レオノール・デ・アラゴン

ページ名:レオノール デ アラゴン


レオノール・デ・アラゴンはポルトガル王ドゥアルテ1世の王妃(在位期間:1433年8月14日 - 1438年9月9日)。


1402年  カスティーリャ王国のメディナ・デル・カンポで生まれる。父はカスティーリャ王子フェルナンド(後のアラゴン王フェルナンド1世)で、母はレオノール・デ・アルブルケルケ。
1416年[14歳] 父親が他界する。
1428年[26歳] 母親の手配により、9月にドゥアルテと結婚した。9子をもうけたが成人したのは5人である(詳細はドゥアルテ1世の「子女一覧」へ)。
1433年[33歳] ポルトガルの女王になる。しかし積極的な政治活動をせず、評判が悪くなる。
1438年[36歳] ドゥアルテが黒死病で急逝する。生前に夫から摂政就任を依頼されていたレオノールは、幼王アフォンソ5世の摂政就任を宣言する。しかし、彼女は前の評判や外国人であるという理由からポルトガルで人気がなく、リスボンでの暴動を引き起こした*1。一方で、国内では王の弟コインブラ公ペドロが人望を集めていた。バルセロス伯とリスボン大司教の干渉、長女フィリッパが9歳で夭折、遺児ジョアナの出産など出来事が相次ぎ、数か月たっても摂政が決まらなかった。 コルテスが招集され、すぐにコインブラ公単独の摂政就任が決定された。
1440年[38歳] 不服なレオノールはなおもコインブラ公追い落としを画策するが、この年に重病を患ってカスティーリャへの亡命を余儀なくされた。
1445年[42歳] カスティーリャ王国のトレドで亡くなった。遺体はポルトガルのバターリャ修道院に葬られた。


*1 後にアラゴンの兄ジョン2世によって抑圧された

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