし、上流では13隻のカヌーに乗った計80人の武装集団によって待ち伏せされていた。トリスタンらはすぐに取り囲まれ、船員と一緒に毒矢で殺された(船員2人が脱出した説あり)。トリスタンのキャラベル船は、牧師のアイレス・ティノコと4人のキャビンボーイ(grumetes)で構成される乗組員に縮小され、すぐにポルトガルに向けて出航した。(しかし、ディオゴ・ゴメスの記述はここで異なり、彼らがキャラベル船を取り戻したことはないと主張。原住民が船を引きずって運び、上流で解体したという説がある)。結局トリスタンが実際にどこまで航海し、どこで死んだのかは不明である。1940年代までポルトガルは、彼がリオ・ド・ヌーノ([Rio do Nuno]ギニアのヌネズ川)で死亡したか、またはそれに及ばず、リオグランデ([Rio Grande]ギニアビサウのゲバ川)で死亡したと主張していた。その結果、ヌーノ・トリスタンは歴史的にポルトガルギニア([Portuguese Guinea]ギニアビサウ)の「発見者」として評価され、現在の都市ビサウの土地に足を踏み入れた最初のヨーロッパ人であったとさえ言われた。もし本当なら、彼の最後の航海は、以前のポルトガルの重要な段階(カボ・ドス・マストス、マスト岬、セネガル)を超えた大きな飛躍であった。


しかし、現代の歴史家はより大きな証拠(ディオゴ・ゴメスとアルヴィーゼ・カダモストの記述を含む)によりこの主張を却下。現在ではまだセネガルのシン・サラムデルタ(マスト岬の南、長く見積もってもガンビア川)までしか達していないということになっている。歴史家テイシェイラ・ダ・モタは、ヌーノ・トリスタンが最初にサロウム川(リオ・デ・バルバシン[Rio de Barbacins])を駆け上がり、ディオムズ川(リオ・デ・ラーゴ[Rio de Lago])を進んでいったと結論付けた。ニウミバト(Niumi Bato)の南岸は、ニウミマンサとして知られるマンディンカ王によって支配されており、トリスタンを待ち伏せして殺したのは、このマンディンカ戦士たちであったと考えられる。


エンリケ航海王子のお気に入りの船長であるヌーノ・トリスタンの死により、遠征は(1455年のカダモストまで)10年間中断された。エンリケは、別の船を派遣しても重大な死傷者を出すだけだろうと考えたのだった。


*1 1444年の可能性あり
*2 現在のLangue de Barbarie
*3 1445年や1447年の可能性あり

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