『世界の果てより』②

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ロッカと織田、そして昏睡状態のロトを乗せた輸送車が、サイレンを響かせて特総医へ急行する。
担架に寝かされたロトは苦しそうに肩で息をしており、容態が快方に向かう気配はない。

輸送車はほどなくして特総医に到着する。ほとんど入院などしない生ける夢は、本来であれば専用の区画へ運び込まれる事が決まっている。しかし緊急を要する為にロトは人間用のICUへと運ばれた。臨時の隔離措置でビニールで覆われたロトを乗せた担架が特総医の廊下を突っ切るとき、その場にいた医者や看護師が何か言っているようだったが、ロッカには何の音も聞こえていなかった。ただ治療室まで押されてゆく担架を追い続けた。

担架がICUに突入するのとほぼ同時に、ロッカと織田の前でICUの扉が閉じられる。
そして手術中を示す照明が赤く灯った。二人はその明かりに照らされる中で待つ事しかできなかった。

ロッカは指先同士をくっつけて、やや前傾しながらじっと座っている。対して織田は、背もたれに持たれて腕組みし、眉間にしわを寄せて"手術中"の明かりを頻繁に確認している。

  • ロッカ「……」
  • 織田「……」
  • ロッカ「……不安で待つのが耐えがたいときは」
    「適当な数字の計算でも頭の中でしておけば多少はマシになりますよ」

ロッカは織田に一瞥をくれるわけでもなく、独り言のように呟く。それに対して織田も、電灯を仰ぎ見ながら独り言のように愚痴を零す。

  • 織田「……それはお前にも言える事だろうが」

ロッカの頭が徐々に下がってゆく。

  • ロッカ「そうですね……、自分に向けて言ったのかも」

それを見た織田は、どうしようもないように椅子の背もたれに大きく寄り掛かる。

  • 織田「……」
    「俺らは医学の専門でもなければ知識があるわけでもねぇ。……だから今は待つしかねぇんだよ」
  • ロッカ「餅は餅屋ですね」

彼女はそう言って伸びをしながら、瞼を閉じる。

  • ロッカ「……って、ほんとはちょっと違うんでしたっけ?細かいニュアンスまではまだ履修してないんですよね」
    「織田さんは知ってます?」
  • 織田「ああ……、蛇の道は蛇とも言うな」

彼女の唐突な話題提供に気分が紛れたのか、織田の語調が軽くなる。おそらくはロッカ自身もこの場に耐えかねたのだろう。お互いに不安を抱えながらも、気分転換のために始まった日本語学習は意外にも長く続いた。

どれくらいの時間が経ったかと、ふと時計を見ると丁度一時間ほど時間が経過していた。するとICUの手術中の表示が消灯し、扉の透明プレート越しに特総医の医師が姿を現す。

彼が室内で防護服などを脱いでいるのを二人はじっと見つめる。少しして消毒を終えると、医師が二人に状況を伝えに来る。

  • 医師「一応、クオリアは安定傾向にある。輸夢し続けて命を繋いでいるに過ぎないが」 
  • ロッカ「そうですか。まあ、新種と仰ってましたしね」
  • 医師「おそらくは」

彼はそう頷くと織田を見る。

  • 医師「君が今の宿主か?」
  • ロッカ「いいえ。リオンという生ける夢を呼んでください」
    「彼女が宿主にもっとも近しい存在でしょうから」

彼女がそこまで話すと少し難しそうな表情をする。

  • ロッカ「……まあ、来るかどうかわかりませんけど」
    「ここからキャラバンに連絡は取れますか?」
  • 医師「可能だ。一旦失礼する」

彼はロッカに礼を言うと、医師はステーションの方へ去っていった。

医師を見送ると、織田が大袈裟に溜め息を吐く。

  • 織田「リオンか……。気乗りはしねえがな」
  • ロッカ「仕方ないでしょう」

ロトに夢源を供給しているリオンという夢は名の知れた商人だが、隙あらばこちらの足元を掬わんとする狡猾さから大抵のダイバーから難物と認識されている。かく言うロッカと織田にしても、かつてロトの生殺与奪を巡って衝突した過去から彼女の事を苦手としている。二人からすれば、リオンがロトを気に掛けているかは疑わしかった。

それから三十分ほど経った頃、二人の前にリオンが姿を現した。
深緑に染まった外套のフードを被り、余った袖をひらひらと振るって見た目ばかりの挨拶を二人に送る。

  • リオン「やあ。うちのロトが毒に苦しんでるって?」
    「そりゃ難儀な」

彼女は鋸のようにギザギザの歯を見せて笑う。
ロッカはリオンがロトに何かしないように、探知用の子蜘蛛を数匹展開させる。かつてそうしようとしたように、リオンがロトのクオリアの摘出に乗り出す事を警戒しての事だ。こいつはロトの命なんてなんとも思っちゃいないと。

能力を稼働させた事で、ロッカは熱い息を吐いた。

  • ロッカ「そうなんですよ、ええ。新種だとか、なんとか」

彼女の言葉を聞いたリオンは、難しそうな表情で息を吐いた。その反応を見て織田が口を出す。

  • 織田「……一応言っておくがまだ死んだわけじゃねぇからな」
  • リオン「わかってるよ」

彼女はそう即答すると、わざとらしく溜息を吐いて続けた。

  • リオン「死んでたらわざわざ来ない」

次いでロッカを見る。

  • リオン「んで、君ら現場でそばにいたんだって?どんなだったのさ」
    「毒をひっ被ったときの状況はさ」
  • ロッカ「ひっ被ったまで知ってるなら大体知ってるんじゃないですか……」

彼女はリオンの言葉を皮肉と捉えて不機嫌そうに続ける。

  • ロッカ「朧島から漂着してきた土左衛門を弄り回してそうなったんですよ」
    「速すぎるし、洗浄措置も意味がなかったんで、"そういうもの"を引いたんでしょうね」
    「あ、朧島までは言ったらダメなんでしたっけ?」
    「まあ、どうせどちみちあなたには露見するでしょうし遅かれ早かれですよね」

彼女は意趣返しだとでも言うように捲し立てた。リオンはその様子を薄ら笑みを浮かべて見ている。

  • リオン「"虫の彼女"は前に会ったときより賢くなったねえ」

彼女はそう言って笑う。虫とは蜘蛛姿のダイバー体を持つロッカを指している。
一度見た名前は忘れないリオンが、こういう表現をするには意味がある。ロッカが言葉を返そうとすると、特総医に所属する医師たちが、リオンを見つけて駆け寄ってくる。

  • 医師「おいでになったなら教えてください。こちらです」

医師に適当な返事をしたリオンがロッカと織田に振り向く。

  • リオン「君らもよかったらおいで」
  • ロッカ「……」
  • 織田「……今日は厄日だな」

ロッカは何かを言おうとして言葉を嚙み殺し、リオンを追う。織田も辟易としてロッカに続く。

三人は医師に連れられてロトが治療を施されている区画へ到着する。
治療室に寝かされたロトの胸が前後するのが見えた。

ロッカ「ロトっ!」

当然の事ながらロトと外界の隔離は完了しており、強化ガラスにより隔たれている。リオンはガラスに額をくっ付けて中の様子を伺おうとする。

  • リオン「……あの痣みたいなやつか」

ロトにまだ息がある事に安堵したロッカは、リオンの発言に冷静さを取り戻す。

  • ロッカ「……そうですね、症状の始まりと同期してましたから、間違いないと思いますよ」
  • リオン「ふぅん。呪術の類ではないのかなあ?ねえ、中入って見」
  • 医師「お断りします」
  • リオン「ちぇ」
  • 織田「病気か呪術かは分からねぇが、あのヘドロ…というかあの遺骸のせいなのは確かだな」
  • リオン「くだんの悪夢が朧島で記録された個体と同一なら、奇書院が類似の症状が無かったか調査してるはず」

ひとしきり確認し終えると、リオンはガラスから顔を離す。そして ほっと溜息を漏らす。

  • リオン「請求ヤバそう」
  • ロッカ「……んっ、ふふ」

ロッカにはリオンがロトを心配しているかのようにも見えたが、本音が見えたと内心少し可笑しさを覚える。

  • ロッカ「それでもそれのおかげでひとまずは命を繋げてるみたいです」

彼女はそう言うと今度は織田を見る。

  • ロッカ「織田さん、私達にここで何かできるとは思えません。資料調査に当ってるなら奇書院に向かいませんか?」
    「直接目撃している私達なら些細な点でも、もしかしたら拾えるかもしれませんよ」
  • 織田「そうだな……」

彼は腰に手を当てて少し考えたのち、顔を上げてロッカを見る。

  • 織田「現状俺たちにできそうなもんと言えばそれぐらいだしな」
    「だとすれば善は急げだ。早速向かうぞ」

ロッカは織田の言葉に頷くと、医師に向き直る。

  • ロッカ「今の話でやるべきことを見つけられました、ありがとうございます」
    「では、失礼します。」

ロッカは頭を下げて礼を言って退室しようとすると、医師が言葉を掛ける。

  • 医師「二人も、少しでも身体に異変が出たら迷わずにご連絡するんだぞ」
  • ロッカ「もちろんです、いつでも掛けられるよう登録もしましたから」

ロッカは振り向く事なくそう言って足早に退室する。織田も医師に返事をして退室する。
二人が観音開きの扉を閉めると、次の瞬間にはそれが勢いよく開け放たれる。
そこにはリオンが険しい表情で立っていた。

  • リオン「僕もいく」

そう言った瞬間に彼女は元のにやけ顔に戻る。

  • リオン「ロトの傍にいたってどうしようもないもんねえ」

彼女は二人に歩調を合わせて横に並んだ。ロッカと織田は歩みを止めずにリオンを見る。

  • 織田「……お前の場合、これ以上請求額が増えるのが嫌なだけだろ」
  • ロッカ「余計なこと言わなくていいんです」
  • リオン「よくわかってんじゃん織田くん。君は前に会ったときと全然変わらないね」
  • ロッカ「なんにせよ、手伝ってくれるなら助かります」
    「一緒に来てください」
  • リオン「よろしく」

ロッカはすぐさま携帯電話を取り出し、自身の上司に当たるエドガー・クリストフ"神父"に連絡を取る。

  • ロッカ「もしもし。はい、ロッカです。今ロトに面会してきたところです」
    「……小康状態といったところです。このままでは決して良くはならないと」
    「つきましては奇書院に情報収集へ向かおうと思っているのですが、今どちらに?」
    「……院が類似のケースに関する資料を持っているかもしれなくて……。はい、はい」
    「そうですか。わかりました。ありがとうございます。詳細は追って……はい。失礼します」

ロッカは見えもしない電話口で浅く会釈すると通話を終える。彼女の電話姿をじっと見ていたリオンが訪ねる。

  • リオン「なんだって?」
  • ロッカ「事情説明の連絡を入れたら、神父もロトちゃんの様子を見に来てもうすぐそこみたいでした」
    「車の鍵貸してくださるみたいなんですけど、織田さんは運転できますか?」
  • 織田「そいつはありがてぇな」
    「運転できるぞ。駐車場だろ?車まで案内してくれ」

ロッカ、織田、リオンの三人はエドガーと待ち合わせの約束をした駐車場へ向かう。

刻一刻と死に向かっているロトの事を、ロッカはなるべく意識しないようにしていた。

 

 

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