駐車場にはエドガーが既に到着してロッカたちを待っていた。
- ロッカ「ご足労お掛けしてすみません」
- エドガー「いや、いいんだ。このくらいなら歩いて帰るさ」
彼はそう言って車のスマートキーをロッカに手渡す。
- ロッカ「ありがとうございます、神父」
「織田さんが運転してくれます」
彼女がキーを両掌で包んで簡易的に祈りを捧げると、エドガーは柔らかい表情で続ける。
- エドガー「構わないよ。院では失礼のないようにね」
ロッカは心の中で彼の言葉を噛み砕く。そして少し申し訳なさそうに、しかし確固たる意思を持って答えた。
- ロッカ「神父、その……なんですかね」
「……どーしても気になる事があるんですよね」
エドガーはその言葉の意味するところをすぐに察した。
- エドガー「ふむ」
そして彼は小さく息を吐いて続けた。
- エドガー「ならやりなさい」
ロッカは目を丸くする。
- ロッカ「……いいんですか」
エドガーは落ち着いた様子でロッカの問いに頷く。
- エドガー「すべき事をしてきなさい」
ロッカはエドガーに対して、目標、ここではロトの為にあらゆる手段を取る"許可"を請うたのだ。そしてエドガーはそのことを理解した上で、すべき事をしろと命じた。
ロッカは彼に深く一礼をする。そして車のキーを織田に手渡すと、織田は運転席に、ロッカが助手席、リオンは後部座席に乗り込んだ。
織田が車外のエドガーに会釈をすると、エドガーも小さく会釈し返した。
- 織田「出すぞ。ベルトしろ」
ロッカ「はい」
リオン「はーい」
織田がエンジンを始動させてサイドブレーキを解除すると、車はスキール音を立てて荒々しく発進した。
三人はエドガーから借り受けた車で奇書院へ向かう。奇書院はその名の示す通り、古今東西の夢現事象に纏わる資料、属にいう"奇書"を数多く保管している。その中に毒や遺骸に関する情報があるのではないかと踏んでの訪問だ。
仮に過去の資料に情報が無くとも、遺骸の調査は奇書院が主導で行っている。唯一の手掛かりであり事の元凶である遺骸は院で調査中であり、ロトを案じるロッカにはどの道、奇書院に赴かない理由が無かった。
移動中に思い出したように訪問の約束を半ば強引に取り付けたためか、三人の来訪は歓迎されていないようだった。辛うじてリオンが役職の効果でたまに挨拶をされる程度で、その他はどの職員も手が離せないとでいった様子で、目の前を忙しなく素通りしてゆく。それらを少々うんざりして目で追っていると、男性職員が声を掛けてきた。
- ノス「ロッカ様と織田様、それとリオン様ですね」
ロッカは中世的な佇まいをした研究者からの問い掛けに小首を傾げる。
- ロッカ「はい。えーと、あなたは?」
- ノス「申し遅れました。あなた方のご案内を担当させていただきます」
「ノスといいます。以後お見知りおきを」 - ロッカ「宜しくお願いします」
「ゆっくりとお話する時間もなくてすみません。来訪して早々ですが、毒素について院の調査結果を拝見したく。自己紹介は歩きながらしましょう」 - ノス「承知いたしました。こちらです」
余裕がないように話を急ぐロッカのペースに合わせ、ノスは用意した部屋へ三人を案内しはじめる。資料が置かれた部屋へ向かう道すがらにノスは院のダイバーたちの対応を詫びた。
- ノス「他の者たちが無礼な振る舞いをして申し訳ありません」
「皆、此度の出来事の研究に夢中なのです」 - ロッカ「いえ、こちらも急な訪問でしたので」
ロッカがノスと話をしている間、織田とリオンは静かにしている。弁えているというべきか。
少し歩いて目的の部屋に辿り着くと、ノスは網膜スキャンでドアを開錠し、三人を室内へ招き入れる。部屋は殺風景な会議室といった場所で、白を基調とした室内のテーブルに書籍などの資料が纏めてある。三人が部屋を見渡している間に、ノスは紙媒体の資料を手際よくホワイトボードに張り出してゆく。
- ノス「こちらをご覧ください。これが遺骸から検出された毒物。……そしてこっちは既存のスキルから検出される毒物。こっちは記録されている悪夢などから検出された毒物。どれも同じダイバーを通して調査したものです」
三人は促されるままにずいっと身体を乗り出して資料を見比べる。夢現事象である夢界の毒素は写真上では修正力により消えてしまう為、特殊な道具を用いてその影でシルエットを資料に残す。遺骸から検出されたものは比較用に提示された二つの毒物のシルエットとは素人目にも異なって見えた。
- ノス「遺骸からのものは過去のどのものとも根本から異なります」
「既存のスキルでは治癒ができないわけです」 - ロッカ「根本から、というのは?」
- ノス「スキルの源流が違うのです。今夢界で見られる毒の多くは、大元の源流を同じくしているがために共通のスキルで治癒ができます。しかし遺骸から検出されたこれは、全く別の源流を持つようなのです」
- ロッカ「なるほど、あの島で生存競争が発生した結果、突然変異で別体系レベルのところにまで隔絶してしまった、とか、たぶんそういうところなんでしょうね」
ロッカはそこまで話すと難しそうな顔をする。
- ロッカ「しかしこれ……、治療方法を模索するにはまず原型を特定しないと話にならなさそうですよ、織田さん」
- 織田「原型を特定ねぇ……」
織田も考えを巡らせつつ、ノスに向き直る。
- 織田「例の遺骸の情報はどこまで分かってるんだ?」
- ノス「実働部隊が遺した遺留品を調査した結果では、遺骸は朧島でダイバーと交戦した個体と同一と見て間違いないです。当該悪夢の脱落した顎骨は重要金庫に保管されています」
- ロッカ「ふむ。それって申請したら見られるもんなんですかね?」
「いや、認可待ってたら遅いのかもしれないけれど……」
ノスは資料を片付けながらロッカの問いに答える。
- ノス「認可。そう仰ると思い既に申請中です。特に問題なければ通過するかと」
ノスの先読みにロッカは思わず目を丸くする。
- ロッカ「おぉ……。そんなことまでしてくださって、ありがとうございます」
ロッカが深々と頭を下げると、ノスは謙遜して続ける。
- ノス「とんでもないです。私は資料を纏めてから行きますので、先にエントランスのソファでお待ちいただいてもよろしいですか」
- ロッカ「わかりました」
- 織田「悪ぃな」
ロッカと織田はそれぞれ礼を言うと、ノスの言葉に従いエントランスへ向かって歩き出す。二人が十分に離れると、黙々と資料を段ボール箱に戻してゆくノスの背中を見つめていたリオンが疑問をぶつける。
- リオン「なぜそこまで?君、研究者だろう」
- ノス「はい、研究者だからこそですよ。リオン様ならお分かりいただけそうなものですが」
- リオン「ふうん?」
- ノス「道徳と、それ以上に……あなた方と居た方が研究が捗りそうだからです」
「第三者としては、特等席で今回の件に触れる事ができるでしょう」
そう言ったノスの言葉にリオンは思わず吹き出す。
- リオン「くくく……、つまり僕たちを利用して知的好奇心を満たそうとしてるわけだ」
「抜け目ないなあ」
けらけらと笑うリオンを横目に、ノスはにっこりと微笑む。
- ノス「その代わりと言ってはなんですが、可能な範囲で助力を惜しみません」
「さっ、リオン様もエントランスでお待ちください。荷物を片したら私も行きますので」 - リオン「はいよ。じゃあ後でね」
リオンはノスと別れてロッカと織田が待つエントランスへ向かった。二人はエントランス脇にあるソファでノスを待っており、遅れて合流したリオンにロッカは怪訝そうな顔をした。
- ロッカ「遅かったですねリオン」
- リオン「お手洗い」
即答に近いリオンの言葉にロッカは冷笑した。
- ロッカ「お手洗い。私たち夢が?嘘を吐くにしても隠す努力をしてください」
- 織田「どうせロクでもねぇ事だろうよ」
- リオン「別に。少しお喋りしてただけだよ」
「取り越し苦労だったけどね」 - ロッカ「意味がわかりませんが」
話しているうちに、白衣を脱いで支度を終えたノスが三人を迎えに来る。
- ノス「お待たせしました。では向かいましょう」
「移動手段はお車ですか?」 - ロッカ「あっ。ええ、借りてるので後で返しにいかないと」
- ノス「左様で。よろしければ保管庫まで送迎致します」
「お車はどこへお返しすればよろしいでしょうか」 - ロッカ「あ、お願いできるんですか!?」
「……えっとじゃあ、特総医まで返していただけると、とても助かります」 - ノス「かしこまりました。キーはフロントに預けてください」
- ロッカ「はい」
ロッカはノスに言われたようにフロントの受付担当にエドガー車のキーを預ける。その後は院の駐車場に向かい、ノスの案内で一台のセダン車に乗り込んだ。すると車内でシートベルトを着用したところで、アイマスクを手渡される。三人はそれぞれの反応を見せてマスクを手に取る。
- ロッカ「道中は内緒、と」
- ノス「ばからしいとお思いでしょうが、規則は規則なのです」
- ロッカ「形式は大事ですもんね。とても」
彼女はそう言ってアイマスクを装着する。
- ロッカ「『判子をお辞儀のように傾けて押す』とかといっしょですよね」
- ノス「まさに」
- 織田「規則ねぇ……」
織田はしばらくマスクを怪訝そうに眺めたあと目元に当てる。
- 織田「まぁ束の間の休息だと思えばいいか」
- リオン「生ける夢にアイマスクねえ」
- ノス「不適切かもしれませんが、お年寄りの提案に付き合ってあげてください」
ノスは少し困ったような表情……といってもアイマスクの三人からは見えないだろうが、あるいは申し訳なさそうな声色のノスがエンジンを始動した音がすると、車はゆるやかに発進した。
三人には織田が言うように、束の間の休息になるだろうか。
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