もっとうまくやるべきだった。
レンガの家なら安全だなんて高を括ったもんだから。
やがてはみぃんな狼の胃袋に収まることになる。
「何人か逃げたなァ……」
傭兵たちは廃墟でローグの残党狩りに興じていた。狂信者の潜伏場所を特定した特殊心理対策局から傭兵への依頼だ。彼女たちは潜伏場所を既に数名のローグごと粉々に消し飛ばしている。ケルベロスはそこから運よく逃れた二名のローグダイバーを追跡して敷地内を捜索しているところだ。
すん、すんすんと鼻を鳴らして敵の匂いを嗅ぎ分ける。
「……血の匂いだ」
にやりと微笑んで鋭い牙を覗かせる。血を流していては獣から逃れることはできない。
「わかるのか」
行動を共にしているのはバンディット。彼女もこの作戦に参加している傭兵のひとり。
「ああ、わかるとも。足跡みたいにくっきりとなァ」
「なら手負いは任せた。あたしは他の連中ともう一人を探す」
「ずるい。オレも五体満足のローグを狩りたいのに」
ケルベロスの尻尾がだらりと垂れ下がる。
「こっちは誰でもできるが、そっちはお前にしかできないことだ」
「そうかよ。ま、わかったぜ。潰したらそっちに合流する」
バンディットは肯定すると廃墟の影に消えていった。彼女とは別行動で流血の主を追う。
臭気を辿ってゆくにつれ臭いが濃くなる。
「ほれほれ、もっと逃げないと追い付いちまうぞ」
やけっぱち気味に斧を振り回して障害物を破砕しながら進む。
その道中でケルベロスは鉄筋の破片に引っ掛かって破れた黒い布片を発見する。
「間抜けめ」
それを手に取って鼻に当て、においを深く吸い込む。すると違和感をおぼえた。
「……?」
頭頂部に疑問符を浮かべてもう一度深く吸い込む。しかし布から感じる雰囲気はローグのそれとはまるで違っていた。
「……変だ」
明らかに自分が追っている者とは別の者が潜んでいる。周囲を見渡すが、当然その正体はわからない。
「まあ、いいか。いざとなりゃあどっちも……」
言い掛けたところで「パキッ」という枝を踏んだ音をケルベロスの耳が拾った。
彼女は話すよりも先に反射的に、大斧をまるでトマホークのように音源へ投擲した。斧が投げられた先から男の悲鳴が響いた。ケルベロスがのっしのっしと斧の着弾地点に近づき、暗闇から斜めに突き出た柄を持って大斧を持ち上げると、昆虫の外骨格の特徴を持った中肉中背の男が一緒に持ち上がった。
「ぐがあ」
無表情に近い昆虫顔でも男が苦しんでいるのがわかる。
「……いったい、誰が」
「誰が?」
「音を出したのは誰だ」
「お前じゃないのか?」
「ちがう……」
「そうか」
ケルベロスがさも興味無さげに再び斧を振り抜くと、半月状の刃からすっぽ抜けたローグは力なく元の場所に叩き付けられる。ローグの蛍光緑の血液が周囲に飛び散る。暗闇でも目立つ血飛沫は布や道中に残っていた赤い血液とは似ても似つかないものだった。
さらに瓦礫の遮蔽物の裏からか細い声が聞こえてきた。
「ひぇぇ……」
「なんだよ、なんだよ!どっちもオレの獲物かよォ!」
ケルベロスが嬉々として遮蔽物を上から覗くと、緑色の血液が空間に付着し、見えざる者の姿を朧げに映し出していた。それは姿が発見されたことを悟ると小さな声で話した。
「たべないでください……」
「あー?聞こえねえよ」
「食べないでくださーい!」
それの精一杯の大声を聞いたケルベロスは、太い腕を回して見えざる者を持ち上げると、顔を近づけて大きく吸い込んだ。
「ひゃわあっ!」
においを嗅がれて見えざる者も素っ頓狂な声をあげる。ケルベロスはしばらくして顔を離した。
「……お前のにおいはローグじゃねェな。名前は?」
「音無、忍……」
「シノブ。覚えたぜ」
「お姉さんは……、なんなの……?」
「オレか?━━オレはケルベロスだ!」
「ケル、ベロス……。地獄の番犬」
「おう」
「すごい」
忍が放心状態で賞賛の言葉を捻りだすと、ケルベロスは笑って彼を小脇に担いだ。
「わっ、わっ!自分で歩けるよ!」
「見失ったら厄介だからなァ。オレがみんなのところに連れてってやる」
「おろして……」
これがオカルト好きの少年忍と、伝承上の怪物ケルベロスの出会いだった。
このあとこのか弱い少年が生涯の宿主になることは、ケルベロスはまだ知らない。
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