Blazing Trefoil

ページ名:Blazing Trefoil

 

 二月十四日、バレンタインデー。いわずと知れた女が男にチョコレートを渡す日。一月の下旬辺りになると社内ではこの日の話題がちらほら出始める。本命だの義理だのと盛り上がるが……、あたしに言わせりゃあそんなものはどっちだって構わねえ。イベントに参加することに意味がある。自慢じゃないが、古巣じゃチョコの出来で鳴らしてたんだ。部隊の連中にあたしの実力を見せつけてやろうじゃないか。
あたしは一週間前から綿密に計画立案し、材料と道具を調達し、前日にブツの制作に取り掛かった。生チョコ作るのに数日前から取り掛かるなんてのはズブの素人だ。生クリームが入ってるヤツは保って三日ってとこだからな。それを踏まえりゃ手ぇ付けんのは前日がベストだってハーベスターだってわかる。
まず板チョコを包丁で木っ端微塵に砕く。こいつは意外と骨が折れる。だんだんとイライラしてくるが、ここで手を抜いたら全てがお釈迦だ。ここは我慢して作業を進める。次いで生クリームを鍋で温めて、沸騰直前に火を止める。そして刻んだチョコレートと混ぜるて溶かす。甘さの加減も申し分ない。溶かしたチョコレートはラップを敷いたバットに流し入れて、冷蔵庫で一晩冷やす。この時密封容器かラップでぐるぐる巻きにする。そうしねえと乾燥しちまうからな。
「よし」
あたしは満足して冷蔵庫の扉を閉めた。余裕ができたところでソファに腰掛けてスマホアプリを開く。ここでひとつ、ライバルどもの進捗でも確認しようじゃないか。とりあえずレイに訊いてみようと思った。あいつも今年は挑戦するって言ってたからな。
「”チョコの進捗はどうだ”……と。送信」
少しして簡素な返事が返ってきた。
『佳境』
……どうやらのんびりお喋りする余裕はなさそうだった。多分邪魔しない方がいい。あたしは「そうか。頑張れ」とだけ返信したが、その返しはなかった。あとは……星乃。あの狂犬メガネはどう出てくるか見物だな。


二月十四日。バレンタイン当日の早朝六時。あたしは冷蔵庫から完成した生チョコを取り出しブロック形にカットしていく。それから最後にココアパウダーをまぶす。……いや、最後にもう一つ。こいつを忘れちゃいけない。仕上げに食用のミニクローバーを添えて仕上がりだ。
「よっしゃ。かなりイイ感じじゃねえか?」
甘すぎず苦すぎない。この出来ならナメられないはずだ。レイは普通に喜んで食うだろうし、狂犬メガネは……、星乃はどうだろうな。どんな出来でも嫌味を言ってくるかもしれない。そこまで考えてふと思い出す。
「宍戸は甘いもん好きなんかな」
今さら調整はできないからこんなこと考えても無意味なのに、なんでかそのことが気になった。というよか、宍戸がなんか食って感動するところとか想像できない。だけどまあ大量生産の義理だし問題ないか。と自分で納得して包装したチョコたちを緩衝材と共にバッグに詰め込んだ。


会社に着くとそこはいつも通りの空気が漂っていた。バレンタインのバの字もクソもねえ。ウィードじゃ一大イベントだったってのに……。これが都心の寒さか。キョロキョロとオフィスでのチョコの存在を索敵しながら女性用ロッカールームに入ると、レイと星乃がいた。
うだうだしてるレイを星乃が鼓舞しているようだった。
「だぁーから、上手くいくっすよ。喜ぶって!」
「そうかな……。そうかも」
あたしはバッグを机に置いて二人に声を掛けた。
「おはよ」
「はよっす」
「ああ、おはよう」
「なにで揉めてんだ。バレンタイン絡みか?」
「っす」
あたしの問い掛けに星乃が頷いた。
「チョコがなかなか渡せないってんで。へっ、こうしてハッパ掛けてんすよ」
「だから違えって。ちゃんと渡す」
「あんまりチンタラしてると社長行っちゃうっすよ?」
「なんだ叉島社長に渡すのか」
あたしが何の気なしに呟くとレイがキッとした目でこちらを睨んだ。
「日頃世話になってるからだよっ!なんかおかしいか!?」
「い、いや……。なんもおかしくねえと思うよ……」
レイの剣幕に気圧されて一瞬怯んだが、そういえばとバッグからチョコレートを出して見せた。
「ほれ」
レイはゆっくりと顔を上げると梱包されたチョコを受け取って凝視した。
「これ……、作ったのか?」
「ああ」
あたしが頷くとレイは断りを入れてから梱包を解き、一口サイズのチョコを口に含んだ。
「うまいな」
ストレートな賛辞に思わず表情が綻んだ。
「へへん。そうだろ。お前も旬が過ぎないうちに渡してこいよ。深く考える事ぁねえ」
「……ああ。そうだな」
レイはそう言って頷くと、膝を叩いて立ち上がった。
「ちょっと行ってくる。星乃にも世話掛けたな」
「っす」
駆け足でロッカールームを出ていくレイを星乃と二人で見送ったはいいが、そのあとは微妙に気まずい空間になった。なにしろこの狂犬メガネとあたしは折り合いが悪い。いっつも気が付くとお互いにキレてる。あたしが手をこまねいていると、星乃は大きく息を吐くと自分の荷物を肩に担いだ。
「行くわ。お疲れっす」
「おい待て」
あたしは脊髄反射的に呼び止めてから「あっ」と小さく声を漏らした。星乃は背を向けたまま横目でこっちを見る。後に引けなくなったあたしは星乃の視線側から回り込んでチョコを突き出した
「……せっかくだからお前も食えよ。余分に用意してある」
星乃は怪訝そうな目であたしを見た。それでもあたしが引き下がらないでいると、小さく「いただきます」と呟いてからチョコをつまんで口に入れた。あたしはそれを見守ってから尋ねた。
「どうだ?」
星乃は「飲み込むまで待て」というふうに掌を見せて嚥下する。そしてあたしの顔をジッと見つめて言った。
「うまいよ」
「おっ」
意外な反応に思わず言葉に詰まった。正直あたしは星乃が何かしら文句を付けてくると思ったから。星乃はそのまま続けた。
「アンタも誰かに渡すんでしょ?胸張って渡せばいい」
その瞬間あたしの脳裏に浮かんだのは宍戸の仏頂面だった。いやいやなんでだ。と自分自身に心の中でツッコミを入れている間に星乃は「ごちそうさん」と言ってロッカールームから出て行ってしまった。部屋にはあたしだけが残された。


その日の昼過ぎ。あたしは空いてる部屋でバレンタインの余韻に浸っていた。部隊の連中はあたしの手作りのチョコを喜んで食ってくれた。パーティガールはフラッシュ焚いて撮影しまくってたし、ステーキグリルもちゃんと生チョコを生のまま食ってくれた。チャッターボックスは梱包ごと食ってた気がするけど気にしない。
そんなことよりも肝心の宍戸が所用でこの場に居ねえことが気にくわない。なんでいなくていい時はいるくせに大事なときに限っていねえんだ。
「あたしは今日非番なんだぞ……」
「お疲れ様」
イラついて無警戒だった背後から聞こえて来たぼそっとした声にあたしは思わず振り向いた。
「宍戸……」
「ああ。お前は今日非番じゃなかったか」
ブチィッ
「ハッピーバレンタインッ!!」
あたしはキレて残一つのチョコの梱包を宍戸の胸板に押し付けた。奴は押し付けられたチョコを両手で包んで受け取る。
「なるほど。チョコレートか。……こいつを俺に?」
「みーーんなに配ったけどな!お前で最後だっ!」
「そうか。ありがとう」
我ながら大人げなくへそを曲げてそっぽを向きつつも、宍戸がチョコをそのままポッケだかバッグだかにしまい込もうとしたのを見逃さなかった。
「食えよ!」
「食うよ」
「今、ここで!」
気が付くと宍戸を押し出して壁際に追い詰めていた。引っ込みがつかなくなったあたしは、そのまま斜め上を見て宍戸がチョコの梱包を剥くのを凝視した。
「……いただきます」
宍戸はあたしに断りを入れるようにそう呟くとチョコレートを口に含んだ。ゆっくりと咀嚼するのを黙って見守り、やがてそれが喉を通るのを目で追う。そして最後に、どうしても訊かずにはいられなかった。
「どう?」


「━━そのときお前、『美味い』って笑ったんだぜ」
「笑ったかもしれない」
ひと月経って三月十四日。ホワイトデーの日にあたしは宍戸の横で、チョコのお返しで奴から貰ったクッキーを食べていた。
「お前が笑うのをこんだけ見るのはゼロメアであたしだけじゃないか?」
「そうかもな」
上機嫌でクッキーを頬張るあたしに宍戸は「口の周りについてる」とチリ紙を差し出す。あたしは口周りの粉を拭きとりながら話を続ける。
「お前、笑ってた方が絶対いいよ」
あたしがそう言って笑うと、宍戸はまたあたしの前で薄く微笑む。
「そうか」
あたしがそれに満足していると、宍戸は珍しく言葉を返してきた。
「それを言えばな」
「ん?」
「お前だって笑ってた方がいい」
そんなことを真面目な顔で言われたあたしは……、どうにもこうにも気恥ずかしくなって苦し紛れにキレるしかなかったのだった。

 

 

シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。

コメント

返信元返信をやめる

※ 悪質なユーザーの書き込みは制限します。

最新を表示する

NG表示方式

NGID一覧