明日は10月31日。ハロウィーンの日だ。
街の子供たちは皆、思い思いの仮装をして大人にお菓子を貰いに出かける。
合言葉は「悪戯かお菓子か」。子供がそう唱えたら大人はお菓子を渡すのが習わしだ。当然そういう祭事があることは知っていた。ただ今まで関わってこなかったに過ぎない。だが考えてみれば、なかなかどうして興味深いではないか。昨今では大人同士がお菓子の贈り合いをしたり、仮装をして暴徒化したりするらしい。バレンタインデーとは別の魔力がそうさせるのだろうか。しかしそのバレンタインとは違い、求めれば皆平等にお菓子にありつく機会があるのだ。静雄にはバレンタインのときのようにお菓子を用意しておいてやろう。きっと喜ぶ。
しかし当日の街のハロウィンムードとは裏腹に、学校ではあまり盛り上がりを見せない。バレンタインデーの狂騒は嘘のように、ほとんどいつも通りの時間が巡っている。そういえば去年の今頃もそうだった。意識して耳を傾ければせいぜい数人の女生徒が話題にしている程度だ。
当の静雄もハロウィンにはロッカーを開け閉めしていない。朝も普通に会話をしたが、例の言葉を掛けられることはなかった。私はそのことについて午前中に思案していた。
「こんにちは静雄」
「?こんにちは」
私は昼休みのチャイムが鳴ってすぐにまだ着席している静雄の前に立った。彼は困惑の表情でこちらを見上げている。
普段は交わされることのない昼の挨拶が終わると、周囲の喧騒とは対照的に無言の時間が続く。少しして私の意図を汲み取れない静雄が口を開く。
「あの、購買行かねえか?」
「……そうしようか」
「おう」
なるほどどうやら本当にハロウィーンは眼中にないように思える。なるほど。
学校の購買は言わば戦争だ。順番待ちの列らしいものはあるが、ほとんど無法地帯といったところか。毎日大なり小なりの負傷者が出るが、授業中や部活中とは違い取沙汰されることは少ない。常連たちは毎日総菜パンやフライドポテトのために命を燃やしている。静雄も購買の常連のひとりで、いつも人混みに突撃しては二人分の戦利品を勝ち取ってくる。
「辻導さーん。トリックオアトリート。お菓子ちょーだいよww」
静雄が購買の人混みに溶けていくのを見送り壁にもたれていると、お調子者のクラスメイトに声を掛けられた。バレンタインデーの一悶着で静雄に手酷くやられた者だ。
「傷は完治したのだな。よかった。だが残念ながら君に渡す分はない」
「えーwwせっかくのハロウィーンなのにー?冷たいなあ」
「……では悪戯でもするのか?」
「いやそれはヤメとく。今度こそ氷室に殺される」
「賢い選択だ」
「これ以上通院してたら進級できねえ。まー、お菓子がないなら俺はそろそろ━━」
クラスメイトがはそう言って壁から背を浮かす。すると人混みをかき分けて静雄が眉間に皺を寄せてこちらに向かってきているのが見えた。
「━━消えるわ!またねー辻導さーんww氷室にもよろしく!」
クラスメイトは彼を視認すると脱兎のように逃げ去っていった。静雄は真剣な面持ちで私の両肩を痛いほどに強く掴んだ。
「大丈夫か?あいつになにもされてないか?」
「大丈夫。なにもされていないよ」
「本当か?」
「本当だよ」
「そうか」
急いで戻って来た彼は手ぶらだ。おそらく私たちを見て人混みの中からすぐに駆け付けたのだろう。
「静雄、私は大丈夫だから。それより購買はいいのか?」
「ああ」
この会話をしている間にも購買の人混みは徐々にはけていき、カートの中はほとんど空になっていた。購買の職員たちはせかせかと撤収を始めている。
「すまない」
「お前のせいじゃねえ。俺が勝手に列から抜けたんだ」
私と静雄は何の成果も得られずに教室に戻った。教室の中では周囲のクラスメイトが自前の弁当や、購買の戦利品で昼食を摂っている。だが私たちはと言えば、近い席で固まってただ何もせずに座っているだけだった。慣れないことをしようとした結果がこれではお笑いではないか。
「君は、なにか食べられるものはないのか」
「なんも……のど飴ならある」
「そうか」
瞬く間に会話が終わる。昼休み時間は刻々と過ぎてゆく。室内の騒がしさだけが消音されたように小さくなり、秒針の音だけが意識される。私はもはや観念することにした。ハロウィンがどうのこうのと拘っている場合ではないと。
「私は……、ある」
「おっ、マジか。よかったじゃねえか」
「君の分だけだが」
「?」
静雄が飴玉をがりがりと噛み潰すのをやめて私に注目する。私は頷いてエナメルバッグを開いて中を手探りで探索し、リボンで装飾された巾着を取り出して彼に突き出す。
「ほら。食べてくれ」
事態を飲み込めていない様子の静雄は、恐る恐るといった様子で巾着に手を伸ばす。そうして彼は指先がリボンに触れた瞬間、はっとした様子で手を引いた。
「どうした?」
「いや、どうしたじゃなく……。こいつはアレだろ」
なにかを閃いた表情で固まる静雄は、どうやら梱包の意味を理解したようだった。その間も私は巾着を突き出したまま、彼の様子を観察している。静雄は口に手を当てて少しの間考えたあとに漸く言葉を発した。
「……トリックオアトリート」
「ふむ」
「合ってるか?」
「ああ。君の悪戯も興味を惹かれるが……。ほら、お菓子」
私が改めて突き出したお菓子入りの巾着を彼はいそいそと受け取って眺めた。
「こいつを俺に?」
私が頷くと、静雄は巾着のリボンを解いて中を確認した。そして中身から取り出したものを見て表情が綻んだようだった。
「クッキーか!カボチャ形の!」
「ああ。季節感を大事にとな」
「食っていいのか?」
「もちろんだ」
「サンキューな!」
彼が盛大に音を立ててクッキーを貪り食う様子を、私は横で頬杖を突いて見守った。そうして静雄はものの数秒で巾着を空にしたかと思えば、巾着を畳んで私に突き出してきた。
「美味かったよ。巾着も縫ったのか?相変わらず器用だな」
「よかった。巾着もトリートの一部だから、受け取ってくれ」
「なんでもできるんだな」
「それほどでもない」
ハロウィンの儀式が終わったところで、丁度見計らったかのように昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。
「ぼちぼち席着かねえと。じゃあまたあとでな」
「待て」
自分の席に戻ろうとする彼の手を掴んで引き留めると、静雄はぎょっとした表情を見せた。そんな彼に私は、本命の言葉を告げた。
「━━トリックオアトリート」
「なるほど。不意打ちというわけだ」
「結果的にはそうなったのだろうな」
「それで、どんな悪戯を彼に?」
「それは……内緒だ」
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