藍司がゾーヤと出会ったときのこと2

ページ名:藍司がゾーヤと出会ったときのこと2

 

August 21th 20██ PM3:00 ロシア連邦 上空

 

添乗員によるロシア語のアナウンスが無事に飛行機が離陸したことを告げる。田舎行きの機内で平坦な調子で台本通りの台詞を聞く。そんな状況にゾーヤが無意識に溜息を吐く。 彼女は周囲の雑音を遮るように大型のヘッドセットを当てると、胸に隠したマイクを通して藍司マイブームに向けて独り言を呟く。
「快適?」
そうしてから少しして返事が戻ってくる。
『悪くないね。官給マクラで熟睡させてもらった』
彼は別所で待機している。有り体に言えば貨物室のコンテナの中に。なぜそのような場所にいるかというと、彼が日本人だからだ。モスクワはともかくイジェフスクの空港はローグが監視している可能性が高い。日本人の彼の存在は目立ちすぎるのだ。だから貨物に偽装して居住空間を備えたコンテナに潜むことになった。これがゾーヤの考えだった。
「そうでしょ?クッションもポータブルトイレもあるし……、コミックもある」
『このアメコミみたいなやつ気に入ったよ。ほとんど何書いてあるのかわからないけど』
「ロシアのコミックだよ。最近はそういうのが流行はやり。……でも私は日本のマンガがいいな」
『そうなんだ。日本語を勉強してるくらいだもんね』
「うん。ロシアこっちじゃあんまり手に入らないけど」
『いつか旅行ででもおいで。……それにしても職員はコンテナの中身を確認しないんだね』
ドモジェドヴォ空港の担当者は軍の息がかかってるから」
『なるほどね。現地ではそうじゃないから拳銃こいつが必要かもなんだね』
藍司はそう言って樹脂とセラミック製の小型拳銃を撫でた。

「ローグが受け取る予定の貨物のひとつに紛れていくから。いざというときのために。使い方は説明書を見て」
「ダーダー。なんて書いてあるかいまいちよくわからないけど」
Кириллицаキリル文字は苦手?」
『ちょっとね。でもお洒落フォントみたいで嫌いじゃないよ』
冗談を言う余裕を見せる藍司をゾーヤは鼻で笑う。
「笑える。あと三十分もすれば着くから、無線は開けたままでね」
了解ダー

 

ゾーヤは一息つくとストレッチにと首を動かす。すると何か言いたげにこちらを見る添乗員と視線が合った。なるほど独り言を呟いているようにしか見えない自分は、周囲の人から見れば不審だろうと思った。彼女はわざとらしく屈託の無い笑顔で会釈をすると、添乗員も軽く会釈をして通路を進みゾーヤの前を通り過ぎていった。
「見られてるの、全然気づかなかったな」
彼女は何の気なしにそう呟いた。無線の向こうでは藍司が笑う声が聞こえる。ゾーヤは腹いせに無線を閉じて、背もたれに深く寄り掛かった。ロシアという異国に来て歯車が狂うと言った藍司と同じように、異国からの来訪者と関わり合った彼女の歯車もまた、本人の無意識のうちに少し狂っていたのだった。


 



August 21th 20██ PM4:23 ロシア連邦 イジェフスク

 

藍司はコンテナ内で運搬される振動を感じていた。今はたぶんベルトコンベアーで他の貨物たちと同様にどこかに移送されているのだろう。コンテナ内のコミックなどの小物類が揺れで倒れる。
「出荷を待つ家畜の気分だ」
「ゾーヤ?」
彼の問いにゾーヤは言葉を返さない。イジェフスクの空港に到着したということは、ローグダイバーに監視()られていたとしても不思議ではない。無言でも緊張感が伝わってきた。しばらく揺れが続いていたが、縦に大きく振動したのを最後に一旦は静寂に包まれた。
『アイシュ』
「ゾーヤ。今どんな感じ?」
『今?今仲間の運転で渡し場所に向かうところなかまとわたすところにむかってる

『運転手のイゴールだ。よろしく』

「よろしく。ここに来てえらく直接的だね」
『あなたをイジェフスクに運ぶのに苦労しただけだから。犯罪者に変装してローグと接触クズのふりしてわるものとあうすることはそんなに難しくないかんたん

「じゃあ楽に終わる?」
『どうだろうね。そういうことだから相手(むこう)騙しもある(そういう)想定でいるだろうから、銃撃戦(うちあい)にはなると思う』
非日常(マンガみたい)だ。僕はどうすれば?」
コンテナの蓋を開けられても頭は出さないようにしてあたまひくくしてて

わかったダー

August 21th 20██ PM5:36 ロシア連邦 イジェフスク郊外 集合地点付近

藍司入りのコンテナを積載した車両が一時停車する。なにかのトラブルかと気にしてみれば、荷台の扉が開いた。そして軽くコンテナを叩かれた。

『約束は運転手一人とコンテナだけだから。ここからは私も荷台』

「なるほどね」

『ローグが荷台を開けた瞬間にはじめるから、なるべく伏せててね。こんな薄い鉄板、もし7.62mm口径弾が当たったら簡単貫通しぬけちゃうから』

はいよダー

『あと念のため照明でんきは消しといてね』

藍司は頷きゾーヤの指示通りにコンテナ内の照明を落とした。すると完全に外界から隔絶されたここは、まったくの暗闇に包まれる。感触で周囲に雑貨などの見知った物たちがあることはわかるが、少し身体を動かせばどちらが開閉口かなどすぐに分からなくなるだろう。彼は鉄板を挟んで聞こえてくる外界の音に集中した。

しばらくして再びトラックが停車する。

ПП-19БизонPP19短機関銃.Естьтричеловека三人いる。.』

Васпонял了解.

イゴールとゾーヤが無線で短く会話を行うと、今度は運転席からイゴールが降りドアを勢いよく閉める音が聞こえてくる。どうやら集合地点に着いたようだった。外からは彼のロシア語とは別に濁った発音のロシア語らしい言葉も聞こえてくる。しかし日本語は聞こえてこない。くだんのローグダイバーはこの場にいないか、ロシア語話者であるかのどちらかだと、藍司は思案した。そうして今のうちにと底面に身体を伏せた。直後に荷台扉にごく近い場所でローグと思しき苛立った声が金属を通して響いた。

Давай早く開けろ!

そう聞こえたと思うと荷台の閂が乱暴に外される。その瞬間藍司の鼓膜を激しい衝撃音が揺らす。荷台の扉が外向きに蹴破られたと思えば、おもちゃの銃を撃つような”プシュン”という気の抜けた消音器の音が数回した。しかしそんな喧騒も束の間であり、ものの数秒で元の静寂を取り戻す。彼は好奇心からコンテナの小窓を開き、外の様子を確認する。視界に収まるだけでも二人が地面の血だまりの中に斃れている。どちらもゾーヤでもイゴールでもない、全く知らない迷彩服を纏った者たちだった。Давай(ダバイ)!と叫んだのと同じ声の人物が今度は必死に何かを訴えている。

Нестреляйте撃たないでくれ! Нестреляйтеお願いだ!

「出てきていいよ。アイシュ」

ゾーヤは男の訴えかけを無視して藍司にコンテナから出る許可を出した。彼が数時間ぶりの新鮮な外気を肺いっぱいに吸い込むと、そこには硝煙と血の匂いが混じっていた。それを見ていた男が続ける。

Ктовыребятаあんたたちは?

「彼はなんて?」

「何者か、だってさ」

藍司は顎に手を当てて考えた。

「ふむ。サラリーマンだよ」

二人は他愛の無い会話をしつつも周囲の警戒を続けた。特に藍司は自分が追ってきた日本人のローグダイバーの姿が見えないことが気掛かりだった。ゾーヤは迷彩服を着た遺体を調べている。そうして懐からスマートフォンを抜き取ると、何度かフリックしたのち藍司に投げ渡す。

「日本人の名前が登録されてる。掛けてみたら?」

「そうしようか」

ゾーヤの提案のままに登録された名前をタップし呼び出しを行う。少しするとごく近距離からコール音が鳴りだす。

「こりゃ思ったより近くに━━」

イゴールがそこまで言い掛けると、衣服の左肩が弾け、次いで裂かれた創から血が噴き出す。かまいたちのように不可視の刃が投擲され彼の肩を切り裂いたのだ。ローグダイバーによる襲撃と判断した運転手は即座に切り返し拳銃で反撃を試みるが、二撃目の刃により得物を弾かれ地面に倒れ伏せる。このローグダイバーは攻撃手段だけではなく、自分自身をも不可視にする能力を持つ。平常では目を凝らせば微かにシルエットを浮かび上がらせるのみだ。ローグダイバーは逃走を図りつつ三、四撃目をゾーヤに向けて放つ。彼女はそれらを紙一重で躱すと、ライダーを髣髴とさせるダイバー体に変身しローグを抑え込みに掛かる。しかしローグも不可視の身体を活かしてそれを回避する。

блядьくそっ.見辛い!」

「僕がなんとかしよう」

藍司はそう言うと右腕のみダイバー体に変化させ、タール状の溶解液を纏わせる。その腕を大きく振りかぶり、スリングのように溶解液塊をローグ目掛けて投擲する。塊は直撃こそしなかったが、地面に着弾した塊は弾けて飛沫を飛散させ、そららが付着したローグの体表を爛れさせる。それにより患部の不可視化が解け居所が鮮明になる。

「うわあ!」

想定外の状況に驚き逃走の脚が止まったローグダイバーの側頭部をゾーヤが全力の回し蹴りを叩き込む。ローグは水車のようにその場で半回転して地面に叩きつけられる。

「アイシュ!」

藍司にゾーヤに駆け寄りローグダイバーに結束バンドを掛ける。暫く拘束を解こうと抵抗を続けたが、やがて観念したように大人しくなった。ゾーヤはローグを藍司に任せ、イゴールの状態を診る。

「立てる?」

「ああ。手を貸してくれ」

ゾーヤと藍司で彼の巨体を支えてトラックの助手席に座らせる。それから藍司がガムテープを使って衣服の上から簡易的な止血を施す。

「今はこんなものしかないけど、戻ったらきちんと処置してもらってね」

「いや、だがしっかりと止血されてる。ありがとうよ」

本部への連絡とローグダイバーを積み込みを終えたゾーヤが、応急処置を終えた藍司をじっと見つめる。

「なんか気になる?」

「……ううん。別に」

「?」

釈然としないまま藍司は中央の座席に腰掛け、ゾーヤの運転でその場を去った。


August 22th 20██ AM10:32 ロシア連邦 首都モスクワ

 

ローグダイバーの身柄は”壊れ物”として無事日本に郵送された。任務を終えた藍司はロシアを離れるため、ゾーヤと共に責任者のブルコフの元を訪れていた。予めゾーヤから報告を受けていた彼は藍司を歓迎した。

「我が国から脅威を取り除いてくれてありがとう」

「こちらこそありがとうございます。お陰様で大手を振って帰国できます」

そう言葉を交わすとお互いに握手をする。

「藍司三等深層潜夢士。君の功績は日露のダイバー関係を進展させるだろう。いずれまた協力してローグ共を追い詰めようじゃないか」

「勿体ないお言葉です」

藍司はブルコフに浅く頭を下げ、次にゾーヤを見る。

「ゾーヤもありがとう。君とのお喋りはなんだか━━楽しかったよ」

「私も面白かった。またロシアにおいで」

「うん」

ゾーヤが返事を返すと藍司は一礼をしてから手を振って部屋を後にした。


August 22th 20██ AM10:45 ロシア連邦 首都モスクワ

 

藍司が見えなくなるとブルコフらは書類の整理を始めたが、ゾーヤは彼が行った先を見て黄昏れているようだった。その様子を見たブルコフが敢えて日本語で話しかける。

「空港まで見送らなくてよかったの?」

「んやあ、まあ」

「そう」

ブルコフは自分の顎を撫でて一考したのち再び口を開く。

「今回の件で外相はとてもご機嫌だそうだよ」

「そうなんですか」

「国家間の潜夢士機関同士の連携を強める事をお望みのようだ」

「……」

「だから君、日本に行けば?潜夢軍内で近々募集が始まりそうだよ。気になるんでしょ?」

「え……いいんですか?ほんとに?」

「条件を通過できればね。まあできるんじゃないかな。やるかね?」

「やります!」

食い気味に返答したゾーヤに彼は目を細めて微笑む。

 

 


December 23th 20██ PM6:23 日本 東京都 ██区

 

「すまないね。任務が終わったばかりだというのに呼び出してしまって」

「構いませんよ。それで話とは?」

「ロシアから公式に来日したダイバーが君に会いたがってるそうだ」

「ロシアのダイバーが?」

「心当たりは?」

「……ないような、あるような」

「ふむ。まあそれで彼女の気が収まるようなら会ってやってくれないか」

藍司が話していると、件のダイバーらしい人物が廊下を進んでこちらに向かってくるのが見えた。それは彼の予想通り見知った顔だった。

「おっと、向こうから来てくれたようだね。じゃあ悪いけどあとは藍司くんに任せるよ」

彼女は、その場から去る職員と入れ違いに藍司の前に立った。

「やっぱり君だよね。また会えて嬉しいよ。僕の名前憶えてる?」

ゾーヤは彼の問いに自信に満ちた笑みを浮かべる。

「久しぶり。”アイシュ”」

「……よし。じゃあまずは日本語の練習、する?」

藍司がそう尋ねると、彼女は彼の手を取った。

 

 

 

 

 

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