フィリパ・デ・レンカストレ

ページ名:フィリパ デ レンカストレ


フィリパ・デ・レンカストレはポルトガル国王ジョアン1世の王妃(在位期間:1387年2月11日-1415年7月19日)。ランカスター朝の初代イングランド王ヘンリー4世の姉。ジョアン1世とともに腐敗したと言われる王国に美徳と純粋を取り戻したと賞賛される。


1359年 3月31日、イングランド王国レスター城でランカスター公ジョン・オブ・ゴーントとその妃ブランシュとの間に生まれる。幼少期は母親と看護師モードの下で、3歳年下のエリザベスと7歳年下の2人の弟と共に育つ。当時の女性としては教育熱心であり、科学・哲学・詩などを学び、ギリシャやローマの学者の論文を読んで宗教研究に取り組んでいた。


1387年[28歳] 2月2日、ポルトでジョアン1世と結婚した*1。政略結婚ではあったが、教養がありイングランドの騎士道的精神にも通じた王妃は宮廷の中心人物となり、王とも円満だった。また、ポルトガルとイギリスの橋渡し役を担った。王との間に生まれた子供たち(一覧はジョアン1世の「子女一覧」へ)が優秀であった*2のも、妃から受けたイングランド王家の血と確かな教育の結果であったとされる。


1415年[56歳] 7月19日、大流行していたペストに罹患し、ポルトガル王国のサカヴェンで死去した。この時、ジョアン1世は寝食できない程彼女の死を悲しんでいた。死の床でセウタ攻略戦へ向かう王子たちを呼び「勇ましく戦っておいで。」と、剣を与え送り出した。 以下のような伝説も残っている。

死の間際に風が吹き、彼女が風に正体を問うと、北風であると返ってきた。それ故に彼女はセウタ攻略が成功するということを強く悟り、彼らにそう主張したのだった。
From Wikipedia Philippa of Lancaster

遺体はバターリャ修道院に埋葬された。


*1 ポルト大聖堂の教会に祝福され、王宮でも15日間祝い続けた
*2 輝かしき世代[Illustrious Generation]と言われた

シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。


最近更新されたページ

タンジール戦

タンジール戦(タンジール包囲戦とも)は1437年(9月13日ー10月19日)にポルトガル遠征軍がモロッコのタンジールを占領するためにマリーン・スルタン軍と争った一連の戦い。ポルトガルは15世紀にタンジ...

ジョアン・ゴンサルヴェス・ザルコ

ジョアン・ゴンサルヴェス・ザルコはポルトガルの航海者・探検家。アルバロ・フェルナンデスの叔父かつエンリケ航海王子に仕える貴族であり、船団を率いて探検行を行った。マデイラ諸島を「発見」した人物の一人であ...

キャラック船

キャラック船(Carrack,カラック船とも)は15世紀に地中海で開発された帆船。大航海時代を代表する船種のひとつ。 この型の船を、スペインではナオ(Nao)あるいはカラーカ(Carraca)、ポルト...

キャラベル船

キャラベル船(Caravel,カラベル船とも)は、およそ3本のマストを持つ小型の帆船。高い操舵性を有したことなどから探検活動が盛んとなった15世紀に主にポルトガル人とスペイン人の探検家たちに愛用された...

アルバロ・ヴァズ・デ・アルマダ

アルバロ・ヴァズ・デ・アルマダは外国イングランドでの職歴があるポルトガルの騎士。ヘンリー6世によってアブランシュの初代伯爵(Conde de Abranches)に任命され、ガーターの騎士を創設した。...

セウタ攻略戦

セウタ攻略戦は、ポルトガル王国が後のアフリカ進出に関わる重要な戦い。1415年8月にセウタで起き、結果的にセウタがポルトガル王国領になる。もともとセウタはマリーン朝とグラナダ王国の利害下で、過去数十年...

バルバリア海賊

バルバリア海賊(バルバリア・コルセア[Barbary corsairs]またはオスマン海賊[Ottoman corsairs])は北アフリカのおもにアルジェ、チュニス、トリポリを基地として活動した海賊...

バルバリア海賊の歴史

※概要等は「バルバリア海賊」の頁を参照。イスラム教徒による海賊行為は、地中海では少なくとも9世紀の短命に終わったクレタ島のムスリム政権(824年 - 961年)の時代から知られていた。イタリア、フラン...

プレスター・ジョン

プレスター・ジョン(プレステ・ジョアン)は、アジアあるいはアフリカに存在すると考えられていた伝説上のキリスト教国の国王。プレスター・ジョン伝説では、ネストリウス派キリスト教の司祭が東方に王国を建国し、...

ジル・エアネス

ジル・エアネスはポルトガルの航海士・探検家。ボハドル岬を初めて越えた人物。私生活についてはほとんど知られておらず、エンリケ航海王子の使用人(盾持ち)であったのではないかと考えられている。1395年 ポ...

アントン・ゴンサウヴェス

アントン・ゴンサウヴェスはポルトガルの探検家、奴隷商人。黒人奴隷商人から奴隷としてアフリカ人を購入した最初のヨーロッパ人である。なお、16世紀の初めにマダガスカル島の沿岸を航行したアントン・ゴンサウヴ...

ディニス・ディアス

ディニス・ディアスはポルトガルの探検家。エンリケ航海王子に仕えており、父ジョアン・ディアスや息子バルトロメウ・ディアスも同様に探検家である。1445年 ディアスは既に老齢だったが「井戸の中で平穏に生き...

ヌーノ・トリスタン

ヌーノ・トリスタンはポルトガルの探検家、奴隷商人。1440年代初頭に活動し、ギニア周辺地域に到達した最初のヨーロッパ人であると考えられている(ガンビア川を越えてギニアビサウまで行った説もあるが、有力で...

フェルナンド聖王子

フェルナンド聖王子はポルトガル王国アヴィス王朝の王族。カトリック教会の福者で、祖国のために犠牲となったことから聖王子の名で親しまれている。 1402年 ポルトガル王国のサンタレンでジョアン1世とフィリ...

フェルナンド1世 (ブラガンサ公)

フェルナンド1世はポルトガルの貴族。第2代ブラガンサ公爵・第3代アライオロス伯。アヴィス王朝の開祖ジョアン1世の庶系の孫である。 1403年 初代ブラガンサ公アフォンソ1世と、ベアトリス・ペレイラ・ア...

フェルナンド・デ・カストロ

フェルナンド・デ・カストロはポルトガルの貴族、外交官、軍人。パウル・デ・ボキロボの初代領主。ジョアン1世の王室評議会のメンバーであり、エンリケ航海王子の王室の総督を務めた。同じ時期にフェルナンド聖王子...

ゴメス・エアネス・デ・ズララ

ゴメス・エアネス・デ・ズララはフェルナン・ロペスの後を継ぐポルトガルの編年史家。1410年 ポルトガルで生まれる。1433~1438年[22~27歳] 著述家を生涯の半ばで始める。ドゥアルテ1世の治世...

ルイ・デ・ピナ

ルイ・デ・ピナはポルトガルの編年史家。1440年 グアルダで生まれる。1482年[42歳] 春にポルトガルのジョン2世からカスティーリャに派遣され、大使館の秘書を務める。9月に唯一の使節としてそこに戻...

フレイ・ジョアン・アルバレス

フレイ・ジョアン・アルバレスはポルトガルの騎士修道士・編年史家・作家。王室に仕え、フェルナンド聖王子の秘書を務めた。1400年 トレス・ノヴァスで生まれる。1437年[37歳] フェルナンド聖王子と共...