August.5.都内某所.特殊心理対策局.局員食堂.9:30
ダイバー達は基本的に、いつも同じ面子が同じ時間帯に食堂に現れる。それは実働部隊の一般的な中級ダイバーたちは出撃タイミングと編成が基本的には変動しないためだ。
内垣 真善(うちがき まよい)の任務翌日の日課は、職場の食堂でチャーシュー丼と味噌汁を注文する事である。
「食べる事ではないのか?」と思うかもしれないが、実際のところ「注文する事」が肝なのだと彼女は言う。
一種の『おまじない』なのだと。
「小チャーシュー丼を二つと、味噌汁をひとつ、お願いします」
注文を終えると彼女は余裕ができるのか、必ず任務での人的損耗や破壊された装備のリストと睨めっこを始める。
眉を微塵も動かさず、まるで難解な論文を黙読しているかのように読み進める。
彼女とて惻隠の情が無いわけではない。だがダイバーとして長い間生存してきた彼女は、文字と数字として表される犠牲者に慣れていた。
食事が到着すると彼女はリストを閉じて鞄にしまい、給仕の男性に笑顔で感謝を伝える。
普段の彼女ならばスプーンを使って普通盛りの丼を素早く平らげる。
しかしその日は事情が違っていた。 普段ならば二人席の向かい席には、末藤という同僚が座っていた。
同じ『おまじない』をする同士だった彼は、昨日の任務で唯一の未帰還者だった。
彼女は自分の分の食事を終えたのち、少しの時間を置いて同僚に供えた分も平らげる。
そして普段通りに、どんぶり二つと茶碗一つを載せたトレーを厨房に返却する。
彼女は食事を終えて自分のデスクに戻ろうとしたとき、ふと思い出したようにつぶやく。
「今の時間に末藤さんの寮を片付けようかな」
廊下を進む彼女は確認の意味も込めてその言葉を口に出した。
所詮は独り言に過ぎなかったが、もうその仲間がいない事を自分に言い聞かせる意味もあった。
「手伝いますよ」
彼女の独り言を聞いていた立木という他の同僚が、彼女の歩幅に合わせ乍ら声を掛けてくる。
末藤は友人とはいえ男性だったので、むしろ男性局員が手伝ってくれる事はありがたい事だと彼女は思った。
末藤のデスクで彼の私物をひとつひとつ丁寧に整理してゆく。
遺書や貴重品、それと日記などを遺品としてひとつの箱の中へ詰め込んでいく。
その中から遺族へ変換できるもののみを選別していく。
殉職したダイバーは、その性質上行方不明者として処理されることが多いが、末藤は親族には警察官と身分を偽っているため、殉職した警察官として処理されることとなった。
「物が少ないですね。……立木さん」
「そうですね」
ぎくしゃくした会話を挟みつつ、二人で末藤の遺品の選別をしてゆく。
日記などはダイバー活動に関する事も記してあるため、遺族に返還する事はできない。
反対に腕時計などの貴重品は、慎重に検査をしたのち遺族に遺品として返還される。
「これで全部ですか」
「ええ」
末藤の私物は驚くほど小さく収まった。
中ダンボール一つほどに押し込められたダイバーとしての私物は、資料として奇書院に保管される。
代わりに末藤の遺族に返還できる遺品は両手に収まる程度になった。
最後に内垣と立木は手を合わせる。
「これでお別れです。末藤さん。お世話になりました」
悲しくはなるが、涙は流れない。それは内垣も立木も同じだった。
二十八歳の内垣は職業としてダイバーを始めて五年、少し歳上の立木は八年になる。彼らはこのような事には慣れている。始めの二年で心が其れに耐えられるかがダイバーとしての分水嶺だ。彼らは所謂"向いている"職員だった。
黙祷を捧げる二人を見たその場にいた他の局員も手を合わせて黙祷する。
暫くの間祈りを捧げた二人は、末藤の二つの遺品箱を所定の場所へ移す。片方は奇書院へ、もう片方は遺族へ届けるためのワゴンへ送られる。
オフィスへ戻る道、内垣が立木に薄く微笑み「手伝っていただいてありがとうございました」と頭を下げる。それを受けた立木は彼女の心境を思うと行き場のない感情が巡るのを感じた。
内垣は幾度となく仲間の死を経験している。それなのに表面上はまるで何もない風に振る舞えるようになってしまった。立木にはそんな彼女が痛々しく映ったのだろう。
「僕も今日から、その『おまじない』?に混ぜてもらってもいいですか?」
堪らず立木が内垣に切り出す。彼女を元気づける意味もあったが、彼女が欠かさず行う『おまじない』とやらに興味があるのもまた事実だ。
内垣は予想外の申し出に少し戸惑ったが、即答に近い形で返す。
「ええ。よろこんで」
August.5.都内某所.特殊心理対策局.局員食堂.21:35
昼の出撃を終えたダイバー達が夕食のために、ぞろぞろと食堂へ入ってくる。
内垣はいつものようにチャーシュー丼と味噌汁を注文し、二人席に腰掛ける。
注文を終えると彼女は余裕ができるため、任務での人的損耗や破壊された装備のリストと睨めっこを始める。
眉を微塵も動かさず、まるで難解な論文を黙読しているかのように読み進める。
すると頼んでもいないのに彼女の分の丼とは別に、もう一つ丼が置かれる。
内垣は従業員に感謝の言葉を述べる。 この間の内垣と立木の会話を聞いていた食堂の従業員が、彼らが出撃するタイミングを測って、『おまじない』に参加する立木の分まで用意してくれたのだ。
しかしその日の夕食の席に、立木の姿は無かった。
朝一緒に食事を摂った仲間が、夕食にはもういない。
彼女の職場では常に有り得る事だ。
そんな状況に慣れた頃からだろうか、何のために特心対でダイバーとなったのかはもう忘れてしまった。
彼女には宗教も金儲けの趣味もない。生きる夢のように自由を求める事もしない。
生きて還るために『おまじない』をし、『おまじない』をするために生きて還る。
いつか夢の中で、いつでも仲間たちに顔向けできるように。
少なくとも今の内垣の戦う理由はそれでよかった。
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