「入船山記念館」を含むwiki一覧 - 1ページ

東郷平八郎邸跡と東郷坂 - 呉市周辺の遺構まとめ

なのか不明です。離れ座敷離れ(はなれ)とは一定の広さを持つ屋敷にある付属建物。母屋とは別にあるセカンドハウスのことです。東郷平八郎邸と言えば入船山記念館にあるこの「東郷平八郎邸宅の離れ」が有名ですが、この離れは後年に移築されたものです。東郷平八郎が呉から去った後、母屋が火事で焼失

呉水交社跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

ていた亀山神社の仮社殿として使用されました。その後、昭和33年に亀山神社が改築再建されると仮社殿は不要となり一時転々としますが、昭和43年に入船山記念館へ保存移築されました。呉水交社支社呉水交社支社の写真(絵はがき) 備考 ・公務員合同宿舎と海上自衛隊幸宿舎の

眼鏡橋(海軍第一門跡) - 呉市周辺の遺構まとめ

隊呉地域事務所跡の前あたりがかつての眼鏡橋 ・危険なので清水川の暗渠には入らないこと ・海軍第一門で使われていた番兵塔と同型のものが入船山記念館に展示されている ・海軍の作った衛門は海軍第一門から海軍第四門まであったがすべて現存しない ・同じ海軍が作った衛門として

虹村公園(広燃料置場重油槽跡) - 呉市周辺の遺構まとめ

原型をしっかり留めている貴重な遺構です。水蓄式油槽鉄蓋直径20mの重油槽の蓋に4つの鉄蓋が付けられていました。鉄蓋のうち丸型と四角型のものが入船山記念館に展示されています。視覚的には「フタに付いている栓」のような感じですが、この栓が現代のマンホール程度の大きさですので重油槽がいか

海軍第二門跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

9年6月に海軍第二門の衛兵が建てた記念碑です。海軍の一兵卒が建てたという非常にめずらしい碑ですがどことなく手作り感のあるのが特徴です。現在は入船山記念館へ移築されています。 備考 ・現在の呉医療センター(旧呉海軍病院)と清水ヶ丘高等学校の間にあったという資料が

高烏台公園(高烏台砲台跡) - 呉市周辺の遺構まとめ

め立てられています。火薬庫陸軍砲台時代に作られた火薬庫砲台床の横に地下に下がる形で3つ残っており火薬庫の文字も残っています。移築された火薬庫入船山記念館に移築された陸軍砲台時代の平屋建ての弾薬庫実際に入ってみると重厚な壁の厚さに驚かされます。天井は木造で屋根は瓦葺きで復元されてい

亀山神社 - 呉市周辺の遺構まとめ

となりました。なお、主祭神は応神天皇を祀っているため八幡宮に分類され地元の人からは「八幡さん」とも呼ばれています。元々は宮原村字亀山(現在の入船山記念館)の入船山に御鎮座されていました。明治19年に呉鎮守府開庁準備のため入船山は海軍用地として接収され軍政会議所が建設されることにな

海上自衛隊呉教育隊(旧呉海兵団) - 呉市周辺の遺構まとめ

自衛隊呉教育隊の敷地内にあるため堺川を挟んで見る格好になる ・第一兵舎跡モニュメントは敷地内にあるため見ることはできない ・番兵塔は入船山記念館に展示されている ・近くに呉医療センター(旧呉海軍病院)と入船山記念館(旧呉鎮守府司令長官官舎)と海上自衛隊呉総監部(旧呉鎮

呉医療センター(旧呉海軍病院) - 呉市周辺の遺構まとめ

でした。※この建物は現存しません 備考 ・旧呉海軍病院官舎は解体されており現存しない ・海軍病院時代の階段と記念碑は入船山記念館の入口近くにある ・底栗車之塔は看護学校の裏にある ・呉駅から出るシャトルバスは通院者専用なので観光目的で乗らないように

入船山記念館(旧呉鎮守府司令長官官舎) - 呉市周辺の遺構まとめ

入船山記念館(旧呉鎮守府司令長官官舎)旧呉鎮守府近くにある呉鎮守府司令長官の邸宅呉鎮守府司令長官官舎は洋風建築と和風建築が一つの建物に見事におさまっているというめずらしい建物です。洋館は司令長官と来客用、和館は主に使用人のために使われていました。洋館部分は明治の日本海軍がお手本と

海上自衛隊呉地域事務所跡(旧下士官兵集会所) - 呉市周辺の遺構まとめ

民も利用可能でした。しかし、老朽化のため平成29年に使用中止となり現在は建物のみが残っています。中庭外観からはわかりにくいですが、南東にある入船山記念館に向いてコの字型の建物となっています。旧下士官集会所内部屋上に残るスクラッチタイル建設当時のものとされる屋上のスクラッチタイル現

戦艦大和建造ドック跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

工廠時代から造船と設計でわかれていますが、現在もIHIとJMUという別々の会社にわかれています。また、太平洋戦争終戦まで屋上にあった時計塔が入船山記念館に移築されています。IHI東ゲート(旧東門)旧造機部庁舎の前にあるIHIの入口現在のIHI東ゲートが呉海軍工廠造船部の東門であり

呉市電車庫跡変電所跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

の一部は伊予鉄道へ譲渡されましたが、伊予鉄道を退役した後再び返還され展示されています。呉市電軌道の敷石呉市電の軌道(線路)に使われていた敷石入船山記念館に移築されています。繁華街を走る呉市電路面電車明治42年の呉市電路面電車の写真大和ミュージアムに展示されています。 備

戦艦大和デザインマンホール - 呉市周辺の遺構まとめ

の3カ所にあります。全12種類で戦艦大和の一生が描かれています。 備考 ・6つは美術館通り(海上自衛隊呉地域事務所跡から入船山記念館へ続く道)にある ・2つは長迫小学校前にある ・1つは大和ミュージアム前の歩道にある ・1つは呉中央桟橋ターミナル前

淡水小学校跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

淡水小学校跡淡水小学校は、呉鎮守府海軍将校の子供や家族を教育する学校として創設されました。当初は『呉鎮守府軍政会議所附設私立淡水小学校』といい軍政会議所兼水交社が建てられた翌年の明治23年に、軍政会議所附属舎を校舎として使用しました。現在の小中高校と同じく高等科・尋常科・附属の幼

呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム) - 呉市周辺の遺構まとめ

くらいで見終わる ・戦艦陸奥の引き揚げ品は柱島泊地に近い山口県屋代島の陸奥記念館にも副砲・スクリュー・艦首・首錨が展示されている ・入船山記念館(旧呉鎮守府司令長官官舎)の入場券があれば入場料が割引になるので一緒に見たい人は同日に観光するといい ・近くにてつのくじら館

地区別 - 呉市周辺の遺構まとめ

中心部)呉駅周辺(中心部) 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム) 海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館) 海上自衛隊呉総監部(旧呉鎮守府) 入船山記念館(旧呉鎮守府司令長官官舎) 海上自衛隊呉地域事務所跡(旧下士官兵集会所) 歴史の見える丘 戦艦大和建造ドック跡 海上自衛隊呉教育

海上自衛隊呉総監部(旧呉鎮守府) - 呉市周辺の遺構まとめ

自由行動はできない) ・一般公開と特別公開以外は敷地内に入れない ・呉駅からだと歩いた方が早いかも ・初代呉鎮守府庁舎のレンガが入船山記念館(旧呉鎮守府司令長官官舎)に残されている ・長渠の碑は宮原小学校にあるが一般公開されていない ・近くに青山宿舎(旧呉鎮守

呉YWCA - 呉市周辺の遺構まとめ

合は特別公開時に見学するのが無難 ・呉駅からだと歩いた方が早いかも ・近くに海上自衛隊呉地域事務所跡(旧下士官兵集会所)と亀山神社と入船山記念館(旧呉鎮守府司令長官官舎)と呉医療センター(旧呉海軍病院)がある 住所 広島県呉市幸町3

旧澤原家住宅(三ツ蔵) - 呉市周辺の遺構まとめ

旧澤原家住宅(三ツ蔵)旧長ノ木街道に面した国の重要文化財澤原家は江戸時代から続く呉市の庄屋でこの独特の外観の蔵も旧澤原家のものです。灰ヶ峰への入口という市街地寄りの場所にありますが、太平洋戦争末期の市街地への空襲では奇跡的に被害を受けませんでした。また、前蔵ばかり有名ですが江戸時

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