アイマスクで視覚を封じられている為か、あるいは自在に姿を変える事ができる生ける夢にとっては目を覆われるロールプレイに過ぎないが、三人の聴覚は鋭敏になる。人通りの多い道路が数車線ある大通りを抜け、かと思えば閑静な道の勾配を何度か経て地下らしき音が反響する場所で停車する。車のエンジンが停止されると同時にノスが三人に声を掛ける。
- ノス「お待たせ致しました。駐車場に着きましたよ」
「アイマスクを外していただいて構いません」
ノスの声で三人はアイマスクを外し、ロッカは大きく伸びをする。
- ロッカ「ちょっとした休息になりましたね」
- 織田「寝ちまいそうだったぜ」
- ノス「お疲れ様です」
リオンは眠気醒ましに頭をブンブンと振ってからノスに尋ねる。
- リオン「んで、君が中まで案内してくれるの?」
リオンの言葉を聞いたノスは残念そうな表情をした。
- ノス「残念ですが、私が入場する許可は降りませんでした」
- ロッカ「あら……」
- ノス「それなので、私は車の傍で待機しています」
- リオン「了解。戻るときに連絡するよ」
三人は駐車場でノスと一旦別れ、エレベーターで重要保管庫のエントランスのある地上階へ足を運ぶ。するとポーターのような整った装いの男女が三人を出迎えた。彼らは深々と一礼すると、男性ポーターが三人に声を掛ける。
- 男性ポーター「ようこそおいでくださいました。……お荷物の中を拝見しても?」
彼は一応?という風なやや釈然としない様子で尋ねてくる。
- ロッカ「わかりました。どうぞ」
ロッカがそう言って床に貼られた印のところまで前に出ると、女性のポーターが身体検査および持ち物検査を始める。
- ロッカ「生ける夢相手でもちゃんと性別合わせてくれるもんなんですねえ」
「あ、零れる子蜘蛛はほっといたら消えますけど、潰しても別にいいですよ」 - 女性ポーター「ご遠慮させていただきます」
彼女はロッカから零れてきた子蜘蛛をおもちゃを沢山抱えるようにして返却する。
- 女性ポーター「主任、この蜘蛛たちは?」
- 男性ポーター「"問題無し"にチェック」
- 女性ポーター「承知しました」
ロッカのすぐ横で織田とリオンも問題なくチェックを通過する。
ポーターたちはサラサラと書類にペンを走らせた後、三人に施設内を案内する準備に移った。
- 女性ポーター「失礼致しました。こちらへどうぞ」
ロッカが丁寧に礼をしたのを横目に、織田とリオンも数拍遅れてぶっきらぼうに会釈する。
女性ポーターの先導で通路を進んでいき、突き当りでエレベーターに乗って地下へ向かう。織田は普段利用するエレベーターよりも高速で下降してゆく事に穏やかな浮遊感を覚えつつ、余裕そうにこちらを見てニヤニヤしているリオンをひと睨みした。すると女性ポーターが口を開いたため、三人はそちらに注目をした。
- 女性ポーター「階層に到着してからは、区域管理者の"ブラスリム"に案内を引き継がせていただきます」
- ロッカ「わかりました」
短い会話が終わり、一拍置いてからリオンが質問した。
- リオン「管理者ってダイバーなの?」
- 女性ポーター「は。……ああ、いいえ。正式にはダイバーではありません」
「登録と呼称の都合上の名称なので」 - リオン「ふうん。ありがと」
リオンが納得しているようなしていないような、微妙な反応をしていると、織田は空中に指を走らせ綴りを確認する。
- 織田「ブラス……b、r……」
- ロッカ「"真鍮"ですよ」
織田がギッとロッカを睨んだところでエレベーターは該当階へ到着する。
- ロッカ「ほら、失礼のないように」
- 織田「わかってるっつうの、うるせえな」
エレベーターが上品なベルの音を鳴らしてドアを開くと、すぐ外で車椅子に腰掛けた老人が三人を笑顔で出迎えた。女性ポーターは"開延長"のボタンを押してから老人の前に出ると、車椅子のブレーキを解除してゆっくりとバックさせる。
- 女性ポーター「……ちょっと、出られないので車椅子押しますね」
- 老人「おっと、申し訳ないね」
ははは、と笑ってポーターに退かされている老人を見ながら、三人はエレベーターを降りる。ポーターは小さく息を吐きながら三人に向き直り一礼をする。
- 女性ポーター「彼がブラスリムです。では私はこれで失礼致します」
- リオン「ありがとね」
- ロッカ「ありがとうございます」
- 女性ポーター「お帰りの際は内線でご一報ください」
- 織田「おう」
エレベーターのドアが閉じるのを見送ると、今度は老人に向き直る。ブラスリムと呼ばれた老人は穏やかに微笑んで車椅子に腰掛けて三人を見つめている。
- 老人「お待ちしておりました」
老人が座ったまま礼をしてから、上体をもたげるときに真鍮製の眼鏡のフレームが光を鈍く反射する。
- ロッカ「ありがとうございます」
- 老人「お話は伺ってます。顎骨を見たい方々ですな」
- 織田「ああ、緊急の用事でな」
「少し調べさせてもらってもいいぃ……ぃですか?」
ざっくばらんな口調を寸でのところで修正した織田の横で、ロッカはひきつった笑顔をしている。そんなロッカに織田は"修正したからいいだろ"という風な不満そうな顔を向ける。
- 老人「ええ、ええ。いいですとも」
「連絡をいただいておりますよ。いやあ、お客さんなんて久々だ」
老人はそう笑って車椅子を反転させ、通路の奥へと三人を案内する。
- 老人「ついてきてください。少し奥まったところにあるんですよ」
「なにせ古いものですから……。あれは、どのくらい前だったかなぁ」
思い出に耽って前進が疎かになる車椅子を、リオンが手でグリップを握って押していく。
- リオン「奥にしまい込まれてるんなら、もう調査は終わってるんだね」
「局とか院で再調査とかしないの?」 - 老人「今のところは何も仰せつかっていませんねぇ」
- リオン「なるほどねえ」
- 老人「ときに、あなた方はどうして今更あの顎骨が必要なんですかな?」
ロッカは老人の視界外に立ち、織田の耳元で囁く。
- ロッカ「"特総医からの守秘義務がありますので、お答えしかねます。翻ってまあ、概ねそういう理由です"」
「はい、Say」
織田はロッカに渋い顔をするが、仕方なく復唱する。
- 織田「あー……"特総医からの守秘義務がありますので、お答えしかねます。翻ってまあ、概ねそういう理由です"」
- 老人「ああ、そうですよね……。守秘義務ね。はいはい」
「そういえば」
老人は自分が蚊帳の外と知るや話題を切り替える。
- 老人「ときにお三方、シャボテンを育てたことはありますかな?」
サボテンという言葉を聞くやいなや、ロッカは織田の横からひょこっと顔を出す。
- ロッカ「あ、ありますよ!おいしいですよね!」
唐突に上機嫌になったロッカに織田が驚いていると、老人は少し戸惑って続ける。
- 老人「まあ、食用もありますわな……私が話すのは観賞用のシャボテンの話なのですが」
「シャボテンというのはね、人の来ないそれは寂しい砂漠に生えとるんですよ」 - リオン「水やりサボっても枯れないからいいよね」
- 老人「……だから夜中にね、一人月の光の下でシャボテンを眺めとると」
「そういう砂漠の寂しさがこぉー伝わってくるんですよ。シャボテンからね━━」
三人は話半分に老人の長話を聞いていた。
- 老人「━━なにをお話しようとしたんだったかな……」
「そう、くだんの顎骨でも同じことが起きるんですな」 - ロッカ「……ぁん?えーっと、顎骨でも同じことが起こるとは……?」
聞き流していたところに突然本題が飛び出てきて、ロッカは思わず老人に聞き返す。
- 老人「顎骨に触るとね、彼が生きていた島の様子がね、浮かぶんですよ。あなた方もやってみるといいです」
- リオン「そうなんだぁ。面白そうだねえ」
リオンが場を繋いでいる間にロッカは再び織田に耳打ちする。
- ロッカ「(単なるボケの妄想じゃなかったら悪夢の侵食ですね)」
「(あとで報告しといたほうがいいと思いますよ、色んな意味で)」 - 織田「(そうだな……)」
- 老人「おっと、ここですな」
三人の中で不穏な空気が漂う中、顎骨が収められている区画で老人は車椅子を止めた。彼がカード通す事で鉄の扉が開いて室内へ入れるようになり、三人は車椅子の先導に続いて入室した。
強固な壁で囲まれた部屋の中心には恐らくはポリカーボネートなどの素材でできた透明なケースが置かれており、その中でクッションに乗せられている顎骨が見えた。遺骸と比較して小さい其れは、人間の顎骨と同じサイズに見える。三人が顎骨をまじまじと観察していると、老人がいそいそと手袋を配布し始める。
- 老人「これを着けた人から、触れていただいて構いませんのでね」
「くれぐれも、優しくお願いしますね」
ロッカは適当に返事をしながら生ける夢が手袋をする意味について考えを巡らせつつも、とりあえず手袋をする。リオンは織田に続いて手袋をしたところで、目を細めて顎骨を見つめる。そしておもむろにロッカに近づき小声で話しかける。
- リオン「織田くんけしかけろよ」
- ロッカ「わ、ナチュラルいじめっ子だ。いいですけど」
「織田さん、それ手に取ってくれますか?」 - 織田「は?」
- リオン「男の子だろう?」
- 織田「うるせえ。最初から聞こえてんだよ」
「……今は情報が欲しいから触るけどよぉ」 - ロッカ「やだぁ、ガールズトークに聞き耳立てるだなんて、やーらしいおじさんですねえ」
- 織田「なんだと?」
ロッカとリオンは織田の反応を見て邪悪に微笑むと、さらに畳み掛ける。
- ロッカ「……煽り立てようかと思ったんですけど、今回は素直でしたねえ。いやはや」
- リオン「なにかあったら瓶詰の夢かけてあげる」
- ロッカ「介錯もちゃんとしてあげます!あんしん!」
織田は反論したげにもごもごするが、結局はそれらを溜め息に代える。
- 織田「ったく、他人事だと思いやがって……」
「……んじゃあ、ちょっと手で触りますよ」 - 老人「どうぞ、どうぞ」
織田は老人から許可を得ると、ゆっくりと顎骨に触れる。
ある程度の経験を積んだダイバーであれば、この顎骨がごく微量の夢源を帯びている事がわかる。それは手を振れた者に流れ込み、現実に透過状態で上書きされるように脳裏に奇妙な映像を見せる。
世界樹のレリーフが象られた礼拝堂。そこでお互い背を向けて何者か同士が会話をしている。
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- 織田「礼拝堂……絵画世界?」
「前者はともかく、絵画世界ってのはなんだ?」
ぶつぶつと独り言を呟きながら顎骨から手を離す。
- 織田「確かに……、頭に映像が浮かんできたな」
- 老人「そうでしょう?」
老人はゆったりと微笑む。織田は彼が手元の資料に目を落としている隙にロッカに囁く。
- 織田「(とりあえず妄想の線じゃねぇな。ついでに侵食ってほどのもんでもない……と思う)」
「(ただ映像を見せてくるだけだ)」 - ロッカ「(それはあなたが人間であるからで、クオリアの魂の私には……)」
ロッカはそこまで言いかけたところで溜め息を吐いた。
- ロッカ「(まあ、いいですよ。ちゃんと男の子頑張りましたもんね?)」
そう言って覚悟を決め、ロッカも遅れて顎骨に触れる。すると彼女の脳裏にも織田が観たものと同じ映像が流れる。
- ロッカ「……ふむ。確かに知覚できますね」
「大体共有しました。私も侵食されたわけではなさそうなので、リオンさんもいっときます?」 - リオン「いっとこうか」
そう言ってリオンも顎骨に触れる。
- リオン「お爺さん、毎晩これ見て癒されてんの?」
- 老人「そうですな」
ロッカはリオンが老人と話している間に織田に耳打ちする。
- ロッカ「(瓢箪から駒というかなんというか。まあ、あまり彼からの情景は参考にならなさそうですね)」
「(何を見たか、どう解釈するか、は話し合う余地があると思いますが……)」
「(彼を蚊帳の外にするのも可哀想ですし、適当に話合わせて引き揚げましょう)」 - 織田「そうだな。奇書院のあの研究者に聞けば何かわかるかもしれねえし」
この後の行動が決まったところで、老人はロッカにも話を振ってくる。
- 老人「島の景色が浮かんだでしょう?」
- ロッカ「ええ、寂しい白波が思い浮かぶようですね……」
- リオン「うんうん、うんうんうん」
ロッカが老人の死角から撤収のサインを出すと、リオンは大袈裟に頷いて適当に話を切り上げる。
- リオン「もっとお話しを聞きたいところではあるんだけど」
「用事が済んだから、僕たちそろそろお暇するよ。いろいろありがとう」 - 老人「また遊びに来てくださいね」
「手袋はそこに置いておいてください」 - ロッカ「わかりました」
三人はそれぞれ手袋を外して置いていく。
- ロッカ「お時間を取っていただき、ありがとうございました」
ロッカが一礼をすると、老人も座ったまま会釈をする。リオンはロッカの背後を手をひらひらと振りながら通過していき、織田も浅く会釈をして三人はその場を後にする。
- ロッカ「リオンさん、あの映像に出て来た二つのワード」
「礼拝堂と絵画世界、これピンとくるものあります?」 - リオン「いいや。それだけじゃあわからない」
「詳しくモノが分かれば、似たような現象を知ってるかもしれないけど」 - ロッカ「いかんせん、あの映像だけでは、か」
エントランスでポーターたちにも退出を告げ、三人は駐車場に戻る。移動に使っている車の運転席では、認可の関係でひとり置いてけぼりにされたノスがシートの背もたれを下げて仮眠をとっていた。
三人は無言で互いの顔を見合うが、浅く首を傾げたリオンが運転席のガラスを指で軽くノックする。
音に反応したノスは寝ぼけ眼のままドアのロックを解除し、シートの背もたれを上げて伸びをする。
- ノス「くぁ~……おかえりなさい」
「思っていたよりお早い」 - ロッカ「お昼寝の邪魔をしてすみません」
「有り体に言うと、あまり得られるものがなさそうだったので」 - ノス「そうですか……。それは残念でした」
三人が乗車すると、ノスは眠気醒ましにタブレットを噛み込み、シートベルトを装着する。
- ロッカ「見る人が見れば毒の元を検知できたのかもしれませんけど
「まあゴリラ、商人、シスターですから、いかんせん。と」 - 織田「誰がゴリラだ」
- ロッカ「で、少し雑談なんですけれども」
- ノス「はい」
ノスはエンジンを始動する手を止めてロッカに振り返る。
- ロッカ「世界樹関連の信仰って夢の使者にあるんでしょうか?それともローグダイバーのもの?」
「自身の宗派にしか詳しくないものですから、こういった事柄は案外ダメダメでして」 - ノス「世界樹信仰……。有名なのはユグドラシル様のですね。アルカディアと別の団体が過去にいくつか記録されていたようですけど、たいていは聖夢想教会に併合されています」
「詳細は院に戻れば分かると思います」 - ロッカ「ゆぐどらしる?」
なにそれ?みたいな顔で織田を見る。
- 織田「虹水晶の親玉らしい。俺も直接会ったことはないが……」
「まぁあのレリーフはアルカディアの物じゃなかったはずだからおそらく無関係だと思うぞ」 - ロッカ「ふむぅ……。聞き込もうと思ったんですけど宗派が途絶えてちゃどうしようもないですねえ」
「ただ、類似した象徴があるということは」
「妄想ではなく現実にしろ夢界にしろ過去に明確にあったことなんでしょうね、アレ」 - 織田「ふうむ……」
少し考え込んだ後に、織田が続ける。
- 織田「……あぁ、だったら絵画世界の方はどうだ」
「そっちなら何か情報が残ってるかもしれねぇ」 - ロッカ「そうですね」
「ノスさん、もうひとつ。絵画世界って聞いたことあります?」 - ノス「絵画世界……、ですか。院に戻ったらそっちも調べられるよう申請してみます」
- ロッカ「ありがとうございます」
「では一旦、奇書院に戻っていただけますか。それでいいですよね?」 - 織田「おう」
- リオン「いいよお」
- ノス「承知致しました。ではすぐに院に戻ります」
そう言うとノスは車のエンジンを始動させ、奇書院へ向けて運転を開始した。
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