平安時代の元号一覧 - いにしえwiki
0(068) 永保 えいほう, えいほ 1081-1084 白河 51(069) 応徳 おうとく 1084-1087 白河, 堀河 52(070) 寛治 かんじ 1087-1095 堀河 53(071) 嘉保 かほう 1095-1097 堀河 54
0(068) 永保 えいほう, えいほ 1081-1084 白河 51(069) 応徳 おうとく 1084-1087 白河, 堀河 52(070) 寛治 かんじ 1087-1095 堀河 53(071) 嘉保 かほう 1095-1097 堀河 54
115) 建保 けんぽう 1214-1219 順徳 10(116) 承久 じょうきゅう 1219-1222 順徳, 仲恭, 後堀河 11(117) 貞応 じょうおう 1222-1224 後堀河 12(118) 元仁 げんにん 1224-1225 後堀
71代 後三条天皇 藤原賢子 ふじわらのけんし 72代 白河天皇 媞子内親王 ていしないしんのう 73代 堀河天皇 准母 篤子内親王 とくしないしんのう 73代 堀河天皇 令子内親王 れいしないしんのう 74代 鳥羽天皇 准母
曖昧さ回避この項目では、藤原北家一門について記述しています。その他の公家については「堀川家」をご覧ください。堀河家(ほりかわけ)とは、藤原北家一門。約2系統が存在する。堀河家 (高倉家) : 高倉家一門。庶家に樋口家・藤大路家があった。堀河家 (花山院家) : 花山院家一門の大炊
A. 鎌倉時代前期の皇族で、後堀河天皇の第一皇子。・治承3年(1179年)に誕生。・1223年(貞応2年)に薨去。・後堀河天皇の第一皇子で、母は源通親の娘・源俊明の娘・源信子。・父・後堀河天皇の崩御により、践祚し、第71代天皇となる。・父・後堀河天皇の譲位により、践祚し、太上法皇
相模百首 恋昔百首和歌 恨躬恥運雑歌百首 俊成卿述懐百首 大蔵卿行宗百首 忠度百首 寄恨百首 五社百首 沙弥恵空百首 順徳院御百首数人百首 堀河百首選百首()内は撰者 小倉百人一首(藤原定家) 百人一首改観抄 若鶴百人一首 百人一首図絵 御家百人一首千歳文庫 女訓宝文庫 躾方百人
資舞納蘇利童舞事243.大宮右府俊家唱歌時,多政仕方舞事244.博雅三位生誕時,天上有音樂事并雙調君事245.大納言能信授右府俊家密曲其駒,堀河院右府宗忠習之事246.前筑前守兼俊試笙時,管中平蛛入喉事247.平等院一切經會時,多政資奏秘曲事248.大外記中原貞親烈殿上人奏樂事2
少時畫不動明王像事400.右大臣賴朝無法拜見御寶藏繪事401.藤原信實畫後鳥羽院御幸繪事402.順德院御位時,向藏人孝道尋撥面繪事403.後堀河院御時負付繪貝事404.後堀河院御時以左京大夫信實繪北面等影事405.繪師賢慶依弟子法師繪而勝訴事406.光明峰寺入道道家為左大臣實經修
後堀河天皇(ごほりかわ てんのう)とは、日本の第86代天皇である。関連項目 歴代天皇の一覧 歴代皇后の一覧タグ一覧: カウンターページ全体:今日:昨日:
のふの山の ほとゝぎす 心のおくの ことやかたると (皇后宮)021.山の井の 浅き心を しりぬれば 影見むことは 思ひ絶えにき (待賢門院堀河)022.このもとに かきあつめつる 言の葉を ははその森の かたみとはみよ (源義国妻)023.こもりくの はつせの山は 色つきぬ 時
し水に やどりけり こよひはこえじ 逢坂のせき (藤原範永朝臣)035.さくら花 あかぬあまりに おもふ哉 ちらずは人や をしまざらまし (堀河右大臣)036.思ひあまり いかでもらさむ 奧山の 岩かきこむる たにのした水 (大納言公實)037.こよひきみ いかなる里の 月を見て
A. 堀河天皇は、平安時代後期に在位した第73代天皇です。在位期間は1087年1月3日から1107年8月9日までで、応徳3年11月26日に践祚し、嘉承2年7月19日に崩御しました。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E6%B
堀河天皇(ほりかわ てんのう)とは、日本の第73代天皇である。関連項目 歴代天皇の一覧 歴代皇后の一覧タグ一覧: カウンターページ全体:今日:昨日:
。平成19年7月30日(月)皇太子同妃両殿下 ご進講(外務省国際情報統括官)(東宮御所)平成19年8月13日(月)皇太子同妃両殿下 ご進講(堀河天皇ご事蹟について)(御所)但し、同月16日に賢所仮殿で行われた「堀河天皇九百年式年祭の儀」には雅子欠席。平成19年9月20日(木)皇太
男女三人ずつで4時間の「プライベート・ディナー」、「力強いガーリックライス」を食べたとのこと≪10/15夕フジニュース≫8月13日 ご進講(堀河天皇ご事蹟について)(御所) 両陛下と夫妻、昼食を共にする(御所)≪女性自身9/4号≫ 8月15日 終戦記念日のこの日、子
A. 後堀河天皇は、鎌倉時代の第86代天皇です。在位期間は1221年7月29日から1232年11月17日までで、後鳥羽上皇の崩御を受けて践祚しました。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E5%A0%80%E6%B2%B3%E
三条 ごさんじょう 1068 治暦, 延久 72 白河 しらかわ 1072 延久, 承保, 承暦, 永保, 応徳 73 堀河 ほりかわ 1086 応徳, 寛治, 嘉保, 永長, 承徳, 康和, 長治, 嘉承 74 鳥羽 とば 1107 嘉承,
違い、西洋文化圏の出身ではないことから当地の事情に疎く、浮世離れしたところがある。武器は日本刀で、片手持ち剣術の使い手。日本使節団特使である堀河公を狙う藤堂十兵衛を父の仇として討つ為にアルビオン王国にやって来た。目的を果たした後、堀河公とアルビオン共和国との取引でチェンジリング作
のかみなかざねあそんじょしねあわせうた 康和2 周防内侍, 源俊頼 226 円融院扇合 えんゆういんおうぎあわせ 226 堀河院艶書合 ほりかわいんえんじょあわせ 康和4 周防内侍, 源俊頼 226 正子内親王絵合 せいしないしんのうえあわせ 永承
邊藥師堂而生息六十餘年事696.田舍人某向白虫報仇事697.文覺上人高尾捕猿鳥而見摸飼鵜事698.常陸國猿寫如法經成功事699.健保比北小路堀河邊女注熱湯殺蛇,依祟而死事700.武田太郎信光生捕猿事并拒射猿而指牝鹿事701.近江國勝覺阿闍梨父飼牛呻阿彌陀經事702.野宮左府公繼一
て 雲まより もれいづる月の 影に仰むく (左京大夫顕輔)080.二宵に すはんと思ふ 地玉子の みだれてけさは ものをこそ思へ (待賢門院堀河)081.郭公 なきつるかたに あきれたる 後徳大寺が ありあけのかほ (後徳大寺左大臣)082.思ひ侘び 偖も命は あるものを うきに
前の大臣、始北家語(ほくけをはじめたること)第四 内麿の大臣、乗悪馬語(あしきうまにのりたること)第五 閑院の冬嗣の右大臣并に子息の語第六 堀河の大政大臣基経の語第七 高藤の内大臣の語第八 時平の大臣、取國経大納言妻語(くにつねのだいなごんのめをとれること)タグ一覧: カウンター
087.前右兵衛佐賴朝群議謀反事公事第四088.自正朔節會至除夜追儺公事禮儀毫無一非事089.藏人能通辭臨時祭舞人,宇治賴通之代之事090.堀河右大臣賴宗殿上破日給起請事091.權大納言行成注扇大納言齊信失錯事092.宇治大納言隆國務臨時祭陪從事093.進士判官經仲勘問樹上小兒事
もれいづるつきの かげのさやけさ(左京大夫顕輔)080.ながからむ こころもしらず くろかみの みだれてけさは ものをこそおもへ(待賢門院堀河)081.ほととぎす なきつるかたを ながむれば ただありあけの つきぞのこれる(後徳大寺左大臣)082.おもひわび さてもいのちは あ
25日)から、天福2年11月5日(西暦1234年11月27日)まで。年西暦出来事生誕死去(享年)元1233021234仲恭天皇(17), 後堀河天皇(23)関連項目 鎌倉時代の元号一覧タグ一覧: カウンターページ全体:今日:昨日:
盗人被殺語第十一 幼児、瓜を盗みて父の不孝を蒙る語第十二 筑後前司源忠理の家に入る盗人の語第十三 民部大夫則助家來盗人告殺害人語第十四 九条堀河住女殺夫哭語第十五 檢非違使糸を盗みて見顕はさるる語第十六 或所女房以盗爲業被見顕語第十七 摂津國來小屋寺盗鐘語第十八 羅城門登上層見死
内宮長暦送官符 ないくうちょうりゃくそうかんぷ 長暦 006 外宮嘉禄三年山口祭記 げくうかろくさんねんやまぐちさいき 後堀河 007 貞和御飾記 じょうわおかざりき 正中 007 内宮臨時仮殿遷宮記 ないくうりんじかりどのせんぐうき 明応
る雲に あけやらで 夏の夜ながき さみだれの空俳句白炭の忠知木枯しの言水凩の荷兮蛇之助常矩住居・領地河原左大臣(源融)三条右大臣(藤原定方)堀河右大臣(藤原頼宗)宇治殿(藤原頼通)京極殿(藤原師実)後京極殿(九条良経)東三条殿(藤原兼家)富家殿(藤原忠実)上総御曹司(源義朝)鎌倉
えまより もれ出る月の 蔭のさやけさ (左京大夫顕輔)080.常磐なる 松もや春を しりぬらん はつねを祝ふ 人にひかれて*40 (待賢門院堀河)081.ほとゝぎす 鳴つるかたを ながむれば 只有明の 月ぞ残れる (後徳大寺左大臣)082.かものゐる 入江の蘆は 霜かれて おのれ
曖昧さ回避この項目では、堀川姓について記述しています。その他の氏族については「堀河家」をご覧ください。堀川家(ほりかわけ)とは、日本の氏族。約2系統ほど存在する。山城国愛宕郡堀川庄[1]を拠点とした。堀川家 (源氏) : 村上源氏久我家一門。久我通親の次子の堀川通具を祖とする。通
に甲斐国山梨郡塩山郷[9]を拠点とした。明治時代の女流小説家の樋口一葉(奈津/夏子)はこの系統である。樋口家 : 藤原北家高倉家一門。同族に堀河家・藤大路家が、庶家に初川家・中条家があった。脚注[]↑ 現在の奈良県北葛城郡河合町樋口大字↑ 中原兼遠の子、今井兼平(兼連・兼之・光兼
合源順馬名合九条殿坊城右大臣家歌合天暦七年内裡歌合天暦九年内裡歌合天暦十一年歌合天徳内裡歌合応和内裡歌合康保内裏前栽合野宮十番歌合女四宮歌合堀河中納言家歌合一条大納言家歌合一条大納言家歌合貞元歌合故右衛門督君達歌合寛和内裡歌合寛和内裡二十番歌合同内裏歌合男女房歌合三条院帯刀陣歌合
)[1]の子、綱条(綱條)[2]の父。彼の代から藤原姓から小野宮家と称して、三河国の大草家をはじめ、黒谷家・波野家の祖となったという[3]。堀河頼房 : 花山院家一門の大炊御門家の当主の大炊御門頼定の子、資頼[4]の兄、頼行・頼俊の父、行忠・頼時・時経の祖父。堀河家の祖となった。
えなが)とは、源氏(醍醐源氏・陽成源氏(河内源氏))一門の人物。約3名ほど存在する。源家長 (醍醐源氏) : 源時長の子、家清・長清・七条院堀河(御堂雅長室[1])の父。但馬守に任じられた。中村家長 : 下野中村氏(下野源氏)の当主の中村家朝[2]の子、綱長の父、宗長・慶範(僧侶
、美濃国を拠点とした。庶家に美濃今井氏があった。鷹司家 (花山院家) : 花山院家一門の大炊御門家の系統の庶家。地下家として存続した。同族に堀河家・三条家があった。脚注[]↑ 現在の京都府京都市右京区花園鷹司町↑亀山源氏の常盤井家とは別系統である。さらに西園寺家の系統も存在する。
類句(岡本保孝)古今和歌六帖類句勅撰和歌初句類句集(城戸千楯)物語歌頭字部類(足代弘訓)砂金抄古今六帖頭字部類(同)太郎百首類句(狩谷望之)堀河院百首類句三代集五句選(山口起業)類聚薮林和歌集(吉田荏矢)詞林類葉紀氏家集類句国歌大観(渡辺文雄・松下大三郎)類礎万葉集類礎(野田忠粛
A. 待賢門院堀河は、平安時代後期に活躍した女性歌人。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%85%E8%B3%A2%E9%96%80%E9%99%A2%E5%A0%80%E6%B2%B3
A. 白河天皇の中宮であり、堀河天皇の国母。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E8%B3%A2%E5%AD%90
路)生駒吉乃(胡蝶綺 ~若き信長~)ロジーナ(本好きの下剋上 司書になるためには手段を選んでいられません)鯨井棚子(まじもじるるも 完結編)堀河美弦(であいもん)あき子(サイダーのように言葉が湧き上がる)ローラ(映画かいけつゾロリ ラララ♪スターたんじょう)ベンジャミン(シュガー
何條ことあらんや。御直衣に御大口はさみ上らる。又御指貫建久八年に諸卿に御たづね有てはじめてめす。帳臺試夜着用ありとて被准。其節御沓めさる。後堀河院御時。御沓に錦を押て。御草鞋のやうにせられけり。誰が計申たりとは不聞覽。建久より御履を被用上は不可然歟。御韈は有文紫革錦革以下。藍白地
堀河御時百首()群書類従167入江昌熹校正本堀川院太郎百首永久百首()群書類従168新見正路校正本堀河次郎百首堀河百首肝要抄(松永貞徳)堀河院初度百首抄(慈延)堀河百首田舎ばなし(法橋沾山)堀河百首緊要(橘守部)堀河百首校註(岡本保孝)寛治百首三種和歌(清水真雄)永久四年百首攷(
『どうけ百人一首』・『神社仏閣 江戸名所百人一首』と並ぶ、近藤清春の「百人一首」シリーズのひとつ。今様職人尽百人一首の全首一覧001.のきのけた かりほぞあなの のみをゑらみ はかてしどもの せいをだしつつ*1 (てんちてんわう)002.かるすぎて のふじよのげいを うらやむも
A. 鎌倉時代中期の公卿で、後堀河天皇の院政期における政所執事を務めた人物です。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%89%E5%B0%8F%E8%B7%AF%E9%A1%95%E6%9C%9D
道堅法師詠草和歌部 448 和泉式部続集和歌部 449 馬内侍集和歌部 449 源重之女集和歌部 449 殷富門院大輔集和歌部 449 後堀河院民部卿典侍集和歌部 449 権大納言典侍集和歌部 454 後撰集正義和歌部 455 難後拾遺抄和歌部 456 古今打聞(秘蔵抄)和歌部
つま)後花園天皇(ごはなぞのてんのう)後深草院少将内侍(ごふかくさのいんのしょうしょうないし)後伏見天皇(ごふしみてんのう)小弁(こべん)後堀河天皇(ごほりかわてんのう)小馬命婦(こまのみょうぶ)後水尾天皇(ごみずのおてんのう)後村上天皇(ごむらかみてんのう)惟明親王(これあきし
かしわでのおう)春日蔵老(かすがのくら の おゆ)春日之袁杼比売(かすがのおどひめ)春日山田皇女(かすがのやまだのひめみこ)上総(かずさ)=堀河院中宮上総和宮(かずのみや)荷田春満(かだ の あずままろ)荷田蒼生子(かだ の たみこ)加藤宇万伎(かとう うまき)加藤枝直(かとう
他阿(たあ)待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ)醍醐天皇(だいごてんのう)大弐三位(だいにのさんみ)大輔(たいふ)当麻麻呂妻(たいまのまろの つま)平兼盛(たいら の かねもり)平貞文(たいら の さだふみ)平資盛(たいら の すけもり)平忠度(たいら の ただのり)平忠盛
人頭書古道百首解(岡本 通理)玉鉾百首俚言解(青柳 高鞆)玉鉾百首通解(渡辺 又二郎)世中和合百首(橘 弘政)村田春海雑歌百首(村田 春海)堀河名所百首題和歌(藤原 矩忠)千蔭春海二家百詠(千蔭・春海)詠百首和歌(高本 順)月百詠(加藤 千蔭)半夜百首(本居 大平)雪月花三百首(
註(顕昭)散木奇歌集標註(村上忠順)散木集類字抄(村田了阿)散木奇歌集異本行尊大僧正集前斎院摂津集一宮紀伊集肥後集伯母集(康資王母)待賢門院堀河集藤原基俊集大蔵卿行宗集(源行宗)中納言雅兼卿集(源雅兼)平忠盛朝臣集藤原為忠集左京大夫顕輔卿集(藤原顕輔)兵庫頭源仲正朝臣家集大納言成
母集(源経信母) 高陽院歌合 源経信判-寛治8年第5編金葉和歌集 巻第1-10(源俊頼奉勅編) 詞花和歌集 巻第1-10(藤原顕輔奉勅編) 堀河院御時百首和歌-康和年間第6編千載和歌集 巻第1-20(藤原俊成奉勅編) 永久百首-永久4年,忠度集(平忠度) 後京極摂政百番自歌合(藤