ウミガメ『フウ』は深夜の一時半に目が覚めた。言い方を変えれば床暖房の上で眠っていた。生きる夢である以上睡眠を摂る必要など無いに等しいのだが、外気の寒さと室内の温かさの落差がそうさせたのだろうか、いつの間にか意識を手放していたのだった。
辺りをきょろきょろと見回して状況を整理する。少し混乱したが、なんてことはない。視界に広がるのは日常と同じように、宿主たるヴィドと住む物の多い部屋の風景だ。ただし、ヴィド本人はいない。
「あれ、ヴィドさん~?」
フウはとてとてと厚手のカーペット上を歩き回って彼女を探した。しかしどうやら、この部屋に彼女はいないようだ。ああ、それなら私室だろう。というよりは、残る部屋は私室か洗面台か風呂場かトイレしかない。彼女はテーブルに飲みかけのペットボトルを手に、消去法で居所を私室に絞って向かった。
(ヴィドさん、寝ちゃったかな?)
時間的には既に入眠していてもおかしくはない。そう思ってドアをノックすることなく、そうっと音がしないように開いた。
「……」
予想に反してヴィドはまだ起きていた。しかしウミガメがドアを開けたことには気づかない様子で、こちらに背を向けたまま薄暗い部屋で机に向かって腰掛けている。
「……ヴィドさん?」
フウが恐る恐る話しかけると、彼女は少し驚いたように振り返る。
「フウ。起きたのか」
微笑むヴィドの手には見覚えのない写真立てが握られている。それがなんとなく気になったフウは写真立てについて尋ねた。
「はい。ところでそのお写真は……?」
「これか?昔の写真だ。……姉妹のな。ガラが悪い方がオレの姉貴だ」
そう言って彼女は写真立てに飾られた写真をフウに向けて見せた。写真の中では顔つきの似た二人の少女がこちらに向けて中指を立てている。
「どっちかはヴィドさんですか?昔は可愛らしかったんですねぇ~」
フウはにへらと笑いながらヴィドの横のクッションにぼふんと座り込んだ。それを見てヴィドは椅子ごと彼女の方を向いて背もたれに深く寄り掛かる。
「ガキの頃はだいたいがそうだろう」
「どうなんでしょう。でも思い出の写真なんて眺めてどうしたんです?柄でもない」
フウの茶化したような態度にヴィドは物憂げに深く息を吐くと写真立てを机に置いた。
「今日はな、姉貴の誕生日なんだよ」
「はぇ~!それはめでたい日ですね」
フウはぱちぱちと手を打った。
「まあな」
フウは愛想で相槌こそ打てど、ここまではただ情報の羅列を受け取るように話を聞いていた。しかしここで話題を広げてみようと思いたち基本的な質問をしてみた。
「どんなお姉さんなんですか?」
ヴィドは少し考えて答えた。
「優しかったよ。肉親だからな。でもしょっちゅう喧嘩はしてた」
フウは人間の姉妹という関係について思いをはせてみた。
「……姉妹ってそんな感じなんですか?」
「わからん。なにしろ育ちが悪いんでなあ。……オレの故郷は貧乏人ばっかだったが、親がいねえオレたち姉妹は特に貧しくてなあ。残飯漁りだろうとガラクタ集めだろうとなにかと喧嘩してた。おまけに姉貴はオレよりカネに汚くて犯罪に対する良心の呵責を無くすのもオレより早かったからな。” Ya que se lleve el diablo, que sea en coche.(どうせ悪事を働くなら派手にやろうぜ)”が座右の銘だって言ってたっけ。スペインの諺だが、日本だと”毒を喰らわば皿まで”と言うな」
饒舌に話し続ける彼女の昔話をフウは黙々と聞いていた。宿主のことを知れるよい機会だと考えたからだ。ヴィドは話し好きで、よくフウとも他愛のない話から仕事の話までいろいろな話をするが、身の上話だけはしたことがない。彼女が自分から家族のことを話す機会など滅多に巡ってはこないだろう。少なくともフウはそう思った。
「ヴィドさんよりお金好きだなんて相当ですねえ。今は会ったりしないんですか?」
「ああ、そうだなあ。だからこうして誕生日だけでも簡単に祝おうと思ってな」
「毎年自宅でお姉さんの誕生日のお祝いを?」
「……いんや。それこそ数年ぶりだ」
「?それじゃ、なんでまた」
ヴィドは頭をぽりぽりと掻いて少しばつが悪そうに答えた。
「お前と暮らしてたらなんとなく、姉貴を思い出しただけだ。そういえばもうじき誕生日だったっけってな」
「それで急遽お祝いを」
「ま、そんなとこだな……」
ヴィドは写真立てを持って写真を少し眺めて、そしてまた机に写真を伏せて置いた。フウは彼女に寄って伏せられた写真立てを再び立てて写真を見つめた。
「お姉さんもヴィドさんみたく”たわわ”ですか?」
「お前な……。いや、しかしわからん。確かめようがない」
「どうして?」
フウはそこまで言って、はたと気づく。
「確かにガキにしては出るトコは出てたかもしれんが……姉貴は━━死んでしまった」
「それは……お気の毒に」
フウはそう言うとペットボトルに残った緑茶を口に含んだ。
「夜に緑茶を飲むと眠れなくなるぜ。カフェインっていうのが入っててな━━」
どこでも拾えるようなカフェインに関する豆知識を簡単に聞いたあと、フウはヴィドに尋ねた。
「お姉さんのお話はもういいんですか?なんていうか━━深刻そうに見えません。普通”そういう”話をするときはそういう雰囲気と気分なのかなと」
「深刻じゃねえわけじゃないが、悲劇を共有したいわけじゃないからな。オレにとっては話のタネのひとつってだけだ」
「ほへー」
普段の調子を見せるフウにヴィドは含み笑いを浮かべた。
「オレが殺したんだ」
「殺した?」
「ああ。殺した」
フウはボトルの口を離して少し関心を持ったような目を向けた。ヴィドはそれを見て続けた。
「聞くか?」
「聞きます」
彼女は得意げに指を鳴らすと、椅子に深く腰掛け直した。
「よし。そうだな。あれは━━姉貴がギャングの倉庫に盗みに入ろうとか言いだしたことから始まったんだ。オレじゃないぞ?姉貴だ。オレは無理だって言ったんだ。……一回はな。だが結局はノリノリで盗みに向かった。警察署に盗みに入るプランよりは幾ばくかマシに思えたからな。オレたちは見張りのチンピラをのしてコンテナを物色した」
「わあ。映画みたいですね」
「今思うとな。だが当時はパンの一切れにだって困ってた。ギャングなら食べ物を溜め込んでると思ったんだ。映画みたいに無謀でもやるしかなかった。……おっと!続きだな。だが夢中で物資を漁るオレたちは、連中が様子を見に来たことに気づかなかった」
「……そこで、捕まった?」
「姉貴だけがな。オレは運よく逃げられたんだが、姉貴はその場で拘束された」
「ヴィドさんは、どうしたんです?」
「逃げた。その場はな。なにしろ銃で武装した巨漢が四人だ。どうあがいても勝ち目がない。あとで姉貴の居場所を突き止めて助け出すつもりだった。……結末は知っての通りだが。その時はとりあえずねぐらに帰った。戦利品で腹ごしらえをしてから行動を起こそうと思ったから。盗めたのはケース二つ。中身は何だったと思う?」
フウは顎に手を当てて考え込んだ。
「……ドライ・パエリア?」
「スペインだからか?パエリアだったら大喜びだっただろうな。正解はコンドームだ。全部だぞ」
「うわあ……」
「あん時はさすがに癇癪を起したよなあ。床にケースを叩き付けて中身をぶちまけて、ふんずけてな。まあ全部盗品だから文句言えた立場じゃないが。……兎にも角にも、オレは腹ペコのまま姉貴救出作戦を決行せざるをえなかった。姉貴がどこにいるかはすぐにわかった。奴ら姉貴をケージに入れて列車でどこかに輸送するつもりだったらしい。オレは列車が走り出す瞬間に飛び乗り、銃で武装した貨物車の見張りを気絶させて姉貴と再会した。姉貴は言った。”助けにくると信じてた”。その時のオレは姉妹揃って首尾よく脱出して、また貧乏で惨めったらしい日常が戻ると思ってた」
「……うまくはいかなかった?」
「ああ。全っ然うまくいかなかった。ケージを開けようにも鍵がねえから、見張りの銃で錠前をぶち抜こうと思った。だがビクともしねえんだこれが。じわじわ良くない方向に事態が滑っていってることに気づいた。銃声で他の連中もすぐ隣の車両に集まってきてたしな。内側から”かんぬき”をしてたからひとまずは良かったものの、今すぐにも扉は破られそうだった」
フウは眉一つ動かさずに、静かに話を聞いていた。ヴィドはペースを落として続ける。
「━━檻に詰められて売買されるガキの最期なんてのは、”クリーニング屋のトラックの中”と決まってる。そいつはオレも姉貴も知ってた。だから決めなくちゃならなかったんだ」
ヴィドは話を続ける前に大きく溜息を吐いた。そしてフウを見て笑って見せた。
「オチが読めてきたんじゃないか?」
フウも彼女に合わせて薄く笑ってみせた。
「たぶん、読めてます」
「最終的にはお察しの通り、オレが見張りの銃で姉貴を殺した。うずくまって顔を伏せる姉貴の後頭部に一発でな。姉貴はオレが決断する直前に”助けてくれ”って言った。オレは今でもオレの決断が模範解答だと思ってる」
フウはくくくと笑った。
「ヴィドさんらしい」
「だろ?ちなみに首領たちには同じ車両で出会った。すぐにでも列車を離れたかったが、なにしろそれなりの早さで動いてるからな。駅で停車するまで適当な貨物車に身を潜めて、ついでにそこにあった食糧を貪ってたワケだ。んでそいつが偶然レイダースの所有物だった。初めてイグナシオと目があった時はその場で家畜みたいに正直ブチ殺されるかと思ったが、彼らの客車に招かれて火を通した飯を振る舞ってもらって、おまけに”キセル”をした経緯を話したら既に一行にいたチャスの友達枠として連れてって貰えることになってな。すごいサクセスストーリーだろ?オレってシンデレラみたいだよな」
ヴィドは息継ぎをして呟く。
「姉貴は、まあ……運が無かったよ」
「ええ。ほんとに」
ここまでの話を聞いたフウは当然、彼女の過去と自分の過去とを照らし合わせていた。フウ自身は旧宿主の変化を止められず、やむなく手に掛けた過去がある。生まれた場所も年齢も、種族すら違う二人だが、類似の体験を経験しているというのは不思議な感じだと思った。そういう感覚が表情に出たのだろうか、顔が綻んでいることをヴィドに指摘される。
「笑うところあったか~?」
ヴィドは笑顔でフウのえくぼを親指で弄り回した。
「ぴぃ……。い、いや。ただ大したことじゃないんですけど、私たちって似た者なんだなあって」
そう言うフウに、ヴィドは含み笑いをして彼女の顔から指を離した。
「夜食でも食うか」
「いいですよぉ。なにを作りましょうか?」
「今からだと手間だろ。冷凍庫にピザブリトーがあったはずだから、それでいい」
「はぁい。それじゃあ温めてきますね」
そう言うとフウは足早に台所に向かっていった。ヴィドも彼女の後ろに後ろに続いて行こうとしたが、写真立てをそのままにしていたことに気づいてすぐにUターンし、写真立てを手に取った。
「誕生日おめでとう姉貴」
それだけを呟くと彼女は写真立てを一番下の引き出しの一番奥にしまいこんだ。それと同時に台所では電子レンジの温めが完了したことを告げるメロディーが聞こえてきた。
「できましたよぉ~、ヴィドさん~」
「おう、今いく」
振り返った彼女は、ただ夜食を楽しみにしているというふうの笑顔をしていた。
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