「へえ?弟さんが!」
「そうなのよ~!」
特殊心理対策局で働く友人と二人で丸テーブルを囲んで談笑し、一つのバケツ入りアイスクリームを食べる。それがチャスが特心対に仕事で来た時の、数少ない娯楽だった。
その日は、彼女の友人であるユーコの弟の、特心対のダイバーになるためのプロセスがいよいよ終盤に差し掛かってきているという話題だった。
「今どのへんやってるんですか?」
「もうじき実地訓練だって言ってた!」
「大詰めだあ!」
ユーコは自身こそダイバーではないが、弟がダイバーとなるために努力している事が何より誇らしく、チャスも友人の弟の頑張りを自分の事のように嬉しく感じていた。いつの日か任務で肩を並べられると思うと、夢がある話だななどと漠然と考えていた。
「なんかね、夢現領域で簡単な仕事をやるんだって」
「夢現領域で?……早すぎません?」
「教官も一緒らしいから大丈夫だよ~」
「うーん……?まあ、そんなもんか~」
訓練段階の下級ダイバーが実際の夢現領域で任務を行う。チャスはこの事に一抹の不安を感じていた。
夢現領域は夢と現実が曖昧で、夢が現実に干渉してくる危険な領域だという事もある。だが、それ以前に特心対が訓練生にさせたい"仕事"というのが、どうにも引っ掛かっていた。
「もしかしたら今後、弟さんと任務で会うかもだね」
「ダサい十字架のネックレスしてるからすぐわかるよ」
「えぇ……。なんでまた」
ユーコがばつが悪そうに笑う。
「実は私が昔あげたやつなんだよね」
「なるほど?」
「ほんとに安っぽいシルバーの十字架のネックレスなんだけどね、それでも私からの贈り物だからってずっと付けててくれるのよ」
ユーコは少し照れ臭そうに笑い、チャスもその様子を見て自然と笑みが零れた。
「いい弟さんじゃないですか~」
「ほんとにね~!」
そしてその日二人は、周囲に声量の大きさを注意されるほど、夢中で弟の話題に花を咲かせた。
特心対は損耗の激しい実働部隊で即戦力となるダイバーの育成方針を整えつつあった。
訓練の最終段階に到達した訓練生を、通常であれば数か月の間を空けて行われる夢現領域内での任務に駆り出し、早く戦場に適応させる。特心対内部からも批判のあるやり方ではあったが、この方針は一定の成果を収めていた。
「━━……ダイバーの救出、ですか?」
「ええ。リザルディさんにお願いしたいです」
時葉がチャスに依頼の内容を事務的に説明する。
「悪夢の討伐は他のダイバーが?」
「いえ……問題は悪夢ではないのです。そのことも説明しようと思ったのですが……」
「?」
「先日、特心対の訓練方針に対して反発した中級ダイバー一名が、半特心対を標榜とするローグの最下級ダイバー二名を率いて夢現領域内に立て籠もりまして」
「穏やかじゃないですね」
「……その際に、当該中級ダイバー自らが教官を務めていた訓練生が実地訓練を行っていたのですが、現在訓練生の消息が分かっていません」
(訓練生━━)
「リザルディさんには、その訓練生の救助をお願いします」
「……了解しました!」
依頼を受諾したチャスは、出撃の準備を整えるためその場を後にする。
先ほどの話を聞き友人の弟の事が真っ先に脳内に浮かんだ。
夢現領域内で実地訓練を行う訓練生は彼一人ではない事はわかっているが、どうにも悪寒がしたのだ。
そして彼女は情報にあった小規模の夢現領域内へ侵入してゆく。比較的狭い森林地帯であるそこには、ごく小さな脅威ではない悪夢が発生しており、特心対はその存在を早くから把握していた。
そして訓練生の育成に利用したのだ。
(戦闘の痕跡はない……、拘束されていると考えるのが自然?)
敵に見つからぬよう抜き足差し足で獣道を進んでゆく。そうして領域内を六割ほど探索したところで、人の話し声が聞こえる場所へと辿り着く。
(中年の男性と、パーカーの男女が一組。情報にあった裏切り教官とローグか)
彼女は敵の動向を警戒しつつ、隠れ乍ら探せる範囲で救助目標を探す。しかし見渡す限りはそのような気配はなかった。
(……結局、倒さないと駄目か)
一旦その場を離れ、該当のエリアを中心に大きく回り込む。指揮官への一撃必殺を狙うためだ。
迂闊にも教官ダイバーは最下級ダイバー二名を相手に講釈を垂れている。
敵に気取られない死角から急接近し、茂みから低い体勢で敵グループを強襲する。
指揮官であると考えられる教官ダイバーは三名の中で一番早く反応したが、振り返りざまに降り抜いた刀剣は虚しく空を切り、殺傷距離に入った襲撃者の姿を自身の腕で見失っていた。
(教官さん。馬鹿だよ、あなた)
右の大鋏で教官の得物を破壊し、怯んだ一瞬の隙に左の大鋏で胴体を挟み込み、力任せに両断する。
頼みの綱であったであろう中級ダイバーを一瞬にして失った下級ローグダイバー二名は恐慌状態に陥ったが、彼女は一抹の情けも掛ける事なく返す刀でそれらを射殺した。
木々から一斉に鳥たちが飛び立つ。
(嫌な仕事)
三体の遺体を避け、周囲を捜索する。どうやらこの辺りには製材所があるようで、材木や製材機が点在している。
(三人があそこでたむろってたなら、そう遠くには……)
彼女がふと製材所の壁に目をやると、赤い文字で「特心対よ、己の罪を知れ!」と書かれていた。
なにげなく文字から視線を下げ、視界に入った一台の製材機を見て、嫌な予感が過った。
(さすがに、それは……)
嫌な想像を払うように逸らした目線の先で光る何かを発見した。
千切れた十字架のネックレスだ。
(……)
”安っぽいシルバーの十字架のネックレスなんだけどね”
”それでも私からの贈り物だからってずっと付けててくれるのよ”
「……」
彼女は数秒間その場で立ち尽くしたが、終ぞ製材機の中を確認する事はせずに、落ちていたネックレスのみを回収して夢現領域から離脱した。
「任務からの生還、お疲れ様でした」
帰りの車内で時葉がチャスに労いの言葉を掛ける。
「仕事は失敗です。お金は……報酬は、要りません」
その様子を見兼ねて時葉が続ける。
「……あなたは最善を尽くしてくれました。報酬を受け取ってください」
「……」
数日後、雨の墓地にユーコの姿があった。土砂降りの中で傘もささずに墓石に何かを語り掛けている。
その様子を見兼ねて墓守の老人が一度傘を差し出したが、反応は無かった。
墓守の老人とすれ違うように彼女の友人が、ユーコの傍らに立つ。
「チャス……」
チャスは何も答えずに、夢現領域で回収したネックレスを彼女に手渡す。
彼女の蚊の鳴くような声で絞りだした感謝の言葉を、雨音が掻き消してゆく。
そして、チャスに話しかけるように呟く。
「……ダサいネックレス」
彼女が精一杯笑って発した言葉に、チャスも優しく笑い返す。
「それでも、宝物だよ」
それだけを言い残し、チャスは墓地を後にする。
銀色の髪から雫が滴り落ち、皮のコートを滑る冷たい雨はまるで命のようで、手で受け止めようとしても指の間をすり抜けて落ちてゆく。
助けられたかもしれない命を思うと、悔しさで涙が零れる。
しかし雨は涙を洗い流し、それさえも見えなくする。
まるで彼女が涙で溺れ、歩みを止める事を許さないかのように。
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