ジャクソン・ルーガーはしけたチンピラだった。
もう使われてないような車に目をつけては、夜な夜な忍び込んでバラして売り飛ばす。だいたいそんなことで食い繋ぐ。
生きてても死んでも変わらないようなゴミクズだった。だからヤクザの女に手を出して殺されそうになったとき、走馬燈の中死んだって誰も泣いてくれやしないんだろう、そう思ってジャクソンは無性に悲しくなった。悲しすぎていっそ死にたかったが、ついぞ死ねもしない。なんとか這いつくばって路地裏にまで抜け出して、棄てられた新聞を搔き集めて羽織って眠る。
その日は本当に気分のいい夢を見た。頼れる相棒と強盗チームを組んで、盗みたいものを盗み殺したい奴を殺す。ほんの数時間前まで自分を殺そうとしたクソ野郎の顎がマグナムで砕けて、肉片が飛ぶところなんかはもう、心が打ち震えた。
だから夢から覚めて鉛色の現実に引き戻されたとき、テキーラで潰れた翌日の朝みたいにクソな気分で、それこそその辺にゲロを撒き散らしそうな勢いだった。そこにふいに背中をさすられて、誰だ、と振り返る。
「ようジャクソン。これからは『こっち』でよろしくな」
そこに立つ夢と瓜二つの相棒を見て、ジャクソンは殴られすぎて頭がおかしくなったのか、と自分の正気を疑った。
相棒は「俺はお前の夢だ。俺の事だけは絶対信じていい」だとか他にも色々よくわからないことを説明する。もちろん理解できなかったが、理解できないことに慣れていたから、こいつは重症のジャンキーかもしくは俺の知らないことを知ってるくらいには賢い奴なんだと思うことにする。少なくとも自分の味方で居てくれるなら、それだけでよかったからだ。
そして驚くことに相棒は恐ろしく強かった、夢の中の通り、その向かうところ敵無しと言うくらいに。酒瓶で頭をたたき割られたって怯むことなく相手を絞め殺し、翌日には傷もすっかり完治してる。まさしく化け物だ。「仕事」はおかげさまで順調だし、件のヤクザにだってお礼はたっぷりと返せた。
そうして数年の歳月を経るころには、手下を持つようにさえなった。自分が欲しい物くらいは、もう何だって手に入る。
思えばあの日が人生の分水嶺だったな、とかび臭い屋敷のジジイをぶん殴りながらジャクソンは振り返る。
ここには金になる奇書があると聞いて襲撃したのだ、確か題名は「夢と霧」……。あった。
「見つかった。もういいぞ、相棒。」
相棒が老人の首をひねると、屋敷はすっかり静かになった。
それからさらに数日。ジャクソンが仕事を終え、そのついでにツテの鑑定も済ませアジトに帰る。
いつもみたいに恭しく出迎え媚を売る新人はおらず、代わりと言ってはなんだが、何故だかその床一面が黒い水が浸っている。それは鼻を突くくらい酷く臭い。彼が昔食うに困って啜ったゴミ箱の腐った弁当の汁みたいだった。
奥の方では掃除機のバキューム音が聞こえるから、下水管か何かを壊してしまったんだろうか?出迎えがないのも俺を誤魔化そうと必死で気づいてないからか。そんなことを考えながらジャクソンは扉に手を掛ける。
「おい、こっちまで垂れてんぞ。一体何やらかしたんだお前ら……」
「ああ、ごめんなさい。ちょっと思ったより量が多くなっちゃって、吸うのが間に合わないんですよ」
そこに見知った人間は一人もおらず、掃除機を担いだ紺スーツ男だけが立っていた。思わず、近くにあった鉄板で反射的に殴り付ける。凹んで元の形が見えなくなるくらい、何度も繰り返し繰り返し。ジャクソンは半ば狂乱していた。自分のパーソナルスペースに平然と立つ異物の不気味さ、それに黒い水が不吉な何かに思えて仕方がなかったからだ。
でも、そいつは膝をつきさえしなかった。頭蓋は確かに罅割れてるのに、肉を覗かせることもなければ、流れる血は赤ではなく黒い。罅割れは他の罅割れと合わさっては亀裂となり、何度も殴っている間にめくれ上がっていく。けれど、それでもやはりそこにあるのは人間らしい血肉ではなく……その代わりにゴムのようになめらかな黒い皮膚があった。自分が血だとばかり思っていた液体は、その表面に均一に並んだ孔から滴るように噴出しており、少しずつ揮発している。
「何しにきやがった、バケモンが……」それはあまりにおぞましく、呻くように辛うじて罵ることしかできなかった。
「上司から、本の回収ついでにローグを処理してくるようにと。結構派手にやってたんだから、覚悟してたでしょ?」
「その……ローグってなんだ……?……俺をどうしたい」男は一瞬うなるように首をひねる。
「うーん、とぼけてるようではないし、ほんとに知らなそうだけれど。まあ、無知と罪はまた別の話ですしね」
長靴でぴちゃぴちゃと水を蹴って遊びながら、男はロッカーを開く。中には、怯えた部下が縮こまっていた。
頬にゆっくりと左手を添わせ、子供をあやすみたいに残された右手で頭を撫でる。そうすると、まるで雨に溶ける泥人形みたいに一瞬に、容易く。どろりととろけて床の汚水の一部になった。この黒い水が何でできているかをようやく理解して、ジャクソンは胃からせりあがってきたものを一面にぶちまける。もう、声を紡ぐことさえできなくてただ嗚咽するほかにない。
「まあ、こうして悪い人を文字通りお掃除するわけですが……。ちょっと、掃除してるそばから汚さないでくださいよ」
男は苦笑ているが、ジャクソンにはそれが嗜虐的な快感からくる笑みに思えてならない。腰が引けて水面に手を突くと、痛みもなく手足が溶けていく。なんだってしていい、ただこんな無残な死だけは嫌だ。嘆願するように男の方を見る。
だが、男は荷物の中から一冊本を抜き出して、軽くはたくばかりだ。
「用件はこれで終わりですからおかまいなく。……知らなかったのはちょっと可哀想ですし、手心は加えましょうか」
男は屈み込んで溶けかけのジャクソンの頭を掴む。湯煎したチョコレートみたいになって、その瞬間からジャクソン・ルーザーという男はこの世に居なくなった。それと同時に隅の方でカランと石が落ちるような音がすると、男は背を伸ばしてはその方へと向かい、落ちてる黒い石を拾い上げた。
「主人が居なけりゃ共倒れするって言うのに。やっぱり宿主に夢は似るのかなあ」
いくつかの器具を取り出して、大きさだの重量だのを確かめて、そのあとにメモを取る。前回の資料と見比べて、軽く考察も書き記す。『時間をかけて恐怖に晒したケースの方がカラットだけでなく、純度も上がる傾向にある』と。
一通り吸い上げた水をバケツでみな排水溝に流し、タオルで額の汗を拭って男は玄関へ向かう。
「じゃあな。いい夢見れたろ」男が扉を閉じると、もうそこには誰もいなくなった。
ジャクソン・ルーガーはしけたチンピラだった。
もう使われてないような車に目をつけては、夜な夜な忍び込んでバラして売り飛ばす。だいたいそんなことで食い繋ぐ。
生きてても死んでも変わらないようなゴミクズだった。
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