キャラック船

ページ名:キャラック船

キャラック船(Carrack,カラック船とも)は15世紀に地中海で開発された帆船。大航海時代を代表する船種のひとつ。 この型の船を、スペインではナオ(Nao)あるいはカラーカ(Carraca)、ポルトガルではナウ(Nau)と呼んだ。ナオ・ナウは両言語における「船」を意味する語に由来しており、スペインでは派生形を含めて「ナオ」と呼称される。 英語carrackは、スペイン語・イタリア語・中ラテン語で使用される大規模なスクウェアマスト船であるcarracaから、古フランス語のcaraqueを介して14世紀後半に伝わった。carracaの語源には諸説あるが、アラビア語のqaraqir(商船)だと考えられている。


歴史
中世後期まで、コグ船(船尾に舵があるスクウェアセイル船を含む)は、地中海からバルト海までヨーロッパの海岸に沿って広く使われていた。特にガレー船や2本の帆柱から成る船舶(ラテンセイルの付いたキャラベル船など)は、地中海の航海条件に適していた。これらの船と同様の船種は、ポルトガルの航海家や造船者になじみがあったとされる。ポルトガル人が15世紀にアフリカの大西洋岸に沿って徐々に貿易範囲を南に広げるにつれて、長い海洋事業のためにより大きくて耐久性があり、高度な帆船を必要とした。大西洋の強風や高波を凌ぐように帆の索具装置を改善し、大きな貨物を積み込めるように船体の形状とサイズを変更するなど改造を繰り返し、大西洋と地中海の両方で動作するような独自の船を開発した。これにより、15世紀の終わりには遠洋の航海が一般化し始める。平均トン数を上回る巨大なキャラックはポルトガルのジョアン2世の治世中に造られたが、普及したのは16世紀に入ってからだった。なお、16世紀半ばには発展系としてガレオン船が開発されたが、キャラックはその大きな貨物容量のために17世紀を過ぎても使われていた。


構造
キャラック船は遠洋航海を前提に開発されたヨーロッパでは初の船種であり、大西洋の高波でも船体の安定を保つだけの巨体と、大量輸送に適した広い船倉を持つ。 全長は30mから60m、全長と全幅の比は3:1とずんぐりしている。排水量は200トンから1500トンとサイズには個体差が大きい。通常は3本ないし4本のマストを備え、丸みを帯びた船体と特徴的な複層式の船首楼、船尾楼を有する。 北欧系のコグ船と南欧系のキャラベル船の長所を受け継ぎ、3本のマストのうちフォア・メインマストに横帆、ミゼンマストに縦帆と異なった種類の帆を見事に組み合わせた艤装を持ち、自在に張り替えたり数を増減させたりすることが容易であるため、高い帆走能力を持つ。後に船体が大型化すると、最後尾にジガーマストが追加されて4本マストのものも登場するようになる。サン・ガブリエル号のような典型的な3本マストのキャラックは、船首楼・フォアセイル・メインセイル・ミゼンセイル・2つのトップセイルの計6つの帆を持っていた。


長所・短所
キャラック船は、乗員、物資、貨物を運ぶための豊富なスペースを有していたことから、貿易船として都合が良く、貨物と物資の積載能力が高かったため、航行期間を長期化でき、より少ない寄港による効率的な航海ルートを選択することもできた。 航行性能も優れており、4つの帆を組み合わせて使えたため、風に対して適切な角度を選択する柔軟性が高く、船尾と船首に付けた帆は回頭性の向上に寄与し、三角帆は逆風状態での航行を可能にした。また、嵐の間に推進することすらできたと言われている(さすがにその時はメインセイルはたたまれたが)。
戦闘用としても、船の安定性、ひいては甲板の安定性が高く、甲板を砲台として用いることが容易であったため、しばしば植民都市への威圧目的で用いられている。これは商船や探検船としても重要な点で、西インド諸島などではしばしば小型船舶からの襲撃が問題となったため、それらに対して高い防御力を誇ったキャラックが商人や冒険家に与えた安心感は大きかった。 しかしながら、あまりに大きいため強い風には弱く突風時は転覆の危険も少なくなかった。また、回頭性能など小回りの点で若干の弱点を抱えており、冒険家はキャラベル船を好んでいた。


アジア貿易におけるキャラック
1515年頃から、ポルトガルはインドのゴアで貿易を始め、インドの綿と香辛料を購入するために、銀を積んだ3隻か4隻のキャラック船の船団をインドに送るようになる。その内の1隻は絹を求めてしばしば中国まで行った。
1557年にマカオを獲得してからは、中国人を正式に取引相手として認識するようになり、1547年に種子島に到達していたことから、ポルトガル王室は中国との取り引きを本格化した頃から日本との取り引きも定期的なものとし、権利を落札した商人を長として、年に1回、日本までキャラック船を1隻派遣するようになる。これは日本においては南蛮貿易として知られるものである。ポルトガルと日本との貿易は1638年まで続くが、キリスト教の宣教師を密航させていたことも問題視され、翌1639年からは鎖国政策を取っていた江戸幕府により来航が禁止される。
16世紀の途中からは、アジア貿易で使われる船は次第にガレオン船へと置き換えられていった。


有名な船
サンタ・マリア号
1492年、クリストファー・コロンブスが新大陸に到達した際に乗船していた最も有名なキャラック船。
サン・ガブリエル号
1497年で、ヨーロッパからアフリカを周回してインドへ航海したヴァスコ・ダ・ガマの旗艦。
フロール・ド・マールまたはフロール・デ・ラ・マール
1512年、マラッカ征服後のアフォンソ・デ・アルバカーキを乗せたまま沈没。宝物伝説が残る。
ビクトリア号
1519年から1522年にかけ、初の世界一周を果たしたスペインのキャラック船。1519年9月20日、フェルディナンド・マゼランを長とした265名の乗員を乗せた5隻内の1隻としてセビリアの港を発ち、西回りでの世界一周を目指した。他の4隻の脱落や、マゼランの死などがあったため、途中からその時点で同船の船長だったフアン・セバスティアン・エルカーノが指揮を執り、1522年9月6日にスペインの港に帰還し、世界一周を果たした。
ラ・ドーフィネ
1524年に北米の大西洋岸を探検するヴェラッツァーノの船。
グランデ・ハーミン
1535年にジャック・カルティエがセントローレンス川を航行した船。川を航行した初のヨーロッパ人。
サント・アントニオ
ポルトガルのジョアン3世保有。1527年にガンワロエ湾沖で大破し、サルベージを巡ってイギリスとポルトガルが対立した。
グレートマイケル
かつてヨーロッパで最大だったスコットランド船。
メアリー・ローズ、アンリ・グラサデュー、グラント・ハリー
イギリス製のキャラック。ヘンリー8世時代の軍艦。
グレース・デュー
ヘンリー5世の委託を受け造られた。当時の世界最大級の船の一つ。
サンタ・カタリナ・ド・モンテ・シナイ
16世紀初めにインドで建造された、ポルトガル海軍の大型キャラック。
サンタアンナ
1522年にホスピタルラーに委託され建造。近代的なデザインで、時に最初の装甲船として賞賛された。
イエス・リューベック
1563年、エリザベス女王によって商人団体にチャーターされる。ジョン・ホーキンスの大西洋奴隷貿易に関与している。
マドレ・デ・デウス
1589年にリスボンで建造された世界最大の船の一つだったが、1592年に東インド諸島から帰還する途中でフローレス島沖のイギリス海軍に押収された。
シンコ・シャーガス
インド諸島間を航行する船の中でも豪華かつ最大で、1594年にファイアルの戦争で爆撃され沈没した。
サンタ・カタリナ号
1603年にオランダ東インド会社によってシンガポールで差し押さえられたポルトガル船。
ノッサ・セニョーラ・ダ・グラサ
1610年に長崎近郊で日本の攻撃により沈没。
ピーター・フォン・ダンツィヒ
1460年代から1470年代のハンザ同盟の船。
ラ・グラン・カラッカ
マルタに対する支配間の聖ヨハネ勲章の船。


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