ヴェルフェン家

ページ名:ヴェルフェン家
曖昧さ回避この項目では、イタリアのエステ家の分家のヴェルフェン=エステ家(新ヴェルフェン家)・ヴェルフェン=エステ=ブュッテル家(古ブラウンシュヴァイヒ=リューネブルク家)について記述しています。当家の母方のドイツの貴族については「古ヴェルフェン家」をご覧ください。

ヴェルフェン=エステ家(ヴェルフェン=エステ=ブュッテル家)の紋章

ヴェルフェン家(独語:Welfen-Haus)は、南ドイツのバイエルン公で、同時に北ドイツのザクセン公の貴族である。

新ヴェルフェン家(Neu-Welfen)・ヴェルフェン=エステ家(Welfen-Este)と呼ばれる。さらにヴェルフェン=エステ=ブュッテル家(Welfen-Este-Büttel)こと古ブラウンシュヴァイヒ=リューネブルク家(Alt-Braunschwig-Lüneburg)とも呼ばれる。

もともとはカトリックの教徒だったが、唯一家系が在続したグルーベンハーゲン家の歴代君主は16世紀にマルツィン・ルターの影響で、敬虔なプロテスタントとなり、ザクセン選帝侯のヨーハン・フリートリヒ1世寛容公とヘッセン方伯のフィーリプ1世寛大公による『シュマルカルデン同盟』の結成に加担して、筋金入りのカトリックであるハプスブルク家のカール5世に対して反乱を起こしたりもした(『シュマルカルデンの戦い』)。

目次

概要[]

北イタリアのゲルマン系ロンバルディア貴族のオベルテンギ家(Obertenghi-Casa)の分家であるエステ家(Este-Casa、エステ=オベルテンギ家(Este-Obertenghi)ともいう)からヴェルフ1世(エステ辺境伯のアルベルト・アッツォ2世の次男、生母は古ヴェルフェン家のヴェルフ2世の娘・クニグンデ)が男子に恵まれなかった母方の伯父であるケルンテン公・ヴェルフ3世(南ドイツのシュヴァーベン系の古ヴェルフェン家の最後の君主)の後を継いだために、新ヴェルフェン家またはヴェルフェン=エステ家と呼ばれる(以降はヴェルフ1世の子であるヴェルフ2世肥満公・ハインリヒ1世黒公の兄弟、その子のハインリヒ2世傲慢公、その子のハインリヒ3世獅子公と続くが、その子のハインリヒ5世オットー4世兄弟の子の代で断絶した)。

ヴェルフェン家は代々、神聖ローマ帝国のザーリアー朝の与党だったが、ヴェルフ2世肥満公・ハインリヒ2世黒公(獅子公の祖父)兄弟の代にローマ教皇派となり、父・ヴェルフ1世の代にバイエルンを与えてくれたハインリヒ3世黒王の子である時の皇帝のハインリヒ4世に対して反乱を起こして、楯突いた。このため皇帝派=ギベリン(Gibellin)と教皇派=ゲルフ(Gelf)の対立と呼ばれた。

歳月は流れ、その一方ヴェルフェン家の忠実な与党であったバイエルン貴族のブュッテル家(Büttel)[1]の直系であるコンラート1世(ルートヴィヒ1世の子)に嫁いだハインリヒ3世獅子公の妹・ゲルトルートの子であるヴィルヘルム1世とその子・オットー1世幼童公を家祖とするヴェルフェン=エステ=ブュッテル家(古ブラウンシュヴァイヒ=リューネブルク家)は獅子公が築いた「ヴェルフェン=エステ家」を相続する形になった。オットー1世の子のアルプレヒト1世とヨーハン1世兄弟が相続して共同に統治した。

1267年の弟・ヨーハン1世の執拗な要請に応じて、アルプレヒト1世は1269年に古ブラウンシュヴァイヒ=リューネブルク家の所領を分割させて、アルプレヒト1世が南部の古ブラウンシュヴァイヒ家のグルーベンハーゲン家およびゲッティンゲン家の祖となり、ヨーハン1世が北部の古リューネブルク家のツェレ家の祖となった。

古ブラウンシュヴァイヒ家=グルーベンハーゲン本家およびゲッティンゲン家(1463年にオットー4世の代で断絶し、姻戚関係にあたるヴォルフォン=エーファーシュタイン家エーファーシュタイン(エーフェルシュタイン)家の分家)のヴォルフェンビュッテル(ヴォルフォンビュッテル)=カーレンベルク公・ヴィルヘルム1世勝利公が相続)とヘルツベルク家(Herzberg)や、古リューネブルク家=ツェレ家(1369年にヴィルヘルム2世の代で断絶した後は、ザクセン系のアスカニアー(アスカン)家のアルプレヒト3世(ヴィルヘルム2世の外孫(娘のエリザーベトの子)、オットー4世の子)が相続した)などが輩出した。

しかし、グルーベンハーゲン本家も1596年にフィーリプ2世の代で断絶し、姻戚関係にあたる前述のヴォルフォン=エーファーシュタイン家のヴォルフェンブュッテル公のハインリヒ・ユリウスが相続し、ついにヴェルフェン=エステ=ビュッテル家の男系は途絶えたのである(ヴェルフェン=エステ家以前のヴェルフェン家は古ヴェルフェン家(Alt-Welfen)と呼ばれる)。

余談として、引き続き前述のヴォルフォン=エーファーシュタイン家(エーフェルシュタイン(エーフェルシュタイン)家、新ブラウンシュヴァイヒ=リューネブルク家)は、ゲッティンゲン家のアルプレヒト2世(1318年没)の女婿で、ザクセン貴族であるエーファーシュタイン家のハーメルン伯・マクヌス1世(アルプレヒト3世(アルベルト3世、1135年 - 1197年あるいは1202年)の玄孫、アルプレヒト5世(アルベルト5世)あるいはオットー2世の孫)のを祖とする家系で、断絶した「ヴェルフェン家」の名を転訛して冠した「ヴォルフォン=エーファーシュタイン家」を興した家系であり、マクヌス1世の玄孫のカーレンベルク家のエーリヒ1世がゲッティンゲン公を相続した)。

ヴェルフェン=エステ家(新ヴェルフェン家)[]

バイエルン・ザクセン系[]

ライン=プファルツ系[]

ヴェルフェン=エステ=ブュッテル家[]

ブュッテル家[1][]

  • ルートヴィヒ1世 : ヴィルヘルム1世の祖父
  • コンラート1世 : ヴィルヘルム1世の父

古ブラウンシュヴァイヒ=リューネブルク家[]

古ブラウンシュヴァイヒ家[]

グルーベンハーゲン家[]
  • アルプレヒト1世 : 古ブラウンシュヴァイヒ=リューネブルク家・オットー1世の子、ブラウンシュヴァイヒ=リューネブルク公
  • ハインリヒ1世
  • ヴィルヘルム2世 : ヴォルフェンブュッテル(ヴォルフォンブュッテル)公も兼務
  • (ローター1世)
  • オットー4世
  • コンラート3世
  • ハインリヒ2世
  • オットー2世(オットー5世)
  • エルンスト1世 : エーファーシュタイン家のハインリヒ2世の娘のアーデルハイトを娶る
  • アルプレヒト2世
  • (ヨーハン1世) : オステローデ公も兼務
  • エーリヒ1世
  • ハインリヒ3世
  • ハインリヒ4世
  • アルプレヒト3世
  • フィーリプ1世
  • エルンスト2世(エルンスト5世)
  • ヴォルフガング
  • フィーリプ2世
ゲッティンゲン家[]ヘルツベルク家[]
  • ヴィルヘルム3世 : グルーベンハーゲン家・ハインリヒ1世の子
  • フリートリヒ : グルーベンハーゲン家・エルンスト1世の子、オステローデ公も兼務
  • オットー3世(オットー5世) : オステローデ公も兼務

古リューネブルク家[]

ツェレ家[]
  • ヨーハン1世 : 古ブラウンシュヴァイヒ=リューネブルク家・オットー1世の子、ブラウンシュヴァイヒ=リューネブルク公
  • オットー2世厳格公(オットー4世
  • (ヨーハン2世)
  • オットー3世(オットー5世)
  • ヴィルヘルム2世
  • (ルートヴィヒ2世)
  • オットー4世(オットー6世))

脚注[]

  1. 1.01.1 語源は「家屋敷」あるいは「庭園」の意味をさす。

関連項目[]



特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC BY-SAライセンスの下で利用可能です。

シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。


最近更新されたページ

左メニュー

左メニューサンプル左メニューはヘッダーメニューの【編集】>【左メニューを編集する】をクリックすると編集できます。ご自由に編集してください。掲示板雑談・質問・相談掲示板更新履歴最近のコメントカウン...

2ちゃんねる_(2ch.net)

曖昧さ回避この項目では、1999年設立2ちゃんねる(2ch.net)について記述しています。2014年4月にひろゆきが開設したもうひとつの2ちゃんねるについては「2ちゃんねる (2ch.sc)」をご覧...

2ちゃんねる

2ちゃんねる(に - )とは、日本最大の大手掲示板。約2つほど存在する。2ちゃんねる (2ch.net) : 1999年5月30日に、あめぞう型掲示板を乗っ取ったひろゆきによって、設立された掲示板。現...

黄皓

黄皓(こうこう)とは、中国の人物。約2名ほど存在する。黄皓 (宦官) : 蜀漢(蜀)の宦官。後主(懐帝)の劉禅に信頼されて、中常侍に任命された。この権力を利用して、皇弟の魯王の劉永と上将軍の姜維と対立...

黄忠

“矍鑠なるかなこの翁は”と謳われた黄忠黄忠(こうちゅう、? - 220年)は、『三国志』に登場する蜀漢(蜀)の部将で、字は漢升。子は黄叙(黄敍)、他に孫娘[1](後述)がいたという。『三国志演義』では...

黄奎

黄奎像黄奎(こうけい、170年/171年? - 212年5月)は、『三国志』に登場する後漢末の人物。字は宗文。黄香の玄孫、黄瓊の曾孫、黄琼の孫、黄琬の子、黄某の父、荊州牧の劉表配下の江夏郡太守の黄祖の...

麻生氏_(筑前国)

曖昧さ回避この項目では、豊前国の氏族について記述しています。その他の氏族については「麻生氏」をご覧ください。麻生氏(あそうし)とは、筑前国・豊前国の氏族。約2系名ほど存在する。筑前国遠賀郡麻生郷[1]...

麻生氏

麻生氏(あそうし)とは、日本の氏族。約幾多かの系統が存在する。麻生氏 (常陸国) : 常陸麻生氏とも呼ばれる。桓武平氏繁盛流大掾氏(常陸平氏)一門の常陸行方氏の庶家で、行方宗幹の3男・家幹(景幹)を祖...

鹿島氏

鹿島氏(かしまし)とは、日本における常陸国鹿島郡鹿島郷[1]の氏族。約3系統が存在する。鹿嶋氏とも呼ばれる。鹿島家 : 崇光源氏流伏見家一門の山階家[2]の庶家。山階菊麿の子の鹿島萩麿[3]が設立した...

鷹司家_(藤原氏)

曖昧さ回避この項目では、藤原北家について記述しています。その他の氏族については「鷹司家 (源氏)」をご覧ください。鷹司家(たかつかさけ)とは、藤原北家一門で、約2系統が存在する。山城国葛野郡鷹司庄[1...

鷹司家_(源氏)

曖昧さ回避この項目では、源姓一門について記述しています。その他の氏族については「鷹司家 (藤原氏)」をご覧ください。鷹司家(たかつかさけ)とは、源氏一門。約2系統が存在する。山城国葛野郡鷹司庄[1]を...

鷹司家

曖昧さ回避この項目では、公家の家系について記述しています。その他の氏族については「鷹司氏」をご覧ください。鷹司家(たかつかさけ)とは、日本の氏族。約2系統ほど存在する。山城国葛野郡鷹司庄[1]を拠点と...

鷲尾氏

鷲尾氏(わしおし)とは、日本の氏族。約3系統がある。鷲尾家 : 藤原北家魚名流四条家の庶家。同族に山科家[1]・西大路家[2]・櫛笥家[3]があった。鷲尾氏 (備後国) : 備後鷲尾氏とも呼ばれる。源...

鳩時計

ドイツ南西部のシュヴァルツヴァルトにある鳩時計専門店鳩時計(はとどけい、独語:Kuckucksuhr、英語:Cuckoo clock)とは、ドイツの壁掛け時計の一種で「ハト時計」・「カッコウ時計」・「...

鳥山氏

鳥山氏の家紋①(大中黒一つ引き)大井田氏の家紋②(二つ引き両)鳥山氏(とりやまし)は、新田氏(上野源氏)流源姓里見氏一門。上野国新田郡鳥山郷[1]を拠点とした。目次1 概要2 歴代当主2.1 親成系2...

魏書

魏書(ぎしょ)とは、中国の史書。幾多かある。『三国志』の魏(曹魏)の曹操を中心とした史書。『三国志』時代以前の後漢末の王沈の著書(現存せず、『三国志』の注釈の中に断片的に残されているのみである)。『北...

魏延

甘粛省隴南市礼県祁山鎮に存在する魏延像魏延(ぎえん、? - 234年)は、『三国志』登場する蜀漢(蜀)の部将。字は文長。目次1 概要2 その他のエピソード3 魏延の隠された事項4 脚注5 関連項目概要...

魏勃

魏延の遠祖の魏勃指揮を執る魏勃魏勃(ぎぼつ、生没年不詳)は、前漢初期の部将。蜀漢(蜀)の部将の魏延の遠祖と伝わる[1]。 概要[]彼の出身地は不詳であるが、父が鼓琴の名手で、彼は秦の咸陽に赴いて、始皇...

魏(ぎ)とは、元来は都市国家に属し、現在の今日の山西省運城市芮城県に該当される。戦国時代に領域国家に変貌した。幾多の国家(王朝)が存在する。魏 (春秋) : 別称は「微」。姓は好。殷(商)の微子堅(微...

高間慎一

高間 慎一(たかま しんいち、1978年9月19日 - )は、日本の実業家。大学1年の18歳で会社の起業をしたメンバーシップ系のワイン&ダイニング レストラン「Wabi-Sabi」の創業者であり、マー...