治療開始から4日。
彼女の口をついたのは「いのちのみほし」という単語だった。
「……私は今日までこの島が一体どんなところかすっかり忘れていた。」
「小屋に生まれて、しばらくのうちは楽しかった。」
「いろいろなところを旅したかったけど、疲れてしまって、どうしても街のざわめきにたどり着けなかった。」
「もっと遠くに旅をしたい」「強く思った。」
「ある日、自分が『色』を見ることができることに気づいて混乱した。」
「何度も『光』に襲われて、気を失った。」
「気が付いたら『神様』として迎えられていた。最初につけられたのは『こだま』って名前。」
「最初の半年は楽しかった。本当に。朝は食事をしたら、普通のコウモリだったころの話をして。昼はいろいろな勉強をして、色々な方のお話を聞いた。夕暮れ前には小屋の掃除をして、夜にはお祈りをした。」
「ある日、私はみんなとお別れしなければいけなくなった。」
「街のビルの一室に駒を進めた宣教団に教会としての権威をもたらすために、こだま様におかせられましては『クロハネ様』とその身を転じて彼らを導かんと欲す」
「私は、大教会からのお達しで、慣れ親しんだ山小屋、「橙光の修道院」をでて、このサクラの街に来た。」
それから先は聞くに堪えなかった。根拠なき粗製サンドスターの摂取を強制し、幾度となく刃を向けられ、大よそ人の姿をした者が食べるべきでないものが供台にのぼり…
正に「筆舌に尽くしがたい」ものだった。
これをここに書き留めるのはとても心が痛む。
顔は口を動かすごとにこわばっていった。臨時とはいえ、医療担当である私には権限がある。
「これ以上のインタビューは彼女に強いストレスを与えます。サンドスター関連疾病は本人の自律神経の乱れが病状の悪化に直結するので続行は許可できません。可及的速やかに退室をお願いします。」
本当にその通りかはたいして問題ではなかった。少なからず私しか彼女を適切に守れる人がいないのだ。
いや、それも違う。今は彼女の事が心底気になっている。心配している。
私のしたことは全く持って褒められたことではない。あの時は本職の研究者が来たおかげで助かりはしたが、果たして私の診断は正しかったのだろうか。SKYDEMシリーズの調剤は発作的な副作用を誘発しやすい。その上にシリーズを通して使用された例はほんの数例しかない。更にそれはパークの混乱期と重なっているせいで情報の欠落が見える。
私はもはや研究員ではない。私はもはや専門家ではない。私が何をもってしても体感できないような苦しみを抱えて横になっている彼女に対して、私の存在は、先日口から出血しながら連行されていった「薬師」とさほど変わらなかった。
私は憎い。このパークが。何故、私には一つの命と奇跡の結晶を守る権限が与えられないのか。何故、私は先生の忠言を守れなかったのだろうか―。
「こわっ…」
夜の真っ暗な窓に映ったのは愚かで恐ろしい怪物だったが、自分と気づくのにそこまで時間は要しなかった。
この時ばかりは時計の音すら私の耳には入らなかった。ただただ、『先生』の到着を待つばかりであった。
5時間ほどであっただろうか。甲高い音を立てながら走るシートン副所長の影はこの時ばかりは追い越せそうなほどに遅かった。
「どうなんですか先生、本当に大丈夫なんでしょうか」
「お前が散歩に出てなかったら事件だったな、少なくともお前が心配しなきゃならねえほど悪くはないな。」
「技術と勘と勇気の勝利だよ、幕原君。」
肩に当てられた手は、私に一時の充足感を与えたが、その掌が汗ばんでいる事だけは、何とかしてごまかそうとした。
「先生方は、何故私のようなつまらないものをお助けになられたのですか…」
私は寄贈病院の中を宛てもなく走った。
走った。突っ走った。
端から端まで62m。
折り返して124m。
特別病室に飛び込んで127m。
「ざけとんのがこのガキがぁ!?おおう?」
「うわぁ!?ひ、ひっ……」
「ふざけんな、いい加減にしろや。てめえ俺の勇気を踏みにじったな?」
「てめえは確かに臆病かもしれねえ、クソみてぇなところでクソが腐る程のひどい仕打ちを受けてきたかもしれん」
「テメエはそうやって生きてきたのかもしれねぇ。」
「だがよ、人が職と命張ってつないだものをつまらないものと言われるのは心底腹が立つ。」
「そんなことを言うのはここの島のお偉いさんだけでいいんだよ」
「まだまだ生きていけるやつが口にするもんじゃねえ。」
「俺ら、まだ生きてるだろ?楽しもうとすれば、まだまだいくらでもできるだろ?」
「頼む、頼むから……おr」
[AM00:00]
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