タンジール戦
タンジール戦(タンジール包囲戦とも)は1437年(9月13日ー10月19日)にポルトガル遠征軍がモロッコのタンジールを占領するためにマリーン・スルタン軍と争った一連の戦い。ポルトガルは15世紀にタンジ...
1440年 グアルダで生まれる。
1482年[42歳] 春にポルトガルのジョン2世からカスティーリャに派遣され、大使館の秘書を務める。9月に唯一の使節としてそこに戻った。
1483年[43歳] エヴォラのブラガンザ公爵フェルナンド2世の処刑に出席。
1484年[44歳] 教皇イノセント8世の秘書としてローマの大使館に赴く。帰国の際、王はピナに自分の治世の歴史を書くよう依頼し、支援金を与えた。
1493年[53歳] カトリック主権者がそれぞれの管轄区の境界線に関して交渉するために、ジョン2世に代理人としてバルセロナに派遣された。
1495年[55歳] 公証人としてジョン2世の遺書を本物だと証明し、同年10月25日にアルヴォルで彼の葬式に出席して彼の遺言書を朗読した。
1497年[57歳] 新しい王マヌエル1世は彼を高位の編年史家(cronista-mor)に任命。トーレ・ド・トンボの古文書の管理人と王室司書にもなった。
1504年[64歳] この年までにアフォンソ5世とヨハネ2世の年代記を完成させた。
1521年[81歳] ジョン3世は父親マヌエルの歴史で彼を起訴した。ダミアン・デ・ギスによると、彼はマヌエルが亡くなった時、アザモール戦に身を置いていた。
1522年[82歳] リスボンで亡くなる。
=年代記=
年代記に見られるピナの率直さは多くの歴史家に評価された。18世紀にピナの名前で出版されたサンチョ1世からアフォンソ5世までのポルトガルの初期の王の年代記はフェルナン・ロペスによって書かれ、ピナが編集した可能性が高い(ドゥアルテ王の記録はロペスとゴメス・イーネス・デ・ズララの共同制作)。年代記『Colecção de livros inéditos da historia portugueza』の第1版(1790年)はドゥアルテ王とアフォンソ5世が、第2版(1792年)はジョン2世がそれぞれ掲載されていたが、ピナが書いたアフォンソ4世の年代記は1853年にリスボンで最初に出版された。なお、ピナの生涯はドゥアルテ王の年代記の導入部分に書かれていた。
=余談=
ピナは当時から強力な影響力を持っており、アフォンソ・デ・アルバカーキ総督は、正確な年代記を書くようにとピナに宝石のセットを送ったと言われる。また王室とは別に一般人にも好かれ、贈り物を受け取っていた。
シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。
タンジール戦(タンジール包囲戦とも)は1437年(9月13日ー10月19日)にポルトガル遠征軍がモロッコのタンジールを占領するためにマリーン・スルタン軍と争った一連の戦い。ポルトガルは15世紀にタンジ...
ジョアン・ゴンサルヴェス・ザルコはポルトガルの航海者・探検家。アルバロ・フェルナンデスの叔父かつエンリケ航海王子に仕える貴族であり、船団を率いて探検行を行った。マデイラ諸島を「発見」した人物の一人であ...
キャラック船(Carrack,カラック船とも)は15世紀に地中海で開発された帆船。大航海時代を代表する船種のひとつ。 この型の船を、スペインではナオ(Nao)あるいはカラーカ(Carraca)、ポルト...
キャラベル船(Caravel,カラベル船とも)は、およそ3本のマストを持つ小型の帆船。高い操舵性を有したことなどから探検活動が盛んとなった15世紀に主にポルトガル人とスペイン人の探検家たちに愛用された...
アルバロ・ヴァズ・デ・アルマダは外国イングランドでの職歴があるポルトガルの騎士。ヘンリー6世によってアブランシュの初代伯爵(Conde de Abranches)に任命され、ガーターの騎士を創設した。...
セウタ攻略戦は、ポルトガル王国が後のアフリカ進出に関わる重要な戦い。1415年8月にセウタで起き、結果的にセウタがポルトガル王国領になる。もともとセウタはマリーン朝とグラナダ王国の利害下で、過去数十年...
バルバリア海賊(バルバリア・コルセア[Barbary corsairs]またはオスマン海賊[Ottoman corsairs])は北アフリカのおもにアルジェ、チュニス、トリポリを基地として活動した海賊...
※概要等は「バルバリア海賊」の頁を参照。イスラム教徒による海賊行為は、地中海では少なくとも9世紀の短命に終わったクレタ島のムスリム政権(824年 - 961年)の時代から知られていた。イタリア、フラン...
プレスター・ジョン(プレステ・ジョアン)は、アジアあるいはアフリカに存在すると考えられていた伝説上のキリスト教国の国王。プレスター・ジョン伝説では、ネストリウス派キリスト教の司祭が東方に王国を建国し、...
ジル・エアネスはポルトガルの航海士・探検家。ボハドル岬を初めて越えた人物。私生活についてはほとんど知られておらず、エンリケ航海王子の使用人(盾持ち)であったのではないかと考えられている。1395年 ポ...
アントン・ゴンサウヴェスはポルトガルの探検家、奴隷商人。黒人奴隷商人から奴隷としてアフリカ人を購入した最初のヨーロッパ人である。なお、16世紀の初めにマダガスカル島の沿岸を航行したアントン・ゴンサウヴ...
ディニス・ディアスはポルトガルの探検家。エンリケ航海王子に仕えており、父ジョアン・ディアスや息子バルトロメウ・ディアスも同様に探検家である。1445年 ディアスは既に老齢だったが「井戸の中で平穏に生き...
ヌーノ・トリスタンはポルトガルの探検家、奴隷商人。1440年代初頭に活動し、ギニア周辺地域に到達した最初のヨーロッパ人であると考えられている(ガンビア川を越えてギニアビサウまで行った説もあるが、有力で...
フェルナンド聖王子はポルトガル王国アヴィス王朝の王族。カトリック教会の福者で、祖国のために犠牲となったことから聖王子の名で親しまれている。 1402年 ポルトガル王国のサンタレンでジョアン1世とフィリ...
フェルナンド1世はポルトガルの貴族。第2代ブラガンサ公爵・第3代アライオロス伯。アヴィス王朝の開祖ジョアン1世の庶系の孫である。 1403年 初代ブラガンサ公アフォンソ1世と、ベアトリス・ペレイラ・ア...
フェルナンド・デ・カストロはポルトガルの貴族、外交官、軍人。パウル・デ・ボキロボの初代領主。ジョアン1世の王室評議会のメンバーであり、エンリケ航海王子の王室の総督を務めた。同じ時期にフェルナンド聖王子...
ゴメス・エアネス・デ・ズララはフェルナン・ロペスの後を継ぐポルトガルの編年史家。1410年 ポルトガルで生まれる。1433~1438年[22~27歳] 著述家を生涯の半ばで始める。ドゥアルテ1世の治世...
ルイ・デ・ピナはポルトガルの編年史家。1440年 グアルダで生まれる。1482年[42歳] 春にポルトガルのジョン2世からカスティーリャに派遣され、大使館の秘書を務める。9月に唯一の使節としてそこに戻...
フレイ・ジョアン・アルバレスはポルトガルの騎士修道士・編年史家・作家。王室に仕え、フェルナンド聖王子の秘書を務めた。1400年 トレス・ノヴァスで生まれる。1437年[37歳] フェルナンド聖王子と共...
アブ・ザカリヤ・ヤヒヤ・アル=ワッタシはフェズのマリーン皇帝の高官。1420年から1448年まで摂政を務め、モロッコを独裁的に支配した。ワッタシド王朝の創設者であり、しばしばヤヒヤ1世とも呼ばれる。ポ...