必死剣鳥刺し

ページ名:必死剣鳥刺し

登録日:2015/04/04 (土) 23:37:00
更新日:2024/01/12 Fri 10:57:20NEW!
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剣豪小説 武士 短編 藤沢周平 秘剣 バッドエンド 映画 時代劇 必死剣鳥刺し



藤沢周平の短編剣豪小説。世に語るべからざる「秘剣」を身につけた武士と、その周辺の人々を主人公に据えた短編小説のシリーズである”隠し剣”シリーズの内の一編。


初出は文芸誌「オール読物」の1977年6月号。
現在は”隠し剣”シリーズを纏めた短編集「隠し剣孤影抄」(文春文庫)に収録されている。またその他、藤沢氏の全作品を収録した「藤沢周平全集」の第16巻に収録されているが全集だけあってこっちは生粋のファンでもなければ手を出しにくいであろう。



□概要
秘剣を題材とした短編剣豪小説”隠し剣”シリーズの第四作目。前作は「暗殺剣虎ノ眼」、次作は「隠し剣鬼ノ爪」。シリーズではあるものの、基本的に各話間に繋がりは無く、これ一話で完結する。
主の不評を買い懲罰を食らった武士が再起のチャンスを貰い、その秘剣を用い鮮やかに返り咲く話……かと思ったら隠し剣シリーズ内においても屈指の鬱エンド。ラストシーンは美しい分、もの悲しさを誘う。
ものすごく余談であるが、前作「暗殺剣虎ノ眼」の登場人物である牧与一右エ門について少しだけ触れられており、この事から時系列的に虎ノ眼の以前にあたると推察出来る。


【物語】
藩主右京太夫の愛妾を刺殺した罪により、兼見三左エ門が一年の閉門(自宅謹慎。蟄居に次いで重く、昼夜問わず屋敷から出られない)、大幅な減禄、物頭の役を召し上げられるという三つの刑を処されてから既に三年の月日が経っていたが、三左エ門は未だ自主的に屋敷へと逼塞(自宅謹慎。閉門に次いで重く、夜しか屋敷から出られない)した状態にあった。自らの罪に対し、刑罰が軽すぎると感じていたためである。
然しそんなある日、禄を元に戻し、新たに近習頭取(近習の長。主に君主の傍に仕え雑務をこなす)の役を命じるとの沙汰が中老津田民部より三左エ門に対し下される。曰く、藩主は三左エ門に対する扱いを後悔しているというのだ。
僅かな疑問を感じつつも沙汰を受け入れ藩主の傍に仕えるようになった三左エ門であったが、二月足らずの勤めの中で藩主は未だ心の奥底では三左エ門を許していないのだという事を感じ取る。
それを民部に告げ、もしも後任が決まっているのなら自分はすぐにでも職を辞そうと提案するが民部は取り合わず、逆に三左エ門を近習頭取へと推薦した理由を話す。
民部に拠れば、藩主は現在ある人物に命を狙われているのだという。その人物は直心流の名手であり、なまじの腕ではその襲撃を防ぐ事が出来ない。その為、かつては「技倆神に入る」とまで謳われた天心独名流の遣い手である三左エ門に声をかけたのだ、と。
そこまで聞いた三左エ門の脳裏にひとりの人物が思い浮かぶ。藩内で、直心流の名手と言われるのはその人物しか居なかった。
名を帯屋隼人正と言う。藩主に近しい血筋でありながら、代々最も痛切な藩政の批判者を輩出すると言われる一族の現当主であった。


民部との面会を終え、帰宅した三左エ門は姪の理尾と縁談についての話をする。
理尾は三左衛門の妻の姪であり、一度家中の某に嫁ぐも離縁。色々とあって三左エ門の家で女中ような事をするようになった身である。既に結婚適齢期を過ぎた26で普通の家に嫁ぐ事は難しい。三左衛門は妻の病没後から、兼見の家の家事を任せきりにし縁談の機会を逃させてしまった事に罪悪感を感じており、元同僚に頼み込んで理尾の縁談をとり成すして貰ったのだが、肝心の理尾の答えがまだだった。
三左衛門は今回の縁談がいかに良縁かを語り、理尾に決断を促す。だが理尾はのらりくらりとそれを躱し、いつまでも兼見の家に留りたいと願う。あくまでも縁談に拘り、兼見の家を出るように言う三左エ門に対し、理尾はついに決定的な一言を告げ会話を打ち切ってしまう。


おじさまの、おそばにいたいのです。いつまでも


それは三左エ門を慕っているからこそ出る言葉であった。その一言が決め手となった。
三左エ門今まで取り繕ってきた、叔父と姪という虚偽の絆は微塵に砕かれ、二人はひとつ屋根のしたの男と女となったのである。そしてただの男女となった二人は、その夜、肌を重ねてしまう。
翌日、三左衛門は理尾に遠くの村の知り合いの家に行き、暫く隠れるよう告げる。いつか、時期が来たら迎えに行くとの約束だけを残して。


それから幾月かの後、兼見三左エ門はついに帯屋隼人正と対峙する。あくまでも押し通ると言う隼人正に対し、三左衛門もまた、自らの刀を抜き応戦するのであった。



【登場人物】
○兼見三左エ門
元物頭の武士。現在は近習頭取を勤める。二百八十石取りの武士であったが事件後は百三十石まで減禄。明言はされていないが近習頭取を勤めるにあたり二百八十石に復禄したと思われる。41歳。
妻女を病気で失っており、現在は独り身。妻女の看病で本家より遣わされた理尾と暮らしている。その他にもそれなりに下仕えの者が住んでいたが殆どが減禄の騒ぎで職を辞し、現在は60過ぎの老婆が台所役として一人いるだけである。
顔色が黒く、額は突き出て、鬢の毛は禿げ上がっているという醜貌の持ち主。背は六尺(約180cm)近くという(当時としては)巨躯。


藩主の愛妾蓮子が藩主を通して藩政に口出しし始め、その結果藩主が失政を行うようになった為、それに業を煮やし蓮子を殺害。その結果、上のような処分を受ける事となる。
尤も、藩主の愛妾を殺害したという事はそのまま藩主に対する痛烈な批判を含んでいる(真実はどうあれ)事になり、藩主の機嫌次第では良くて切腹、悪ければ縛り首も有り得る。その為、この処分に関しては想像よりも軽く、三左衛門は幾分か腑に落ちない気分であった。その為、閉門期間の過ぎた後も自主的に逼塞を行っていたのである。


作中では近習頭取を勤めるが、その際も藩主に「テメェのブサイク面は見てるとだんだんイラついてくるから要件あるなら人を通すか障子越しに言えや(意訳)」と近習頭取としてはありえない扱いをされ、藩主が未だ内心三左エ門に怒りを覚えている事を確信する。さぞかし務めづらい職場であっただろう。


天心独名流の達人であり、その腕は二十代半ばにして道場主の蜂屋玄斎に「技倆神に入る」と言われた程。
そして本作の表題にもなっている”鳥刺し”を工夫した張本人。別名を必死剣とも言うそれについて民部に問われた際、「この剣を遣う時には、遣い手(つまり自分自身)は既に半ば死んでいるだろう」との説明をするがその真意は……。


○理尾
三左エ門の妻の姪。26歳。
一度家中の某の家に嫁入りするも性格が合わなかったためか離縁。元の家に返される。
ところが本家では既に両親が死亡し、弟が家督を継いでいたおり、出戻りの娘という事もあって本家ではかなり肩身の狭い思いをしたらしい。
その半年程後、三左衛門の妻女の睦江が死病に犯されてから理尾は自らの意思で兼見家を訪れ、睦江の看病を行う。もともと、母親が早くに無くなった事もあり、睦江とは仲がよかったらしい。
そして睦江が病没してからは彼女に代わり、理尾が兼見家の家事を一任するようになった。


無口ながらも頑なな性格であり、三左エ門はその性格が原因で離縁になったのでは無いか、と見ている。
容貌は十人なみ以上で家事も上手く嫁力は高い。因みに三左エ門に対する呼称は「おじさま」。かわいい。いじらしい。結婚したい。


三左エ門が元同僚の保科に頼み込み、かなりの良縁を整えてもらうも、既に三左エ門を慕っていた理尾は結局この縁談を拒否。三左エ門との道ならぬ恋に落ちる事となる。
バレたら色々とヤバい為、三左エ門の提案で理尾は所用を偽って遠くの村へと隠れ住む事となる。いつか迎えに行くという三左エ門の言葉を信じて。


○津田民部
藩で中老の役につく武士。34歳。
端正な顔立ちで中背のイケメン。密かに慕う女性も多いらしい。まだ若輩ながら筆頭家老の矢部と組んで執政会議を回しているとも、矢部を隠れ蓑に会議を掌握し、実際に藩政を左右ているとも噂される才者。
隼人正からの襲撃に備えるため、無役で逼塞していた三左エ門を近習頭取へと推薦する。


○帯屋隼人正
家老。五千石取り。藩主右京太夫とも血縁があり、「別家」と尊称される帯屋家の現当主。46歳。
藩主の愛妾蓮子に入れ知恵され失政を犯した際、唯一藩主と争った人物。然しそんな彼でさえ、愛妾の事には触れられず、失政を叱咤したのみであった。


帯屋家はもともと、赤石郡内に領地を持つ土豪であったが、海坂藩に初代藩主が封じられた際に召し出され、五千石という破格の禄で知行を許された家系であった。その背景には、赤石郡内の民衆の強い支持があったと言われ、今でも帯屋家は赤石郡内に強い影響力を持つ家である。


そんな事情もあり、藩主家は帯屋家と早くから交流を結びその協力をとりつけながらも、一方で手強い政敵として常に帯屋家の力を削ぐ事に腐心していた。
実際、帯屋の血が薄くなった時には藩主家との縁組を進める事で実質的な乗っ取りを行おうともしているが、不思議なことに例え元藩主家であっても帯屋家の家督を継ぐ際には反藩主の急先鋒となっていた。


現当主の隼人正もまた同様に藩主右京太夫に対立する人物であり、藩主を守る立場にある三左エ門と剣を交える事となる。



【映画】
本作を題材にした映画が2010年に作成されている。7月10日に封切りされた。隠し剣シリーズとしては「隠し剣鬼ノ爪」「武士の一分」に続き三作目。藤沢周平作品の映画化にしては珍しく、山田洋次氏が関わっていない事が特徴。
監督は映画「学校の怪談」シリーズを手がけた平山秀幸氏。主演はトヨエツこと豊川悦司に依る。原作に比べると恐ろしく寡黙。
クライマックスの三左衛門対隼人正(吉川晃司)、一対多、鳥刺し披露の殺陣は迫力がある。
キャッチコピーは「死ぬことさえ許されない。ならば運命を切り開くまで」


以下ネタバレ注意
























鳥刺し、と三左衛門は呟いたのだが、誰もその声を聞かなかった


二人の武士による斬り合いは、三左衛門が隼人正の脇腹を断つ事により終わりを告げる。三左衛門は無事、役目を果たしたのだ。
だがやはり直心流の名手だけあり、三左エ門も無傷の勝利とは行かなかった。肩口を深々と切り裂かれ、命こそ拾ったものの重傷と呼べる深さの傷を負う。そしてそこに現れたのは民部だった。
これ幸いと三左衛門は民部に助けを求めるが、民部はそんな三左エ門に対し無情な一言を告げる。


兼見が、乱心して隼人正さまを斬ったぞ。逃さずに斬れ


その言葉を聞いた三左衛門は全てを悟った。そう、全ては民部の――あるいは藩主右京太夫の――策略であったのだ。一方で政敵の隼人正を廃し、また一方で藩主の私憤の種である三左エ門を始末するという。
民部の一声を聞いた途端、三左エ門に対し四方八方から民部の私兵が押し寄せる。無論、三左エ門の命を狙って。
それに対し三左衛門は斬りかかってきたものを優先し遮二無二切り伏せる。隼人正との戦いで重傷を負った三左衛門は最早目も見えぬ状態であったが、それでも反射的に刀を振るっていた。
鋼鉄のような男にもやがて最期の時が訪れる。横からの一撃により腹を貫かれた三左衛門はついに床へと膝を着き動かなくなったのだ。そんな三左エ門に対し、民部は絶命を確かめるように顔を覗き込み、三左エ門の握る刀を蹴り飛ばそうとした。
だがその瞬間、三左エ門の体は踊るように動き、民部へと襲いかかる。片手で柄を握り、片手で刀の腹を支える、槍を構えるような姿勢で民部の鳩尾から肺までを深々と貫いたのである。
これこそが鳥刺しの秘剣。その剣は必死剣の別名に違わず、文字通り自らが必死の状態において放たれる、相打ちの剣であったのだ。
腹を刺された民部の絶叫が響き渡り、三左エ門に対し数多の剣先が押し寄せる。それを受けた三左衛門は、今度こそ本当に動かなくなったのであった。


寒い冬が終わろうとしていたある日、三左衛門の紹介により鶴羽村に訪れていた理尾は村の外れに立ち、村外へと通じる道を眺めていた。その両手には生まれていくつも経っていない幼子が抱かれている。理尾は三左エ門との一夜の交わりにより、子を成していたのである。
幼子を抱いて立つ理尾はさっきから何度も、家へと引き返そうとしてその度三左衛門が来るような気がして引き返せずにいた。だが赤子が泣き出した事で、理尾はついに家へと引き返すふんぎりをつける。もう何日も、そんな日々が続いていた。


理尾は必ず迎えに来ると言った叔父を信じていた。そしてその日が訪れたらどんなに幸せだろうと思っていた。いつまでも思い続けていたのであった。



追記修正よろしくお願いします。


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  • 建てといてこんなこと書くとあれですが、自分映画の方は見たことないのであまり書けないです。なので映画の方、見られた方で追記して頂ける人なんぞおりましたら -- 名無しさん (2015-04-04 23:41:51)
  • 自分は映画の方しか観てないが、あのバカ殿こそが鳥刺しの餌食にふさわしかったと思う。 -- 名無しさん (2015-04-05 08:45:38)
  • 隠し剣シリーズはあの藩内でのゴタゴタに隠し剣の使い手が巻き込まれないと話が始まらないから…… -- 名無しさん (2015-04-14 21:39:07)
  • 藤沢周平の映画版はどれも概ね満足 -- 名無しさん (2016-12-15 16:28:59)

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