Phase-24-10

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「しかし、脆いもんだね。少しは州兵も抵抗してくると身構えたのが馬鹿みたいだぜ」


 頬の絆創膏の下が痒いのか、しきりにそこを引っかく少尉が、スレイプニールのデッキの手すりにもたれかかりながら呟いた。


 襟元や袖口からのぞいた包帯が痛々しい。ジュール隊との激戦の名残である。あの戦闘で少尉のシグナスは修理不可能な損害を受けてしまった。


「さすがにこれは、直せない」とサイが匙を投げてしまってはもはや打つ手は無い。哀れ廃棄処分となった次第である。


 大尉と中尉とシホの搭乗機も事情は似たり寄ったりである。機体の損傷や武器のダメージは甚大で、まともな戦闘は期待できない状態だった。


 そのためパイロットたちで話し合い、シグナスから使えそうな部品をありったけ取りだし、それを全てシンのダストガンダムの補修に回すことになった。動けないMSが複数あるよりは、まともに動くMSが1機だけでも確保できたほうがまだマシ、との判断からである。


 またもやシンに負担を押し付けることになるため、特にセンセイや中尉やコニールは、忸怩たる気持ちを抑えられないのが正直なところであったのだが。


 シンの疲労が蓄積しつつあることも、先の戦闘でさらにそれが増大したことも、シンの精神状況がまた下降しつつあることも、誰もが承知していた。


 だがメカニックのサイからして、スレイプニールの修理にかなり手をとられてしまっており、とてもMSの修理に専念できる状態ではなかった。シゲトのみならず、大尉たちも手伝って、何とかダストガンダムの修理だけは終わらせることができた始末なのだ。シンに配慮する余裕はない。


 そしてリヴァイブはようやく動くようになったスレイプニールで、レジスタンス軍と合流し州都ガルナハンを目指したのではあるが……


「東ユーラシア軍のやる気の無さは今に始まったことじゃないわ。統一連合軍が撤退した今、踏み止まるだけの戦意を持つような部隊はいないでしょう」


 センセイが冷静に指摘する。


 そう、ガルナハンはほぼ無血開城に等しい状態でレジスタンス連合軍の手に落ちたのである。


強者になびき、弱者をいたぶる最低の軍、とレジスタンスから揶揄されることしばしの東ユーラシア軍であるが、その揶揄にたがわず、レジスタンスの侵攻を前にして、彼らは本来守るべき民衆をいとも簡単に見捨てて敗走してしまったのだ。とはいえ我々レジスタンスも笑ってはいられない。こちらも寄せ集めの荒くれ者が多く、コントロールしなければ略奪を行い同じ風評を受けるだろう。


何はともあれスレイプニールを含め、戦闘に備えて緊張状態にあったレジスタンス軍は、およそ抵抗らしい抵抗も受けないままガルナハン侵攻を今まさに果たさんとしていた。


「ところで、シンの奴はどうしている? 」


 大尉が聞いた。まずそうに煙草をくわえている。いつもと異なる銘柄だ。愛飲している銘柄は、スレイプニールの被弾時に灰と化してしまった。占拠した地熱プラントの倉庫からまずはともあれと煙草を1カートンせしめてきたのだが、いつもだったら「こんな代物は煙草じゃない」と馬鹿にしている銘柄だったのだ。


「これを機会に禁煙されたらいかがですか?」とせっかく中尉が忠言したものの、まずくても無いよりはマシと、我慢して吸っているのがヘビースモーカーたる所以だろう。


「兄貴、またコクピットに閉じこもったままだよ。全然出て来ようとしない」


 シゲトが溜息をつきながら言った。大尉の顔がますます渋くなる。煙草とは別の苦い味がその口に広がる。


 シンの感情の波が激しいのはいつものことだ。特にここ最近の彼はちょっとしたつまずきで精神的な均衡を欠いてしまう傾向がある。それを理解したうえで、何とかシンをフォローするよう尽力してきたつもりだが……ジュール隊との戦いでもシンの負担を軽減するどころか、皆そろって生き残ることだけに精一杯の体たらくだった。


「まったく、どうにも上手く行かないな。畜生め」


 大尉が思い切り宙に煙を吐いた。もはや冬が過ぎ去り、春がそこまで来ている空気の中に、紫煙が溶けてゆく。


 しかしシンの問題は煙のように、自然に消え去るのを待つという訳にはいかなかった。




シンがいるのは暗闇の中、星々の輝きの失せた虚空、シンはぽっかりとそこに浮かんでいた。シンは独りだった。


 不意に闇の向こうに浮かんだものがある。それは、懐かしい顔だった。


 妹のマユがいた。父と母がいた。ヨウラン、ヴィーノ、タリア艦長、アーサー副長、ハイネ、ステラ……そしてルナマリア。


 なぜか、誰もが悲しい顔をしていた。涙を流しそうな顔でこちらを見ている。


 どうしてそんなに悲しい顔をしているのか。シンは問いかけたかったが声が出ない。叫ぼうとしても喉が震えない。彼らの元に駆け寄りたいが、足どころか指一本動かない。


 これは夢だとわかっている。全てを失ったあの日から、もう何度も見た悪夢だ。皆の悲しそうな顔も、動かない身体も、幾度と無く経てきたものだ。


 でも、この夢を見ることに慣れることはできそうもない。


 ダストガンダムのコクピットの中で、しばしの休息にまどろむシンの額に汗が浮かんでいた。




 あと数時間もすればガルナハンに到着する。道中さしたるトラブルも無く、先行しているレジスタンスの部隊からも異状は報告されていない。スレイプニールの艦橋にもやや弛緩した空気が流れていた。


「モスクワに帰還したら、敵前逃亡で銃殺刑じゃないの? あいつら大丈夫なのかしら」


 嘆息してみせるコニールである。敵ながら、ガルナハン州都の中流兵たちの末路を案じてしまう余裕さえ今のレジスタンスにはあった。


「素直にモスクワに帰るわけでもないでしょう。田舎に戻るかどこかに雲隠れするか。今の東ユーラシア政府に、逃亡兵を追う余裕はありませんしね」


 ロマが肩をすくめる。こちらも、思いのほか容易にガルナハン制圧が果たせそうなこと、シンにこれ以上の負担を押し付けずに済んだ安堵感にひたっている。


 もっとも安堵の原因はそれだけではない。ラドルがそれを指摘した。


「それにしても、ローゼンクロイツもよく我々に指揮を任せてくれましたね。こういったところは、自分たちの存在感を示すために先頭を切るものとばかり思っていましたが…」


 ローゼンクロイツの指揮官二人、ミハエルとニコライはこの場にいない。


 事後処理や今後のための準備活動だとして、代理のものを残して、一端本拠地に戻ってしまったのである。


 確かに統一連合の遠征軍が撤退した現在、二人が陣頭に立って指を取る必要も無いのは確かだ。しかし、落ち目だったローゼンクロイツ復活のアピールとしてこれ以上ふさわしい場所もない、ガルナハン占領にミハエルもニコライも姿が無いというのは、どうにも違和感が残る。


 だが、半ば指揮を任された格好のロマにとって、やりやすいのも事実であった。ガルナハン侵攻後については、色々と思うところもあったのだが、さりとてローゼンクロイツの歴々を無視して事を進めるわけにもいなかいジレンマがあったのだが、それに悩まずに済むのは単純にありがたい。


 とりあえず大勝利につい浮き足立ちそうになるレジスタンス軍ではあったが、ロマはガルナハンの住人たちにいらぬ不安を与えないよう、暴力行為などゆめゆめ行わないように各組織のリーダーを通じて全軍に通達しつつ、州都の占領を今まさに果たさんとしていたのであった。


 彼らの背後で何が起こりつつあるのか予想せず……予想できるはずもなしに。


 しばしの砂嵐の後に、モニターに薄暗い情景が映し出される。


 無機質なコンクリートの壁。粗末なパイプ椅子に、後ろ手に拘束された軍服姿の男性が座っている。軽い擦り傷などは見受けられるが、どうやらさしたる怪我は負っていない様子だ。


 ただし目の下には隈ができており、憔悴しているであろうことは容易に見て取れる。そんな彼の肩を、フレームの外から伸びた手が小突く。


 それに促されるように、男性が口を開いた。ゆっくりと、台本を一語一語確かめながら読むかのようにに発言する。


「私、東ユーラシア軍准将、ダニエル=ハスキルは、現在ローゼンクロイツの捕虜となっている。


 私は、彼らから東ユーラシア政府にメッセージを伝えるよう依頼された。その内容をここに伝える。


 ローゼンクロイツは、悪逆非道な統一連合を我らが母国であるユーラシアより駆逐するために活動し続けている。このたび、ゴランボイの地熱プラントに派遣された統一連合遠征軍を排除させたことにより、我々の強固な意志と実力は、東ユーラシア政府も十分に理解したことと思う」


 モニターを見つめる面々は渋い顔をしながら映像を見守っていた。大多数はスーツ姿で、数名は軍服を着ていた。東ユーラシア政府の首脳たちである。彼らの口から舌打ちや溜息はしきりに聞こえたが、視線を逸らす者はいない。


 数時間前に届けられたローゼンクロイツからのメッセージ。それは東ユーラシア政府に重大な決断を迫るものだった。


「そこでローゼンクロイツは東ユーラシア政府に申し出る。


 我々と共闘し、東はもとより西を含めた全ユーラシアより完全に統一連合を排除して、完全なる解放と独立を果たそうではないか。もしも共闘に同意してもらえるのであれば、我々は現在占拠中の地熱プラントを東ユーラシア政府の管轄に返還する用意がある。


 貴殿らの賢明なる判断を期待する。以上がローゼンクロイツ指導者のミハエル=ペッテンコーファーが東ユーラシア政府に送るメッセージである」




「彼奴ら、何様のつもりだ!」


「一度の勝利で調子に乗りおって。傲岸不遜にもほどがある。何が全ユーラシアの完全なる解放と独立だ!」


「飲めもしない要求を突きつけやがって、テロリスト風情が!」


 映像が終了し、灯りの戻った室内は、一気に威勢の良い罵倒に満たされた。しかしながら、言葉の勢いとは裏腹に、具体的な方策を述べる人間は一人もいない。


 もともと、東ユーラシア政府単独の力ではレジスタンスたちを排除することも、地熱プラントを守りきることもできるはずがなかったのだ。だからこそ統一連合軍の協力を仰ぐ姿勢を見せた上で、獅子身中の虫としてハスキルを送り込んだのである。統一連合とレジスタンスの共倒れを狙って。


 モスクワや各地の兵力は温存したまま、地熱プラントの防衛には最小限度の兵しか派遣しなかった。協力は最小限にとどめ、ハスキルには巧妙にサボタージュと作戦の妨害を行わせ、長期戦により統一連合とレジスタンスがともに疲弊したところで一気に兵力を投入。漁夫の利を得る。これが彼らのシナリオだった。


「疫病神」はその役割を果たした。いや、予想以上にやりすぎた。ユーラシア全土のエネルギーの生命線を握る地熱プラントを、レジスタンスが強奪してしまったのである。


 まさか統一連合軍がこうも大敗北を喫してしまうとは。そしてレジスタンスがここまで勢力を伸ばし、善戦するとは。東ユーラシア政府も思いもしていなかった。結局、今までも手を焼いていた相手が、切り札を手にして、さらに始末に終えない存在になってしまうこととなった。


 それが何を招いたか。レジスタンスの勢いに対して、東ユーラシアの残存兵力だけでは逆に返り討ちに遭うのではないかと誰もがしり込みしてしまったのだ。


 ガルナハンの州兵はローゼンクロイツ率いる軍勢の侵攻に恐れをなして、命令を無視して逃亡してしまった。それだけでなく、各地に配備された部隊からも脱走兵が続出する有様だ。命令無視の敵前逃亡は当然ながら軍隊では銃殺刑ものであるが……


「統一連合軍すら退けた相手に誰が好んで向かっていきますか? 兵士たちの士気は下がる一方です。もはや現場の秩序が保てません!」


 各部隊の隊長たちの悲鳴が続出する。いやまだ悲鳴を挙げるだけマシだろう。部下に率先して模範を示すべく、さっさと逃亡を決め込む上官すら多かったのだ。


 ここまでわが軍は弱体化していたのかと、今更ながらに政府首脳や軍幹部たちは絶望感に満たされていた。いやとっくに気付いていてしかるべきであったのだろう。軍のみならず、東ユーラシアという国全体が威厳を失い、死に体となっている。それを直視できなかった、彼らの心の目が曇っていたとしか言いようが無い有様であった。




「……」  上座に座り、腕を組んでいる初老の男性。決断を迫られている東ユーラシア政府首相は無言のままだ。彼にはまだ迷いがあった。


 いや事がここに至っては、すでに選択肢などあろうはずがない。彼がすべきなのは、決断するという行為だけだった。しかしその責任を負いたくない気持ちが、彼を逡巡させている。


 小さくうなり声を上げ、必死に思考をめぐらせながら、何とか他の手段が無いものかと迷い続ける首相。ローゼンクロイツに対する罵詈雑言を飽きもせずに繰り返す部下たちを苦々しい表情で見る。こいつらは文句を言っていればいい。自分はその先を考えなければならないのだ。少しは建設的な意見の一つでも言ったらどうだ、自分と責任を分かち合ってみろと怒鳴りたいのを必死にこらえる。


 不毛な議論にすらなっていない、単なる悪口の渦の中、孤独に首相は決断を迫られていた。

ミハエル=ペッテンコーファーの思惑通りである。



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