ジル・エアネス

ページ名:ジル エアネス


ジル・エアネスはポルトガルの航海士・探検家。ボハドル岬を初めて越えた人物。私生活についてはほとんど知られておらず、エンリケ航海王子の使用人(盾持ち)であったのではないかと考えられている。


1395年 ポルトガル王国のラゴスで生まれる。


1433年[38歳] 王子の遠征隊に加えられ、大きめの船と人員を与えられた。遠征の目的は、それまで当時の知識や装備のレベルでは越えることは不可能だとされていたボハドル岬を周回することである。ラゴスを出発したエアネスはアフリカの西海岸沿いを進む未知の航海をおこない、結局カナリア諸島へと西に向かった。エアネスはその岬とはほど遠い場所で穏やかに暮らしていた現地の人々を捕まえ、サグレスに捕虜として連れ帰った。そして旅の最中に冒した危険がいくつもあったと言い訳をし、エンリケ王子にその失敗の詫びの品としたのだった。しかし謁見したエアネスを待っていたのは、冷遇であり次の航海の延期だった。王子はあくまで岬を一周してくることをエアネスという航海士に期待していたのである。
1434年[39歳] 許しをえて二度目があるならば翌年は航海に戻ることを望んだ彼に名誉挽回の好機が訪れた。エアネスのバーケンティン・キャラベル船と乗組員たちはついにボハドル岬を越えて、サグレスまで戻ってくることをやりとげたのだ。そして水質や地質、岬を通過することの難しさについて報告し、航海が成功した証として植物*1もいくつか持ち帰った。ボハドル岬を抜ける航路を発見したことで、ついにポルトガルによるアフリカ探検が始まるのである。王子は彼を騎士に仕立て上げ、結婚も手配した。


1435年[40歳] アフォンソ・バルダイアと共にさらなる航海を行っている。2人はボハドル岬の南をおよそ30リーグ(144 km)、あるいは50リーグ (240 km)も進んだ先のアフリカ沿岸に到達した。 ただちに住民を発見することはできなかったが、航海を終えるまでに人が暮らしている痕跡を認めるなどすぐれた結果を残した。彼らは自分たちが停泊したその小湾に「Angra dos Ruivos」(赤い入り江)と名づけている*2
1444年[49歳] ランサロテ・デ・フレイタス率いる一回目の奴隷襲撃遠征に参加。
1445年[50歳]*3ランサロテ率いる二回目の奴隷襲撃遠征に参加。現在のモーリタニア周辺の海岸でイスラム教徒と戦ったとされるが、その際の詳細は不明。悪天候のために途中で退散しラゴスに帰還した。



*1 その一つにバラがある。
*2 水域にガーネットに似た魚が数え切れないほど泳いでいることにちなんだもの
*3 1446年説もある

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