無題

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夢を見ている。
なつかしい日向の暖かさ。白っぽい一軒家。両親の建てた家。
母の作ってくれたケーキの香ばしい香り。喜ぶ父の顔。
現実ではない。
私は今、デスクで仮眠を摂っている。
甚三郎くんを目覚ましにして……。


二十三歳に潜大を卒業し任官式を終えた私は、両親の住む実家で潜夢士になったことを祝われていた。
眼鏡を掛けた大柄な男性は父。切れ長の目で笑う女性は母。そして革のジャケットを着ているのは、当時交際していた「スクラマサクス」というコードを持つ潜夢士。私は本名からシュウちゃんと呼び、彼は私をマヨイと呼んでいた。
父は私の肩を持ってケーキが用意されたテーブルに座らせると、陽気に歌を歌い始めた。母はそんな父を嗜めるが、スクラマサクスは母に断りを入れて父と一緒に歌い始める。私はそんな様子を困ったように笑って見守るしかしなかったが、幸せな時間だった。


スクラマサクスと私は共に東京で同棲していた。そのため同じ東京を拠点とする実働部隊第一師団に所属していた。
一つ年上の彼はときに優しかったが、性格は我儘で自分勝手だった。手は出してこないが、気に入らない事があるとすぐに怒って拗ねてしまう。今思えば、そういう放っておけないところが気になって交際していたような気がする。
潜夢士として本格的に夢現災害に対処するようになると、能力の連携練度が高い私たちはよくバディを組まされた。当時は悪い気はしなかった。
でも少しでも戦場で私の動きが気に入らないとスクラマサクスはブリーフィングで文句を言ってきた。三度目の出撃の時もそうだった。
『なあマヨイ。作戦リードすんのはオレだ。しゃしゃり出てくるな?』

「ごめん……。敵が近かったから、つい」
『はあ……。俺の戦術が台無しになっちまう。だろ?』

私に文句を言ってくるのは彼だけじゃなかった。同じ部署の先輩潜夢士も容赦なく私に仕事を押し付け『成長の機会だ』なんて正当化した。

『じゃ、これもよろしく』

そう言ってもう少しで片付きそうだった書類の上にファイルの山を作った。
「あ……。でも、今日までの資料がまだで……」
『そうなんだ。でもそんな事言ってたらいつまでも成長しないよ?』
「う……」
『構いませんよね?室長』

『全然いいわよ~。鍛えてあげて~』
先輩は室長の言葉を聞いて機嫌が良さそうに私の背中を叩いた。
『じゃ、そういうわけだから。頑張って成長しろよ?期待してるからな』
「……はい」
今では同じチームで私の補佐を務める同期の裁さんもその場にいた。彼は彼と私以外が全員退勤したあと、私の机に山盛りに積まれた資料に手を掛けて言った。
『手伝うぜ?仲間だからな』
「……ありがとうございます。でもいいんです。先輩たちも私を思ってのことですから……」
私がこう話したとき、彼が複雑な表情をしたのを憶えている。結局彼は私の机から資料を鷲掴みしていき、完成したものを置いて帰ったのだ。

面倒だったのはその翌日だ。昼の出撃に向けて朝一で出勤した瞬間にスクラマサクスに呼び止められた。彼はとても不機嫌だった。
『昨日、夜なにしてた?』
「え。えっと、残業」
『同期の奴と二人きりで?』
「二人きりっていうか……。手伝ってもらってて」
『はあ。お前さあ、そういうの彼氏がいる女としてどうかと思うよ』
「ご、ごめん……」
『浮気みたいなもんだからな?もうすんなよ』
その日を境に私は一人きりで残業することにした。最初のうちは裁さんが毎日残業する私を気遣って居残りを申し出てくれていたが、事情を察したのかそれも無くなった。


スクラマサクスの我儘も先輩のいびりも一切変わらなかったが、私は事務と戦場の両方での活躍を表彰された。
その功績によって同期の中で最速で出世した。一等境界潜夢士となった日にオフィスで小さなパーティが開かれた。普段私をいびっていた先輩も笑顔で私の首に花輪を掛け、室長も笑いながら天井にクラッカーを鳴らした。
『言っただろう?お前はできるやつなんだ。頑張った甲斐があったな』
先輩はそう言って私の背中を叩いた。室長も私に肩を組んできた。
『よく耐えたわね。今日からはあんなに無茶な仕事しなくていいわよ。他に回すから』
「はい……。ありがとうございます」
実家でも両親に盛大に祝われた。父は喜びのあまり私を抱きしめて泣いていたし、母は張り切って料理を作り過ぎてしまい全部食べるのが大変だった。
でもその場にスクラマサクスはいなかった。用事があると言っていた。
スクラマサクスからお祝いの言葉を言われたのは翌日だった。先日は職場に宿泊したと言った彼に出勤時に「おめでとう」とだけ言われた。
私はその理由を察していた。プライドの高い彼の事だ。自分の階級を越えた私の事が面白くなかったのだと思う。彼は二等境界潜夢士だから。その日以降も変わらず同棲は続いていたが、彼の態度は明らかに冷たかったし、仕事での小言も減っていた。

ある日、職場で彼が私の悪口を同僚に話しているのを聞いた。
『マジで?まだヤらせてくんねえの?お前ら何のために同棲してんだよ』
『そうなんだよ、マジで意味わかんねえ。でもあいつの親父ゴリラみてえに怖えから下手な事できねえし。まああいつの親父が買った家だし食うに困らねえからいいけどよ』

私はその話は聞かなかったことにして心の中にしまい込むことにした。きっと機嫌が悪かっただけなのだろうと。
ある日。夥しい量の書類事務がオフィスに舞い込んできた。私は残業を覚悟してスクラマサクスに今日は帰れそうにない旨の謝罪メッセージを送った。既読はついたが返事はなかった。最近はずっとそんな感じだったので特に疑問は持たなかった。


定時になると私は各デスクに残った資料を集めて自分のデスクに山積みにした。残業の時間だ。と気合いを入れると、先輩と室長が私の一期下の新人のデスクにその全てを移した。私は何かの間違いかと思い二人に話しかけた。
「あの、私がやりますよ。それ」
『いや、お前はもういいんだ。今度はこいつがやるから』
先輩がそう言って新人の背中を叩く。新人は俯いたまま頷いた。
「いやでも、終わらないですよ。せめて私も少し手伝いますから」
『内垣、そういうのはいいんだ。それともこいつの成長の機会を奪うのか?』
私は先輩からそう言われて硬直するしかできなかった。新人が私に微笑んで『大丈夫です。ありがとうございます』と言った。悲し過ぎる笑みだった。私は反論することもできず、定時を少し過ぎた時間で退勤した。

思いがけず早い時間に帰れてしまった私は、スーパーマーケットに寄っていくことにした。たまにはスクラマサクスに手作りの夕食でもと思ったからだ。ハンバーグがいいだろう。きっと喜んでくれる。マヨイのハンバーグが一番美味しいって褒めてくれたことがあるから。私は新人を犠牲にしたという罪悪感に蓋をして足早に帰宅した。
彼は先に帰っているはずだ。玄関の鍵は開いている。だがどうした事だろう。靴が多い。それも女物の靴が。私はざわつく心を静めてリビングの扉を開けると、私が選んで私が私のお金で買ったソファで並んで映画を観る男女が居た。スクラマサクスと、知らない女。
「ちょっと、なにしてるの?」
私がそう言うと二人は振り返った。明らかに動揺した様子を見せる二人だったが、女は自己紹介してきた。
『あは……、初めまして。私、事務課のスタンザ』
「スタンザぁ……?」

 

『なに逆ギレしてんだよぉ!抜け駆けして出世したのはそっちだろ!』
「私はあなたの為に我慢してたんだよ!”スクラマサクス”!あんたの、プライドの、ためにね!!」
私は二人を力で家の外に放り出した。そうして勢いよくドアを閉めて、その内側にへたり込んだ。
「……はぁー、はあ。はっ、はっ、はっ……。んっ……はあ……」
乱れた息を整えるのに必死だった。

その日から、私は私の為に生きることにした。


先輩や室長がなんと言おうと私は私がやりたいようにした。新人から仕事を奪い取って残業した。てっきり疎まれるかと思ったが、振り切って頑なな姿勢は意外にも受け入れられた。先輩たちが新人に押し付けた仕事を私が奪い取って処理する景色はやがてあたりまえのものとなり、『社畜』と渾名されても手は休めなかった。次第に先輩たちは新人ではなく直接私に仕事を投げるようになった。

ああ、面倒がなくていいじゃないか。
そんな私を心配していたのは裁さんだった。彼は最近私の雰囲気が違うと言ってきた。
『困ったときは助けるぜ。仲間だからなぁ』
「大丈夫です。ありがとう」
歩んできた道を振り返れば、私が心を置かずに話す友人は彼のみになっていた。絶縁したスクラマサクスに代わってバディを務めてくれる事もあった。
でも他の男女のように軽率に恋仲になったりすることはなかった。戦友という今の関係性がベストだとお互いに弁えていたからだ。
そうして私がそのことから完全に立ち直ったときには、新人の子はもういなかった。

二十六歳になると私は部署の境界級の中では最先任になっていた。そんなときだった。私は先輩や室長も出撃する大規模な作戦に参加することになった。


どうしてそうなったのかはあまり憶えていない。

気が付くと私は分隊と分断されて瓦礫と炎に囲まれていた。
状況から鑑みるにローグダイバーと共に建物の崩壊に巻き込まれたのだろう。右腕が上手く動かない。ふと見れば前腕を複雑骨折していた。能力に神経を集中させるが、上手くできない。能力を行使できないということは、ここは既に夢現領域ではないようだ。我々が追っていた悪夢は無事に討伐されたのかもしれないと考えた。
「ひとまずは分隊と合流するべきだ」と瓶詰の夢を摂取して立ち上がる。
すると瓦礫の方から声が聞こえた。
声の主は先輩だった。彼は下半身を瓦礫に圧し潰されて動けなくなっていた。そして普段私に仕事を投げるときとは真逆の弱弱しい声で私の名前を呼んだ。
『よかった!内垣、瓦礫の向こうに室長もいるんだ』
私は黙って彼の言葉を聞いていた。
『何してるんだ、手を貸してくれ!』
「え?」
その言葉を聞いた私は、自分でも考えられないような言葉を口にした。
「……なんで?」
それを口に出した瞬間から時間が永遠に止まってしまったかのように静かだった。きっと私は酷い顔をしていたのだろう。先輩は目を丸くして私をじっと見ていた。
天井のコンクリートが割れてできた粉が、火の粉を纏ってぱらぱらと雪のように舞っていた。綺麗だな。と思ったその瞬間にはもう全てがどうでもよくなっていた。
放心が解けたのは裁さんに引っ張られて転んだときだった。私がさっきまで立っていた場所に巨大なコンクリート片が落下してきたのだった。
『なぁにボサッとしてんだ!作戦は終わりだ!俺たちも撤収するぞ』
「裁さん……。でも先輩たちが」
指さした先の先輩が居た場所は、すでに燃え盛る瓦礫の山になっていた。
『どう見ても死んでるだろうが!どの道瓦礫を退かしてる時間はねえんだ。そら行くぞ』
「……了解」
私は裁さんの先導で崩壊する建物を脱出した。外では他の潜夢士が私たちを待っていた。


しばらくの間炎に巻かれ、煙を吸い込んでいた私はそこで担架に乗せられた。幸いなことに右腕の骨折だけで済んだ私は翌々日には病院の廊下を歩いていた。
『マヨイ!』
聞き覚えのある声に思わず振り返る。
「スクラマサクスさん」
『マヨイ、怪我したって同僚から聞いてな。お前大丈』
そこまで聞いて私は掌で彼を制止した。
「大丈夫ですから」
『大丈夫なわけあるかよ!』
彼は私の肩を強い力で掴んで抱き寄せてきた。
『俺はお前が大切なんだ!離れてみてようやくわかったんだよ』
その言葉を聞いたとき。私は、激怒。軽蔑。嫌悪。後悔。悲嘆。拒絶。そのどれとも言えてどれとも言えないどろどろとした感情が沸騰したまま全身の血管を巡ったような感覚がした。負の感情で金縛りに遭い、黙って彼に抱きしめられ、それでもようやく動くようになった身体で弱い力で彼を押し返す。そうして出た言葉は意外でもなんでもなかった。
「ご遠慮します」
『……え?』
「私としては、あなたに同僚である以上の関心はありません。機会さえあれば、これからも同僚として、よろしくお願いします」
彼は驚愕の表情のまま後ろに後ずさって尻もちをついた。そうして見えるようになった廊下の鏡を見た。張り付けたような笑顔をしていた。
これが私なのだ。

『内垣さーん!』
スクラマサクスの口から聞き馴染みのある声が聞こえてくる。そろそろ時間だ。
現実に目覚める為に大きく深呼吸をする。私は呼吸を整えてゆっくりと瞼を開いた。

すると視界の中心に甚三郎くんが映った。
『起きてくださいっす!起きる時間っすよ!』
「……ふふっ」
両こぶしを肩の高さに上げて張り切る彼を寝起きの一番に見た私は、思わず笑ってしまった。甚三郎くんはなぜ笑われたのか見当もつかないといった様子で困惑している。彼は「もー」と言いながら部屋の端にある自分の荷物を取りに行った。
「あはははっ……はあ」
ひとしきり笑ってから、ふと我に返り溜息を吐く。
『大丈夫っすか?だいぶゲラってましたけど』
「大丈夫。ありがとうございます」
『そんなに楽しい夢見てたんすか?』
楽しかったか。と訊かれれば楽しくはない。
「あんまり楽しくなかったです」
ただ現実で彼の顔を見て、安堵した自分がおかしかった。
不思議そうに首を傾げる彼を見ているとまた口角が緩んでくる。
私は自然に笑えているだろうか。

 

 

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