善光寺白馬電鉄(鉄道)

ページ名:善光寺白馬電鉄_鉄道_

登録日:2012/09/26 Wed 09:23:41
更新日:2023/10/30 Mon 12:13:45NEW!
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善光寺白馬電鉄とは、長野県長野市に存在する企業である。
運送業や引越業など、物流に関わる仕事が主だが、他にも自動車整備や倉庫事業など様々な分野に関わっている。


ただ、この項目で取り上げるのはかつて存在していた善光寺白馬電鉄の鉄道路線である。
名前でも一目瞭然だが、戦前は鉄道会社として長野県に路線を有していた。



◎歴史



長野市から白馬岳への路線として計画が始まったのは1919年。観光や産業振興などを目的としていたのだが、一旦頓挫した後に路線が途中まで開業したのは1936年であった。


気動車によって運用が始まった路線であるが、その後の路線延長は資金不足や険しい山岳地帯に阻まれ、結局計画路線の2割しか開業出来なかった。そして、その僅かな路線ですら、長くは持たなかった。


第二次世界大戦中、日本各地の鉄道路線は軍事輸送優先とされ、重要度の低い路線は「不要不急線」として休止を命じられてしまった。観光地へ向かう路線など多くが休止、そのまま廃止に向かう中、この善光寺白馬電鉄の鉄道線も例外ではなく1944年で休止となり、レールも撤去されてしまった。



完全に廃止状態となってしまった路線だが、戦争が終わった後復活計画が現れた。
その際に国鉄路線として全線開業してもらうという話もあったようだが実現せずじまいであった。
また、休止路線の一部が建設中のダムの中に水没する事になってしまい、延長どころか復活も難しい状態になってしまったのである。結局長期にわたる休止の後、鉄道路線は1969年に正式に廃止。その後善光寺白馬電鉄は輸送業にシフトを代える事となる。






…さて、ここまでの文章を読んで気付いた方もいるだろう。
何故電鉄という名前なのに、使用されていた車両が気動車なのだろうか?


実はこの路線、「電鉄」と名乗っているにもかかわらず最後まで電車が走る事が無かったのである。勿論架線すら通らなかった。
同じような例としては…


  • 現在のJR四国高徳線である阿波電気軌道(現在も非電化)
  • 土地の事情で電化が出来ないまま廃止された水戸電気鉄道
  • 2つも路線を有しながらどちらも電化されないまま廃止になった浜松電気鉄道

…などが存在する。昔はこういう見切り発車がよくあったのだ。
ただ、この善光寺白馬電鉄に関しては少々事情が異なる。
確かにこの路線は非電化のまま休止→廃止されてしまったのだが、ここで運用されていた車両は後に本物の「電車」に生まれ変わったのである。




◎車両




鉄道線の旅客列車として運用されていたのは、前述の通り2両の気動車である。
ゼ100形という形式が与えられ、ゼ100とゼ101の2両が在籍していた。
どちらとも前面二枚窓の小型気動車である。


1936年に登場後、1944年の休止まで働き続けた2両の気動車はその後別々の会社へ譲渡される事になった。

  • ゼ100

 上田丸子電鉄(現在の上田交通、上田電鉄)に譲渡された。形式も「ゼ」から「キハ」に改められている。ただ燃料不足のためにエンジンを回せず、電車に牽かれて運用に就いていた。


その状況が変わったのは1948年。パンタグラフを屋根の片側に取りつけ、新たに電車として生まれ変わったのである。
名前も気動車を表す「キハ」から電車である「モハ」へと代わり、その後も活躍を続けた。


しかし、車体が小型でありあまり客が乗せられない事が仇となり、1969年いっぱいで廃車となった。
ただその後も車庫の倉庫として車体が残り、1990年代までその姿を見る事が出来た。

  • ゼ101

 一方こちらは、まず琵琶湖のほとりを走る非電化私鉄である江若鉄道へ移籍した。
当時沿線に軍の施設があった事もあり、燃料不足下でも気動車が多く使用されていた事もあるかもしれない。なお、こちらも形式は「キハ」に改められている。
だが移籍後僅か数年で再び活躍の場所を変える事になってしまった。やはり収容量の小ささが原因であったようである。
そして、三番目の職場となったのが和歌山県の野上電気鉄道。正真正銘、架線が通っている電気鉄道である。
と言う事で、このゼ101も電車に改造される事となった。こちらはトロリーポールを装備、車体も一部手を加えている。
改造を終えた1948年、「キハ」改めこちらは「デハ」となって活躍を開始、当時最新鋭の車両として一躍エースとなった…


のだが、その歴史は短かった。野上電気鉄道のその後の主役となる阪急や阪神の譲渡車が運用に入る中、1958年に休車となってしまった。
改造して再び現役復帰も考えられたようだが、残念ながら翌年(1959年)に廃車解体されてしまった。



電車が走る事を夢見ながら、一度も架線が通ることなく短期間で廃止になってしまった路線。
しかし、そこで活躍していた車両は本物の電車となり、気動車時代よりも長い期間にわたって活躍を続けた。



運命と言うのは、不思議なものである。






追記・修正は電化工事をしてからお願いします。


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  • 会社自体は存在してるのか・・・ -- 名無しさん (2013-11-27 11:23:36)

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