ロッカ、織田、リオンの三人は、保管庫からの帰り、奇書院へ戻る車に揺られている。移動中にロッカは手帳をぱらぱらとめくり、これまで得た情報を整理して仮説を立てることにした。
- ロッカ「とりあえず現状で考えるとすると……」
1、遺骸=顎の個体? |
- ロッカ「一番嫌なのは最後の感染性だったパターンですかね」
「非活性化してるっぽい顎骨で感染しない裏付けもできてしまったので、直接遺骸のとこに行く嵌めになるかもしれませんから」 - ノス「遺骸は現在特総医と奇書院の合同で解析を行っている最中です。触れるのはもう少しあとになりそうですね」
- ロッカ「悠長にしている暇はないのに……」
ロッカの言葉に反応するように、ノスはアクセルを深く踏み込んで車を加速させて奇書院へ急ぐ。
院に到着した三人は空きの会議室へ通された。そこへ特総医の人員がやってきて、三人にロトをおびやかす毒に関する追加の調査結果を伝えた。
- 特総医「結論から申し上げますと。当該悪夢か、その系譜のクオリアが確保できれば、それを基に解毒法を編み出せる可能性が高いです」
彼はそう言いながら何枚かの書類を並べる。リオンはそれを手に取って目を通し始める。
- 特総医「由来がはっきりしている既存の治癒スキルも元を辿れば毒主のクオリアが源にあることが多いですから」
- ロッカ「ワクチンというか、血清というか、そういう感じなんですね」
- 特総医「はい」
- 織田「だが遺骸はクオリアになってねぇわけだろ?」
- 特総医「そうです。遺骸からはクオリアは見つかりませんでした」
- 織田「だとすると俺たちが見つける前に誰かが取っていったか──」
織田は顎に手を当てて考え込む。
- 織田「──あるいは遺骸だけ残して別の悪夢として復活したか、その辺りが濃厚だな」
- ロッカ「大体そんなところでしょう、殻は私達にとってはただの服みたいなものですから」
そう言ってロッカは自分のこめかみを指でぐりぐりする。
- ロッカ「同じ姿で再顕現するとも限りませんし……難航しますよ、これ」
リオンは書類をテーブルに置く。
- 特総医「医者から言えることは現段階でそれくらいです。あまりお役に立てずに申し訳ない」
- ロッカ「とんでもない」
「ようやっと希望の芽が見えましたもの。感謝してもし切れないくらいです」 - リオン「砂漠に埋まった石を見つけるような途方の無さだ」
「現実的じゃあないね」 - 織田「難しいが可能性は0じゃねぇ。見つけた後はそっちに頼らせてもらうからよ」
- 特総医「承知致しました」
- リオン「今はロトの様子はどうかね?」
- 特総医「一時に比べれば安定しています。小康状態と言って差し支えないかと」
- リオン「そ。悪いね」
- 特総医「?いえ」
特総医のダイバーがリオンの反応に首を傾げると、高速でドアがノックされ、ノスが会議室に入ってくる。
- ノス「「見つけましたよ、絵画世界という記載!」
「厳密には絵画そのものですが、院に所蔵されていました」 - ロッカ「現物があるんです……?」
- 織田「本当か?」
「そいつは見に行けるのか?」 - ノス「ええ。絵画世界と呼称された絵画は現存しています」
「権限を……」 - 特総医「では私はここで失礼いたします」
- ノス「あ……、すみません」
- ロッカ「ありがとうございました」
ロッカは報告を終えて退室する特総医のダイバーに一礼して見送る。
- リオン「お疲れさん。それで見れるの?」
- ノス「織田様やリオン様の仰るように、直接調査しにいく権限を取得済みです」
「ただ、現物を拝見しに向かわれる前にお耳に入れておきたいことが」
「絵画の作者の銘はゼロメアに所属するオズ様でした。作者が存命しているということです」
「どちらを先にお尋ねするかはお任せします」 - 織田「作者本人がいるのか……ならそっちから聞きに行った方が調べやすそうだな」
- ロッカ「ですね、拾える情報は全部拾っていきましょう」
- リオン「ふうん」
- ノス「すぐにアポイントメント取ってきます」
ノスが会議室を小走りで出ていくのを見送ると、ロッカはリオンを一顧する。どうにもこうにも、このリオンという夢がロトに対して執着する理由が見えないのが不気味だった。本来であれば家族と呼べる存在に執着するのは普通の事だろうが、このリオンは違う。そのはずなのだと。
- リオン「なに?」
- ロッカ「いいえ」
会話が続く事はないまま、戻ってきたノスに連れられて三人は再び駐車場へ戻る。ノスがオズに訪問の約束を取り付ける事が出来たため、さっそくゼロメアが管理する社員寮へ向かう事になった。
ゼロメアはダイバー界隈では最有力の傭兵組織だが、現実世界での認識は企業向けの清掃業務を扱う中小企業である。その為、本社は一等地から少し離れた土地にあり、そのすぐ傍に社員寮が存在する。
ゲートを通過して敷地内へ入ると、三人が乗る車は非番の傭兵たちの注目を浴びた。奇書院がよく使用するセダンはゼロメアの傭兵たちにとっては見慣れたものであるが、それを目にする時には大抵は面倒事もセットだからだ。
ノスは予定の場所へ車を停めると、オズの部屋が割り当てられた建物へ向かう。四人は階段を使って三階へ上がり、彼女の部屋の前に辿り着く。
- リオン「"Oz"。ここだよ」
「今日の担当宿主は……レイだ。まあ面倒なことにならなけりゃいいが」 - ロッカ「レイさんは社長秘書もされてるんでしょう?そう拗れるような人とは思えないですけど……」
「ああ、もしかして昔に詐欺まがいでもやらかしたんですか」 - リオン「してないよ。ただ……野犬みたいなやつさ」
- ロッカ「はは、まさかそんなそんな」
「ではノックしますよ」
ロッカがドアを何度かノックすると、ドアの目線の位置にある定規ほどの引き戸が開き、中の人物と目が合う。
- レイ「……おいオズゥ!例のお客だ」
「おい、さっきそこ片したろ!また広げてんじゃねえ!」
レイは振り返って中にいるオズに合図すると、引き戸を閉じた。少しすると内側から解錠されドアが開く。
- レイ「どうも、こんちは。……リオンもな」
- リオン「よお、レイ」
ロッカは二人のやりとりに何かしらを察し営業スマイルに切り替える。
- ロッカ「こんにちは、この度は急な訪問になってしまい申し訳ありません」
「あ、これつまらないものですが」
そう言ってロッカは行きで調達した菓子折りをレイに手渡す。
- レイ「どうも気を遣わせちまって。ありがとうございます」
- 織田「……あぁ、こんにちは。非番の時にすまねぇな」
- レイ「織田サンもいんのか。神職には嘘吐けねえな。なあ?オズ」
レイが部屋の中に声を掛けると、ごにょごにょとか細い声が返ってくる。
- レイ「まあ汚えけど入ってくださいよ。尖ったものとか踏まないように」
注意を促しながらレイは三人を室内へ案内する。そもそもが手狭なのもあるが、室内のほとんどがよくわからない物で埋まっており、足の踏み場を探すことで精一杯の有様だ。玄関から洗面所脇の通路を少し進んで居間らしい空間までいけば、ようやく座る余裕がある。そしてオズ自身もそこでローテーブルの前に居座っている。
- リオン「いつきても小奇麗な部屋だね、オズ」
「だからハウスクリーニングを呼ばないんだろ?」
するとリオンが言い切る前にロッカが彼女の肩を掴んで織田の背後に隠す。
- ロッカ「初手から第二第三までバッドコミュニケーションするのやめてくれません?先に車内戻りますか?」
- リオン「えー?」
二人の会話を聞いていたオズが口を開く。
- オズ「全て儂の必要な位置にあるんだよ、リオン」
「養鶏場のように全て仕切られていればいいというものではないんだ」
二人の視線の先には、真夏の室内だというのに厚手のコートを着た女性がいる。彼女がオズだ。
- 織田「あー…ゴホン。初めまして」
あなたが絵画世界を描いたオズさん、ですね」
普段敬語を使い慣れない織田も、さすがに言葉遣いを改める。
- 織田「あの絵画について聞きたい事があるのですが、良いですか?」
- オズ「かまわないよ。今更そのことについて尋ねられるとは思わなんだ」
オズはゆったりとそう答えると、湯呑からお茶を啜る。
- 織田「えー、それでは……あの絵画はいつ描いたものなのですか?」
- オズ「忘れた。最近ではないことは確かだが……」
「少なくとも一世紀以上は前の作品だな」 - ロッカ(長生きの夢か。ちょっと親近感)
織田は慣れない様子で手帳に情報を記録する。
- 織田「では、あの絵画はどういう時に描いたのか覚えてますか?」
- オズ「ふむ。どういうときかと訊かれたら、弟子が死んだときだな」
- 織田「弟子?その弟子とはどのような人なのですか?」
- オズ「人ではない。夢だ。生ける夢だな」
そう言ってオズはほっと息を吐く。
- オズ「不出来な弟子だったよ」
- 織田「なるほど……」
「話は絵画に戻るのですが、あの絵画を描いた経緯を教えていただけますか?」 - オズ「弟子を哀れに思ってな。彼のクオリアを顔料にして、彼の故郷を描いた」
「そうすることによって仮初の世界を生み出すことができる。そういう技術があったのだ。当時はな」 - 織田「当時は、ということは今は出来ないのですか?」
- オズ「どうだろうな。試してみないことにはわからんが、特殊心理対策局に禁じられているのだ」
- 織田「禁じられている……?」
「禁止にされるほど何かマズいことでもあったのですか?」
織田が疑問に感じていると、ロッカが会話に口を挟む。
- ロッカ「ようは夢界を作るってことなんでしょう。それは私も禁止されますからね」
「或いはクオリアの加工は専門の職人でないと悪性クオリア化することがありますから、そっちかも」
ロッカはそこまで話すと少し考え込んでから話を続ける。
- ロッカ「ところで」
「その絵の修繕を誰かから頼まれたことはありますか?」 - オズ「ふむ。あるとも。それにしたってかなり前の話だが」
- ロッカ「差し支えなければそれを少し掘り下げてお尋ねしても?」
「先ほど出ていたお弟子さんなのか、或いはまた別の人物か」
「そして、修繕はどのようになったのかを」 - オズ「かまわないよ。レイ、お茶を淹れてくれるかな」
- レイ「おい、私はメイドじゃねえぞ」
レイは悪態をつきながらも、湯呑に並々に注いだ緑茶を勢いよく連続でテーブルに置く。
- ロッカ「っとと。ありがとうございます」
- オズ「ありがとう。そう、修繕のことだがね、儂は断ったよ」
ロッカは自分の湯吞を手に取る。
- ロッカ「……それはまた、どうしてです?」
「1世紀前ともなればまだ奇書院の設立も怪しいところでしょうし、禁止が理由というわけでもないですよね」 - オズ「そうだよ。特心対のしがらみなんて関係無かった。理由は単純だよ。約束したからさ」
そう言うとオズは緑茶を啜る。オズが湯呑を置くのを待ってロッカはさらに追及する。
- ロッカ「約束、ですか」
「誰との、どんな?」 - オズ「弟子が死んでしばらく経って……、そのときの盟友と」
「絵画を破棄しない代わりに修復をしないとな。そうして彼が絵画を島に安置したんだ」 - ロッカ「その島が、朧島……」
- オズ「当時は都合の悪いものは、なんでもみぃんなあの島に棄ててた」
- ロッカ「あはは、それが原因で拗れたところもあるんでしょうね、もしかしたら」
- オズ「責任逃れの答弁には苦労したともさ」
オズはぬるい笑みを浮かべる。
- ロッカ「ああ……心中お察ししますというかなんというか」
そこまで話すと、ロッカは少し考え込んだ。
- ロッカ「仮に、ええ、仮定の話なのですが」
「夢界を生成する物品であるのなら、想像力を注ぎ込めば、その絵は元の姿を取り戻すのでしょうか」
二人の会話を黙って聞いているレイが何を言うでもなく、ロッカをじろりと見つめる。しかし当のオズは、表情を変えずにロッカの問い掛けに答える。
- オズ「理論上は、そうなるな」
- ロッカ「なるほど、理論上は……。ありがとうございます、参考になります」
「さて……随分と長居してしまいました。これ以上はご迷惑になるかと思いますので、このあたりで」
「今回はとても貴重な話を聞かせていただき、ありがとうございました」
ロッカそう微笑みながら丁寧に一礼をする。
- オズ「かまわないよ。暇になったらまた遊びにくるといい」
- ロッカ「ありがとうございます。今度は急ぎでなく、もうちょっとしっかりした菓子折り用意して来ますね! 」
「同じ長命の生ける夢の先達として教わりたいこともいっぱいですから」
オズは薄く微笑み三人に別れを告げ、部屋の外までレイが見送りをする。リオンはやや不満げに言葉を漏らす。
- リオン「全然喋れなかったし」
- ロッカ「当たり前でしょ。あれ以上煽ってにこやかに終われるもんですか」
「っていうかよくもまあマジで。本当よくもやってくれましたね、死ぬほど焦りましたよ」 - リオン「あんなのは挨拶みたいなもんじゃん?」
- ロッカ「挨拶も陸の文化水準に合わせてもらえると助かります」
「……はあ、しかし結局しゃしゃり出てしまった。予定じゃなかったのに」 - 織田「悪かったな。口下手でよ……」
拗ね気味の織田にロッカは息を漏らす。
- ロッカ「もう、一々拗ねないでくださいよ」
「というか、猫を被るのを投げて助けに回ったんですから、少しくらいは褒めても……」 - 織田「こっちだって猫被ろうと一生懸命だったんだよ」
「……まぁ結果的に情報を引き出せたわけだし助かったから……なんだ。ありがとよ」 - レイ「織田サンはいつも生ける夢の女の尻に敷かれてんな」
- 織田「うっせぇ」
- レイ「へいへい……」
三人はレイにも別れを告げ、ノスが待つ車内へ戻る。
- ノス「おかえりなさい。どうでしたか?」
- リオン「まずまずかな」
「次は美術鑑賞行く?」 - ロッカ「もちろんです」
- ノス「絵画ですね?院に許可は頂いてます」
そう言ってノスは車のエンジンを掛け、切り返して敷地から道路に出る。
ロッカは軽くに伸びをすると、オズの印象を振り返った。
- ロッカ「しかしオズさんでしたか、穏やかな人でしたね」
「私が約束の反故を匂わせても少しも怒ろうとしてませんでした」 - リオン「まあ、ああ見えてエルダーだからね。多少の事では動じないだろうさ」
ロッカはなるほどと頷くが、ノスは「お二人もエルダーでは」という言葉を飲み込んだ。
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