Phase-20-20

ページ名:Phase-20-20

「はあ、シンが出て行った?そりゃまた一体どういう訳ですか?」


 いささか間の抜けた口調での、ロマの台詞だった。

どうにも下の方がうるさいなと、ラドル艦長との話し合いを中断してスレイプニールの艦橋から降りてみれば、シンがいなくなったと大騒ぎになっていたのである。

最後にシンを見かけたリヴァイブのメンバーが、頭を掻きながら説明した。


「いや、倉庫に行ってみたら、いきなりシンの奴がオートバイのエンジンを噴かしていたんですよ。どうしたんだって聞いたら『一週間ほど留守にする』ってだけ言って、そのまま走って行っちまったというわけで」


「そんな……近いうちに作戦が始まるのに、シンは何を考えているんですか! 」


 ロマの言葉に、周囲の面々もそうだそうだと同調する。彼らが責めているのはここにいないシンだが、矢面に立つのは件の目撃者たるメンバーだ。とんだとばっちりを食う羽目になった憐れなメンバーは、俺に言われても困るよと、泣きそうな顔をしている。


「あらあら、レイさんも残したままですか。行き先だけでも聞いていないのですか?」


《俺は聞いてない》


 手に持った端末に問いかけるリュシーだが、帰ってきたのは身も蓋も無い返事だった。

少尉があごに手を添えつつ、にやにやしながら頷いて一人で納得している。


「大事な作戦の前、誰にも行き先は言わず、いきなり一週間も留守にする。そうか、なるほどなるほど。こりゃ女以外には有り得ないな。あの朴念仁のシンの奴にもとうとう春が来たとは。こりゃ、めでたい限りだ」


「お前(アンタ)みたいな色情狂と一緒にするな! 」


 大尉とコニールが見事なハモりを見せつつ、少尉の頭を思いっきりはたいた。

ここでようやく、サイが発言する。


「もしかして、友達に会いに行ったとか?」


 サイに視線が集まる。皆意外そうな顔をしている。シンが天涯孤独の身の上で、レジスタンス関係以外ではほとんど友人付き合いが無いことは、誰でも知っていることだったからだ。サイはそんな彼らに説明する。


「いやさ、さっきのジェスからの贈り物にあったんだよ。何でも、友人のアレックス=ディノとか言う奴が西ユーラシアにたまたま来ているらしくて、シンとぜひ会いたいと言っているらしくて」


 それを聞いて納得の表情が皆に浮かぶ。旧友との再会ともなれば、わずかな時間も惜しんで慌てて飛び出したのも当然と言うべきだろう。

しかしシンに友人なんて初耳だな、それにしたって一言断りを入れてから出発するべきだろう、あいつが勝手なのはいつものことだがどうも普段と様子が違うな、とざわめく面々。

リュシーがレイに改めて聞いた。


「アレックスさんですか。その人の名前に、レイさんには聞き覚えがありませんの?」


《…知らないな》


 これが、レイと知り合って間もないリュシーではなく、センセイや中尉やコニールならば気づいたのかもしれない。

レイの返事に、ほんの少しの逡巡と嘘の響きが混じっていたのを。




 ヨーロッパとアジアの境界となるボスフォラス海峡。黒海とマルマラ海を結ぶこの海峡にかかるボスフォラス大橋は、二度の大戦とブレイク・ザ・ワールドの惨禍を奇跡的に潜り抜け、今なおユーラシアとアジアを結ぶ陸路の要衝として存在し続けていた。

まだ雨が降ってはいないが、雲は厚くたちこめ、いつ崩れるかわからない天気のこの日も、多数の車が橋を行き交っている。軍や警察の車両がその中には混じっており、ユーラシア情勢が緊迫していることをいやおうなしに思い出させるものの、一般市民や観光客の姿も散見される。

橋の中央には、大きな広場が設けられており、絵筆を持った初老の男性やカップルたちが思い思いの時間を過ごしていた。

その広場の片隅、ほとんど人の来ない一角にある石造りのベンチ。そこにアスランは座っていた。傍らには売店で買ったコーヒーカップがあるが、口は一度もつけておらず、すっかり冷め切ってしまっている。

膝の上で手を組み、ひたすらアスランは来るかどうか定かではない、かつて自分の部下だった青年を待ち続けていた。

時折かすかに視線を動かして、彼が見るのは、橋げたに埋められた大きな時計だ。針は徐々に重なりつつあり、シンとの約束の時間が迫りつつあることを示していた。

そんなアスランの様子を、車のフロントガラス越しにソラが見つめている。

本当はアスランとともにシンを待ちたかったのだが、話は二人きりでさせるべきだとジェスに引き止められたのだ。かくして、ジェスとソラは少し離れた場所にある駐車場の車の中で、二人の再会を見届けることになった。

眺めるだけしかできないもどかしさもあってか、不安そうに、傍らのジェスにソラが問いかけた。


「シンさん……来るでしょうか」


「わからんよ。そもそも俺のメッセージが届いているかどうかも確認できないし、シンがこちらの申し出に応じるかどうかも定かじゃない。俺たちには待つことしかできないさ」


「冷たい言葉ですね。ジェスさん」


「別に。単に事実を述べているだけさ」


 そう言いながらも、ジェスはソラの方を見ようとはしない。

初めて出会ったときから、ソラの身を気遣い、何かとフォローしてくれ続けていたジェスではあるがここ最近、特にソラがシンとアスランとの再開を企図してからは、どうにも勝手が違う。

ソラを何とか翻意させようと説得をし、それが効を奏さず実際に再会が決まってからは、あくまで消極的な態度にとどまっている。今回の彼女の提案に、あまり乗り気になっていないのは明白だった。ジェスのそんな様子に、少し違和感を持つソラである。

時計の長針と単身は垂直に天に伸び、正午を告げる鐘の音が広場に鳴り響く。にぎやかではあるが、どことなく悲しさを思わせる音色の中、黒衣に身を包んだ青年が、アスランのもとに歩み寄ってきた。

バンダナを頭に巻き、サングラスをかけている。身長は少し伸びてアスランに追いついたが、体つきは少し細くなっただろうか。笑うことの少なかった表情が、さらにいっそう厳しいものになっている。

5年の歳月は、外見に多少の変化をもたらしてはいたが、それでも見間違えるはずはなかった。アスランは立ち上がり、かつてともに戦い、別れ、最後には刃を交えることになった相手を迎える。そして、彼の恋人だった少女を殺したのは、まぎれもなくアスラン=ザラその人だった。

様々な思いが胸をよぎっているはずではあったが、あえてそれを押し殺して、アスランが言う。


「シンか…久しぶりだな」


 そしてゆっくりと、シンが応じる。


「ああ、アレックス=ディノ。いや、アスラン隊長」


 二人の頭上で、最後の鐘の音が空に吸い込まれていく。ジェスにも、ソラにも、それが祝福の音には聞こえなかった。シンとアスランの二人が対峙したその瞬間から、周囲に緊張した空気が立ち込め始めたのが、車の中にいる彼らにすら感じられたからだ。

ソラが、音を立てて唾を飲み込む。

意図せぬ再会は、こうして幕を開けた。



「本当にここに来てくれるか、半信半疑だった。今の自分とお前の立場を考えれば、罠と思われても仕方が無いからな」


「ジェスからのメッセージを読んだ時は、正直に言って迷った。罠の可能性も考えた。でも、ソラも間に入っていたからな。女の子を使って罠を仕掛けるのは、あんたの流儀じゃないと思った」


 メッセージが罠と警戒される危険を考えてか、シンの手元に渡った光学ディスクには、ジェスとソラも映っていた。待ち合わせの日時と場所の説明だけでなく、今回の再会は二人が介在していることなどが直接二人の口から語られていたのだ。


「そうか……」


「あんたこそ。俺のような敵対勢力の人間に会って、立場が悪くなったりしないのか」


「会うことは誰にも話していないさ。メイリンにもな。それに知られたところで、やましいところはない。堂々としていればいいことだ」


「そういえばメイリンと一緒になったんだったな。少し意外だったよ。あんたはアスハ主席と結婚するとばかり思っていたからな」


「……俺たちにも色々あったのさ」


 お互いに言葉がぎこちない。うまく会話がつながらず、再び二人は沈黙する。シンがアスランの緑の瞳を、アスランはシンの真紅の瞳を見つめ続ける。どのような思いがその視線にこめられているのかを窺い知る事はできない。

やがて、意を決したように口を開いたのはシンだった。


「それで、いったい何が目的だ。昔話をしたいために、俺を呼んだわけじゃないだろう」


 アスランも、それを受けて気持ちを改めた。そう、世間話をするためにここに来たわけではないのだ。ひとつ深呼吸をして、シンにあらためて告げる。


「そうだな……本題に入ろう。シン、いますぐレジスタンス活動を止めて、武器を捨てて投降しろ。お前と仲間の身の安全は、俺が責任を持って保障する。だから、統一連合に武力抵抗するような馬鹿な真似は、もうやめるんだ」



 アスランが自分に降伏を勧奨する。十分に予想できた提案ではあっただろう。しかし、シンはそれを聞いた瞬間に、怒りで頭に血が上るのを抑え切れなかった。


「投降だって? 統一連合に跪いて、許しを請い願えとでも言うのか? ふざけるのも大概にしろ! 冗談じゃない、はいそうですかとうなずけるか! 」


「聞け、シン。お前たちが必死に抵抗しても、統一連合にかなうはずがない。現に各地のレジスタンス活動は摘発され、縮小しつつある。最後は敗北が待ち構えていることは必至だ。

だから、これ以上いたずらに戦火を拡大させることはせず、今のうちに矛先を収めろといっているんだ。決して、無条件にこちらの要求を呑めと強要しているんじゃない!」


「俺たちが戦火を拡大させているだと、よくもそんな口が聞けたものだな! 」


 シンの声が徐々に大きくなる。瞳には怒りの色が濃くなり、眉間には皺が寄ってきた。アスランの返答を待たず、シンはたたみかけた。


「そもそも、戦禍を拡大しているのはどこの誰だ?

主権返上の名の下に、数々の国家を配下に取り込んで、そこに住む人々の声を圧殺しているのはどこの誰だ?

そして集めた富をオーブとプラントと友好国たちだけで抱え込んで、独占しているのはどこの誰だ?

あんたたち、統一連合こそが戦禍の種をまいている張本人だろう!レジスタンス活動が絶えることが無いのも、自業自得さ。

ラクス=クラインにせよカガリ=ユラ=アスハにせよ、自分たちの足元で人々が血を流しているのに、笑顔で平和を説く偽善者どもだ。そんな奴らに膝を屈することができるものか!」

わかっている、こんな主張は詭弁だと。平和の為に皆を一つにまとめるのが悪だとするならそれは血のバレンタインへの逆戻りだと。

それでもシンの中の幼さとルナマリアの一件での複雑な思いが怒りをこみ上げさせた。


ここまで一気に言い終えると、ようやくシンは息をつく。そんなシンの激情とは正反対に、アスランは次第に冷静さを取り戻していた。シンの糾弾をすべて正面から受け止めた上で、訥々と語り始める。


「……シン、俺は今、統一連合で監査官の仕事に就いている」


「何だ、今更、自分の近況報告かよ」


 皮肉めいたシンの挑発にも、アスランは動じない。


「俺はこの五年間、官僚による横領や軍の民間人虐隠蔽、それに政治家と結託した大企業の談合。いくつもの問題に取り掛かってきた。

なるほど確かに今の統一連合には問題が山積みだ。戦争の傷跡が癒えないままに、権力が拡大していったひずみがそこかしこに生じている。そのひずみの影響が弱い立場の層にしわ寄せされて、困窮を強いられている人たちがいるのも事実だ。お前の言うとおり、レジスタンス活動が絶えないのもうなずける……だがな」


 アスランは鋭い視線でシンを射抜いた。


「確かにラクス、そしてカガリも民衆が期待しているように全知全能じゃない。その目にとまることなく、声が届かないままに、幸福とは言えない生活を強いられている人もいるだろう。

しかし、相次ぐ戦乱で疲弊した今の世の中で、彼女たち以上に人々の平和のために心血を注ぎ、世界を良い方向に導いていこうと尽力している存在がいると言うのか?

彼女たちだけじゃない。俺やメイリン、キラ、ムウさん、バルドフェルドさん、皆が自分の至らなさを自覚しながらも、それでも少しでも人々が幸せになる方法を探して努力しているんだ。

お前を含めて、統一連合にはむかう人間は、彼女たちの努力は無視して、どうしても生じてしまう矛盾や手落ちばかりを責め立てる。それは公正じゃない」


シンは無言のままだった。反論の言葉が見つからなかった。自分の成長の無さに自己嫌悪した。


「もう一度言う。ラクスもカガリも、そして俺自身も完璧じゃない。不正や腐敗を見過ごしてしまうことだってあるだろう。

しかし、その不正や腐敗を問いただすのに、武器を取って戦う必要がどこにある。そんなに性急に解決を望んでも、いたずらに互いの血が流されて、憎しみがまた更なる憎しみを呼んで、ますます不幸な人が増えるだけじゃないのか?

不満があるなら声を上げろ。間違いがあるのなら遠慮なく指摘するがいいさ。それを受けて、俺たちは問題を少しでも解決しようと努力する。わずかでも結果が良い方向に行くように尽力する。時間はかかるだろうし、思い通りの結果が生まれるとは限らないが、それが一番の選択肢だ。

しかし、ラクスやカガリ、彼女たちの努力は認めようとはせず、不平や不満ばかりを並べ立て、議論ではなく武力という手段を用いて己の主張を押し通そうとするような奴らを、俺は絶対に認めない。

そうだシン、俺はお前のやり方を絶対に認めない!」


 アスランの指摘にシンは絶句した。少し荒れ気味になった声の調子を落として、アスランはシンにあらためて問いかけた。


「どうしても駄目なのか、シン。今ならばまだ間に合う。お前と、お前の仲間が決して不利な取り扱いを受けないように俺が必ず約束する。お前たちが抱えている不満だって、なるべく統一連合内で取り上げて、解決する方向で動いてみる。

シン、統一連合との戦いを止めるわけにはいかないのか?」


シンはうつむいた。唇がきつく引き結ばれていた。こぶしを震えるほど握り締めながら、ようやく口の端から搾り出すように、小さい声を漏らした。


「俺は……アスハの失政で父さんと母さんと妹を失った。

死んだ妹の代わりになってくれると思った女の子を、キラ=ヤマトに殺された。

二番目の故郷のプラントと、そこで見つけた仲間を奪っていったのはラクス=クラインとその仲間だ。

俺には、あんたたちを許すことはできない」


 そして、シンはありったけの憎悪を込めて言った。


「当然、ルナマリアを殺した、あんたは絶対に許せない。

これ以上、何も奪われてたまるものか。今度は俺が、統一連合から全てを奪い取ってやる」


 その言葉に、アスランは肩を落とした。深々とため息をつきながら、あきらめたようにシンに言う。


「そうか。俺たちを個人的に恨んでいるのならば仕方が無い。愚にも付かない申し出をしたようだな。忘れてくれ」


 その言葉は相手の耳に届いていたのかどうか。シンは何の反応も見せずに踵を返した。肩を落として、足取りも重く。まるで泣いているような後姿だった。

車の中からでは詳細まではわからなかったが、話し合いが決裂したことだけはすぐに理解できた。いたたまれなくなったソラが車から飛び出す。ジェスの静止も間に合わない。シンの所に駆け寄ると、遮るようにその前に立つ。


「シンさん! 」


 しかし、次の瞬間、ソラは硬直する。

思い出されるのは、第三特務隊を倒したあの日。勝利したにもかかわらず、憔悴しきった顔で帰還したシンの姿だ。

今の彼はあのときと同じ、いやそれ以上に疲れ果てた顔をしていた。そして彼は眉間に皺を寄せながら、ソラに憎々しげに言ったのだった。


「何をしに戻って来た。目障りだ。死にたくなければさっさとオーブに帰れ」


 心臓を氷で突き刺されたようなものだった。シンがソラにここまで負の感情をぶつけることは今までになかった。唖然とするソラは、しばしその場に立ち竦む。

どれほどの時間が経ったのだろう。やがて彼女の肩を誰かが叩いた。ジェスだった。


「おい、アスランは一足先に帰るそうだ。仕事を放り出して来てしまったから、とんぼ帰りしないといけないらしい。君には『シンを説得できなかった。すまない』とだけ言っておいてくれ、と頼まれた」


 気づいてみれば、アスランもシンもいない。広場に残っているのはジェスとソラだけだった。頬に湿った冷たい風があたっている。周囲は一気に暗さを増しており、天気が崩れる直前だった。皆、雨を見越して早々と退散したらしい。


「ほら、突っ立っていないで、俺たちも帰るぞ。とりあえず車に乗るんだ」


 ジェスに促され、ソラは車に向かうが、視線は宙をさまよっている。頭の中は先ほどシンから浴びせられた罵倒がこだましていた。

――何をしに戻って来た。

――目障りだ。

――死にたくなければさっさとオーブに帰れ。

その言葉は、しばらくソラの頭から離れなかった。




 シンはバイクを走らせている。ヘルメットの奥で畜生、畜生と何度も呟きながら。

自分自身に対する嫌悪感がシンを苛立たせている。

アスランの正論にまったく反論できなかった自分、感情のままに憎しみの言葉をかけるしかなかった自分、そして、ソラに対して腹立ち紛れに八つ当たりの態度を取ってしまった自分。これでは駄々をこねて甘ったれている子供のようだ。シンは口の中に苦いものが広がっていくような気持ちがしていた。

こんな後見の悪い結末を期待して、アスランとの再会に臨んだわけではない。

しかし、ならばなぜ自分はここに来たというのか。そもそも、ジェスとソラからの誘いを受けなければならない義理はない。アスランに会うのが嫌ならば、無視をすれば良かっただけの話なのだ。

ならば、自分は恋人を殺した相手に対して復讐を果たしたかったのだろうか。それも違う。アスランを憎んでいるのは事実だし、戦場で敵同士として出会ったのならばその命を奪うことになんら抵抗はない。

しかしこうやって話し合いの場を利用して彼を倒そうと言う気持ちは不思議と起きなかった。

シンは気づいていた。彼はただ、過去の自分を知る数少ない人間に会いたかったのだと。

アスランに言ったとおりだ。シンは家族を失い、親友を失い、大切な女性を失った。彼はこの世に一人きりだった。ただ一人残されたレイはAIであり、同じ人格を持ってはいるがレイそのものではない。

普段は胸の奥に押し込めて、周囲からうかがい知ることはできないものの、寂しさ、つらさ、悲しみ、そういった感情に、シンもまったく無縁ではない。

だから、自分の過去を知る人間に会いたかった。郷愁にも似た感情で。

しかし、そんな自分の気持ちがシンには許せない。個人的な憎悪をアスランにぶつけたことも含めて、自分の未熟さばかりを意識し、苛立ちがますます募ってくる。


(俺は結局今でも、後ろを振り返ることしかできないのか? 俺はこの五年間、何一つ前に進めなかったって言うのかよ! )


 今そばにレイがいれば、コニールがいれば、センセイでも中尉でもサイでも、誰か仲間が一人でもいれば、そんなことはないと否定してくれたのだろう。過去を懐かしむ気持ちと、未来を目指して前向きに生きる気持ちは人にはともにあり、それは矛盾しているかもしれないが、両方を持っていてしかるべきものなのだと。

しかし、悲しいかな今のシンは一人だった。感情をぶつける相手も、その感情を受け止めてくれる人間もここにはいなかった。

激情のままにシンはアクセルを吹かす。しかし冷静さを失った運転は無謀とも言えるもので、バイクは途端にバランスを失った。シンが反応する間もなく、後輪がグリップを失い、そのままスリップして転倒してしまう。

横に広がるのが畑なのが幸いだった。土ぼこりを舞い上げながらバイクとシンはそこに突っ込んでいくが、地面が柔らかかったために大怪我は免れる。しかし、仰向けになったまま、シンは動こうとしない。


「情けねえ……俺はいったい、何をやっているんだ」


 ヘルメットの奥で、シンは小さくつぶやく。

やがて、雨が降ってきた。

まるで、空がシンの代わりに泣いているようだった。

「……ユウナ…おれたちリヴァイヴは本当に正しいのか…?」



 ワイパーでも拭い切れないほどに雨脚が強くなってくる。雨がフロントガラスに当たる音、オンボロ車のエンジンの音、それだけが車内に響いていた。

沈黙に耐え切れなくなったのはソラの方で、ジェスに話しかけてきた。


「私は余計な事をしてしまったんでしょうか? 」


「いや、いくら君がきっかけを作ったとはいえ、会うことを選んだのはシンとアスランの二人自身だ。君が責任を感じる必要は無い」


 ジェスの言葉は、表面上ではソラを慰めているようではあったが、実際は彼女を突き放した言い方だった。ソラも、その微妙な空気を感じ取る。


「でも、私がしたことで、かえって二人の間に溝を作ったんじゃ」


 ジェスは一つため息をついてから、ソラに言う。


「いいか、ソラ。あらためて言っておく。世の中には、良かれと思った行為でも悪い結果を生むことがある。そして、懸命に努力しても何一つ結果が変わらないし、物事に影響をかけらも与えないこともある。今の君の行動が、まさにこれだ。

君は、和解など望むべくもないシンとアスランの二人を引き合わせた。そして君は外野で懸命に旗を振ったが、二人とも最後まで、それぞれの気持ちに何の変化も起こさず、互いに歩み寄ることはなかった。とどのつまりは、そういうことだ」


 ジェスの断定に、ソラはショックを受ける。


「私のやったことは、何の意味も持たないってことですか」


「そうだ。悔しいだろうし、認めたくも無いだろうが、それが現実だ。そもそも君が西ユーラシアまでシノを追いかけて来たことも、セシルを必死に説得したことも、やったことは何一つ良い結果にはつながらなかったし、結末に変化を及ぼしてもいない。そろそろそれに気付いてもいい頃なんじゃないのか? 」


 ソラは再び絶句した。ある意味、シンに浴びせられた罵倒よりも重く、つらく感じられた言葉だった。

しかし心無い言葉をかけたジェスに対して怒りを感じているわけではない。むしろ、自分でも薄々とは気づいていたが、目を逸らしていた厳然とした事実を、目の前に突きつけられた衝撃の方が大きかった。

彼女は下をうつむくと、無言のまま、スカートの膝の部分を握り締める。ジェスは隣に座る少女の心が傷ついたことは当然わかっていたが、慰めの言葉を飲み込んだ。

彼が本当にソラに言いたいことは、実際に言葉にしたのとは別の事だ。だがそれはジェスからの指摘によってではなく、ソラが自分で気づかなければ意味がないと思っていた。だからあえて、先ほどまでと同じ、そっけない態度をとり続ける。

無言の車内で、付けっ放しのラジオが声を出し始めた。中継局が近くなってきたせいか、ようやく電波が入るようになったらしい。


《次のニュースです。ドイツを蹂躙した巨大MSの無差別攻撃について、治安警察省がテロ組織、ローゼンクロイツの関与をほのめかしていることが分かりました。

ローゼンクロイツは事件直後に声明を出し、攻撃によって自分たちのアジトが壊滅し、犠牲者が出たと主張していますが、西ユーラシア政府筋によると、治安警察省はこれを偽装工作の一環としてみなし、彼らの関与を裏付ける証拠を調査中とのことです。

なお、ローゼンクロイツは東ユーラシアで稼動予定の地熱プラントに対する攻撃準備を進めているとの情報もあります。高まる緊張に市民の不安は隠せない状況です》

何処か違和感のある報道だった。まるで治安警察省がローゼンクロイツを陥れている様だった。




シンはきっかり一週間後にリヴァイブに戻ってきた。地熱プラント攻略戦のために、スレイプニールが出発する、その前日である。

作戦直前に無断の外出。帰ってみれば、来ている服は泥だらけでバイクも傷だらけ。本来ならばロマなり大尉なりが、彼に事情を問いただすべきなのだろうが、それはできなかった。

暗い表情が消えず、目の下には隈ができている。作戦のための準備は手早くこなすものの、終始無言で近寄りがたい雰囲気を振りまいていた。

遠くからそれを見ていたコニールと中尉が顔を見合わせる。理由は明らかでないが、懸念していたことが現実になってしまったことに、心を痛めつつ。

作戦のキーパーソンであるシンの不安定さを見て、あえて火中の栗を拾う気持ちで、シホが尋ねた。


「あのさ……余計な事かもしれないけれど、あなた、本当に大丈夫なの? 」


シンはそれに答える。


「大丈夫さ、心配ない。統一連合の奴らなんかに俺は負けない。あいつら全員、ドムクルセイダーのように、徹底的に叩き潰してやる」


 頼もしい決意表明、とはシホには思えなかった。目を据わらせながらつぶやくシンの姿に、逆に背筋に冷たいものが走る。


(統一連合は内側に爆弾を抱えている、と艦長は言ったけど。これでは、私たちも統一連合を笑えないわよ。要になるはずの彼がこの調子じゃあ……)


 しかし、シンの個人的な事情で、今更作戦が中止されるものではない。刻々と時間は過ぎて行き、とうとうスレイプニールが出発する時がやって来た。

留守番役の少数のメンバーたちに見送られ、降り始めた雪の中を艦は進む。

その目的地はアゼルバイジャン地方。リヴァイブをはじめとするレジスタンスたちに対するは、統一連合と東ユーラシアの連合軍。


 俗に言う地熱プラント攻防戦、後世に「誰にとっても、悲劇しかもたらさなかった出来事」と呼ばれることとなる、悲惨な戦いが幕を開けようとしていた。




Phase-21へ続く



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