帰り道

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帰り道

帰り道

　走る車の音、歩く人の音、変わる信号の音、揺らぐ樹々の音。大きな自動ドアが音もなく開けば、密かにざわめく街の喧噪があふれ出してくる。僕は息を吸い込んだ。
　春が訪れても、まだ少しだけ寒い夕暮れ。冷たい風が吹いて、思わず首をすくめた。冬へ置いてかれることに、文句を言っているみたいだった。
　腕に抱えていた薄い上着を羽織って、寒さから逃れる。ちょうど進行方向の信号が変わった。一斉に歩き出す見ず知らずの人の波に紛れ込み、白と黒の縞々をまたぎながら歩いた。白、白、白。タイミングが合わず、黒を踏んでしまった。
　道行く人は様々だ。たくさんの人が行き交って、すれ違う。そんなたくさんの人々の中にいると、不思議な気持ちが胸の中をゆっくりと回り、心臓をとんとんと鳴らす。
　道路を渡り切ると同時に、信号が点滅し始めた。人の量の割に、ここの信号はすぐに切り替わる。急ぎ足ですれ違う人々をこっそりと応援しながら、目線を逸らして歩いた。また風が吹く。この上着では、防げる寒さじゃなさそうだ。

　川沿いの歩道、青に変わった信号、人の出入りの激しい駅、影のたむろするバス停。上機嫌な会社員の集団をわき目に、後ろからやって来た自転車に驚きながら道の端へ寄る。眩く光るドラッグストアの照明を視界の隅に、僕を追い抜かしていくバスの背中を見守った。二人組の男女を追い抜かし、小走りのおじさんに追い抜かされた。反対の歩道では、人々がスーパーに吸い込まれていく。レンタカーショップから出てきた車に道を譲ってもらって、小走りで小さな距離を駆けた。ちらと見ると、昨日は切れかけていた街灯が煌々と光っていた。
　僕は大きな流れから脇道へそれた。そうしたら、どこかに音を置いてきたように、世界はすぐに静かになった。
　カラスが鳴いている。向こうの居酒屋に人が入って行った。どこかのアパートからピアノの音がほんの微かに聞こえてくる。飛行機が頭上をゆうゆうと過ぎて行った。
　世界はそれでも静かだった。
　僕はそこへ立ち止まって、ゆっくりと息を吐いた。空を見上げる。ビルとビルの間を。
　見上げるほど高い建物に囲まれた街の中で、空を眺めるのが好きだった。何もない場所で空を見上げるよりずっと、空の高さを感じられるから。意味もなく手を伸ばしたくなったけど、右手のカバンが重くてやめた。それに、少し恥ずかしいから。
　今日も空はすごく綺麗だ。頬が緩む。ほんの少しだけ。
　視線を戻す。静かな世界から集まってきた音が、元の場所に戻っていく。
　僕は、歩き出した。

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