赤夢町
20█3年12月23日 21:34
"アンバーアイズ"笠井 茂辰 最先任境界潜夢士長
特殊心理田策局 不知火機関 領域内先遣偵察課
東京都 陰山市
華やかな都会の郊外にある陰山市赤夢町。やや時代遅れなこの町には、常に悪夢と関連する犯罪が付き纏う。
今夜に至っては──ガス漏れ事件。今月に入って五回目になる。市民たちも非常事態に慣れてしまい、非難が遅々として進んでいない。渋滞に掴まる黒いセダンの後部座席で、若きアンバーアイズは無線に耳をそばだてた。
<アンバーアイズ、聞こえるか>
「こちらアンバーアイズ」
<ローグの脅威は差し迫ったところにある。エリア内に複数の被疑者を確認。マカハドマ級の自爆テロも有り得る>
「市民が多いですね」
<みんな"ガス漏れ"に慣れてしまっているんだ>
「ダイバー体の先制発動は?」
<ネガティブだ、アンバーアイズ。市民の目が多過ぎるし、ローグを刺激する事になりかねん>
「……了解」
<いいかアンバーアイズ、赤夢を焦土にさせるなよ>
「了解」
アンバーアイズが上層部との無線を終えるのと同時に、運転席のダイバー"アイボリー"が彼に尋ねる。
「ライカンは何て?」
「マル体の先出しは無しだそうです」
「……何を考えてるんだか」
「確かにこれだけ市民がいては──」
発言の途中で、アンバーアイズは歩道に立つ男に注目した。
「──反対車線側、歩道の携帯を弄っている男」
アイボリーもアンバーアイズの指示した男を注視する。
「ほんの僅かだが……ダイバーログか?鼻が利くな」
彼がそう言うと、ダイバーログの男にさらに四人の男が合流する。彼らは全員旅行のようなバッグを持っていた。
アンバーアイズと同じ車内にいる三人目のダイバー"ループス"が、バッグを観察して呟く。
「武器を隠し持っている……」
「ローグ共です……」
部下の報告を受けたアンバーアイズは、即座に上層部に報告を開始した。
「ライカン、五名の武装したローグを発見。現在徒歩で北へ移動中」
<了解。それで全員ではないはずだ。泳がせろ>
「了解」
アンバーアイズと同乗の二人のダイバーはお互いにアイコンタクトを交わして降車する。
渋滞の車列を縫って移動しながら、被疑者に警戒されないよう情報を収集した。
「ここまで近づけばわかる……。奴ら予め生成した武器を……」
アイボリーが苛立った様子で呟く。
町はクリスマスに備えて華やかな電飾で飾られ、商店毎にクリスマスの歌が聞こえてくる。
多少大きな荷物を持って歩いていたところで、誰かが不審に思う事はないだろう。
ましてや今は避難勧告が出ているのだから。
尾行を開始してすぐに、ローグたちはデパートメントの前で脚を止めた。
「ライカン、被疑者グループが足を止めた」
<了解。警戒しろ>
アンバーアイズたちは臨戦態勢でローグの見張りをした。交戦許可が下りればすぐにでも皆殺しにできるのだが、しかしダイバーが交戦するには、あまりにも周囲に邪魔なものが多過ぎる。
そうこうしているうちに、ローグに一人がバッグを開いて中の物を取り出した。
「ライカン、バッグの中身の一つは角材だ。おそらくは武器生成の骨子に使う」
<了解。監視を続けろ>
「了解」
「アンバーアイズ、拙いぞ。警官だ……」
ライカンへの報告を終えたアンバーアイズがアイボリーに指示された方を見ると、二人組の警察官がローグ達に接触しようとしていた。警察官たちは不審な道具を持つ彼らに職務質問をしようというのだろう。
「ライカン、警察官二名が被疑者に職質してる」
<了解。退避勧告を試みる……>
そう言った時には既に遅かった。夜の町に女性の絶叫が響き渡る。職務質問を担当していた警察官はローグが生成した凶刃に斃れた。さらに彼のバディも銃で撃たれ、すぐ傍を歩いていた通行人が悲鳴を上げる。
一瞬にして修羅場と化した現場に、近くに停めてあった乗用車からも武装した男たちが降車してくる。アイボリーが即座に男を攻撃して取り押さえ、アンバーアイズたちはローグたちに銃を向けて牽制した。
「動くな!」
「ライカン!マル体の解禁を……」
アンバーアイズがライカンにダイバー体で戦う許可を請うた瞬間、両掌を見せて降伏する仕草のローグに紛れて、一人が肩に担いだ角材をこちらに向けていた。そして角材だったものはダイバー能力により無反動砲に変化し、激しい後方噴射が夜景を明るく照らし上げ乍ら弾頭が射出された。
アンバーアイズの視界がコンマ数秒ブラックアウトする。目を開けて最初に飛び込んできたのは、アイボリーがローグに撃たれる光景だった。アンバーアイズは生成した拳銃を構え、眼前のローグ三人を射殺した。
「クソ!アンバーアイズ!」
「アイボが!クソッタレどもにやられた!」
燃え盛る町を背景にローグを始末するループスを後目に、アンバーアイズは無線を取る。
<アンバーアイズ、いったい何が起きた?>
「……ローグの先制でアイボリーがやられました。現在は周囲のローグを掃討し──」
そこまで言って立ち上がろうとしたとき、上手く起き上がれない事に気が付く。
視線を落として分かったのは、アンバーアイズの左脚はクリスマスの看板に圧し潰されている事だった。
膝関節はなんとか無事のようだが、脹脛の辺りに直撃した巨大な破片が骨肉を分断している。
アンバーアイズはそんな自分の脚を眺め乍ら、報告を続ける。
「──私は脚を負傷しました」
<了解。あとは報告を受けた後続が任務を引き継ぐ。撤収ラインまで撤退しろ、アンバーアイズ>
「了解」
ほぅっと溜め息を吐くと、一息つく事ができた。左脚は耐え難い痛みではあるが、泣き叫ぶような事はしない。成ってしまった事は覆す事はできない。しかしかといって、今のままでは打開策もない。今の立場では。
黄昏るアンバーアイズを見兼ねたループスが肩を貸す。
「アンバーアイズ、酷い怪我だ……。私の肩に掴まって。すぐに撤収しましょう」
「ありがとうございます、ループス」
アンバーアイズはループスの肩に掴まり、片脚で撤収を始める。
ループスはアンバーアイズの歩幅に合わせて歩きながら、ちらちらと彼の表情を確認した。
「すごい汗ですよ、アンバーアイズ」
「ものすごく痛みますからね」
「それはそうか……」
自分の肩を支えたまま意気消沈しかけるループスを鼓舞するために、アンバーアイズは言葉を掛けた。
「あなたがいなければ、もっと大勢が死んでいましたよ」
「そうでしょうけど……、アンバーアイズ」
何か言いたげな彼女の目は、悔しさが滲んでいる。
そして階級の壁を前に言い淀んだ彼女の続きの言葉を、アンバーアイズは引き出させた。
「続けて」
「なぜ私たちがこんな戦いをしなければいけないんですか?」
「情報があれば、もっと役に立てるのに」
夢界や夢現領域内の情報を収集する為の偵察は欠かせないものだ。
だからこそ先遣偵察を行うダイバーの異常な損耗率は、誰もが目を瞑っている。
ループスは興奮気味に、さらに続けた。
「ライカンは最善を尽くしたつもりかもしれませんが……こんなのは犬死にですよ」
「何への配慮か知りませんが、自由に戦えもしないなんて!」
夥しい人員運用上の無駄が蔓延りながらそれらを放置し続ける課の体制と、組織全体における作戦指揮の煮え切らなさにアンバーアイズは以前から疑問を感じていた。
「確かに……、些か無駄が多い」
「アンバーアイズ?……笑ってるんですか?」
アンバーアイズは微笑した。ならば改善を促す事は諦め、自分自身が操作すればよいのだと。
「はい」
この作戦の以後、ライカンはアンバーアイズにより別部署の上役に押し上げられる。
「少し、考え事をしていまして」
そうしてアンバーアイズは、課長の玉座に君臨した。
彼の仕事を指さして、脚を失くした時に心を失くしたのだと揶揄する者もいる。
しかし真相は、最初から人としての「なにか」が欠けていて
それは彼にとって、社会に効率的に適合し続けているに過ぎない。
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