22『怒りは短い狂気である』

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かつて人間性とは獣性の対義語であった。今、人間性と対を為すのは機械的であろう。

「人間は理性で本能を制御できる点でどんな獣より優れている」「人間には機械と違って情がある、無慈悲でない」

主張が矛盾している、半端を装飾するレトリックでしかない、と指摘する者も居るが僕はそうは思えない。中間であることこそに何にも代えがたい意義がある。

 

買い出しに昼の街に繰り出せば数え切れないほどの人々とすれ違うことができる。少し用事が長引けば、帰りは夜道を通ることになるだろう。だが、そのどちらでも僕は命の危険を感じたことは一度だってなかっただろう。

だが、これは人がもう少し獣に近ければ決してこうはならなかった。通りすがる一人一人に襲われ、奪い殺されることを常に意識せざるを得なかった筈だ。視界の悪い夜などもってのほかだ。夜襲とは最も人が得意とするやり方の一つなのだから。世界史はかつて「そうだった時期」の記録をありありと示している。

街に繰り出した理由は僕が追っかけているSF作家の新刊の発売日だった。その作者の一つ前の話はアンドロイドの守衛が最終戦争後の世界で律儀に仕事を続けているポスト・アポカリプス、もう一つ前はエキゾチック物質を使ったブラックホール式のタイムループ。そして今回はシンギュラリテイを迎えたAiによる管理社会のディストピアだった。

彼の筆到によって淡々と描かれる合理的な社会は数理的な美しさを秘めている。しかし、その世界は完全であるがゆえ文化というものを欠落させており、それにどこか寂しさを感じさせられる。もしも人間がもう少し機械に近ければ、それは実現しうる可能性の一つだった。登場人物がそうであったように、そのような感情どころか、疑問さえも持ち合わせないのだろうが、それでも僕は帰り道の猥雑な看板の群れに励まされ「そうでなくてよかった」とどこかほっとさせられる。

 

路地を抜けるとき、甲高い声が近くから聞こえたような気がした。空耳かどうか確かめようと路地裏に一歩足を踏み出すと、興奮した男と組み敷かれる女性の姿があった。女性の着衣は乱れており、抑えられた口からは必死の悲鳴がわずかに漏れ出している。思えば僕はそれに心を動かされたのだろうか?きっとそれは違う。

だって僕は男を見ていた。その辺に転がっている鉄パイプに手を掛けた。擦れる金属音に男が振り返った。逃げろ、頭ではそう考えても体がついて来ない。縺れ躓いた足を男はコンクリートブロックで殴り付けたものだから、ついぞそれはもう叶わなくなってしまった。だというのに、僕の心はそんなことはどうでもいいと、痛みだって感じないままに両手で握りしめたそれを力いっぱい彼の側頭部に振り翳させた。男が動かなくなるまで。動かなくなったあとも。

割れた鏡がふと視界に入る。そこでようやっと気付けた。僕は機械よりも人よりも、獣だったと。

硝子と銀が映す獣は悪魔に似ていてその顔には吊り上がった口だけがあった。

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