登録日:2019/06/22 Sat 23:08:27
更新日:2024/04/19 Fri 10:12:58NEW!
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『MSX(エム・エス・エックス)』とは、1983年にマイクロソフトとアスキーにより提唱された8ビット/16ビットホビーパソコンの統一規格。
及び、その規格に沿って複数のメーカーから発売されたホビーパソコンの機種全般を指して使われる名称でもある。
普通は10万越えのパソコンを3万程度の低価格で、しかも当時のブラウン管では低解像度だったとはいえ家庭用TVに繋げられるという手軽さが受けて一時代を築いた。
83年の発売以降、予期せぬ競合相手となったファミコン(FC)全盛期の時代にあっても、そこそこのシェアを占めて子供達に普及し、MSXを取り扱った雑誌や漫画なんかも存在していた。
以降、MSX2(85年)、MSX2+(88年)、MSXturboR(90年)と仕様がバージョンアップしていったが、進む毎に参加企業が減っていき、高性能化した後継規格では高価格化してしまい、他種PCへの優位性を示せなくなる等、90年代を迎える頃には存在意義を失ってしまった。
とはいえ、FC程のシェアは持てなかったものの、コナミの様にMSXで熱心にソフト供給を展開していた有名メーカーも存在しており、矢張り忘れ得ぬハードとして語られることも少なくない。
【開発経緯】
当時、マイクロソフト極東担当副社長で、アスキー副社長も兼任していた西和彦の発案による。
当時、NECのPCシリーズや富士通のFMシリーズ、シャープのMZ/X1といったパソコン御三家の機種が人気になる中で、出遅れた企業の大同団結を目指し、西が音頭を取る形で提案された。
当時のホビーパソコンには、共通してマイクロソフトのBASICインタープリタがROMで組み込まれていたにもかかわらず、実際には機種毎の独自の設計、仕様によってBASICの“方言”と呼ばれる程に各ハードウェアは差別化され、各々にアプリケーションが作成されるという始末であった。
これに対して統一規格として規格内であれは互換性を保てるものとしてMSXを提案。
ハードウェア規格はスペクトラビデオ社の『SV-318』と『SV-328』が参考とされて1983年6月27日に発表された。
西から相談を受けた当時のマイクロソフト代表のビル・ゲイツは「ソフトウェアに専念すべき」として、ハードウェアに参入することには反対したが、西の説得により折れることとなる。
『MSX』は当初はマイクロソフトの商標であったが、86年の提携解消によりアスキーの商標で著作権をマイクロソフトが持つことになった。
『MSX』規格の公開を受けて、西の望んだ御三家以外のパソコンメーカーばかりか、業界に参入を希望する企業や、現在は離れていた企業までが参加した。
規格に参加した企業にはメーカーコードが割り当てられ、そのIDに沿って各社の機種が展開された。
日本のみならず、フィリップスやスペクトラビデオやサムスンの様な外国企業も参加した。
また、上記の様に西の思惑では御三家に対抗する勢力を作ることだったが、規格その物には御三家も賛同した。
しかし、実際に規格に沿った機種を発売したのは富士通のみでNECは注視。
シャープも機種は日本支社は発売しなかったが、ブラジル支社が別にメーカーコードを取得して機種を販売している。
また、韓国のZEMINA社やブラジルのCIEL社は周辺機器メーカーとして名を知られた。
規格には賛同していないが、クゥエートのAl AlamiahやフランスのYENO社は輸入した機種をカスタマイズして独自のブランドを付けて販売していたとのこと。
当初は、参加企業の足並みを揃える為に余裕を持って翌84年から実際の商品展開を進める予定であった。
しかし、全く予想だにしていない所から船出前なのにMSX規格は強敵に襲われることになるのだった。
【実機の発売後】
1983年7月15日に任天堂からファミリーコンピュータ=ファミコン(FC)が発売され、急速に売上を伸ばす。
それまでの家庭用TVゲーム機の常識を覆す、想定していたMSXの方向性と合致する余りにもエポックメイキングな存在の登場は、MSXの前途が多難であることを予想させた。
MSX連合は行動を前倒しせざるを得なくなったが、それでも苦戦は覚悟の上だった。
MSX連合は、何と83年の秋から年末までに主要メーカーの製品が揃えられて市場へと投入されることになった。
そして、こうした状況の中で規格には賛同するとしても御三家の協力を得られなかったMSX陣営は弱者連合と揶揄されたりもした。
しかし、旗印を掲げるアスキーは「一年間で70万台を売る」と強気の宣言で鼓舞した。
…結局、この目標自体は達成出来なかったものの、安価でTVに繋げるMSXの需要は予想外に高く、二年が経過する頃には100万台を達成している。
同じ8ビットPCで大きなシェアを誇っていたNECのPC-8801シリーズが100万台突破キャンペーンを掲げておきながら達成出来なかった頃であり、発足当時の評価を覆して“日本で最も売れた8ビットPCシリーズ”の栄誉はMSXが受けることとなった。
そして、88年にはFDD内蔵型のMSX2(ソニーのHB-F1XDとパナソニックのFS-A1F)が累計22万台の売上を記録する等、MSXは見事にシェアを定着させることに成功したのだった。
【主な仕様】
CPUにZ80A、VDPにTMS9981を採用。
大型のキーボードにカートリッジ挿し込み口等が付いた機種が知られているが、MSX2等では、キーボードが離れた高級な機種も存在した。
普通にゲームカートリッジを挿し込むことでゲーム機の要領で遊べるが、最大の特徴として拡張機能を持ったカートリッジを挿し込むことで、簡単に機能の拡張が出来たことが挙げられている。
増設メモリ、音源、モデム、フロッピーディスクドライブ、プリンタ…等が存在し、感音、感圧、感光センサーなんてのもあったとか。
この他、非常に独特で多様な画面モードが設定されていたとのこと。
【MSXの躍進と衰退】
MSXは子供達にとってはファミコンやセガマークⅢとは別種のゲーム機として普及した。
ほとんどの子供がFCを持つ中でMSXを持っていた子供はクラスに何人かは存在し、嘘か実かMSXの普及率の方が高かったクラスなんてのもあるらしい。
一方で、MSXにはパソコンとしての可能性もちゃんと持たされており、年長者や大人にとってはプログラムを楽しむことも可能だった。
MSXはゲーム機であり、家電であり、楽器であり、当時の“ニューメディア”としても分類できるという。
基本的には家電量販店にてゲーム機として買われていたが、ヤマハや河合楽器によって楽器店で取り扱ったりもしていた。
一方で、各メーカーは自社製品に対して特別性を持たせる為にワープロ機能や動画編集機能といった付加価値を付けることに注力したものの、そうした機能に注目するのはマニアばかりで、メインの購買層の子供達は低価格、低機能でもゲームだけはちゃんと出来る機種を望んたために、後にはメーカー間で価格戦争が勃発し、特にカシオは電卓で培った技術を元に低価格化の限界に挑み、MS-10では19,800円を付け、余りの安さに付き合えないとばかりに他の参入メーカーが逃げ出したというが、1990年には全世界で400万台の普及を達成したことが報告された。
……このように、発案当初の逆風も何のそのの躍進を数年に渡り見せたMSXだったが、常にライバルとなりうる機種との戦いは繰り広げられていた。
実際、MSXは性能面では侮られており、所詮は入門用、子供向けの機種として見下されていた。
しかし、性能強化と共に値段も高いMSX2が85年に登場。
更にMSX2+、MSXturboRと、数年毎にバージョンアップした規格が登場したが、高性能化の分だけ機種の値段は上がってしまい、
後から安価な機種が出るとしても参加企業の減少もあってか、当初の勢いは無くしていくことになった。
80年代後半に入ると、16ビットCPUはおろか32ビットCPUを備えた超高性能機種が登場し、前時代的なMSXに物足りなさを感じてきた層にも受けることになった。
今や、新製品の値段が殆ど変わらなくなったこともあり、MSXの利点は無くなっていた。
そして、シャープのX68000の様に、高価格ながらゲームに強い機種も登場してマニアに愛され、FCの様な第3世代どころか、SFCやMDといった第4世代のTVゲーム機をも越える性能を長きに渡って見せつけた人気商品も登場していき、MSXは役目を終えることになった。
また、発足当初は20社を越えていた参加企業もMSX2で半数以下に、MSX2+では僅か3社に、MSXturboRに至ってはパナソニックしか残らなかったのである。
【ゲームソフトの媒体について】
前述の様にMSXには1Mカートリッジ(増設された物も存在)が一般的なソフト形態として使われていたが、他にも磁気テープ式(別売データレコーダーが必要)や、フロッピーディスクを用いたソフトが存在した。
他にもQD、後にPCエンジンのHuカードとなるBeeカード(専用アダプタが必要)や、LD(専用プレイヤーが必要)、VHD(専用プレイヤー)が必要と、実に多くの媒体でソフトが発売されている。
後に廃れた物ばかりだが、技術の進化の方向性を模索する過渡期にMSXが存在していたのだと思うと感慨深いものがある。
【ソフトの傾向】
コナミやハドソン、HAL研究所の様に同時代にファミコンでも活躍していた有名メーカーが参加していた。
よって、アクションからシューティング、パズルにアドベンチャー、RPGと、グラフィックの質が悪い、音がショボいとされつつも、ありとあらゆるジャンルのゲームが遊べたし、下記の様に有名タイトルも多かった。
当時の雑誌でもアーケードやFCと同じく、コナミ製の『グラディウス』や『悪魔城ドラキュラ』は人気を集めた。
小島秀夫自身による『メタルギア』シリーズは、元々MSXの「バックグラウンド表示を滑らかにスクロールすることが出来ない」を逆手に取って誕生し、MSXで展開されていたシリーズである。
参加しているメーカーが被っているだけにFCと同名タイトルが跨いで発売されていることも少なくなく、エニックスからは『ドラゴンクエスト』も発売されている。
それらの跨いでいるソフトについてはMSX側の低容量もあってかFC版とは仕様の違うタイトルも多く存在し、そうしたゲームの中身の違いは子供達の話題の一つであった。
一方、コンパイルが開発しポニーから発売された『ザナック』の様に、当初は専門誌も凡庸な作品と思っていたら、後から真の魅力に気付いて特集されて名を挙げて、以降は様々なハードに派生していったタイトル等も存在している。
また、公式のゲームタイトルや機種自体の製造も95年頃から消滅しているが、以降は有志による同人ソフトが近年になっても製作されたりしている。
【余談】
- 80年代のオランダではコモドール64やZX spectrumといった、世界的に名高いホビーパソコンを押さえて人気No.1を誇ったという。
- MSXという規格名の由来については諸説があって定められていない。
気になるならググってみよう。
- 冷戦時代、西側諸国はソ連を初めとした共産圏国家に高性能な16ビット以上のコンピューターの輸出制限をかけていた為に、ソ連では規制対象外の8ビットコンピューターを大量に輸入して解析、コピー等して教育を初めとした様々な分野に用いており、簡易的なネットワークまで備えていたという。
そうした機器の中にヤマハ製MSXが含まれており、教育用ネットワークの名前としても用いられる等、多くの人材を育てるのに貢献したという。
こうした輸入パソコンはソ連では宇宙開発にまで用いられ、かの有人宇宙ステーションミールに、ソニー製HB-G900が用いられていたという話は有名である。
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▷ コメント欄
- 結果的には時代のあだ花になっちゃったけど、それでも存在意義は確かにあったと思う。 -- 名無しさん (2019-06-22 23:16:35)
- ↑DOS/Vのご先祖様的要素は確かにあるかもしれん。 -- 名無しさん (2019-06-22 23:56:06)
- 悪魔城ドラキュラやグラディウス2みたいにMSXでないと遊べないゲームもあった。あとMSX-FANの投稿プログラムもレベルの高い物が多かったね。MSXの魂はプチコンに受け継がれてるよ。 -- 名無しさん (2019-06-23 10:34:38)
- キーボードのキーを雑に全押ししながら電源入れて無敵モードとかあったな -- 名無しさん (2019-06-24 05:28:25)
- 昔親戚の家で埃かぶってたのを引き取ってきた。ワープロもついてきたが、ブラウン管テレビの画質では使えたもんじゃなかった。 -- 名無しさん (2019-06-24 11:46:33)
- 今ならSDカードすら使える化け物 -- 名無しさん (2019-06-24 12:15:37)
- MSXと言えばDQ2ムーンブルクのあぶない水着(1枚絵付き)今見るとがっかりものではあるが。 -- 名無しさん (2020-01-12 17:26:30)
- PS3といいMSXといい、日本のゲーム機が兵器に転用されてるの見ると、武器輸出三原則ってなんだよてなる -- 名無しさん (2020-10-29 15:31:26)
- FCがファミベーを手に入れたのもMSXには痛かったかもね。あれがなければ、『ゲームもプログラミングもできるそこそこ安いマシン』として、ファミコンに対抗できたかもしれなかったのに。 -- 名無しさん (2020-10-29 17:18:46)
- ↑2 平和(能天気)な世の中では技術は娯楽でしかないが、そうでない世の中では違うって話。 -- 名無しさん (2020-10-29 18:10:12)
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