『世界の果てより…』
四月も半ばの頃。
特定のダイバーたちに対し特心対から緊急の調査依頼が舞い込んだ。多種多様な派閥から集められたダイバーたちは、陰山市のとある海岸に集められた。傭兵と呼ばれるカテゴリーのダイバーが大多数を占める中、夢の使者と呼ばれる者たちも少数ながら姿を見せている。その中には、織田とロッカという二人のダイバーがいた。
- ロッカ「……ふぅむ。なるほど」
「よくわかりませんね」 - 織田「悪夢にしては実体があるし、人間にしちゃあ部位が変だ、と」
「……よくわからんな、こいつは」
緊急招集の原因は、海岸に漂着した謎の遺骸だった。既に到着した複数名の調査員が遺骸を調べている。ダイバーたちはそんな彼らの護衛の名目でここにいる。招集されるまでの調査で、この実体を持つ遺骸の正体は悪夢だということがわかった。しかし本来生ける夢などの夢現存在は実体を持たない。実体を持っていれば、それはもはや動物なのだ。夢現事象に精通する彼らからすれば、それは実に奇妙な事実だった。
ロッカが配布された資料を確認する。
【当該悪夢の特徴】 この悪夢には実体らしい遺骸がある。遺骸からは微々たる夢源を宿しており、極狭い範囲に夢現領域を展開している。体長は2.5mほどで脚部は奇蹄目に近いが、上体は人体に酷似している。遺骸はところどころ欠損しており、特に頭部は丸ごと喪失しているため、頭部の形状は不明である。 彼女はさらにページをめくる。 【当該悪夢の記録】 記録によれば朧島と呼ばれる離島で実体を持つ悪夢との戦闘記録がある。撃破には至らなかったが、その際に交戦した部隊が顎骨を戦利品として持ち帰っていた。骨は特殊心理対策局の重要金庫に保管されている。現在奇書院が調査チームを編成し関連性を調査している。 |
一通り確認し終えると、ロッカは資料を閉じて織田に向き直る。
- ロッカ「まあ私達は護衛なんですから、一通り見物したら後は賢い人に任せましょう」
「今回はどちらかといえば、ロトちゃんの講習がメインですし」
ロッカの言葉に織田は渋い顔をする。
- 織田「それはそうなんだが…なぁんだか嫌な予感がするんだよなぁ……」
織田の心配をよそに、ロトが彼とロッカを見つけたようで、二人のもとへ駆け寄ってくる。
- ロト「あっ!ロッカ!ぎんじろう!久しぶりだなあ!どれくらい経つ?」
- ロッカ「大げさだよぉ、そんなには経ってなかったと思うよ?」
「……2週間くらいだったかな、はっきり覚えてはないけど」
ロトの行動にロッカの表情が綻ぶ。対して織田は至っていつも通りに話す。
- 織田「俺もだいたいそれぐらいだな」
「まぁ、久し振りっちゃあ久し振りだな」
二人に再会した事が嬉しくて堪らないといった様子で、ロトは二人の手を引っ張る。
- ロト「また会えて嬉しいよ!今度遊びにいこう!」
- ロッカ「いいよ、仕事が終わったらゆっくり行先を決めようね」
そう言うと彼女はロトの手をそれとなく離す。
- ロッカ「だからまあ、とりあえず今はがんばってピシッとしとこう?」
- ロト「あや。お仕事中だった……。でも呼ばれたはいいけどやることないの」
[腰部に提げた鞘に納刀されたナイフの柄に肘を置く]
- 織田「まぁ護衛つっても対処する脅威がなきゃただの付き人でしかねぇからな」
「仕事としちゃ何もねぇほうが楽なんだけどよ」 - ロッカ「……んまー、どうしても退屈なら適当な数字の計算でも頭の中でしておけば多少マシになる、かな」
「いつまでも現場に居るわけじゃないだろうから、直には終わると思いますけどね」
奇書院の研究員たちは記録を取り終えるとまばらに輸送車に撤収してゆく。実働部隊のダイバーたちも独自の無線周波数で動いているようで、区域から離れてゆく。
それらを見たロトは白い防護服に身を包んだ奇書院の研究員の袖を引っ張る。
- ロト「終わり?」
- 研究員「生ける夢……」
彼は怪訝そうな表情をロトに向けたあと、呆れるように溜め息を吐いて言葉を返す。
- 研究員「ああ、一旦はな。とはいえ……遺骸を処理するためにまた戻るが」
- ロト「なるほどー!ありがとうなっ」
彼女は研究員にお礼を言うとそのまま遺骸を観察しに向かった。
その様子を見送った研究員は再び溜め息を吐いてロッカたちに向き直る。
- 研究員「あんたらの連れか?」
研究員の言葉を受けてロッカが織田を見る。
- ロッカ「彼が保護担当です」
- 織田「……まぁその通りだけどよ」
- 研究員「ちゃんと見張っといてくれよ。資料を壊されちゃかなわん」
- ロッカ「そうですね、すいません、不注意でした」
彼女は織田に先んじて頭を下げ、ロトを回収しに向かう。
- ロッカ「ロトちゃーん、織田さん達と固まって行動するようにーって」
- 織田(切り替えはえぇなコイツ…)
彼はロトを連れ戻すロッカを一顧したあと、研究員に向き直る。
- 織田「あー…すみません。気を付け……ます」
- ロッカ「……!」
織田が平謝りする横で彼女は酷く驚いた様子でロトを腕に抱いたまま硬直している。
- ロッカ「いつから謝れるようになったんですか……?」
負けず嫌いの織田が謝罪の言葉を述べるのは彼女にとって驚くべき出来事だったようだ。
- ロト「申し訳ないな~!」
彼女も満面の笑顔で研究員に謝罪する。
- ロッカ「ロトちゃんも素直でえらいえらい」
自己への評価が不満そうな織田をよそに、彼女は手元のロトを猫可愛がりするように撫でる。
- 織田「俺をなんだと思ってんだお前は」
- ロッカ「逆に聞きますけど、任務での記録を見て何に期待すればいいんですか?」
彼女は織田が直近の任務で、情報提供者への態度が悪かった事を引き合いに出した。
- ロッカ「いやまあ」
「次百ちゃんでしたっけ?あの子の努力に頭が下がりますね」
それを言われると苦しい織田は言葉を詰まらせる。
- 織田「それは……まぁ、そうだな……」
「だがもうあいつの趣味の為に肉体改造されるのは御免だ……」 - ロッカ「趣味?」
彼女は顎に手を当て首を傾げる。
- 織田「……」
「コスプレってやつだよ。衣装を着る為には減量だの筋トレだのが必要になんだ」
「俺にコスチュームで遊ぶ趣味はねえが、そんときは次百に逆らえなくてな……」
そう言う彼の目は遠くを見ていた。そんな彼の話を聞くロッカの目もまた、過去に経験した自分自身の三百年前の飢餓と彼の過酷な減量を重ねて想いを馳せていた。
- ロッカ「思ったより過酷でちょっと同情しますね……」
「飢えはとても辛いものです。ええ、本当に」
感慨に耽っていると、ロッカはふと自分の傍にロトが居ない事に気が付く。きょろきょろと周囲を見回すと、ロトは二人の傍からいつの間にやら遺骸のすぐ傍に移動していた。ロッカはロトに向かって声を張り上げる。
- ロッカ「あっ、こら!こっちこっち!」
ロッカの声は周囲の喧騒に掻き消され、ロトには届かない。それどころか、忙しなく動き回る人で視線すら遮られかねない状況だ。ロッカは人々の間を縫ってロトに近づく。ロトは遺骸に顔を近づけて何かをしているようだ。
ロトに近づきながらロッカは、再び大声で声を掛けた。
- ロッカ「何か気になることがあるなら……」
「とりあえず奇書院のおじさん捕まえてからがいいよ!」
その後を織田も追う。
- 織田「おいおい、怒られるのはこっちなんだぞ……」
ロッカはロトが何をしているか分かる距離まで接近すると、偶然喧騒の切れ目が発生しロトの呟く言葉が聞こえた。
- ロト「なんかある……」
制止する二人の声は好奇心に支配されるロトの耳には届かず。彼女はそのまま腐って脱落しかけた遺骸の骨格を動かして腐敗した筋繊維と汚らしい黒い粘液が癒着した金属らしき物質に触れ、それを無理矢理に引っ張った。やがて繊維が千切れて液状のものが噴き出す。
- ロト「ぶわあっ!」
それを上半身にモロに浴びたロトは驚いてひっくり返ってしまった。
- ロッカ「んもーー!」
大声を出しながらロッカはロトを掴んで力ずくで遺骸から引き離した。
それを見ていた織田は呆れた様子で軽く頭を抱える。
- 織田「いわんこっちゃねぇな……」
- ロッカ「はい、とりあえずばっちいからロトちゃんは私とシャワー室行くよ!」
「で、織田さんはその間に頭下げに行っておいてください」
「あとで慰めてあげますから」 - 織田「へいへい、分かったよ……」
ロトが遺骸から噴き出た汚物を浴びた事は、当然ながら周囲の人々の注目を引いた。
呆れる者や心配する者など反応は様々だが、それらを掻き分けて一度は輸送車に戻っていった研究員たちがぞろぞろと遺骸のもとへやってくる。
- 研究員「上手くニュアンスが伝わらなかったか?」
- ロッカ(人員の経費をケチったツケですよ)
彼女は内心で毒を吐きながらロトを洗浄しに向かう。
織田を威圧する主任研究員の横に立つ研究員が、砂浜に落ちている金属片を拾い上げる。それは、ロトが遺骸から引き剥がし、汚物を浴びた際に手から滑り落ちたものだった。砂で軽く汚物を落とせば、それは特殊心理対策局に属する実働部隊の所属を表すバッジだった。それも通常のものではなく、朧島遠征記章である。言わずと知れた激戦区である朧島への遠征は大きな危険が伴う。そのため局は遠征に際してダイバーに特別な記章を贈呈するのだ。
- 研究員「これは……おい!」
そのような限られたものが、遺骸から引き出された事に、研究員たちは興奮を隠しきれない様子だった。
謝罪の準備をしていた織田も、研究者の肩越しにバッジを確認し怪訝そうに呟いた。
- 織田「……そいつは、実働部隊のマークじゃねぇか」
「何でコイツが……」 - 研究者「そうです。そしてこのバッジが、その悪夢が朧島で交戦した個体と同一である可能性の補強になる」
「結果的にとはいえ、手柄だな」
彼は上半身がヘドロ混じりの粘液に覆われたロトを遠目に見て不敵な笑みを浮かべる。
一方でロッカは、上半身がヘドロ混じりの粘液に覆われたロトの直上まで蛇口からホースを伸ばしてくる。
ロッカ「はい、冷たいから気を付けてねーいくよー」
そう言いながらロトにばしゃばしゃと流水を掛ける。するとみるみるうちに粘液は落ちてゆくのだが、汚れが落ちてロトの地肌が見える頃にはロッカは異変に気が付く。
- ロッカ「ん……うん?」
ロトの首筋から頬までの範囲に不規則な黒い斑紋が広がっていた。彼女自身も酷く息を荒くして視線は焦点が合わず、脱力してぐったりと動かない。
- ロッカ「織田さーん!特総医の人が居たらちょっと呼んできてください!」
- 織田「はぁ!?おい、今度は何だってんだよ……!」
- ロッカ「ロトちゃん、しんどそうに見えるけど、今どんな状態?」
- ロト「…………」
彼女は答えない。答えられないほど衰弱しているか、失神しているのだろう。
- ロッカ「……まずいな」
ロトをベンチに寝かせてやり、額に手を当てる。
ロトの様子を見た織田は、調査に同行していたはずの医師探しを周囲に指示する。
- 織田「おい!誰か特総医の奴を呼べ!今すぐにだ!」
一通りの指示を出したのち織田も二人の元へ駆け寄る。
- ロッカ「低体温……。殆ど気休めだけど……」
そう呟いて海風を拭く用のタオルをタオルケット代わりにロトに掛けた。
- ロッカ「低体温に正体不明の斑紋、多分、私には測れないですけど脈も弱いかと思います」
「生ける夢に生理学的な機能はあまりないですから、代謝が低下したからって人みたいにすぐ死ぬわけではないですけど、それでも"人の死に近い"状態は相当まずいですよ」
「この場にある物資だけでなんとかなると思えませんし、本部にも連絡を掛けてください、今すぐに」 - 織田「十中八九さっきのヘドロが原因だろうな……
「ったく、だから勝手に触るなって言われてたのによ……!」 - ロッカ「言っても仕方ないです、手を動かして!」
ロッカが並行してスポーツドリンクを準備していると、三人の元に特総医のダイバーが到着した。
- 研究者「なんだ?怪我人か?……またあんたらか」
「どれ、見せてみろ」
医者をと呼ばれて出て来たのは、先ほどの研究員だった。彼はロトの傍らにしゃがみ込むとグローブを外し、掌を彼女の身体に当てる。するとみるみるうちに研究員の表情が強張ってゆく。
- 研究員「こいつはまずいぞ」
- ロッカ「とりあえず簡易ですが、観察した範囲のメモ置いときます」
「……お願いします」
そう言って深く頭を下げ、ロッカは後ろに下がる。
- 研究員「おそらくは夢現由来の毒物……」
彼はそう呟くと特総医のダイバーとしてのスキルを発動させる。
【野戦手術】
研究者の両手に半透明に光輝く幻の手術具が生成されると、寝かされたロトからその数十センチ上に幽体のように半透明のロトが浮き出る。研究員はその幽体に幻の手術具を潜らせて施術を行う。特総医がダイバーに戦場で施す緊急的な施術様式のひとつとして知られる。
しかし手練れの施術にも関わらず黒い斑紋は消えず、容態は一向に改善しなかった。
- 研究者「既存の症例ではないということか……」
ロッカは何も言わずに施術を見守るが、状況に耐えかねた織田が口を開く。
- 織田「……おい、そいつは治りそうなのか?」
そう言う織田の口にロッカが指を当てる。
- ロッカ「邪魔になります、私もあなたもどうしても気にしてしまいますから、ここは一旦離れましょう」
「必要になりましたら、すぐ状況説明などに戻りますから」 - 織田「……分かったよ」
二人が離れる前に研究員は施術を中断する。
- 研究員「この場では進行を遅延させるくらいしかできない。患者の夢源の備蓄が著しく低下している。とっとと特総医に搬送しなければ遠からず消滅するぞ」
- ロッカ「わかりました。隔離対応ですか?」
- 研究員「そうだ。今から隔離病室の用意をするように連絡するから離れていろ」
彼は二人に指示を出すと現場を他の人員に任せ、輸送車に向かい無線で連絡を取り始める。
ロトから離されたロッカが遺骸を一顧すると、実働部隊のダイバーがシートをかけているのが見えた。視線を外していると、既に防護服を着用したダイバーたちがロトを担架に乗せて輸送車に積み込み終えていた。
- 研究員「特総医に向かう者以外は別の輸送車に乗れ!こちらはすぐに出るぞ!」
ロッカは輸送車に歩み寄り、織田の手を取り引っ張る。
- ロッカ「行きますよ。早く」
その所作にはいくばくかの焦りが混じって見える。
- 織田「言われなくても分かってるっての……!」
ロッカに続いて彼も輸送車に乗り込む。車内はロトと人員とが隔壁により隔離されていた。
すぐに輸送車は赤色灯を灯し、けたたましいサイレン音を街に響かせ、特総医へ急行した。
担架に寝かされたロトは苦しそうに肩で息をしており、容態が快方に向かう気配はない。
触れる事こそできないが、そんなロトの様子をロッカは心配そうに見つめていた。
輸送車はほどなくして特総医に到着する。ほとんど入院などしない生ける夢は、本来であれば専用の区画へ運び込まれる事が決まっている。しかし緊急を要する為にロトは人間ダイバー用のICUへと運ばれた。臨時の隔離措置でビニールで覆われたロトを乗せた担架が特総医の廊下を突っ切るとき、その場にいた医者や看護師が何か言っているようだったが、ロッカには何の音も聞こえていなかった。ただ治療室まで押されてゆく担架を追い続けた。
担架がICUに突入するのとほぼ同時に、ロッカと織田の前でICUの扉が閉じられる。
そして手術中を示す照明が赤く灯った。二人はその明かりに照らされる中で待つ事しかできなかった。
ロッカは指先同士をくっつけて、やや前傾しながらじっと座っている。対して織田は、背もたれに持たれて腕組みし、眉間にしわを寄せて"手術中"の明かりを頻繁に確認している。
- ロッカ「……」
- 織田「……」
- ロッカ「……不安で待つのが耐えがたいときは」
「適当な数字の計算でも頭の中でしておけば多少はマシになりますよ」
ロッカは織田に一瞥をくれるわけでもなく、独り言のように呟く。それに対して織田も、電灯を仰ぎ見ながら独り言のように愚痴を零す。
- 織田「……それはお前にも言える事だろうが」
ロッカの頭が徐々に下がってゆく。
- ロッカ「そうですね……、自分に向けて言ったのかも」
それを見た織田は、どうしようもないように椅子の背もたれに大きく寄り掛かる。
- 織田「……」
「俺らは医学の専門でもなければ知識があるわけでもねぇ。……だから今は待つしかねぇんだよ」 - ロッカ「餅は餅屋ですね」
彼女はそう言って伸びをしながら、瞼を閉じる。
- ロッカ「……って、ほんとはちょっと違うんでしたっけ?細かいニュアンスまではまだ履修してないんですよね」
「織田さんは知ってます?」 - 織田「ああ……、蛇の道は蛇とも言うな」
彼女の唐突な話題提供に気分が紛れたのか、織田の語調が軽くなる。おそらくはロッカ自身もこの場に耐えかねたのだろう。お互いに不安を抱えながらも、気分転換のために始まった日本語学習は意外にも長く続いた。
どれくらいの時間が経ったかと、ふと時計を見ると丁度一時間ほど時間が経過していた。するとICUの手術中の表示が消灯し、扉の透明プレート越しに特総医の医師が姿を現す。
彼が室内で防護服などを脱いでいるのを二人はじっと見つめる。少しして消毒を終えると、医師が二人に状況を伝えに来る。
- 医師「一応、クオリアは安定傾向にある。輸夢し続けて命を繋いでいるに過ぎないが」
- ロッカ「そうですか。まあ、新種と仰ってましたしね」
- 医師「おそらくは」
彼はそう頷くと織田を見る。
- 医師「君が今の宿主か?」
- ロッカ「いいえ。リオンという生ける夢を呼んでください」
「彼女が宿主にもっとも近しい存在でしょうから」
彼女がそこまで話すと少し難しそうな表情をする。
- ロッカ「……まあ、来るかどうかわかりませんけど」
「ここからキャラバンに連絡は取れますか?」 - 医師「可能だ。一旦失礼する」
彼はロッカに礼を言うと、医師はステーションの方へ去っていった。
医師を見送ると、織田が大袈裟に溜め息を吐く。
- 織田「リオンか……。気乗りはしねえがな」
- ロッカ「仕方ないでしょう」
ロトに夢源を供給しているリオンという夢は名の知れた商人だが、隙あらばこちらの足元を掬わんとする狡猾さから大抵のダイバーから難物と認識されている。かく言うロッカと織田にしても、かつてロトの生殺与奪を巡って衝突した過去から彼女の事を苦手としている。二人からすれば、リオンがロトを気に掛けているかは疑わしかった。
それから三十分ほど経った頃、二人の前にリオンが姿を現した。
深緑に染まった外套のフードを被り、余った袖をひらひらと振るって見た目ばかりの挨拶を二人に送る。
- リオン「やあ。うちのロトが毒に苦しんでるって?」
「そりゃ難儀な」
彼女は鋸のようにギザギザの歯を見せて笑う。
ロッカはリオンがロトに何かしないように、探知用の子蜘蛛を数匹展開させる。かつてそうしようとしたように、リオンがロトのクオリアの摘出に乗り出す事を警戒しての事だ。こいつはロトの命なんてなんとも思っちゃいないと。
能力を稼働させた事で、ロッカは熱い息を吐いた。
- ロッカ「そうなんですよ、ええ。新種だとか、なんとか」
彼女の言葉を聞いたリオンは、難しそうな表情で息を吐いた。その反応を見て織田が口を出す。
- 織田「……一応言っておくがまだ死んだわけじゃねぇからな」
- リオン「わかってるよ」
彼女はそう即答すると、わざとらしく溜息を吐いて続けた。
- リオン「死んでたらわざわざ来ない」
次いでロッカを見る。
- リオン「んで、君ら現場でそばにいたんだって?どんなだったのさ」
「毒をひっ被ったときの状況はさ」 - ロッカ「ひっ被ったまで知ってるなら大体知ってるんじゃないですか……」
彼女はリオンの言葉を皮肉と捉えて不機嫌そうに続ける。
- ロッカ「朧島から漂着してきた土左衛門を弄り回してそうなったんですよ」
「速すぎるし、洗浄措置も意味がなかったんで、"そういうもの"を引いたんでしょうね」
「あ、朧島までは言ったらダメなんでしたっけ?」
「まあ、どうせどちみちあなたには露見するでしょうし遅かれ早かれですよね」
彼女は意趣返しだとでも言うように捲し立てた。リオンはその様子を薄ら笑みを浮かべて見ている。
- リオン「"虫の彼女"は前に会ったときより賢くなったねえ」
彼女はそう言って笑う。虫とは蜘蛛姿のダイバー体を持つロッカを指している。
一度見た名前は忘れないリオンが、こういう表現をするには意味がある。ロッカが言葉を返そうとすると、特総医に所属する医師たちが、リオンを見つけて駆け寄ってくる。
- 医師「おいでになったなら教えてください。こちらです」
医師に適当な返事をしたリオンがロッカと織田に振り向く。
- リオン「君らもよかったらおいで」
- ロッカ「……」
- 織田「……今日は厄日だな」
ロッカは何かを言おうとして言葉を嚙み殺し、リオンを追う。織田も辟易としてロッカに続く。
三人は医師に連れられてロトが治療を施されている区画へ到着する。
治療室に寝かされたロトの胸が前後するのが見えた。
ロッカ「ロトっ!」
当然の事ながらロトと外界の隔離は完了しており、強化ガラスにより隔たれている。リオンはガラスに額をくっ付けて中の様子を伺おうとする。
- リオン「……あの痣みたいなやつか」
ロトにまだ息がある事に安堵したロッカは、リオンの発言に冷静さを取り戻す。
- ロッカ「……そうですね、症状の始まりと同期してましたから、間違いないと思いますよ」
- リオン「ふぅん。呪術の類ではないのかなあ?ねえ、中入って見」
- 医師「お断りします」
- リオン「ちぇ」
- 織田「病気か呪術かは分からねぇが、あのヘドロ…というかあの遺骸のせいなのは確かだな」
- リオン「くだんの悪夢が朧島で記録された個体と同一なら、奇書院が類似の症状が無かったか調査してるはず」
ひとしきり確認し終えると、リオンはガラスから顔を離す。そして ほっと溜息を漏らす。
- リオン「請求ヤバそう」
- ロッカ「……んっ、ふふ」
ロッカにはリオンがロトを心配しているかのようにも見えたが、本音が見えたと内心少し可笑しさを覚える。
- ロッカ「それでもそれのおかげでひとまずは命を繋げてるみたいです」
彼女はそう言うと今度は織田を見る。
- ロッカ「織田さん、私達にここで何かできるとは思えません。資料調査に当ってるなら奇書院に向かいませんか?」
「直接目撃している私達なら些細な点でも、もしかしたら拾えるかもしれませんよ」 - 織田「そうだな……」
彼は腰に手を当てて少し考えたのち、顔を上げてロッカを見る。
- 織田「現状俺たちにできそうなもんと言えばそれぐらいだしな」
「だとすれば善は急げだ。早速向かうぞ」
ロッカは織田の言葉に頷くと、医師に向き直る。
- ロッカ「今の話でやるべきことを見つけられました、ありがとうございます」
「では、失礼します。」
ロッカは頭を下げて礼を言って退室しようとすると、医師が言葉を掛ける。
- 医師「二人も、少しでも身体に異変が出たら迷わずにご連絡するんだぞ」
- ロッカ「もちろんです、いつでも掛けられるよう登録もしましたから」
ロッカは振り向く事なくそう言って足早に退室する。織田も医師に返事をして退室する。
二人が観音開きの扉を閉めると、次の瞬間にはそれが勢いよく開け放たれる。
そこにはリオンが険しい表情で立っていた。
- リオン「僕もいく」
そう言った瞬間に彼女は元のにやけ顔に戻る。
- リオン「ロトの傍にいたってどうしようもないもんねえ」
彼女は二人に歩調を合わせて横に並んだ。ロッカと織田は歩みを止めずにリオンを見る。
- 織田「……お前の場合、これ以上請求額が増えるのが嫌なだけだろ」
- ロッカ「余計なこと言わなくていいんです」
- リオン「よくわかってんじゃん織田くん。君は前に会ったときと全然変わらないね」
- ロッカ「なんにせよ、手伝ってくれるなら助かります」
「一緒に来てください」 - リオン「よろしく」
ロッカはすぐさま携帯電話を取り出し、自身の上司に当たるエドガー・クリストフ"神父"に連絡を取る。
- ロッカ「もしもし。はい、ロッカです。今ロトに面会してきたところです」
「……小康状態といったところです。このままでは決して良くはならないと」
「つきましては奇書院に情報収集へ向かおうと思っているのですが、今どちらに?」
「……院が類似のケースに関する資料を持っているかもしれなくて……。はい、はい」
「そうですか。わかりました。ありがとうございます。詳細は追って……はい。失礼します」
ロッカは見えもしない電話口で浅く会釈すると通話を終える。彼女の電話姿をじっと見ていたリオンが訪ねる。
- リオン「なんだって?」
- ロッカ「事情説明の連絡を入れたら、神父もロトちゃんの様子を見に来てもうすぐそこみたいでした」
「車の鍵貸してくださるみたいなんですけど、織田さんは運転できますか?」 - 織田「そいつはありがてぇな」
「運転できるぞ。駐車場だろ?車まで案内してくれ」
ロッカ、織田、リオンの三人はエドガーと待ち合わせの約束をした駐車場へ向かう。
刻一刻と死に向かっているロトの事を、ロッカはなるべく意識しないようにしていた。
駐車場にはエドガーが既に到着しており、車の傍らに立ってロッカたちを待っていた。
彼に駆け寄っていったロッカはまず一礼をしてから話し始める。
- ロッカ「ご足労お掛けしてすみません」
- エドガー「いや、いいんだ。このくらいなら歩いて帰るさ」
彼はそう言って車のスマートキーをロッカに手渡す。
- ロッカ「ありがとうございます、神父」
「織田さんが運転してくれますので」
彼女がキーを両掌で包んで簡易的に祈りを捧げると、エドガーは柔らかい表情で続ける。
- エドガー「構わないよ。院では失礼のないようにね」
ロッカは心の中で彼の言葉を噛み砕いて反芻する。そして少し申し訳なさそうに、しかし確固たる意思を持って答えた。
- ロッカ「神父、その……なんですかね」
「……どーしても気になる事があるんですよね」
エドガーはその言葉の意味するところをすぐに察したように。ふむ、と顎に手を当てる。
そして彼は小さく息を吐いて続けた。
- エドガー「ならやりなさい」
意外な言葉にロッカは目を丸くする。
- ロッカ「……いいんですか」
エドガーは落ち着いた様子でロッカの問いに頷く。
- エドガー「すべき事をしてきなさい」
ロッカはエドガーに対して、目標、ここではロトの為にあらゆる手段を取る"許可"を請うた。そしてエドガーはそのことを理解した上で、すべき事をしろと命じた。ロッカが良く知る彼の選択としては、意外なものだった。
ロッカは何も言わず、彼に深く一礼をする。そして車のキーを織田に手渡すと、織田は運転席に、ロッカが助手席、リオンは後部座席に乗り込んだ。
織田が車外のエドガーに会釈をすると、エドガーも小さく会釈し返した。
- 織田「出すぞ。ベルトしろ」
ロッカ「はい」
リオン「はーい」
織田がエンジンを始動させてサイドブレーキを解除すると、古めかしい車はスキール音を立てて荒々しく発進した。
三人はエドガーから借り受けた車で奇書院へ向かう。奇書院はその名の示す通り、古今東西の夢現事象に纏わる資料、属にいう"奇書"を数多く保管している。その中に毒や遺骸に関する情報があるのではないかと踏んでの訪問だ。
仮に過去の資料に情報が無くとも、遺骸の調査は奇書院が主導で行っている。唯一の手掛かりであり事の元凶である遺骸は院で調査中であり、ロトを案じるロッカにはどの道、奇書院に赴かない理由が無かった。
移動中に思い出したように訪問の約束を半ば強引に取り付けたためか、三人の来訪は歓迎されていないようだった。辛うじてリオンが役職の効果でたまに挨拶をされる程度で、その他はどの職員も手が離せないとでいった様子で、目の前を忙しなく素通りしてゆく。それらを少々うんざりして目で追っていると、男性職員が声を掛けてきた。
- ノス「ロッカ様と織田様、それとリオン様ですね」
ロッカは中世的な佇まいをした研究者からの問い掛けに小首を傾げる。
- ロッカ「はい。えーと、あなたは?」
- ノス「申し遅れました。あなた方のご案内を担当させていただきます」
「ノスといいます。以後お見知りおきを」 - ロッカ「宜しくお願いします」
「ゆっくりとお話する時間もなくてすみません。来訪して早々ですが、毒素について院の調査結果を拝見したく。自己紹介は歩きながらしましょう」 - ノス「承知いたしました。こちらです」
余裕がないように話を急ぐロッカのペースに合わせ、ノスは用意した部屋へ三人を案内しはじめる。資料が置かれた部屋へ向かう道すがらにノスは院のダイバーたちの対応を詫びた。
- ノス「他の者たちが無礼な振る舞いをして申し訳ありません」
「皆、此度の出来事の研究に夢中なのです」 - ロッカ「いえ、こちらも急な訪問でしたので」
ロッカがノスと話をしている間、織田とリオンは静かにしている。弁えているというべきか。
少し歩いて目的の部屋に辿り着くと、ノスは網膜スキャンでドアを開錠し、三人を室内へ招き入れる。部屋は殺風景な会議室といった場所で、白を基調とした室内のテーブルに書籍などの資料が纏めてある。三人が部屋を見渡している間に、ノスは紙媒体の資料を手際よくホワイトボードに張り出してゆく。
- ノス「こちらをご覧ください。これが遺骸から検出された毒物。……そしてこっちは既存のスキルから検出される毒物。こっちは記録されている悪夢などから検出された毒物。どれも同じダイバーを通して調査したものです」
三人は促されるままにずいっと身体を乗り出して資料を見比べる。夢現事象である夢界の毒素は写真上では修正力により消えてしまう為、特殊な道具を用いてその影でシルエットを資料に残す。遺骸から検出されたものは比較用に提示された二つの毒物のシルエットとは素人目にも異なって見えた。
- ノス「遺骸からのものは過去のどのものとも根本から異なります」
「既存のスキルでは治癒ができないわけです」 - ロッカ「根本から、というのは?」
- ノス「スキルの源流が違うのです。今夢界で見られる毒の多くは、大元の源流を同じくしているがために共通のスキルで治癒ができます。しかし遺骸から検出されたこれは、全く別の源流を持つようなのです」
- ロッカ「なるほど、あの島で生存競争が発生した結果、突然変異で別体系レベルのところにまで隔絶してしまった、とか、たぶんそういうところなんでしょうね」
ロッカはそこまで話すと難しそうな顔をする。
- ロッカ「しかしこれ……、治療方法を模索するにはまず原型を特定しないと話にならなさそうですよ、織田さん」
- 織田「原型を特定ねぇ……」
織田も考えを巡らせつつ、ノスに向き直る。
- 織田「例の遺骸の情報はどこまで分かってるんだ?」
- ノス「実働部隊が遺した遺留品を調査した結果では、遺骸は朧島でダイバーと交戦した個体と同一と見て間違いないです。当該悪夢の脱落した顎骨は重要金庫に保管されています」
- ロッカ「ふむ。それって申請したら見られるもんなんですかね?」
「いや、認可待ってたら遅いのかもしれないけれど……」
ノスは資料を片付けながらロッカの問いに答える。
- ノス「認可。そう仰ると思い既に申請中です。特に問題なければ通過するかと」
ノスの先読みにロッカは思わず目を丸くする。
- ロッカ「おぉ……。そんなことまでしてくださって、ありがとうございます」
ロッカが深々と頭を下げると、ノスは謙遜して続ける。
- ノス「とんでもないです。私は資料を纏めてから行きますので、先にエントランスのソファでお待ちいただいてもよろしいですか」
- ロッカ「わかりました」
- 織田「悪ぃな」
ロッカと織田はそれぞれ礼を言うと、ノスの言葉に従いエントランスへ向かって歩き出す。二人が十分に離れると、黙々と資料を段ボール箱に戻してゆくノスの背中を見つめていたリオンが疑問をぶつける。
- リオン「なぜそこまで?君、研究者だろう」
- ノス「はい、研究者だからこそですよ。リオン様ならお分かりいただけそうなものですが」
- リオン「ふうん?」
- ノス「道徳と、それ以上に……あなた方と居た方が研究が捗りそうだからです」
「第三者としては、特等席で今回の件に触れる事ができるでしょう」
そう言ったノスの言葉にリオンは思わず吹き出す。
- リオン「くくく……、つまり僕たちを利用して知的好奇心を満たそうとしてるわけだ」
「抜け目ないなあ」
けらけらと笑うリオンを横目に、ノスはにっこりと微笑む。
- ノス「その代わりと言ってはなんですが、可能な範囲で助力を惜しみません」
「さっ、リオン様もエントランスでお待ちください。荷物を片したら私も行きますので」 - リオン「はいよ。じゃあ後でね」
リオンはノスと別れてロッカと織田が待つエントランスへ向かった。二人はエントランス脇にあるソファでノスを待っており、遅れて合流したリオンにロッカは怪訝そうな顔をした。
- ロッカ「遅かったですねリオン」
- リオン「お手洗い」
即答に近いリオンの言葉にロッカは冷笑した。
- ロッカ「お手洗い。私たち夢が?嘘を吐くにしても隠す努力をしてください」
- 織田「どうせロクでもねぇ事だろうよ」
- リオン「別に。少しお喋りしてただけだよ」
「取り越し苦労だったけどね」 - ロッカ「意味がわかりませんが」
話しているうちに、白衣を脱いで支度を終えたノスが三人を迎えに来る。
- ノス「お待たせしました。では向かいましょう」
「移動手段はお車ですか?」 - ロッカ「あっ。ええ、借りてるので後で返しにいかないと」
- ノス「左様で。よろしければ保管庫まで送迎致します」
「お車はどこへお返しすればよろしいでしょうか」 - ロッカ「あ、お願いできるんですか!?」
「……えっとじゃあ、特総医まで返していただけると、とても助かります」 - ノス「かしこまりました。キーはフロントに預けてください」
- ロッカ「はい」
ロッカはノスに言われたようにフロントの受付担当にエドガー車のキーを預ける。その後は院の駐車場に向かい、ノスの案内で一台のセダン車に乗り込んだ。すると車内でシートベルトを着用したところで、アイマスクを手渡される。三人はそれぞれの反応を見せてマスクを手に取る。
- ロッカ「道中は内緒、と」
- ノス「ばからしいとお思いでしょうが、規則は規則なのです」
- ロッカ「形式は大事ですもんね。とても」
彼女はそう言ってアイマスクを装着する。
- ロッカ「『判子をお辞儀のように傾けて押す』とかといっしょですよね」
- ノス「まさに」
- 織田「規則ねぇ……」
織田はしばらくマスクを怪訝そうに眺めたあと目元に当てる。
- 織田「まぁ束の間の休息だと思えばいいか」
- リオン「生ける夢にアイマスクねえ」
- ノス「不適切かもしれませんが、お年寄りの提案に付き合ってあげてください」
ノスは少し困ったような表情……といってもアイマスクの三人からは見えないだろうが、あるいは申し訳なさそうな声色のノスがエンジンを始動した音がすると、車はゆるやかに発進した。
三人には織田が言うように、束の間の休息になるだろうか。
アイマスクで視覚を封じられている為か、あるいは自在に姿を変える事ができる生ける夢にとっては、目を覆われるというロールプレイに過ぎないが、それでも三人の聴覚は鋭敏になる。人通りの多い道路が数車線ある大通りを抜け、かと思えば閑静な道の勾配を何度か経て地下らしき音が反響する場所で停車する。車のエンジンが停止されると同時にノスが三人に声を掛ける。
- ノス「お待たせ致しました。駐車場に着きましたよ」
「アイマスクを外していただいて構いません」
ノスの声で三人はアイマスクを外し、ロッカは大きく伸びをする。
- ロッカ「ちょっとした休息になりましたね」
- 織田「寝ちまいそうだったぜ」
- ノス「お疲れ様です」
リオンは眠気醒ましに頭をブンブンと振ってからノスに尋ねる。
- リオン「んで、君が中まで案内してくれるの?」
リオンの言葉を聞いたノスは残念そうな表情をした。
- ノス「残念ですが、私が入場する許可は降りませんでした」
- ロッカ「あら……」
- ノス「それなので、私は車の傍で待機しています」
- リオン「了解。戻るときに連絡するよ」
三人は駐車場でノスと一旦別れ、エレベーターで重要保管庫のエントランスのある地上階へ足を運ぶ。するとポーターのような整った装いの男女が三人を出迎えた。彼らは深々と一礼すると、男性ポーターが三人に声を掛ける。
- 男性ポーター「ようこそおいでくださいました。……お荷物の中を拝見しても?」
彼は一応?という風なやや釈然としない様子で尋ねてくる。
- ロッカ「わかりました。どうぞ」
ロッカがそう言って床に貼られた印のところまで前に出ると、女性のポーターが身体検査および持ち物検査を始める。
- ロッカ「生ける夢相手でもちゃんと性別合わせてくれるもんなんですねえ」
「あ、零れる子蜘蛛はほっといたら消えますけど、潰しても別にいいですよ」 - 女性ポーター「ご遠慮させていただきます」
彼女はロッカから零れてきた子蜘蛛をおもちゃを沢山抱えるようにして返却する。
- 女性ポーター「主任、この蜘蛛たちは?」
- 男性ポーター「"問題無し"にチェック」
- 女性ポーター「承知しました」
ロッカのすぐ横で織田とリオンも問題なくチェックを通過する。
ポーターたちはサラサラと書類にペンを走らせた後、三人に施設内を案内する準備に移った。
- 女性ポーター「失礼致しました。こちらへどうぞ」
ロッカが丁寧に礼をしたのを横目に、織田とリオンも数拍遅れてぶっきらぼうに会釈する。
女性ポーターの先導で通路を進んでいき、突き当りでエレベーターに乗って地下へ向かう。織田は普段利用するエレベーターよりも高速で下降してゆく事に穏やかな浮遊感を覚えつつ、余裕そうにこちらを見てニヤニヤしているリオンをひと睨みした。すると女性ポーターが口を開いたため、三人はそちらに注目をした。
- 女性ポーター「階層に到着してからは、区域管理者の"ブラスリム"に案内を引き継がせていただきます」
- ロッカ「わかりました」
短い会話が終わり、一拍置いてからリオンが質問した。
- リオン「管理者ってダイバーなの?」
- 女性ポーター「は。……ああ、いいえ。正式にはダイバーではありません」
「登録と呼称の都合上の名称なので」 - リオン「ふうん。ありがと」
リオンが納得しているようなしていないような、微妙な反応をしていると、織田は空中に指を走らせ綴りを確認する。
- 織田「ブラス……b、r……」
- ロッカ「"真鍮"ですよ」
織田がギッとロッカを睨んだところでエレベーターは該当階へ到着する。
- ロッカ「ほら、失礼のないように」
- 織田「わかってるっつうの、うるせえな」
エレベーターが上品なベルの音を鳴らしてドアを開くと、すぐ外で車椅子に腰掛けた老人が三人を笑顔で出迎えた。女性ポーターは"開延長"のボタンを押してから老人の前に出ると、車椅子のブレーキを解除してゆっくりとバックさせる。
- 女性ポーター「……ちょっと、出られないので車椅子押しますね」
- 老人「おっと、申し訳ないね」
ははは、と笑ってポーターに退かされている老人を見ながら、三人はエレベーターを降りる。ポーターは小さく息を吐きながら三人に向き直り一礼をする。
- 女性ポーター「彼がブラスリムです。では私はこれで失礼致します」
- リオン「ありがとね」
- ロッカ「ありがとうございます」
- 女性ポーター「お帰りの際は内線でご一報ください」
- 織田「おう」
エレベーターのドアが閉じるのを見送ると、今度は老人に向き直る。ブラスリムと呼ばれた老人は穏やかに微笑んで車椅子に腰掛けて三人を見つめている。
- 老人「お待ちしておりました」
老人が座ったまま礼をしてから、上体をもたげるときに真鍮製の眼鏡のフレームが光を鈍く反射する。
- ロッカ「ありがとうございます」
- 老人「お話は伺ってます。顎骨を見たい方々ですな」
- 織田「ああ、緊急の用事でな」
「少し調べさせてもらってもいいぃ……ぃですか?」
ざっくばらんな口調を寸でのところで修正した織田の横で、ロッカはひきつった笑顔をしている。そんなロッカに織田は"修正したからいいだろ"という風な不満そうな顔を向ける。
- 老人「ええ、ええ。いいですとも」
「連絡をいただいておりますよ。いやあ、お客さんなんて久々だ」
老人はそう笑って車椅子を反転させ、通路の奥へと三人を案内する。
- 老人「ついてきてください。少し奥まったところにあるんですよ」
「なにせ古いものですから……。あれは、どのくらい前だったかなぁ」
思い出に耽って前進が疎かになる車椅子を、リオンが手でグリップを握って押していく。
- リオン「奥にしまい込まれてるんなら、もう調査は終わってるんだね」
「局とか院で再調査とかしないの?」 - 老人「今のところは何も仰せつかっていませんねぇ」
- リオン「なるほどねえ」
- 老人「ときに、あなた方はどうして今更あの顎骨が必要なんですかな?」
ロッカは老人の視界外に立ち、織田の耳元で囁く。
- ロッカ「"特総医からの守秘義務がありますので、お答えしかねます。翻ってまあ、概ねそういう理由です"」
「はい、Say」
織田はロッカに渋い顔をするが、仕方なく復唱する。
- 織田「あー……"特総医からの守秘義務がありますので、お答えしかねます。翻ってまあ、概ねそういう理由です"」
- 老人「ああ、そうですよね……。守秘義務ね。はいはい」
「そういえば」
老人は自分が蚊帳の外と知るや話題を切り替える。
- 老人「ときにお三方、シャボテンを育てたことはありますかな?」
サボテンという言葉を聞くやいなや、ロッカは織田の横からひょこっと顔を出す。
- ロッカ「あ、ありますよ!おいしいですよね!」
唐突に上機嫌になったロッカに織田が驚いていると、老人は少し戸惑って続ける。
- 老人「まあ、食用もありますわな……私が話すのは観賞用のシャボテンの話なのですが」
「シャボテンというのはね、人の来ないそれは寂しい砂漠に生えとるんですよ」 - リオン「水やりサボっても枯れないからいいよね」
- 老人「……だから夜中にね、一人月の光の下でシャボテンを眺めとると」
「そういう砂漠の寂しさがこぉー伝わってくるんですよ。シャボテンからね━━」
三人は話半分に老人の長話を聞いていた。
- 老人「━━なにをお話しようとしたんだったかな……」
「そう、くだんの顎骨でも同じことが起きるんですな」 - ロッカ「……ぁん?えーっと、顎骨でも同じことが起こるとは……?」
聞き流していたところに突然本題が飛び出てきて、ロッカは思わず老人に聞き返す。
- 老人「顎骨に触るとね、彼が生きていた島の様子がね、浮かぶんですよ。あなた方もやってみるといいです」
- リオン「そうなんだぁ。面白そうだねえ」
リオンが場を繋いでいる間にロッカは再び織田に耳打ちする。
- ロッカ「(単なるボケの妄想じゃなかったら悪夢の侵食ですね)」
「(あとで報告しといたほうがいいと思いますよ、色んな意味で)」 - 織田「(そうだな……)」
- 老人「おっと、ここですな」
三人の中で不穏な空気が漂う中、顎骨が収められている区画で老人は車椅子を止めた。彼がカード通す事で鉄の扉が開いて室内へ入れるようになり、三人は車椅子の先導に続いて入室した。
強固な壁で囲まれた部屋の中心には恐らくはポリカーボネートなどの素材でできた透明なケースが置かれており、その中でクッションに乗せられている顎骨が見えた。遺骸と比較して小さい其れは、人間の顎骨と同じサイズに見える。三人が顎骨をまじまじと観察していると、老人がいそいそと手袋を配布し始める。
- 老人「これを着けた人から、触れていただいて構いませんのでね」
「くれぐれも、優しくお願いしますね」
ロッカは適当に返事をしながら生ける夢が手袋をする意味について考えを巡らせつつも、とりあえず手袋をする。リオンは織田に続いて手袋をしたところで、目を細めて顎骨を見つめる。そしておもむろにロッカに近づき小声で話しかける。
- リオン「織田くんけしかけろよ」
- ロッカ「わ、ナチュラルいじめっ子だ。いいですけど」
「織田さん、それ手に取ってくれますか?」 - 織田「は?」
- リオン「男の子だろう?」
- 織田「うるせえ。最初から聞こえてんだよ」
「……今は情報が欲しいから触るけどよぉ」 - ロッカ「やだぁ、ガールズトークに聞き耳立てるだなんて、やーらしいおじさんですねえ」
- 織田「なんだと?」
ロッカとリオンは織田の反応を見て邪悪に微笑むと、さらに畳み掛ける。
- ロッカ「……煽り立てようかと思ったんですけど、今回は素直でしたねえ。いやはや」
- リオン「なにかあったら瓶詰の夢かけてあげる」
- ロッカ「介錯もちゃんとしてあげます!あんしん!」
織田は反論したげにもごもごするが、結局はそれらを溜め息に代える。
- 織田「ったく、他人事だと思いやがって……」
「……んじゃあ、ちょっと手で触りますよ」 - 老人「どうぞ、どうぞ」
織田は老人から許可を得ると、ゆっくりと顎骨に触れる。
ある程度の経験を積んだダイバーであれば、この顎骨がごく微量の夢源を帯びている事がわかる。それは手を振れた者に流れ込み、現実に透過状態で上書きされるように脳裏に奇妙な映像を見せる。
世界樹のレリーフが象られた礼拝堂。そこでお互い背を向けて何者か同士が会話をしている。
|
- 織田「礼拝堂……絵画世界?」
「前者はともかく、絵画世界ってのはなんだ?」
ぶつぶつと独り言を呟きながら顎骨から手を離す。
- 織田「確かに……、頭に映像が浮かんできたな」
- 老人「そうでしょう?」
老人はゆったりと微笑む。織田は彼が手元の資料に目を落としている隙にロッカに囁く。
- 織田「(とりあえず妄想の線じゃねぇな。ついでに侵食ってほどのもんでもない……と思う)」
「(ただ映像を見せてくるだけだ)」 - ロッカ「(それはあなたが人間であるからで、クオリアの魂の私には……)」
ロッカはそこまで言いかけたところで溜め息を吐いた。
- ロッカ「(まあ、いいですよ。ちゃんと男の子頑張りましたもんね?)」
そう言って覚悟を決め、ロッカも遅れて顎骨に触れる。すると彼女の脳裏にも織田が観たものと同じ映像が流れる。
- ロッカ「……ふむ。確かに知覚できますね」
「大体共有しました。私も侵食されたわけではなさそうなので、リオンさんもいっときます?」 - リオン「いっとこうか」
そう言ってリオンも顎骨に触れる。
- リオン「お爺さん、毎晩これ見て癒されてんの?」
- 老人「そうですな」
ロッカはリオンが老人と話している間に織田に耳打ちする。
- ロッカ「(瓢箪から駒というかなんというか。まあ、あまり彼からの情景は参考にならなさそうですね)」
「(何を見たか、どう解釈するか、は話し合う余地があると思いますが……)」
「(彼を蚊帳の外にするのも可哀想ですし、適当に話合わせて引き揚げましょう)」 - 織田「そうだな。奇書院のあの研究者に聞けば何かわかるかもしれねえし」
この後の行動が決まったところで、老人はロッカにも話を振ってくる。
- 老人「島の景色が浮かんだでしょう?」
- ロッカ「ええ、寂しい白波が思い浮かぶようですね……」
- リオン「うんうん、うんうんうん」
ロッカが老人の死角から撤収のサインを出すと、リオンは大袈裟に頷いて適当に話を切り上げる。
- リオン「もっとお話しを聞きたいところではあるんだけど」
「用事が済んだから、僕たちそろそろお暇するよ。いろいろありがとう」 - 老人「また遊びに来てくださいね」
「手袋はそこに置いておいてください」 - ロッカ「わかりました」
三人はそれぞれ手袋を外して置いていく。
- ロッカ「お時間を取っていただき、ありがとうございました」
ロッカが一礼をすると、老人も座ったまま会釈をする。リオンはロッカの背後を手をひらひらと振りながら通過していき、織田も浅く会釈をして三人はその場を後にする。
- ロッカ「リオンさん、あの映像に出て来た二つのワード」
「礼拝堂と絵画世界、これピンとくるものあります?」 - リオン「いいや。それだけじゃあわからない」
「詳しくモノが分かれば、似たような現象を知ってるかもしれないけど」 - ロッカ「いかんせん、あの映像だけでは、か」
エントランスでポーターたちにも退出を告げ、三人は駐車場に戻る。移動に使っている車の運転席では、認可の関係でひとり置いてけぼりにされたノスがシートの背もたれを下げて仮眠をとっていた。
三人は無言で互いの顔を見合うが、浅く首を傾げたリオンが運転席のガラスを指で軽くノックする。
音に反応したノスは寝ぼけ眼のままドアのロックを解除し、シートの背もたれを上げて伸びをする。
- ノス「くぁ~……おかえりなさい」
「思っていたよりお早い」 - ロッカ「お昼寝の邪魔をしてすみません」
「有り体に言うと、あまり得られるものがなさそうだったので」 - ノス「そうですか……。それは残念でした」
三人が乗車すると、ノスは眠気醒ましにタブレットを噛み込み、シートベルトを装着する。
- ロッカ「見る人が見れば毒の元を検知できたのかもしれませんけど
「まあゴリラ、商人、シスターですから、いかんせん。と」 - 織田「誰がゴリラだ」
- ロッカ「で、少し雑談なんですけれども」
- ノス「はい」
ノスはエンジンを始動する手を止めてロッカに振り返る。
- ロッカ「世界樹関連の信仰って夢の使者にあるんでしょうか?それともローグダイバーのもの?」
「自身の宗派にしか詳しくないものですから、こういった事柄は案外ダメダメでして」 - ノス「世界樹信仰……。有名なのはユグドラシル様のですね。アルカディアと別の団体が過去にいくつか記録されていたようですけど、たいていは聖夢想教会に併合されています」
「詳細は院に戻れば分かると思います」 - ロッカ「ゆぐどらしる?」
なにそれ?みたいな顔で織田を見る。
- 織田「虹水晶の親玉らしい。俺も直接会ったことはないが……」
「まぁあのレリーフはアルカディアの物じゃなかったはずだからおそらく無関係だと思うぞ」 - ロッカ「ふむぅ……。聞き込もうと思ったんですけど宗派が途絶えてちゃどうしようもないですねえ」
「ただ、類似した象徴があるということは」
「妄想ではなく現実にしろ夢界にしろ過去に明確にあったことなんでしょうね、アレ」 - 織田「ふうむ……」
少し考え込んだ後に、織田が続ける。
- 織田「……あぁ、だったら絵画世界の方はどうだ」
「そっちなら何か情報が残ってるかもしれねぇ」 - ロッカ「そうですね」
「ノスさん、もうひとつ。絵画世界って聞いたことあります?」 - ノス「絵画世界……、ですか。院に戻ったらそっちも調べられるよう申請してみます」
- ロッカ「ありがとうございます」
「では一旦、奇書院に戻っていただけますか。それでいいですよね?」 - 織田「おう」
- リオン「いいよお」
- ノス「承知致しました。ではすぐに院に戻ります」
そう言うとノスは車のエンジンを始動させ、奇書院へ向けて運転を開始した。
ロッカ、織田、リオンの三人は、保管庫からの帰り、奇書院へ戻る車に揺られている。移動中にロッカは手帳をぱらぱらとめくり、これまで得た情報を整理して仮説を立てることにした。
- ロッカ「とりあえず現状で考えるとすると……」
1、遺骸=顎の個体? |
- ロッカ「一番嫌なのは最後の感染性だったパターンですかね」
「非活性化してるっぽい顎骨で感染しない裏付けもできてしまったので、直接遺骸のとこに行く嵌めになるかもしれませんから」 - ノス「遺骸は現在特総医と奇書院の合同で解析を行っている最中です。触れるのはもう少しあとになりそうですね」
- ロッカ「悠長にしている暇はないのに……」
ロッカの言葉に反応するように、ノスはアクセルを深く踏み込んで車を加速させて奇書院へ急ぐ。
院に到着した三人は空きの会議室へ通された。そこへ特総医の人員がやってきて、三人にロトをおびやかす毒に関する追加の調査結果を伝えた。
- 特総医「結論から申し上げますと。当該悪夢か、その系譜のクオリアが確保できれば、それを基に解毒法を編み出せる可能性が高いです」
彼はそう言いながら何枚かの書類を並べる。リオンはそれを手に取って目を通し始める。
- 特総医「由来がはっきりしている既存の治癒スキルも元を辿れば毒主のクオリアが源にあることが多いですから」
- ロッカ「ワクチンというか、血清というか、そういう感じなんですね」
- 特総医「はい」
- 織田「だが遺骸はクオリアになってねぇわけだろ?」
- 特総医「そうです。遺骸からはクオリアは見つかりませんでした」
- 織田「だとすると俺たちが見つける前に誰かが取っていったか──」
織田は顎に手を当てて考え込む。
- 織田「──あるいは遺骸だけ残して別の悪夢として復活したか、その辺りが濃厚だな」
- ロッカ「大体そんなところでしょう、殻は私達にとってはただの服みたいなものですから」
そう言ってロッカは自分のこめかみを指でぐりぐりする。
- ロッカ「同じ姿で再顕現するとも限りませんし……難航しますよ、これ」
リオンは書類をテーブルに置く。
- 特総医「医者から言えることは現段階でそれくらいです。あまりお役に立てずに申し訳ない」
- ロッカ「とんでもない」
「ようやっと希望の芽が見えましたもの。感謝してもし切れないくらいです」 - リオン「砂漠に埋まった石を見つけるような途方の無さだ」
「現実的じゃあないね」 - 織田「難しいが可能性は0じゃねぇ。見つけた後はそっちに頼らせてもらうからよ」
- 特総医「承知致しました」
- リオン「今はロトの様子はどうかね?」
- 特総医「一時に比べれば安定しています。小康状態と言って差し支えないかと」
- リオン「そ。悪いね」
- 特総医「?いえ」
特総医のダイバーがリオンの反応に首を傾げると、高速でドアがノックされ、ノスが会議室に入ってくる。
- ノス「「見つけましたよ、絵画世界という記載!」
「厳密には絵画そのものですが、院に所蔵されていました」 - ロッカ「現物があるんです……?」
- 織田「本当か?」
「そいつは見に行けるのか?」 - ノス「ええ。絵画世界と呼称された絵画は現存しています」
「権限を……」 - 特総医「では私はここで失礼いたします」
- ノス「あ……、すみません」
- ロッカ「ありがとうございました」
ロッカは報告を終えて退室する特総医のダイバーに一礼して見送る。
- リオン「お疲れさん。それで見れるの?」
- ノス「織田様やリオン様の仰るように、直接調査しにいく権限を取得済みです」
「ただ、現物を拝見しに向かわれる前にお耳に入れておきたいことが」
「絵画の作者の銘はゼロメアに所属するオズ様でした。作者が存命しているということです」
「どちらを先にお尋ねするかはお任せします」 - 織田「作者本人がいるのか……ならそっちから聞きに行った方が調べやすそうだな」
- ロッカ「ですね、拾える情報は全部拾っていきましょう」
- リオン「ふうん」
- ノス「すぐにアポイントメント取ってきます」
ノスが会議室を小走りで出ていくのを見送ると、ロッカはリオンを一顧する。どうにもこうにも、このリオンという夢がロトに対して執着する理由が見えないのが不気味だった。本来であれば家族と呼べる存在に執着するのは普通の事だろうが、このリオンは違う。そのはずなのだと。
- リオン「なに?」
- ロッカ「いいえ」
会話が続く事はないまま、戻ってきたノスに連れられて三人は再び駐車場へ戻る。ノスがオズに訪問の約束を取り付ける事が出来たため、さっそくゼロメアが管理する社員寮へ向かう事になった。
ゼロメアはダイバー界隈では最有力の傭兵組織だが、現実世界での認識は企業向けの清掃業務を扱う中小企業である。その為、本社は一等地から少し離れた土地にあり、そのすぐ傍に社員寮が存在する。
ゲートを通過して敷地内へ入ると、三人が乗る車は非番の傭兵たちの注目を浴びた。奇書院がよく使用するセダンはゼロメアの傭兵たちにとっては見慣れたものであるが、それを目にする時には大抵は面倒事もセットだからだ。
ノスは予定の場所へ車を停めると、オズの部屋が割り当てられた建物へ向かう。四人は階段を使って三階へ上がり、彼女の部屋の前に辿り着く。
- リオン「"Oz"。ここだよ」
「今日の担当宿主は……レイだ。まあ面倒なことにならなけりゃいいが」 - ロッカ「レイさんは社長秘書もされてるんでしょう?そう拗れるような人とは思えないですけど……」
「ああ、もしかして昔に詐欺まがいでもやらかしたんですか」 - リオン「してないよ。ただ……野犬みたいなやつさ」
- ロッカ「はは、まさかそんなそんな」
「ではノックしますよ」
ロッカがドアを何度かノックすると、ドアの目線の位置にある定規ほどの引き戸が開き、中の人物と目が合う。
- レイ「……おいオズゥ!例のお客だ」
「おい、さっきそこ片したろ!また広げてんじゃねえ!」
レイは振り返って中にいるオズに合図すると、引き戸を閉じた。少しすると内側から解錠されドアが開く。
- レイ「どうも、こんちは。……リオンもな」
- リオン「よお、レイ」
ロッカは二人のやりとりに何かしらを察し営業スマイルに切り替える。
- ロッカ「こんにちは、この度は急な訪問になってしまい申し訳ありません」
「あ、これつまらないものですが」
そう言ってロッカは行きで調達した菓子折りをレイに手渡す。
- レイ「どうも気を遣わせちまって。ありがとうございます」
- 織田「……あぁ、こんにちは。非番の時にすまねぇな」
- レイ「織田サンもいんのか。神職には嘘吐けねえな。なあ?オズ」
レイが部屋の中に声を掛けると、ごにょごにょとか細い声が返ってくる。
- レイ「まあ汚えけど入ってくださいよ。尖ったものとか踏まないように」
注意を促しながらレイは三人を室内へ案内する。そもそもが手狭なのもあるが、室内のほとんどがよくわからない物で埋まっており、足の踏み場を探すことで精一杯の有様だ。玄関から洗面所脇の通路を少し進んで居間らしい空間までいけば、ようやく座る余裕がある。そしてオズ自身もそこでローテーブルの前に居座っている。
- リオン「いつきても小奇麗な部屋だね、オズ」
「だからハウスクリーニングを呼ばないんだろ?」
するとリオンが言い切る前にロッカが彼女の肩を掴んで織田の背後に隠す。
- ロッカ「初手から第二第三までバッドコミュニケーションするのやめてくれません?先に車内戻りますか?」
- リオン「えー?」
二人の会話を聞いていたオズが口を開く。
- オズ「全て儂の必要な位置にあるんだよ、リオン」
「養鶏場のように全て仕切られていればいいというものではないんだ」
二人の視線の先には、真夏の室内だというのに厚手のコートを着た女性がいる。彼女がオズだ。
- 織田「あー…ゴホン。初めまして」
あなたが絵画世界を描いたオズさん、ですね」
普段敬語を使い慣れない織田も、さすがに言葉遣いを改める。
- 織田「あの絵画について聞きたい事があるのですが、良いですか?」
- オズ「かまわないよ。今更そのことについて尋ねられるとは思わなんだ」
オズはゆったりとそう答えると、湯呑からお茶を啜る。
- 織田「えー、それでは……あの絵画はいつ描いたものなのですか?」
- オズ「忘れた。最近ではないことは確かだが……」
「少なくとも一世紀以上は前の作品だな」 - ロッカ(長生きの夢か。ちょっと親近感)
織田は慣れない様子で手帳に情報を記録する。
- 織田「では、あの絵画はどういう時に描いたのか覚えてますか?」
- オズ「ふむ。どういうときかと訊かれたら、弟子が死んだときだな」
- 織田「弟子?その弟子とはどのような人なのですか?」
- オズ「人ではない。夢だ。生ける夢だな」
そう言ってオズはほっと息を吐く。
- オズ「不出来な弟子だったよ」
- 織田「なるほど……」
「話は絵画に戻るのですが、あの絵画を描いた経緯を教えていただけますか?」 - オズ「弟子を哀れに思ってな。彼のクオリアを顔料にして、彼の故郷を描いた」
「そうすることによって仮初の世界を生み出すことができる。そういう技術があったのだ。当時はな」 - 織田「当時は、ということは今は出来ないのですか?」
- オズ「どうだろうな。試してみないことにはわからんが、特殊心理対策局に禁じられているのだ」
- 織田「禁じられている……?」
「禁止にされるほど何かマズいことでもあったのですか?」
織田が疑問に感じていると、ロッカが会話に口を挟む。
- ロッカ「ようは夢界を作るってことなんでしょう。それは私も禁止されますからね」
「或いはクオリアの加工は専門の職人でないと悪性クオリア化することがありますから、そっちかも」
ロッカはそこまで話すと少し考え込んでから話を続ける。
- ロッカ「ところで」
「その絵の修繕を誰かから頼まれたことはありますか?」 - オズ「ふむ。あるとも。それにしたってかなり前の話だが」
- ロッカ「差し支えなければそれを少し掘り下げてお尋ねしても?」
「先ほど出ていたお弟子さんなのか、或いはまた別の人物か」
「そして、修繕はどのようになったのかを」 - オズ「かまわないよ。レイ、お茶を淹れてくれるかな」
- レイ「おい、私はメイドじゃねえぞ」
レイは悪態をつきながらも、湯呑に並々に注いだ緑茶を勢いよく連続でテーブルに置く。
- ロッカ「っとと。ありがとうございます」
- オズ「ありがとう。そう、修繕のことだがね、儂は断ったよ」
ロッカは自分の湯吞を手に取る。
- ロッカ「……それはまた、どうしてです?」
「1世紀前ともなればまだ奇書院の設立も怪しいところでしょうし、禁止が理由というわけでもないですよね」 - オズ「そうだよ。特心対のしがらみなんて関係無かった。理由は単純だよ。約束したからさ」
そう言うとオズは緑茶を啜る。オズが湯呑を置くのを待ってロッカはさらに追及する。
- ロッカ「約束、ですか」
「誰との、どんな?」 - オズ「弟子が死んでしばらく経って……、そのときの盟友と」
「絵画を破棄しない代わりに修復をしないとな。そうして彼が絵画を島に安置したんだ」 - ロッカ「その島が、朧島……」
- オズ「当時は都合の悪いものは、なんでもみぃんなあの島に棄ててた」
- ロッカ「あはは、それが原因で拗れたところもあるんでしょうね、もしかしたら」
- オズ「責任逃れの答弁には苦労したともさ」
オズはぬるい笑みを浮かべる。
- ロッカ「ああ……心中お察ししますというかなんというか」
そこまで話すと、ロッカは少し考え込んだ。
- ロッカ「仮に、ええ、仮定の話なのですが」
「夢界を生成する物品であるのなら、想像力を注ぎ込めば、その絵は元の姿を取り戻すのでしょうか」
二人の会話を黙って聞いているレイが何を言うでもなく、ロッカをじろりと見つめる。しかし当のオズは、表情を変えずにロッカの問い掛けに答える。
- オズ「理論上は、そうなるな」
- ロッカ「なるほど、理論上は……。ありがとうございます、参考になります」
「さて……随分と長居してしまいました。これ以上はご迷惑になるかと思いますので、このあたりで」
「今回はとても貴重な話を聞かせていただき、ありがとうございました」
ロッカそう微笑みながら丁寧に一礼をする。
- オズ「かまわないよ。暇になったらまた遊びにくるといい」
- ロッカ「ありがとうございます。今度は急ぎでなく、もうちょっとしっかりした菓子折り用意して来ますね! 」
「同じ長命の生ける夢の先達として教わりたいこともいっぱいですから」
オズは薄く微笑み三人に別れを告げ、部屋の外までレイが見送りをする。リオンはやや不満げに言葉を漏らす。
- リオン「全然喋れなかったし」
- ロッカ「当たり前でしょ。あれ以上煽ってにこやかに終われるもんですか」
「っていうかよくもまあマジで。本当よくもやってくれましたね、死ぬほど焦りましたよ」 - リオン「あんなのは挨拶みたいなもんじゃん?」
- ロッカ「挨拶も陸の文化水準に合わせてもらえると助かります」
「……はあ、しかし結局しゃしゃり出てしまった。予定じゃなかったのに」 - 織田「悪かったな。口下手でよ……」
拗ね気味の織田にロッカは息を漏らす。
- ロッカ「もう、一々拗ねないでくださいよ」
「というか、猫を被るのを投げて助けに回ったんですから、少しくらいは褒めても……」 - 織田「こっちだって猫被ろうと一生懸命だったんだよ」
「……まぁ結果的に情報を引き出せたわけだし助かったから……なんだ。ありがとよ」 - レイ「織田サンはいつも生ける夢の女の尻に敷かれてんな」
- 織田「うっせぇ」
- レイ「へいへい……」
三人はレイにも別れを告げ、ノスが待つ車内へ戻る。
- ノス「おかえりなさい。どうでしたか?」
- リオン「まずまずかな」
「次は美術鑑賞行く?」 - ロッカ「もちろんです」
- ノス「絵画ですね?院に許可は頂いてます」
そう言ってノスは車のエンジンを掛け、切り返して敷地から道路に出る。
ロッカは軽くに伸びをすると、オズの印象を振り返った。
- ロッカ「しかしオズさんでしたか、穏やかな人でしたね」
「私が約束の反故を匂わせても少しも怒ろうとしてませんでした」 - リオン「まあ、ああ見えてエルダーだからね。多少の事では動じないだろうさ」
ロッカはなるほどと頷く。エルダーというのは、かいつまんで言えば長生きの生ける夢を指す言葉である。年齢だけで言えばロッカもリオンも数百年を生きている。ノスは、お二人もエルダーでは。という言葉を飲み込んだ。
三人は問題なく奇書院に帰還するが、拠点としている会議室で絵画鑑賞の認可が下りるまでは待たされる事となった。絵画そのものも院内に保管されていると言う事なので、認可され次第そのまま誘導される手筈となっている。
特に会話もなく静かに待機していると、白い布を被ったような出で立ちのダイバー二名が入室してくる。
- 絵画守り「お待たせ致しました。無事承認と相成りました」
- リオン「結構かかったね。君たちが案内してくれるの?」
- 絵画守り「左様です。私たちは絵画守りと言います」
- ロッカ「かいがもり……。とにかく、ありがとうございます」
「さっそく案内をお願いできますか?」 - 絵画守り「承知致しました。こちらへおいでください」
絵画守りに案内され、三人は奇書院の所蔵品保管庫へ向かった。エレベーターと分厚い扉を経由した先には、様々な種類の物品が保管されていたが、ある一定の区切りから絵画のみが飾られた区画に入った。
絵画守りが立ち止まり振り返った場所には、状態が悪い風景画がアクリル板で封をされた状態で飾ってある。腐っているためか色は全体的に黒っぽく、もはやどのような風景を描いたものなのかは素人には判別が難しい。
- ロッカ「……随分風化してますね、年月を感じさせるというか」
- リオン「芸術ってのはわかんないな」
- 織田「一世紀以上前だと言っていたからな」
「むしろ修繕無しならよく保ってる方じゃないか?」
三人が完全に美術鑑賞に夢中になっていると、絵画守りのひとりが咳払いをしてから話し出す。
- 絵画守り「この絵画は特殊心理対策局の遠征に際し朧島で回収されたものです」
「既に公式の調査は終了しており、作者は現在のゼロメア株式会社に蝕する傭兵、オズだと判明しています」 - リオン「大昔に人が朧島に棄てた絵を、また人が持って帰ってきたんだ」
「なんだかな」 - ロッカ「そんなもんですよ」
「私も何回か殺されては埋められて、掘り出されるのを繰り返してますし」
そう言ってロッカはアクリル板の縁を指先でなぞる。
- ロッカ「まあでも君も同族だと思うと大変だよなあ、その気持ち少しわかるよ、と」
- リオン「ひっひ、どんなに頑張っても地球上の最大勢力は人類なんだから、要領よく取り入らないとねえ」
- ロッカ「ええほんと。慎ましく生きる私に相応しいでしょう、今の仕事は」
そう言ってリオンとロッカは不気味に笑い合う。織田はそれを聞いて彼女たちを見る。
- 織田「全員が全員捨てる人類ってわけじゃねぇけどな」
- ロッカ「ふふ、そうですね」
「でも、それ、私みたいな別の人に同じこと言っちゃだめですからね。約束ですよ」
そう言うロッカは織田をジロリと見た後、リオンに合わせて適当に笑う。一方で忠告された当の織田は、意図を理解できず不思議そうにロッカを見ていた。
- 織田「んぁ?俺なんかマズいこと言ったか?」
- ロッカ「いや、まあ気にしないでいいですよ。また次百さんとお話するとき楽しみにしてます」
ロッカはほっと息を吐いて絵画守りに向き直る。
- ロッカ「……さて、作者のオズさんの話ではこれに想像力を注ぐということでしたが」
「これもまた申請が必要なやつですよね」 - 絵画守り「申請というか……ええ、まあ」
「通ればですけど」 - 織田「まぁ仮に許可が取れたとしても今日はもう夕暮れだからな」
「準備もいるだろうし、実行するなら明日だ」 - ロッカ「まあですよね、とりあえず今日やれることはやったと思いますし」
「ロトちゃんの様子を確認してあとは支度に充てましょうか」
ロッカの言葉に数秒遅れて、リオンが視線を逸らしたまま返事をする。
- リオン「そうだね」
時刻は17時を回っていた。三人は保管庫を後にし、ノスの運転で特総医に向かった。
待合室でロトの状態の説明を受ける。だいたいの内容は日中に聞いたものと変わらない。状態は今のところは安定しているが、根本的な解決法は見つかっておらず、対症療法を行って苦しみを和らげているに過ぎない。
- 特総医「小康状態にあるとは言いましたが、依然として意識は戻りません」
- リオン「そうみたいだね」
リオンはテーブルをじっと見ながら、医師の言葉には適当な返事を返す。
- 特総医「それと……、こちらに目を通していただきたいのですが」
医師は言いづらそうに書類をリオンの前に提示する。すると彼女はそれを手に取り、興味無さげに文章を目で追う。
- 特総医「保険を差し引いたとしても、そのようになります」
- リオン「ふうん」
彼女が確認を終えたのを確認し、医師は明るい表情を作って続ける。
- 特総医「しかし、マザーから物資の無償提供の申し出が来ていまして」
「額面通りであればロトさんへの供給はしばらく安定します」 - リオン「……」
- 特総医「それと聖夢想教会からも援助の申し出が」
医師がそこまで言い掛けると、リオンは治療費の書類を彼に付き返してこれ見よがしに遮る。
- リオン「申し訳ないけど、断っておいてくれるかな。どっちもね」
- 特総医「え……」
- リオン「心配しなくても踏み倒したりしないよ。カネの心配はしなくていい」
「見切りも僕がつける。……それだけかな?」
リオンはそう言って席を立つと、医師を真っ直ぐに見つめる。
- リオン「じゃあ彼女をよろしく」
そうぶっきらぼうに言い放つと、勝手に待合室を出ていってしまう。
- ロッカ「……申し訳ありません。教会には後程私の方からもお詫びしておきます」
「そのほかの、もろもろについても本当に、すいません」
それだけを医師に言うと、ロッカもリオンを追いかけるように部屋を出ていく。呆気にとられる医師に織田は簡単な会釈を済ませ、ロッカたちを追って退室する。
帰りの車内には重苦しい空気が充満していた。ノスはどういう事かわからず、かといって尋ねられる雰囲気でもなく、運転席で小さくなるばかりだった。ロッカはノスに全員の降車地点を協会付近の閑散とした場所に指定した。
- ロッカ「あ、ここで降ります。今日は一日本当にありがとうございました、お疲れ様です」
「それでは」 - ノス「あ、はい……。では、お気をつけて」
ノスは三人が降車すると、運転席の窓から会釈をして走り去っていった。
ロッカはそれを確認すると、街頭に淡く照らされたベンチに腰掛け、リオンにも横に座るように提案する。
- ロッカ「で、リオンさん、ちょっとお話しましょうか」
「織田さんは嫌だったら近くのコンビニで少年誌立ち読みしててもいいですよ」
織田は二人をじろりと見返した。
- 織田「……いや、俺も同席させてもらうぞ」
「お前ら二人を放っておくと何が起きるか分からねぇからな」 - ロッカ「相変わらず酷い言い草ですね、もう助けてあげませんよ?」
そう言ってロッカは微かに笑う。リオンは二人の掛け合いを見ながら不機嫌そうな表情で、ベンチの指定された場所に腰掛ける。座ったそのときに表情はニュートラルに戻り、わざとらしく伸びをする。
- リオン「んー……疲れた」
「で、なに」 - ロッカ「色々ありますが、まあ第一はよくもまあ勝手に蹴ってくれましたね、支援」
「キャラバンはまああなたの縁の方だからまだいいですけど、教会に関してはあの子と私関係のものですよ」
「濁さず言うと不愉快です。あとで彼らの面子を埋め合わせることも考えなければなりませんしね」
怒りを露わにしたような内容だが、ロッカは落ち着いて、平坦に話すように努めている。
- リオン「何かと思えば……」
「僕は聖夢想教会ともよく取引するからね。君ごときが気に病むことではないよ」
リオンはロッカと同じように静かに答える。
- ロッカ「あなたの立場を慮っているわけではありませんよ」
「私が私の立場の為に憤慨しているんです。わかりませんか?」
怒り狂う寸前でロッカは、すうっと息を整える。
- ロッカ「……まあ、大事なところはそこではないんですけども」
「ええ、問題はどうしてそんな愚行を無分別に反射的に強行したかです」
「あなた、そこまで頭が悪いわけじゃないですよね」
「少なくとも、私達を這いつくばらせたあのときでさえ比べればまだ、幾らか思慮深かったと言えるのでは?」
ロトに物心がついたとき、手を差し伸べたのはロッカだった。ロッカと織田は、歪な分身としてロトを抹殺しに来たリオンと衝突し、彼女の圧倒的な力に辛酸を舐めさせられた。だが、リオンの気が変わり、今はこうしている。
- リオン「無分別でも反射的でもないよ。助け船が来ることは予測してた」
「分かった上でやっている、と言ったら。君は引き下がるの?」 - ロッカ「理由次第で引き下がるつもりですよ。まあ、実際問題支援を受けたら受けたでそのツケは回ってきますから、どちらも一長一短です」
リオンは背もたれから背を浮かし、ロッカを真っ直ぐに見つめる。
- リオン「何が言いたいの?」
- ロッカ「この際です。正直に言ってしまいましょう、ここまでの間ずっと、あなたがロトちゃんに執着する理由が一向に見えないのが不気味なんですよ」
ロッカは少し言い淀むが、そのまま話を続ける。
- ロッカ「派閥を関わらせず、自腹を切ってでも干渉させたくない。あなたがそれだけの価値を、利益を見出させているものは一体なんですか?」
リオンはロッカの言葉に歯を食いしばり怒りを滲ませる。
- リオン「そんなもの……、君に関係ないだろ。僕がそうしたいからそうするだけだ」
- ロッカ「それで納得できるわけないじゃないですか。明日は夢界に行くことになるでしょう。後ろから刺される可能性があるくらいなら、今ここで片を付けますよ、私は」
ロッカがそこまで言い掛けたところで、リオンはベンチから立ち上がって彼女の胸倉を掴み上げる。
- リオン「自惚れるなよ。お前がいなくたって僕は……」
「僕は……、僕がその気なら……とっくに君を殺してる。あの丘ででも」
手を出しているのはリオンの方であるにも関わらず、彼女の眉は下がっていき、口元はぶるぶると震えている。一方でロッカの瞳は真っ直ぐにリオンを捉えている。
- リオン「……僕が怖くてしかたないなら消えろ。二度と僕の問題に口を出すな。続けるなら━━」
「━━続けるなら。それなら少しは聞いてやる」
そう言って力無くリオンはロッカの胸倉を離す。
- ロッカ「殺されるのが怖いなら早々に逃げてますよ」
「いや、でも本当に驚きました。そういえば久しぶりに会ってあなたは私に"賢くなった"と言いましたっけ」
「今、私も随分あなたが人間臭くなったなあと思いましたよ。とても、とっても」
ロッカはそうして掌を見せて降参を表す。
- ロッカ「私は納得しました。私の執着のために、あなたの執着に付き合いますよ」
- リオン「……夢がそう簡単に変わるものかよ」
リオンは険しい表情でロッカを睨みつけると、背を向けて数歩進んで立ち止まる。そして拳を握りしめて肩を竦めぶるぶると震えたあと、肩で深呼吸をし振り返り、困ったような表情をして彼女に薄く微笑む。
- リオン「……甘いこと、言ってんじゃねえよ」
- ロッカ「いやはや、本当に、変わりました」
「ゴホン……あー、お話ってのはまあそれだけです」
「私も頭に血が上って言い過ぎてしまって、ごめんなさい」
「また明日から仲良く元気にやりましょうね?」
ロッカそう言ってベンチに腰掛けたまま柔らかな笑みで手を振る。
- リオン「ああ……ごめんねえ?また明日。織田くんもね」
「……織田くんはリタイアすんだっけ?」 - 織田「誰がリタイアするつったよ誰が」
織田は大きく溜息を吐く。
- 織田「ったく、いい感じに丸く収まったみてぇだけどよ……。こっちはヒヤヒヤもんだったんだぞ」
- ロッカ「うふふ。可愛かったですよ~~。私が胸倉掴まれた時の、どうしようって顔」
「優しい優しい素敵なおじさん、って感じでしたね?」
織田は額に手を当てて溜息を吐く。
- 織田「人が心配してやってるってのにそれはねぇだろ」
「あそこで本当に殴り合いになってたらどうするつもりだったんだお前は」 - リオン「僕が勝つよ」
- ロッカ「私が死ぬでしょうね」
「まあでも、それはないと思ってたので」
ロッカはそう言って乱れた襟元を正す。
- ロッカ「私は魂胆も知れましたし、賭けに勝ったというわけです」
- 織田「賭けのリスクが高すぎんだろ…まったく……」
織田は再び大きな溜め息をを吐く。
- 織田「まぁ何はともあれ無事にことが済んで良かったな」
「ロトを助ける前に仲間内で殺し合いだなんてまっぴら御免だぞ」 - リオン「……まあ、それじゃあね」
短い別れの言葉を残し、背中越しにひらひらと力なく手を振りながらリオンはその場から立ち去っていく。
それを見送り切ると、ロッカは織田に向き直る。
- ロッカ「ふふ、私はさっきので割と嫌いじゃないな、って思えたんですけど」
「リオンさんは間違いなく私のこと嫌いでしょうね」
ロッカは愉快そうに笑うと、わざとらしく気づいたように織田を見る。
- ロッカ「……あっ!大丈夫ですよ、嫉妬しなくても織田さんのこともパセリの次くらいには好きですからね!」
- 織田「誰が嫉妬…って、パセリに負けてんのかよ俺は」
- ロッカ「それでも人間の中では相当上位な方ですけどね」
- 織田「お前の中での人類、順位低すぎだろ……」
- ロッカ「それはまあ、さておきとして」
「いやあほんと、見ました?あのリオンさん」
「胸倉まで掴んじゃって怒ってましたよ」 - 織田「まぁ確かにアイツにしては珍しかったな」
「……というよりいつものニタニタ顔が印象深すぎるのもあるだろうが」 - ロッカ「可愛かったですよね~!」
「とってもロトちゃんが大事なんだ、ってすごく伝わってきました」
ロッカの言葉を織田はふっと鼻で笑う。
- 織田「大事にしてるんだったらもっと普段から大事そうにしてろって話なんだがな」
- ロッカ「きっとまだ目覚めたての感情で自分でもよくわかってないんですよ」
「せっかくの超越性だったのに、ずいぶんと人間性に毒されてる様子でした」
「まあそれ自体は、あんまり私も人のこと言えないんですけどね」 - 織田「人間社会に馴染もうとするならいいことだな」
「何も弱点のない完璧超人よりも少しぐらい人間味があった方が良いに決まってるだろうし」
そこまで言葉にすると、織田は鼻から溜め息を吐く。
- 織田「だがまぁ、あのリオンに人間性ねぇ」
「前の俺に聞かせたらぜってぇ信じねぇだろうな」 - ロッカ「私も右に同じです」
伸びをしながらロッカは今日の出来事を振り返った。
- ロッカ「はー、しかし疲れましたね。朝の時点ではただの護衛任務で終わるとばかり思ってたんですけど」
- 織田「まったくだ」
- ロッカ「時にロト担当官の織田さん?」
織田に詰め寄りながらそう言ってロッカは続ける。
- ロッカ「今日一日甲斐甲斐しくあなたの不手際の尻拭いに付き合って」
「また明日からも付き合ってくれる優しい優しいシスターとディナーにしませんか?」
「もちろんお会計は……」
織田は口をへの字の曲げて見ていたが、やはり溜め息を吐いて観念したように両手を肩の高さに上げる。
- 織田「……へいへい、連れてってやる。財布に優しくねぇシスターさんよ」
織田の言葉にロッカは邪悪な笑みを浮かべ、彼の腕を引っ張ってベンチから立たせた。体感では数日経ったような一日目の調査が漸く終わり、一息ついた二人はディナーの為に繁華街へ向けて歩き出す。
高くつくディナーだ。織田の財布が軽くなったのは言うまでもない。
調査の二日目になった直後の真夜中の0時過ぎ、三人の仕事用の共同連絡先にノスから連絡が届いた。
☒ From Nitrous Oxide System(NOS) 認可のお知らせ ☆6:21 |
メンバーのみなさま。 夜分遅くにすみません。 明日(というか今日)10:00に奇書院にアポイントメントを取っていますので、 特に質問等なければ返信不要です。 |
連絡の内容は、絵画世界へダイブする許可が下りたという内容だった。深夜に気づいた者もいれば、朝起きてメールの存在に気が付いた者もいるが、いずれにせよ三人とも準備はできていた。
定刻に奇書院に集結した三人は、再び絵画の前に立った。絵画を守る役目を負っている絵画守りたちは、絵画世界に想像力を注ぎ、ダイブするという行為が認可された事に戸惑っているようだった。
- 絵画守り「ほんとうに許可を取ってきたんですね……」
- ノス「私がね」
明らかに気が進まなそうな絵画守りに対し、ノスは得意げに胸を張る。
- ロッカ「お疲れ様です……」
(まあ自主的に生贄3匹出てくるなら研究部門のおじさんは渡りに船だと推してくれるかな、って期待もあるにはありましたが) - ノス「今回のダイブに人数分の瓶詰の夢の支給があります。お受け取りください」
ノスはそう言って三人にケースを開いて見せ、厳重に保管された三枚のコインをそれぞれに手渡す。これはキャラバンが生産している、潜夢士向けの道具"瓶詰の夢"を使用するために必要なコインだ。これを所持したままダイブする事で、夢界でコインの枚数の応じた道具を使用することができる。生産数が限られる高価な代物なのだ。
瓶詰の夢は服用または身体に振りかける事で傷付いたダイバー体に夢源を補給し修復することができる道具だ。
- ロッカ「ありがとうございます」
- 絵画守り「すぐにダイブされますか?」
- ロッカ「あ、そうですね。織田さんは一応奥さんに遺言残しておいたほうがいいんでは?」
織田はロッカの言葉に舌打ちをすると、靴紐をきつく結びながら視線を上げる。
- 織田「奥さんじゃねぇし死ぬつもりもねぇよ」
「さっさと原因の悪夢をとっちめてロトを治し、次百に怒られずに帰る。それだけだ」 - リオン「絵画の中にいるとは限らないけどねえ」
リオンは織田を笑いながら背嚢を外し、商売ではなく純粋な戦闘用の衣服とハーネスを装着する。
- ロッカ「うわ、いかにもって感じだ」
- 織田「ったく、不吉な事言うんじゃねぇよ」
織田は不要な荷物をノスに渡し、軽くストレッチしながら恨めしそうにロッカを見る。
彼らを見渡した絵画守りは、お互いに頷き合って絵画に封をしているアクリル板を取り外す。
- 絵画守り「……では、絵画に想像力を供給します」
そう言った絵画守りらは絵画に手を振れ、絵画世界に夢源を送り始める。するとまるで時間が巻き戻るように、みるみるうちに雪山と、その麓の村々を描いた風景画へと変化してゆく。
- ロッカ「うえっ、めっちゃ寒そう」
「やっぱり帰りたくなってきたかもしれないな……」
蜘蛛であるロッカには寒冷地耐性がないに等しい。
- リオン「熱源くらい織田くんが想像力で出してくれるでしょ」
- 織田「出来なくはねぇが……何があるか分からねぇ以上、想像力は温存させておきてぇな」
「包帯出してやるからマフラー代わりにでもしとけ」 - ロッカ「えぇ~……」
「いやほんと、変温動物に生まれると不便ですよ……」
リオンはそんなロッカを笑いながらゴルカスーツに首をすぼめる。
- リオン「モロに外気の影響受けるからねえ」
外気温の事しか懸念しない三人に絵画守りは咳払いをし、最後の忠告をする。
- 絵画守り「絵画世界へのダイブは前代未聞です」
「まずどこに到着するかもわからないですから。気を付けて」 - リオン「はーいよ」
- オズ「待て!」
三人がいざダイブをしようとした瞬間、彼らを呼び止める声に手が止まる。
オズ「はぁっはっ……間に合ったか」
振り返ると、そこには息を荒くしたオズが立っていた。
- ロッカ「っと、オズさん。昨日振りですね」
「あー……えっと、何か、用事がある感じですよね?」 - オズ「……いや。用事というわけではないんだが、ただ━━」
眉間に皺を寄せてオズは直上を仰ぎ見る。
- オズ「見送りと……馬鹿弟子によろしく頼む」
ロッカはその言葉を聞いたあと、少し間を置いて話す。
- ロッカ「わかりました。伝言あれば、お伺いしますけどどうされます?」
- オズ「そうだな。……もし会ったら、伝えてくれ。"務めを忘れるな"と」
- ロッカ「承りました。もしそれらしい人物に会えたら、そう言っておきます」
その言葉を聞いてオズは少しほっとした表情を見せる。
- オズ「ありがとう。それと、これも」
そう言ってオズがロッカに手渡したのは、魔光粉塵と呼ばれる道具を宿した三枚の紙片だった。その粉塵は戦闘中、
自らの武器に振りかける事により、標的に限りなく正確な攻撃を加える事ができる。瓶詰の夢もそうなのだが、この手の道具は生産が困難なため非常に高値で取引されており、キャラバン以外の流通自体が極めて少ない。
ロッカは、それを自分たちの旅への期待と投資だと解釈して受け取った。
- ロッカ「では、お言葉に甘えて」
- オズ「儂とて当事者意識がないわけではないからな」
「……それでは婆はお暇するとするよ」
オズは浅く会釈をすると、その場から煙のように姿を消した。
- ロッカ「ふむ」
「私が預かっていても?」 - リオン「いいんじゃない?」
- 織田「だが失くすんじゃねえぞ」
- ロッカ「はいはい……」
ロッカは織田を軽くあしらって紙片を懐にしまい込む。
- リオン「じゃあ、行こうかあ」
先ず最初にリオンが絵画へ手を伸ばすと、触れた面が発光し、夢源が充填された絵画の表面は、まるで水面のように手を飲み込んだ。さらに体を預けると潜水するように吸い込まれてゆく。ロッカと織田も彼女に続いて絵画の世界へ入っていく。
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