ある傭兵の初笑い

ページ名:hatuwarai

12月31日大晦日。世間は新年へのカウントダウンに備え始める22時頃に、三葉はゼロメアの社員寮から本社へ向かう短い道を歩いていた。背負ったリュックサックには新年を祝う夜更かしの為のアイテムが詰め込まれている。本社ビルにある自分たちチームの部屋で新年を祝おうという腹積もりだ。

「寒み……」

白い息をほっと吐いて本社があるビルを見上げる。だいたいの企業は仕事納めが終わっているであろうこの日にも、外から見れば窓の明かりがところどころ点いているのがわかる。基本的にダイバーという職業には祝日などに特別な休みは無いが、彼女は古巣のウィードに居た頃からメリハリをつけるために年始は休みを貰っていた。

今日の仕事を終えた帰り、遠目ではあったが宍戸が出勤しているのを見つけたので、とりあえずは彼を新年のカウントダウンと初詣に誘うつもりだった。彼はだいたいは詰め所にいるが、もし本社にいなかったときには、まあ電話を掛ければいいだろうと。そう思いながら部屋を覗くと、ソファでは宍戸が一人で横になっている。しめしめと三葉はコートも脱がずに忍び足で宍戸の頭側に回り込むと、宍戸の顔を覗き込む。すると全くの無音にも関わらず宍戸の目が開いた。しかし三葉が驚いて固まっているうちに、侵入者を三葉だと認識したからか、宍戸はじっと三葉を見つめていた目を再び閉じてしまう。
不意打ちに失敗した三葉は、ヤケクソとばかりに宍戸の両頬を冷えた手で触る。

「冷たい」

宍戸は目を閉じたまま率直な感想を述べた。

「外から来たのか」

「おう!年越しにきたぞ」

「そうか」

自分の頬に触れたままの三葉の手に触れ、優しく退かすと、宍戸はゆったりとした動きでソファから起き上がる。

「悪いな」

「良いってことよ。なあ、お湯とか沸かしてるか?」

「いや」

「年越しそば作るからよ」

「今か?」

「まだ早えかな?」

そう言いながら三葉はキッチンの下段の戸棚に身体を突っ込んで鍋を探している。そんな彼女の姿を宍戸はいつも通りの無表情で、しかしどこか物言いたげに見守っている。

鍋を取り出して軽く水洗いすると、三葉はサックに乾麺の蕎麦を取りに宍戸の傍に寄る。

「私とお前だけになりそうだな。2玉食う?」

そう言って提示された乾麺の袋を一顧したあと、彼女がやろうとしている事を理解した宍戸は三葉を見た。

「なるほど」

「2玉食うかって訊かれて"なるほど"って言う奴があるか」

乾麺の袋を突き付けてずいっと接近する三葉に対し、宍戸は微動だにしないが、彼女から目を逸らすように袋に視線を落とす。そして再び三葉をじっと見つめると、彼女の肩を持って対面のソファにすとんと座らせる。

「おぉ?」

「俺は……これから出撃がある」

宍戸の珍しい挙動に三葉は少し戸惑った。が、それよりも彼の発言が戸惑いを上書きする。

「悪い」

「マジかよお前」

対面50cmの距離で短く謝罪する宍戸の言葉をようやく噛み砕いた三葉は、いつものように怒る事はなく、犬の尻尾のように徐々に徐々にだらりと垂れ下がる両手から乾麺の袋がずり下がる。がっかりというより呆れだ。

「これからっつったらお前、仕事中に年越すじゃねえか」

「そうだな」

「お前……お前、大晦日と元旦くらい……」

気持ちの逃がし方に迷ってやきもきする三葉を、宍戸は無表情で見つめている。

「ある人にとってはそうなのかもしれないが、俺には普段と変わらない」
「特別な日ではないんだ。だから、大丈夫」

「……」

「せっかく色々と用意してくれたというのに、すまない」

「お……」

「?」

「おぉおぉそうか。じゃあ来年からは特別を一つ追加すんぞ」
「どうしてもそうしなきゃいけない、ってことは確かにないが。人はパンのみに生きるものに非ずって言うだろ」

「来年か?」

「来年だよ。絶対空けとけよな」

「わかった」

宍戸は三葉の強引な物言いにも関わらず、やはり無表情で頷いた。しかしそれを見た三葉は上機嫌になり、すっくと立ちあがってキッチンへ向かった。

「初詣も行くぞ」

「あぁ」

背後に宍戸の声だけを聞きながら、三葉は水の入った鍋を用意しIHのつまみを捻る。

「0時までまだ1時間以上ある」

「一人で会社にいてもしょうがねえ。蕎麦食ったら帰るよ」

「そうか」

そう言って宍戸もソファから立ち上がる。

「着替えてくる」

「おう、頑張ってきな」

「わかった」

宍戸は三葉の言葉に抑揚の無い声で答えると、道具を持って部屋を後にした。

それを横目で見送った三葉は、ほっと溜息を吐くと煮沸を中断する。

「帰るか」

独り言を呟いてコートを取りに向かう途中で、脚が当たってテーブル上のディスクケースが落ちた。煩わしく思いつつそれを拾い上げると、何の気なしにタイトルを黙読した。

「宍戸と劇場で観に行てからもう四か月とか経つのか」

しみじみと呟いた三葉は帰る気が変わり、ケースを一旦置いて共用部の戸棚を漁り始める。そしてまだ封が切られていない安酒を取り出してテーブルに置き、適当なコップに注ぐ。それからデッキに映画のディスクを挿入し終え、ソファに深く腰掛けてコップの酒に口をつける。

「だがまあ……一人で寮にいてもしょうがねえ」

独り言を言いながらリモコンの再生ボタンを押す。まず映画供給会社のロゴが大きく映し出され、次に本編と全く関係ない映画の広告が始まる。三葉は苛立ち気味にそれらをリモコンの"次"ボタンを連打して本編まで飛ばす。

映画はまず夜の雪原にあるコテージを映すところから始まり、そこには一貫して無表情の初老の男性が住んでいる描写がされる。シーンが変わると車内にぎゅうぎゅう詰めの武装集団が映し出され、どうやら男性を暗殺しようとしているのが分かる。

映画開始5分で派手な銃撃戦が始まる。武装集団は豊富な人員と火器でコテージを蜂の巣にするが、気が付くと回り込んで来ていた男性に全滅させられる。隠居した初老の男性は元諜報機関のエージェントだったという内容だ。

映画を観る三葉の顔に、画面に瞬くマズルフラッシュが照り返す。映画は90分の作品だが、ほとんどは銃撃戦で残りは濡れ場と皮肉の応酬だ。大口径の銃弾が身体を貫通し肉が飛び散る映像を観ながら、三葉は平気な顔をして酒と持ち込みのお菓子を楽しむ。

映画の半ば、男性は自分が致命傷を与えた敵ボスの側近を揺すり起こし、情報を聞き出そうとするシーン。「俺は急いでるんだ。早く情報を吐けば楽に殺してやる」と悪役顔負けのセリフを言いながら、男性は敵の傷口を親指で抉る。

「痛ぇ~」

三葉は画面内のスプラッタをまさしく他人事といった様子で映画鑑賞を楽しんでいたが、もうじき年越しだというタイミングで眠気が強くなっていき、少しずつ瞼が重たくなっていく。

(やっぱ誰かと話してねえと眠ぃな……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「━━つば。三葉。……三葉」

自分の名前を何度も呼ぶ声に目を醒ますと、時刻は1月1日の深夜1時を回っていた。時計から視線を外すと、ソファの前で宍戸が屈み込んで三葉の事を気に掛けていた。

「おぉぅ……」

「ベッドで寝た方がいい。腹が冷える」

そう言って手を突き出した宍戸の手をとると、彼の手はすっかり冷え切っていた。

「宍戸。……お前仕事は?」

「終えてきた」

「それで帰ってきたのか。……雪ついてる」

そう言って三葉は手で宍戸の頭に乗った雪の結晶を払う。

「で何しに来たんだ?私がいるとも限らないだろうに」

「"来年は特別を追加する"と言ったから帰ってきた」

至って真面目な宍戸を、三葉は目を丸くして見つめる。

「来年……なるほど。確かに今は来年か」
「って、普通そうはならねえよ。まったく……」

「違ったか」

「いんや、違くねえ。……ふうむ」

三葉は顎に手を当てて少し考える。

「……蕎麦食うか?戦ったら腹減ったろ」

「ありがとう。いただくよ」

「年越しちまった蕎麦だが、まあよかろ」
「茹でるからそこで待ってな」

三葉はセーターの袖を捲くり、キッチンに立つ。彼女がふと振り返ると、宍戸はブルーレイのケースを手に取って眺めていた。彼は見られている事に気が付くと、ケースを三葉に提示する。

「これ、前に観にいったな」

「おう。……ディスクはデッキにあるから、蕎麦食いながら観ようぜ」

「わかった」

「寝て起きてからでもいいから、初詣も行くぞ」

「わかった。行こう」

「よっしゃ。じゃあ蕎麦のどんぶり用意出してくれるか」

「わかった」
「三葉」

「なに?」

「……明けましておめでとうございます」

「おう。明けましておめでとう」
「……その後は"今年もよろしくお願いします"って続けんだ普通は」

「そうだった。今年もよろしくお願いします」

「へへっ、今年もよろしくな」

三葉は、宍戸が「ふっ」と笑った声がして振り返った。

 

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