黄奎

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黄奎像

黄奎(こうけい、170年/171年? - 212年5月)は、『三国志』に登場する後漢末の人物。字は宗文。黄香の玄孫、黄瓊の曾孫、黄琼の孫、黄琬の子、黄某の父、荊州牧の劉表配下の江夏郡太守の黄祖の族子、黄射の族兄弟という[1]。生母は来氏で、蜀漢)の執慎将軍・来敏の外甥で、来忠の外従兄にあたる[1]

概要[]

江夏郡安陸県[2]の人。孝廉に推挙されて、郎中となった。

192年夏6月に、王允・呂布とともに董卓を暗殺した父が、董卓の旧部将である李傕[3]・郭汜(郭多)・張済[4]・樊稠らに襲撃されて殺害されると、親類でもある益州牧の劉焉[5]を頼った生母の来氏と生き別れて、再起を起こすために亡父と親交があった涼州の馬騰を頼った。黄奎は馬騰の長子の馬超とは年代が近いために親しくなり、黄奎を義兄に馬超を義弟とする義兄弟の契りを結んだ[1]

196年に、曹操愍帝献帝)を擁立して、漢王朝を立て直すと、馬騰・馬超父子と袂を別ち曹操のもとに馳せ参じて、黄門侍郎に任命された[1]

しかし、曹操は年若い愍帝を軽んじる行為が多く、これに憤懣した黄奎は皇室の外戚の董承の「曹操暗殺計画」に加担するを目論んだが、その前に董承らが曹操に粛清されたために、黄奎は再び馬騰のもとに逃れた[1]

数年後に、馬氏一門を率いて鄴に移り住んで、曹操から衛尉に任命された馬騰のとりなしもあり、黄奎は曹操に許され再び黄門侍郎に任命された[1]

210年に、曹操は漢中郡の張魯を遠征する口実として、涼州を通過することを求められた馬騰の基盤を継いだ長子の馬超と馬騰の盟友の韓遂らはこれに対して戦慄感を激しく抱いて、ついに反乱を起こした。翌211年に曹操は涼州遠征に向かい、激戦の末に馬超と韓遂らを撃退した。

翌212年夏5月に息子の反乱によって、追い詰められた馬騰は黄奎とともに鄴で反乱を起こす密談を重ねたが、たまたま黄奎の下僕である苗澤(苗沢)が不正行為をしたため、主人から死刑を宣告されたので、危惧を抱いた苗澤は巧みに主の黄奎と馬騰らの密談を聴きつけて、涼州遠征から帰還したばかりの曹操に密告した。これを聞いた曹操は激怒して、馬騰とその次子の馬休と末子の馬鉄および、黄奎とその息子らを逮捕投獄した。まもなく、馬騰・黄奎一族は市場で処刑され、晒し首となった[6]。享年43という。さらに曹操は韓遂の息子と孫をも処刑した。

脚注[]

  1. 1.01.11.21.31.41.5元本』(『元大徳九路本十七史』)
  2. 現在の湖北省孝感市安陸県
  3. 李式の父。
  4. 張繍の族父。
  5. 劉焉の生母の甥が黄琬であり、すなわち劉焉と黄琬は従兄弟同士である。さらに、劉焉の少子の劉璋と黄奎は又従兄弟同士である。
  6. 『後漢書』孝献帝紀

関連項目[]



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