フォーランド ナット

ページ名:フォーランド ナット

登録日:2023/04/16 (Sun) 13:04:00
更新日:2024/07/05 Fri 12:38:14NEW!
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戦闘機 ジェット戦闘機 イギリス 英国面 インド ナット 軍事 フォーランド 第二次印パ戦争 第三次印パ戦争



フォーランド ナットとは、第二次世界大戦後にイギリスで開発されたジェット戦闘機である。
愛称の「ナット」はネジを止めるあのナット(Nut)……ではなく、昆虫のブヨ(Gnat)のこと。にあやかったのだろうか…


世は大ジェット時代、世界の戦闘機がだいたい同じ方向に進化を続ける中で、あえて王道から外れてニッチな需要を突いたいつものイギリス斬新な機体である。



性能諸元(Gnat F.1)

  • 乗員:1名
  • 全長:9.07m
  • 全幅:6.76m
  • 全高:2.69m
  • 空虚重量:2,175kg
  • 最大離陸重量:4,100kg
  • エンジン:ブリストル・シドレー オーフュース701-01ターボジェット
  • 最高速度:1,120km/h(高度20000フィート)
  • 航続距離:800km
  • 固定武装:30mm機関砲×2
  • ロケット弾:3インチ(76.2mm)ロケット弾×18
  • 爆弾搭載:500ポンド(227kg)×2



開発

時は1955年。この年、イギリスの航空メーカーであるフォーランド社が開発した新型ジェット戦闘機がついに完成した。本項目で扱う「フォーランド ナット」である。前年のデモンストレーションからの順調さを維持し続け、初飛行も無事に成功。3年の開発期間を経て、ついに表舞台に姿を見せたのであった。
ナットの登場は、ジェット第一世代が前線に出揃い、さらに第二世代の新顔が徐々にデビューし始めるという過渡期の真っ只中。この時代における戦闘機の開発方針は、基本的に世界中どこを見ても「大型!誘導ミサイル!超音速!レーダー!全天候能力!核攻撃!値は張るけど高性能!!機銃なんかいらねぇよ!!というムーヴメントの中にあり、ミサイル万能説機銃不要論など、次世代のトンデモ理論や技術が重視される風潮にあった。
ちなみにナットの同期には、かのF-105やJ35ドラケンがいる。


そんな中で颯爽と登場したフォーランド ナット。イギリスというだけで一抹の不安はあるが、果たしてどういう機体なのかズバリお答えしよう。




時代の真逆、である。




…もう一度言う。




時代の流れに真っ向から逆らったのである。


やっぱり英国面じゃねーか!



では、そんなナットの特徴を余すところなくお届けしよう。


まず、何といっても目を引くのは機体の大きさである。機体の形状だけ見ればオーソドックスな後退翼機なのだが、大型化が叫ばれるこの時代において、なんと全長9m弱、全幅約7mという小柄ボディでやってきた。参考までに、皆さんご存知のゼロ戦全長約9m、全幅最大12mである。なんと、大戦中のレシプロ機であるゼロ戦と大差ないレベルのちんまいカラダなのだ。さらに自重も後期型ゼロ戦と同レベルまで削っており、とても第二世代ジェットとは思えない仕上がりである。


また、採用したエンジンはジェット戦闘機にしては出力が低めだったが、小柄で軽い機体のおかげでそこそこの高速で飛行することができた。
このミニマムな機体サイズは高い運動性や操縦性、上昇力、取り扱いの易しさを生み出しており、ナットの持つ最大の武器と言っていいだろう。


…ただし、音速で飛べない。エンジンや機体性能の限界により、水平飛行では最高速が音速に届かないのである*1。アメリカでは超音速機が運用に入るというこの時代において、音速にたどり着けない新型ジェット機という代物を作ってしまうコンセプトがイマイチ見えないが……


また、ブリティッシュ・アマノジャクポイントとして、ミサイルを装備できないという点が挙げられる。




もう一度言う、ミサイルを装備できないのである。




固定武装は30mm機関砲2門、そして追加でロケットか爆弾を少々、だけミサイル最高!機銃不要!という世界の流れに正面から反抗したのである。


さらにレーダーも積んでおらず、小柄な機体ゆえに燃料搭載量も少なめで、航続距離も1000kmに届かなかった。


そう、フォーランド ナットとは、「機銃を捨てて対空ミサイルを主武装とする大型超音速ジェット」が跋扈する時代に、「ミサイルを持たずに機銃だけで戦う小型迎撃格闘戦闘機」というまったく別角度からのコンセプトで挑んだ偉大なるチャレンジャーなのである。



もちろん、ただただひねくれ100%の逆張りだけでこのような機体を思いつくはずがない。でもイギリスなのでちょっと可能性あるのが厄介だが


ナットの目指したモノ、それは「低価格で扱いやすい戦闘機」である。


先述の通り、この時代の戦闘機は大型化が進み、対空ミサイルやレーダーの装備も本格化していた。しかし、ジェットエンジンや電子機器はまだまだ発展途上であり、こまめな整備や点検が不可欠。また機体が大きくなるに合わせて、運用できる飛行場や基地の整備も必要になってくる。要するに、戦闘機が高性能になるにつれて、その莫大な運用コストが馬鹿にならなくなってきたのである。


そして、いくら戦闘機が高性能でも、あまりにお金がかかりすぎてしまったら、米英などの大国ならともかく中小国や第三国にはかなりの重荷となることは想像がつきやすい。


そこで、フォーランド社は考えた。
「高性能な戦闘機は買えないけどそこそこの性能でお安い戦闘機は欲しいって国、実はたくさんあるのでは??」


こうしてナットは、「安い、生産しやすい、現場で扱いやすい」を開発目標として計画。具体的には、他社製戦闘機と比較して生産する労力が5分の1、お値段が3分の1、という目標が掲げられた。


例えば、ナットのエンジンは確かに出力が低めだが、わざわざそんなエンジンにしたのもコストを抑えるため。アフターバーナーもないので傷みにくく、耐用年数もそこそこ長い…といったように、ナットにはコストを抑える工夫が随所に見られる。紳士たちの節約術である。


いつもの逆張りひねくれ珍兵器かと思いきや、しっかりとした理詰めと展望のもとで編み出された紳士たち渾身の戦闘機、それがフォーランド ナットなのである。




運用

さて、先ほども説明した通り、ナットは中小国からの受注をメインターゲットにしていた。なので、母国イギリスではお試しで何機か購入されたものの、戦闘機として制式採用されることはなかった*2。しかし、抜群の運動性と操縦のしやすさを買われ、イギリス空軍が複座式に改造されたものを訓練機として採用。またイギリス空軍はその機動性を活かし、アクロバットチームのメイン機体として1979年までナットを使用した。


そして、本題の輸出だが……




イマイチ売れなかった。




売れなかったのである。




フォーランド社は事前に売上予想を立てていたが、いざ蓋を開けてみると予想を下回ってしまったのだ。そこそこの値段でそこそこの性能、ぱっと見た感じだと結構お手頃お買い得な気もするのに、なぜ売れなかったのか。それには、当時の国際情勢が深く関係していた。


実は、ナットがターゲットにしていた中小国に対し、アメリカやソ連が型落ちの機体を「お友達価格」で売りさばいていたのである。
時は冷戦真っただ中。それぞれ自陣営の強化軍事産業との関係もあって、落ち目の大英帝国からの新参者であるナットが立ち入るスキがなかったのだ。


さらに悪いことに、初期型を注文してくれたフィンランドでの運用で問題が多発フィンランド軍史上初の音速超え戦闘機という名誉を授かったものの、北国の過酷な環境に耐えられず故障や事故が頻発*3し、ついに死亡者まで出してしまったことで欠陥機体を掴まされた大問題になってしまった。あのフィンランド人でも扱えないとかもうダメでは?


また、ユーゴスラビアが昼間戦闘機の更新に際して評価のためにナット2機を注文したが、それ以降の音沙汰はなかった。たぶんダメだったんだろうな*4


そんな中、早くからナットに着目し、大量の購入契約を結んだうえ、ライセンス生産にも手を付けた挙句独自に後継機まで開発しちゃった国が存在した。


フォーランド社に救いの手を差し伸べたその国とはズバリ、




インドである。





インドでの運用


さて、場面を移して、ここからはインドでのナットについて語っていく。


戦後インドといえば、有名なガンジーの『非暴力不服従運動』などもあって、暴力に頼らない平和な国、というイメージを抱いているWiki篭り諸君も少なくないのではないだろうか。


ところがどっこい。第二次世界大戦が終結した後のインドは外交問題で荒れに荒れまくり揺れに揺れまくっており、割と、というかかなりヤバいことになっていた。


というのも、独立運動の中心だったガンジーらはインド地域全体を一つの国として独立させようとしていたのだが、これに長年の積み重ねとイギリスの植民地政策ヒンドゥー教へのヘイトを募らせていたイスラム教徒猛反発。インドのうちイスラム教徒が多く住む東西の地域が「パキスタン」として分離独立してしまった。これによってインドは東西パキスタン*5に挟まれる形となり、さらに北部カシミール地方を巡ってインド・パキスタン間で領土問題が勃発。さらにさらに問題のカシミール地方について、北から中国が漁夫の利を狙っている……という、これ以上酷い事態がないくらいゴリゴリの紛争地域と化していたのだ。半分くらいイギリスにも責任があるだろ


というわけで、インド軍は初飛行の翌年には早くも購入契約を結び、1960年からナットの配備がスタート。
そして1965年、カシミール地方にパキスタン軍が侵攻したことを発端として、第二次印パ戦争が勃発。


そう、フォーランド ナット、初の実戦参加である。


まず行われた第一次攻勢にて、インド軍は地上では優勢を確保したものの、空中戦では劣勢に立たされていた。そこで、虎の子のナット部隊にお鉢が回ってきたのだった。


しかし、この時のインド軍はというと、ナットの他には大戦中に初飛行を果たした同胞の大先輩、デハビラント・ヴァンパイアをはじめとした英ソ戦闘機の混成軍だった。対するパキスタン軍はアメリカの支援のもと、ジェット第一世代最高傑作との呼び声も高いF-86 セイバーを大量に配備していたのだ。冷戦なのに同じ西側のはずの英米機が戦火を交える複雑怪奇印パ情勢


しかもただのセイバーではなく、朝鮮戦争の戦訓をもとに改良がなされ、赤外線誘導空対空ミサイル『サイドワインダー』も装備できるセイバーの決定版、F-86Fである。
すでに初期型の登場から10年以上が経っているが、思い通りに操縦できる高い機動性と格闘戦性能を持った「世界最優秀ジェット」ことセイバーに、さらにミサイルまでついてくる。しかしナットも第二世代の端くれ、第一世代の先輩には負けられない。果たしてナットはセイバーに太刀打ちできるのか!?









できました。







できちゃいました。








そう、なんとナット、サイドワインダーのエサになるどころか、セイバー相手に互角の戦いをしてしまったのである。


実は、一見すると最強に聞こえる『サイドワインダー』だが、この当時はまだ赤外線センサーの技術が未熟であり、相手の噴射口、すなわち敵の後ろをとらないと使用できなかったのである。逆に言えば、後ろを取られさえしなければミサイルは飛んでこないのだ。さらにカシミール地方が砂漠地帯なこともナット有利に働く。砂漠や荒野が広がるこの地では、太陽や砂などそこら中が赤外線を蓄えた熱源と化していたため、万が一ロックオンされても太陽や地面に向かって飛べばロックが外れてしまうのである。さらにナットが小柄で機敏なこともミサイル回避に大きく役立った。


結果的に、やられるどころかセイバーを撃墜する大金星を挙げている。また、ナット部隊はその戦果を大いに喧伝され「セイバーキラー」という通称で呼ばれるようになった。


こうして、ナットは第二次印パ戦争を戦い抜き、セイバー相手にも奮戦。キルレシオについては印パ双方で発表内容に食い違いがあるため一概には言えないが、少なくとも2:1以上で優勢だったようだ。またこの戦争を生き抜いたナットのパイロットは熟練の操縦技術を習得しており、他の機体に乗り換えてもその腕は衰えなかったという。


さらにその6年後、第三次印パ戦争の際にもナットは未だ現役。この頃になると流石に正面切って空中戦をするには力不足であり、航空支援や対地攻撃を中心に活躍。しかしながら、機動力を活かして複数機で束になって挑むことにより、ナット隊の損害ゼロでセイバーファミリーでも最強と呼ばれるカナディアンセイバー2機の撃墜に成功するなど、散発的にセイバーと戦い、何度か勝利している。セイバーキラーは健在であった。


この大活躍を受けて、インド軍はライセンス生産していたナットを独自に改修。ナットの欠点や短所を改良させた後継機「アジート」を開発し、安くて使いやすい戦闘機として90年代まで運用し続けた。


時代の流れに真っ向から逆らって一方向に特化しすぎたため、同期や後輩、果ては研鑽を積んだ先輩にすら性能では負けていたナット。しかし、最新技術てんこ盛りな敵に対して戦術と地の利と機動力で互角に持ち込んだインドでの活躍ぶりは、ヒーロー属性◎というか、もはや主人公機といってもいい躍動だろう。





肝心のセールスには大失敗したけどな!!






バリエーション

  • ナットF.1
    いわゆる初期生産型。フィンランド、ユーゴ、インドに送り込まれたのがこれで、インドでライセンス生産されたのもこれ。

  • ナットFR.1
    フィンランド向けに少数のみ製造。機首にカメラが装着されている。

  • ナットT.1
    イギリス空軍向けの2人乗り高等練習機。

  • HAL アジード
    インドで改造されたナット。要撃・対地機として開発された。ちなみにHALとはこっちではなく、開発元のヒンドスタン航空機(Hindustan Aeronautics Limited)のこと。

このほかにもいくつか種類があるが、いずれも注文を受けることなく少数製造されて終わった。




余談


  • 現在のナットは、イギリスやアメリカなどで動態保存されている機体が複数あるほか、フィンランド、インド、セルビアなどで博物館に展示されて余生を過ごしている。また、パキスタンもパイロットごと捕縛したナット1機を博物館で大々的に晒し者にしている展示しているが、インド側は「パキスタンの捕虜になったパイロットはいない」と存在を否定、記録からも抹消している。

  • 1991年のアメリカ映画「ホット・ショット」にて、フォーランド ナットがアメリカ海軍の最新鋭戦闘機役で出演している。しかも主役機である。……待て、ナットが最新鋭…?海軍……?そう、この映画はコメディ映画。本編は『トップガン』のパロディで溢れており、「ナットが海軍の最新鋭!?」というのもまた「そういうギャグ」である。ちなみに本編は映画として良くできていて面白く、ナットの勇姿も存分に楽しめるので、興味を持った方は見てみるのもいいかもしれない。



追記・修正はセイバーを撃墜してからお願いします。


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  • ドラクエのファーラットの項目かと空目した。 -- 名無しさん (2023-04-16 21:28:58)
  • 戦闘機界の6502(CPU)、あるいは任天堂が戦闘機を作ったらこうなりそうみたいな機種 -- 名無しさん (2023-04-17 22:52:59)

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*1 一応だが、降下すれば音速突破は可能である。
*2 一応空軍の戦闘爆撃機コンペに応募していたが、メリットよりデメリットに注目が向いてしまい落選となった。なおこのコンペで採用されたのがホーカー ハンターである。
*3 実はナットは油圧系統に欠陥を抱えており、それがフィンランドの極寒環境で一気にボロが出てしまった。
*4 事故で1機を失い、その調査の過程で油圧系に致命的な欠陥があると見抜かれてしまったらしい。そんな重大な欠陥があるにしては値段が高いとされて破談になり、残りの1機は現在セルビアの博物館で眠っている。
*5 東パキスタンは現在のバングラデシュで、下記の第三次印パ戦争にて独立する。

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