備後の小字 - 埼玉県の小字
ある。立野(たての):1992年に備後東三・八丁目になった。田島(たじま):1992年に備後東三・七・八丁目になった。備後田島自治会がある。堤外:1992年に備後東四丁目になった。谷原(やはら):1916、1917、1919年に粕壁町字立沼、字内谷、大字一ノ割字上沖、大字一ノ割谷
ある。立野(たての):1992年に備後東三・八丁目になった。田島(たじま):1992年に備後東三・七・八丁目になった。備後田島自治会がある。堤外:1992年に備後東四丁目になった。谷原(やはら):1916、1917、1919年に粕壁町字立沼、字内谷、大字一ノ割字上沖、大字一ノ割谷
rarr;上尾町大字瓦葺→上尾市大字瓦葺現在の地名:上尾市大字瓦葺古川(ふるかわ):現存。明治14年の字届書には記載されていない。堤外(つつみそと):現存。明治14年の字届書には記載されていない。大島(おおしま):現存。明治14年の字届書には記載されていない。秩父山(ち
、2008、2011年に東岩槻五・六丁目、南平野一・二丁目になった。清賀(清賀耕地)(せいがこうち):2011年に南平野一~三丁目になった。堤外:明治14年の字名称調には記載がない。2011年に南平野三・五丁目になった。参考文献・ 南埼玉郡町村字調(明治14年)・ さいたま市地形
いなりだい):現存。上尾市稲荷台遺跡、稲荷台耕地遺跡がある。天沼耕地(天沼)(あまぬま):現存。隣接する上野にも字天沼、平方に字雨沼がある。堤外耕地(堤外)(つつみそと):現存。貝塚中(元峰岸分)(かいづかなか):現存。参考文献・ 上尾市史 第八巻 別編1 地誌・ 北足立郡新座郡
台西三丁目になった。堀内(ほりうち):1981年に千間台西三~五丁目になった。大荒田(おおあれた):1981年に千間台西三~五丁目になった。堤外(ていがい):現存。参考文献・ 越谷市大字小字表・ 南埼玉郡町村字調(明治14年)・ 越谷市遺跡地図・ 埼玉県報 昭和56年12月
ながわ):現存。中郷(なかごう):現存。宿(しゅく):現存。砂原(すなはら):現存。舟戸(船戸)(ふなと):現存。久伊豆(ひさいず):現存。堤外(ていがい)参考文献・ 行田市字一覧表・ 埼玉県報 昭和53年2月、昭和57年3月
中河原(なかがわら):1942年に伊勢町、見晴町、月見町になった。腰巻(こしまき):1966年に赤城町一・二丁目、月見町一・二丁目になった。堤外六十部(ていがいろくじゅうぶ):1966年に赤城町一丁目になった。鳥居場(とりいば)清水久保(しみずくぼ)河原境塚(かわらざかいづか)藤
地名:越谷市大字三野宮中川原(中河原、仲河原)(なかかわら):現存。上道(かみみち):現存。中道(なかみち):現存。下道(しもみち):現存。堤外(ていがい):現存。新田前(しんでんまえ):現存。1981年に一部が千間台西四・六丁目になった。御手作(おてさく):現存。上谷(かみや)
どううわて):千間台東四丁目の北西の大字区域内に現存。1981、1999年に千間台東町、千間台西一・二丁目、千間台東一・三・四丁目になった。堤外古川新田(ていがいふるかわしんでん):現存。1999年に一部が千間台東四丁目になった。鯛之島(鯛島)(たいのしま):現存。混在する下間久
南に広瀬川原公園がある。尾根越(おねこし):現存。1993年に一部が瀬南になった。川久保(かわくぼ):現存。1993年に一部が瀬南になった。堤外(ていがい):現存。参考文献・ 熊谷の地名と旧跡・ 埼玉県報 平成5年8月
弥耕地)(やまやこうち):1968、1975、1981年に青柳町字大広戸、青柳町字妙見に編入した。内山(内山耕地)(うちやまこうち):現存。堤外(ていがい):現存。参考文献・ 南埼玉郡町村字調(明治14年)・ 草加市史研究 第4号「草加の地名について(4)」・ 埼玉県報 昭和43
新田(しんでん):1968年に弥栄町二~四丁目になった。立野(たての):現存。皿沼(さらぬま):現存。本荒勺(本荒句)(もとあらく):現存。堤外(ていがい、つつみそと):現存。沼尻(ぬましり)飛地(とびち)参考文献・ 越谷市大字小字表・ 南埼玉郡町村字調(明治14年)・ 越谷市遺
る。大広戸(大広戸耕地)(おおひろとこうち):1967年に一部が八潮市に編入し、翌年に大字新町になった。1985年に青柳一・三丁目になった。堤外(ていがい):1968年に一部が越谷市に編入した。1985年に青柳二・四丁目になった。埼玉県報・ 南埼玉郡町村字調(明治14年)・ 埼玉
しぶた):現存。堀向(ほりむこう):現存。大場落向(おおばおとしむこう、おおばおとしむかい):現存。1968年に一部が弥栄町四丁目になった。堤外参考文献・ 越谷市大字小字表・ 南埼玉郡町村字調(明治14年)・ 越谷市遺跡地図・ 埼玉県報 昭和43年10月
存。新田(しんた):現存。新方川に架かる間久里新田橋がある。源前(げんまえ):現存。土浮(どぶ):現存。四斗巻(四斗蒔)(しとまき):現存。堤外(ていがい):1916、1919年に大袋村大字袋山字堤通に編入した。鯛之島(鯛ノ島、鯛島)(たいのしま):現存。鯛の形をした島状の区域。
市大字大里現在の地名:越谷市大字大里上(かみ):現存。新田(しんた):現存。仲田(なかだ):現存。下(しも):現存。堀西(ほりにし):現存。堤外(ていがい):現存。沼:1916年に新方村大字弥十郎字大杉境、字裏沼に編入した。西参考文献・ 越谷市大字小字表・ 越谷市史 六 「大里村
存。宿裏(しゅくうら):現存。元屋敷(もとやしき):現存。隣接する下中条に字上元屋敷、下元屋敷がある。宅地(たくち):現存。宅地遺跡がある。堤外堤外飛参考文献・ 行田市字一覧表
(まつのき):現存。前田(まえだ):現存。樋ノ下(ひのした):現存。舞田(まえだ):現存。樋ノ上(ひのうえ):現存。近殿(ちかどの):現存。堤外(ていがい):現存。中(なか):現存。前(まえ):現存。新田(しんでん):現存。北(きた):現存。参考文献・ 熊谷の地名と旧跡
0年に東町三丁目になった。村道西(むらみちにし):1970年に東町三丁目になった。村道東(むらみちひがし):1970年に東町三丁目になった。堤外(ていがい):1971年に東町三丁目になった。参考文献・ 越谷市大字小字表・ 南埼玉郡町村字調(明治14年)・ 埼玉県報 昭和45年6月
潮市大字新町、大字八條※ 本リストは作成中です。情報が不完全な場合がありますが、ご了承ください。入谷白鳥和ノ村(和之村)幸ノ宮(幸之宮)中島堤外高木上宿中宿下宿内山(元柿ノ木分)参考文献・ れきナビ―やしお歴史事典・ 南埼玉郡町村字調(明治14年)
郷市戸ヶ崎、鷹野、寄巻※ 本リストは作成中です。情報が不完全な場合がありますが、ご了承ください。長沼前狭中耕地(中)鷹野道上半川屋敷添草刈場堤外ナメシ参考文献・ 三郷市地内大字及小字調査
木→三郷市大字境木現在の地名:三郷市栄、中央※ 本リストは作成中です。情報が不完全な場合がありますが、ご了承ください。内向沖八斗蒔堤外参考文献・ 三郷市地内大字及小字調査
郷市鷹野※ 本リストは作成中です。情報が不完全な場合がありますが、ご了承ください。屋敷添下屋敷添上中耕地(中)御鷹野道上長沼前(長沼前耕地)堤外耕地半川(堤外半川)参考文献・ 三郷市地内大字及小字調査
→八潮市大字古新田現在の地名:八潮市茜町、大字古新田※ 本リストは作成中です。情報が不完全な場合がありますが、ご了承ください。出津堤外西通(西通り)仕込六町田(六丁田)清水田東通(東通り)土腐長割中区(仲区)小瀬道参考文献・ れきナビ―やしお歴史事典・ 南埼玉郡町村字調
町大字小向→(一部)三郷市大字小向現在の地名:三郷市東町※ 本リストは作成中です。情報が不完全な場合がありますが、ご了承ください。堤外牛堤外(丑堤外)落堀東御鷹道下御鷹野道上半川落堀西参考文献・ 三郷市地内大字及小字調査
三郷町大字長戸呂→三郷市大字長戸呂現在の地名:三郷市鷹野※ 本リストは作成中です。情報が不完全な場合がありますが、ご了承ください。堤外堤内添裏通落堀西葭原鷹野道下鷹野道上横堀裏袋参考文献・ 三郷市地内大字及小字調査
→八潮市大字垳現在の地名:八潮市大字垳※ 本リストは作成中です。情報が不完全な場合がありますが、ご了承ください。野耕地用水東用水西堤外参考文献・ れきナビ―やしお歴史事典・ 南埼玉郡町村字調(明治14年)
市大字伊勢野現在の地名:八潮市大瀬、大字伊勢野※ 本リストは作成中です。情報が不完全な場合がありますが、ご了承ください。根通助九(助九仕込)堤外蔵ノ後小畝町道面参考文献・ れきナビ―やしお歴史事典・ 南埼玉郡町村字調(明治14年)
:現存。五反田(ごたんだ):現存。恩波(おんなみ):現存。手島前(てしままえ):現存。谷橋向(やばしむこう):現存。谷向(やむこう):現存。堤外(ていがい):現存。源兵ヱ島(源兵衛島)(げんべえじま):現存。長慶寺堀(ちょうけいじぼり):現存。西入会(元手島分):大字村岡字北西原
において新しい町村が作られ、従来の町村は大字となった。このとき、新しい町村をまたいだ飛び地のみが整理されたのではないだろうか。たとえば荒川の堤外地には「大字道場字平野原(元与野分)」、「大字町谷字平野原(元上峰分)」、「大字町谷字油面(元鈴谷分)」といった地名がある。これらは明治
r;桶川市大字小針領家現在の地名:桶川市大字小針領家※ 本リストは作成中です。情報が不完全な場合がありますが、ご了承ください。御ノ木向原本村堤外堤内参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)
関 西堀 山久保 中島 南元宿 町谷 田島 栄和 道場 新開上大久保 下大久保 領家 神田 白鍬 五関 塚本 宿 在家内谷 曲本 松本新田 堤外大門 間宮 北原 下野田 玄蕃新田上野田 中野田 大崎 南部領辻 寺山 代山 高畑- 旧与野市与野 上落合 下落合 中里 大戸 鈴谷 上
字閏戸→蓮田市大字閏戸現在の地名:蓮田市大字閏戸※ 本リストは作成中です。情報が不完全な場合がありますが、ご了承ください。前田湿気堤外松原曽根西谷下大山東谷西谷北原外谷野久保栗崎吹上小谷津足利栗山浮張飛地浮張飛地(元駒崎分)浮張飛地(元平野分)参考文献・ 南埼玉郡町村字
→八潮市大字南川崎現在の地名:八潮市大字南川崎※ 本リストは作成中です。情報が不完全な場合がありますが、ご了承ください。根通八反野堤外新田前参考文献・ れきナビ―やしお歴史事典・ 南埼玉郡町村字調(明治14年)
中です。情報が不完全な場合がありますが、ご了承ください。粒田南(粒田南耕地)粒田北(粒田北耕地)八幡(八幡耕地)東(東耕地)屋敷(屋敷耕地)堤外天神耕地堤外川下九反田下根通参考文献・ れきナビ―やしお歴史事典・ 南埼玉郡町村字調(明治14年)
:1970年に東町三丁目になった。北口(きたぐち):1970年に東町三・五丁目になった。南口(みなみぐち):1970年に東町五丁目になった。堤外下出洲(ていがいしもでず、ていがいしもです):1971年に東町五丁目になった。堤外上出洲(ていがいかみでず、ていがいかみです):1971
島(ながしま):1970、1971年に東町三丁目になった。片通:町村字調、越谷市大字小字表には載っていない。1970年に東町二丁目になった。堤外(ていがい):越谷市大字小字表には載っていない。1971年に東町一・三になった。参考文献・ 越谷市大字小字表・ 南埼玉郡町村字調(明治1
大字市助現在の地名:三郷市新和、市助※ 本リストは作成中です。情報が不完全な場合がありますが、ご了承ください。掛井堀内下大落添上大落添上堤根堤外下堤根江戸川添会野谷沼地市助江戸川中島(元外河原分)参考文献・ 三郷市地内大字及小字調査
に青木町一・二丁目になった。圦前(いりまえ):川口市役所のあたり。1937年に青木町一・三丁目、(旧)栄町一丁目、(旧)幸町一丁目になった。堤外(つつみそと、ていがい):芝川沿いの区域。1937年に青木町一・二丁目、(旧)栄町一丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(
った。東千足(ひがしせんぞく):1937年に朝日町一・二丁目になった。西千足(にしせんぞく):1937年に朝日町一丁目、十二月田町になった。堤外(つつみそと、ていがい):1937年に朝日町一・二丁目、十二月田町になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県
:1937年に領家町になった。後田(うしろだ):1937年に領家町、元郷町一・三丁目になった。菅原(すがはら):1937年に弥平町になった。堤外(ていがい):1937年に領家町になった。梛野原(なぎのはら):1937年に領家町になった。領家四丁目に梛木ノ原公園がある。芝川に架かる
1937年に朝日町三丁目になった。稲荷田(いなりだ):1937年に朝日町三丁目になった。流(ながれ):1937年に朝日町一・二丁目になった。堤外(つつみそと、ていがい):1937年に朝日町一・二丁目になった。六反畑(ろくたんばたけ):前田からの編入と思われる。1937年に朝日町三
(くらまえ):1939年に(旧)仲町二丁目になった。前(まえ):1939年に(旧)原町になった。原(はら):1939年に(旧)南町になった。堤外(ていがい):荒川沿いの区域。1939年に(旧)緑町になった。丁張(ちょうはり): 塚越から編入したと思われる。1939年に仁志町二丁目
南鳩ヶ谷、坂下町、大字辻沼田(ぬまた):現存。1965、1967年に一部が(旧)南六・七丁目、坂下町四丁目になった。大字辻に沼田公園がある。堤外(ていがい):現存。1968、1973年に一部が南八丁目、緑町二丁目になった。辻字堤外第1遺跡がある。永堀(ながほり):現存。大字辻に辻
→美園村大字藤兵衛新田→川口市大字藤兵衛新田現在の地名:川口市大字藤兵衛新田中通(中通耕地)(なかとおりこうち):現存。堤外大沼通(堤外沼通)(ていがいぬまどおり):綾瀬川沿いの区域。現存。堤外反高場:綾瀬川沿いの区域。現存。明治14年の字届書には記載されてい
現在の地名:川口市上青木、上青木西、西青木、前上町町張(ちょうはり):1936年に上青木町二・五丁目になった。堅川に架かる丁張橋がある。 堤外:明治14年の字届書には記載がない。1936年に上青木町四丁目になった。雁丸(がんまる):1936年に上青木町二~五丁目になった。 昭和
8年に川岸三丁目、本町二~五丁目、南町になった。南町に曲尺手遊園地がある。JR埼京線に架かる曲尺手高架橋、菖蒲川に架かる曲尺手橋がある。 堤外(ていがい):現存。1950、1954年に一部が東京都板橋区に編入した。圦前:飛地組替により塚越村から編入した。戸田土地区画整理に伴い消
本村大字曲本→美笹村大字曲本→戸田町大字曲本(→戸田市大字曲本)、浦和市大字曲本現在の地名:さいたま市南区大字堤外、曲本、内谷、戸田市大字曲本三条目(さんじょうめ):1959年に浦和市に編入し、1975年に西浦和一・二丁目になった。道目(どうめ):1
ある飛び地。飛地組替により田島村、新開村、道場村に編入した。油面(あぶらめん):飛地組替により町谷村に編入した。平野原(ひらのはら):荒川の堤外地にある飛び地。飛地組替により道場村に編入した。鈴谷前:飛地組替により南元宿村から編入した。1941年に土合村大字中島字山崎に編入した。
戸田町大字堤外→浦和市大字堤外→さいたま市大字堤外→さいたま市南区大字堤外現在の地名:さいたま市南区大字堤外平野: 荒川の堤外地。現存。1959年に新設され、同年に浦和市に編入した。参考文献・ さいたま市 地形図(縮尺2,500分の1)・ 埼玉県報