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オラクルにより蹂躙された町は、未だ喧騒の最中にある。事後処理に忙殺されていたメイリンだったが、昼過ぎにはアスランと会うことができた。元々抱え込みがちな人物だが、今回の事件は特に堪えたらしく笑顔で迎えてくれたものの表情に陰りが見える。
「また、たくさんの人が死んだな……いつまで続くんだろうな、こんなこと」
めったに吐かないアスランの弱音が、メイリンの気を重くさせる。
今回の騒動に関してアスランには責がない。そして身も蓋もない言い方をすれば、アスランがいてもいなくても、結末にはそれほどの変化はなかっただろう。
しかし、それでも起こった悲劇に心を痛めずにはいられないのがアスランの優しさである。だからこそメイリンもこの男性とともに生きようと決めたのだった。だから、言えなかった。すでに情報管理省がこの件で動いていることを。今回のシノ=タカヤについて、「ユーラシアで非業の死を遂げた少女」として宣伝に使うつもりらしい。今回は死人に口無しというやつで、いくら取り上げたところでどこからも苦情がくる心配はないからだ。
ソラの騒動で懲りたかと思えば、またこれだ、とメイリンは憂鬱になる。せめて自分からは、アスランの耳には入れまいと決めていた。しかし、そんな裏事情を聞かずとも十分にアスランはやるせない気持ちになっていた。ソラから聞いた話のせいである。
「シーちゃん、小さいころは西ユーラシアに住んでいたって聞いたことがあります。そのときに、仲良くしていた近所に住む兄弟がいたって。いつも一緒に、まるで三人兄弟のように遊んでいたって。その後、両親を一度に失くして私達の孤児院に来ました。きっと、その兄弟は、セシルとカシムのことだったんですね。いくらシーちゃんが無鉄砲だからって、交換留学で少し接しただけの男の子の後を追いかけたり、何も知らない外国でこんなに自由に行動できるなんて、おかしいと思っていました」
まだ幼くて、幸せだった頃の友達。十年近くの時を経て、留学生として現れたその友達との再会。ほのかな恋心の芽生え。少女の青春の一ページとして、まぶしい記憶になるはずだった出来事は、死別という、何一つ救いの無い結末を迎えた。
もっとも、アスランはただ嘆いていたばかりではないようで、最後にはこう言ったのだ。
「このままで終わらせはしない」
それは今回の事件の真相を必ず明らかにし、起きた悲劇の責任を首謀者に必ず取らせる、という決意の表れだった。メイリンもうなずいた。そもそも今回の事件はおかしなことが多すぎる。ローゼンクロイツ残党によるテロ行為。基本線はそれで間違いないだろう。
組織は早々と、自分達のアジトが今回の攻撃により破壊され犠牲者が出たことを表明し、自分達も今回の件では被害者であると懸命にアピールしていた。だが、誰がそんな言い訳を信用するものか、とメイリンは思う。逆にその素早い反応こそ、彼らが今回の事件の首謀者であると暴露しているようなものだ。「今は非常事態なので、政府に対する反抗活動はしばらく中断する。一刻も早く市民に安全を取り戻すために、われわれもできる限り協力するつもりだ」としおらしく言ってはいるが、誰がそのような戯言を受け入れるだろうか。まさしく失笑ものだった。
しかし一方で、今回は運用や維持に莫大な金額と設備を必要とするデストロイタイプのMSとエクステンデッドが事件に絡んでいる。さらには破壊されたMSの内部からは、輸出が厳格に規制されているNJCまで発見されているのだ。これを、落ち目のローゼンクロイツが全て自前でそろえた、というのも、到底受け入れられない推論だった。何が目的かまではさすがに今の段階では推測できないが、ローゼンクロイツにこれらの物資を提供した黒幕というべき存在が必ずいるはずだった。
アスランは既にオーブと連絡を取り、自身の配下である監査チームの派遣を要請している。彼らは数日中には西ユーラシアに到着するだろう。メイリンも、できる限りの協力をするつもりだった。
ところで当然ながら、シノとともにソラも帰国すると思われていたが、彼女はそうしなかった。かわりに、ジェスにある提案をする。
ある意味、後先考えずに西ユーラシアに来たことよりも、はるかに突拍子も無い提案だった。ジェスはさすがに首を縦には振らず、懸命にソラが翻意するように説得を試みたが、彼女の決意は変わらない。
最後には逆にソラに押し切られた形のジェスは、遠くから二人の口論を見ていたアスランのもとに近づいていく。そして、ジェスがアスランの耳元で何かをささやいた。
「……何だって?」
アスランが聞き返したのはジェスの声が聞き取れなかったからではない。その口から出た言葉がまったく想像もできなかったことだったからだ。ジェスは、離れた場所で指揮を取っているメイリンに聞こえないようにとしてなのか、できるだけ小さな声で、もう一度くりかえした。
「……ソラが言っているんだよ。『自分が仲介するから、一度シンと会ってくれ』って」
一人の少女の決意がシン=アスカとアスラン=ザラの運命を再び交錯させることになった。
コーカサス州に建造中の巨大地熱プラント。
第一次汎地球圏大戦にて使われたNJCによる未曾有のエネルギー危機。そのときから、このプラント完成は東ユーラシアの悲願であった。半永久的に絶えることの無い膨大な地熱エネルギー。このプラントが本格的に稼動すればコーカサス州のみならず、東ユーラシア全土で必要とされる電力の三分の一を供給できる試算である。
第一次の大戦ではサイクロプス使用による国力の疲弊、第二次の大戦ではブレイク・ザ・ワールドとベルリン侵攻による未曾有の大混乱。そういった諸々の事情のために、常に先延ばしになってきた地熱プラントは、そのエネルギーに目をつけた統一連合の協力もあって、ようやく正式稼動の目処が立つところまでになった。
しかし陳腐な物の言い方にはなるが、二度あることは三度ある。
プラント完成を目前にして、その行く末にはまたも暗雲が立ち込めていた。それは、東ユーラシアの政府や軍人に言わせれば、厳しさを増す冬と、活発化するレジスタンス――彼らが言うところのテロリストの破壊活動であっただろう。
だが、それは理由の一部ではあっても、最大のものではなかった。
一番の不安要素は、外ではなく、内側にあったのである。
イザーク=ジュールは苛立ち紛れに、あてがわれた個室の椅子を蹴飛ばした。哀れな椅子は宙を飛び、壁に叩きつけられて、派手な音を鳴り響かせる。
ディアッカは帰還後に親友をからかうネタにしようと、初めの頃こそ彼が椅子を蹴飛ばす回数を数えていたが、17回を超えたあたりから数えるのをやめた。もはや椅子は原型をとどめず、本来の役目には使えないほどに脚も背もたれも歪んでしまっている。
すぐに熱くなり我を忘れてしまう親友をなだめ、抑える役割を続けているうちに、年齢に似合わない落ち着きと忍耐強さを持っていると周囲から評価されるにいたったディアッカ。 しかしその彼をして、今回ばかりは親友と一緒に爆発したいのを、必死にこらえなければならなかった。
「あの無能どもめ! もうたくさんだ! 次こそ作戦会議への出席などボイコットしてやる!」
軍隊においてはご法度である上官批判。しかしイザークは堂々と上官を無能と断じてはばからず、ディアッカもそれをとがめることはしなかった。
「……それで、我らが司令官殿と副司令官殿は、今回は何をやらかしたんだ? それとも、リー・アーメイ殿からヒヨッコ呼ばわりされたあげくに、口汚く罵倒でもされたのか?」
今更聞いても、空しくなるだけだとは分かっていたが、イザークの愚痴を聞いてやるのも仕事の一つと割り切って、ディアッカはあえて尋ねた。その声にイザークがゆっくりと振り向く。
目が据わっていた。眉間には特大の皺が寄っている。ハンサムな顔が台無しだぞ、と言いたいのをぐっとディアッカはこらえ聞き役に徹する事にした。
「聞きたいか? そうか聞きたいか、なら教えてやろう!」
イザークの怒号が部屋中に響き渡った。
「あの糞司令官と阿呆副司令官め! 何と言ったと思う? 『地熱プラント周辺の詳細な地図は現在ユーラシア政府に提供を依頼している途中だ。それまでは各部隊長が臨機応変に対応すべし』と言ったんだぞ! ふざけるな! どこの世界に、まっとうな地図も用意せずに作戦を実行する阿呆な軍隊がいるものか! 司令官殿は一度暗闇で耳栓をされた状態で喧嘩をしてみるといい! そうすれば、如何に自分達が無茶な命令を下しているのか分かるだろうよ!」
ディアッカは一通り聞き終えると、こめかみを押さえて大きなため息をついた。 今回の作戦指揮官であるイエール=R=マルセイユ中将、副司令官のカリム=ジアード中将。マルセイユ中将は、凡庸ではあるが決して無能ではなく、地位に見合った行動の取れる人物である。
そしてジアード中将については、有能の誉れも高く、将来は地上軍総大将の地位もささやかれているほどの指揮官である。
両名ともに過去の実績も申し分なく、部下からの信望も厚い。その点についてはイザークもディアッカも認めるのにやぶさかではない。
しかし二人は、現在統一地球連合軍で激しく対立している派閥のそれぞれ中心にいる立場の人間である。 その二人が同じ部隊にいるとあっては、敵よりもまず身近の競争相手に注意が向けられるのは当然の結果だった。 大規模地熱プラントの防衛、東ユーラシアの治安回復、第三特務隊を壊滅させたテロ組織「リヴァイブ」の殲滅。
今回の遠征で得られるであろう軍功を相手に与えてなるものかと、お互いの派閥が意地を張り合った結果がこれである。司令官と副司令官は常に火花を散し合っており、相手が自分を出し抜こうと考えているのではないかと疑心暗鬼に陥っている。遠征のキャンプ内でも、派閥同士がいがみ合って空気が重く、イザーク隊のようにどちらの派閥にも属さない人間達にとっては、モチベーションが削がれることこのうえない。
さらにその派閥対立に乗じて、ダニエル=ハスキルなる東ユーラシアから派遣された将校が大きな顔をしてのさばっているのが、イザークの神経を逆撫でしていた。 今回の防衛戦でのアドバイサー、協力者との触れ込みで派遣されてはきたものの、ダニエル=ハスキルがやることと言えば、マルセイユやジアードの対立を煽るようなことばかりだった。
ある時は両方に媚を売り、ある時はそれぞれをけしかけ、あまつさえ自分の持っている情報、特に地熱プラント周辺の地理情報やテロ組織の戦力情報などを交渉材料としているのである。
その姿勢をイザーク他の下級将校が非難すると、逆にマルセイユやジアードからハスキルへの非礼を咎められる始末である。
今回の地熱プラント防衛戦に、統一連合地球軍が投入した軍勢は空前の規模である。
歩兵二万人、戦車百二十台、歩兵戦闘車七百台、歩兵装甲車百三十台、モビルスーツ百九十四機。
それに対して予測されるレジスタンス組織の兵力は、兵士が数千人、モビルスーツ数は四十から五十機、他に戦闘車等々と貧相極まりない。このような弱小勢力に対して遅れを取ることなど、万が一にもありえない。
しかし、統一連合軍の内実はまったく統制が取れておらず、一丸とは程遠い有様だ。
またハスキルの派遣に見られるように、東ユーラシア政府が敵対、とまでは言わないものの、とても協力的とは言えない態度であるのも気がかりである。ありえない万に一つの可能性に向かって、統一連合地上軍は突き進んでいるのではないか。
まだ苛立ちを消す事ができないのか、落ち着き無く部屋を歩き回るイザーク。それを横目に見ながら、ディアッカは不安な気持ちが頭をもたげてくるのを抑えられなかった。
オラクル暴走から数日後。
西ユーラシアで巨大MSが暴走したというニュースはガルナハンにも届いていたが、結局は遠い土地の出来事であるうえ、間近に控える地熱プラント戦の準備に気持ちが向いていたせいか、事件はその重大さほどには、リヴァイブメンバーの話題にのぼることはなかった。せいぜい「こりゃ、西ユーラシアの駐留軍は事後処理で、今回の戦闘には出てこられないだろうな」程度の感想が交わされる程度である。
今回の事件の裏事情を知っていれば、そうはいかなかったことであろうが。
「うひょお、艦橋から見る眺めって、なかなか良いじゃん! 」
「シゲト、ガラスに口を付けるのは、さすがにみっともないからやめた方が……」
無邪気に外を見回すシゲトをそれとなく注意するサイだったがまったく効果はないようだ。それを見ていた少尉が茶化すように言う。
「固いこと言うなってサイ。高いところに登って喜ぶのは、お子様の習性だ」
「ひっでー少尉、ガキ扱いしないでくれよ!」
「そういうトコがお子様なのよ」
「何をーっ!」
出撃準備に余念のないスレイプニールの艦橋は、和気あいあいとした空気に包まれていた。 はて、自分たちはこれから生死をかけた戦いが必至の遠征に向かうはずなのだが、いつから遠足気分になったのだろうか?
ラドル艦長は、自艦が観光バスになったかのような錯覚を覚えていた。
これから統一地球連合地上軍の大部隊と戦うのだ。東ユーラシア軍の部隊と散発的に戦うのとはわけが違う。もう少し緊張感とか、悲壮感とかがあってしかるべきだと思う自分はおかしいのであろうか。
そんなラドルの表情を読んで、ロマが申し訳なさそうに頭を下げた。
「あれでも彼らなりのリラックス法なのですが……申し訳ない」
「あ、いえ、そんなことは……」
フォローしようとしたラドルの背後で、少尉にヘッドロックをかけられたシゲトの悲鳴と、それを引き剥がそうとするサイのあわてた声が響いた。艦橋のクルー達もその光景に笑いを堪え切れず肩を震わせている。
ロマは言葉を失い、ため息を付いた。仮面で見えないが、赤面しているのかもしれない。
「……ま、まあしかし、若い者達はあれくらい元気があった方が、いいかもしれませんね。変に気負って沈うつになるよりはよほど」
ラドルが必死にロマを慰めるが、あまり効果はないようだった。
今回の地熱プラント攻略戦で、リヴァイブとスレイプニール隊は一つの部隊に合流して作戦にあたることとなった。そのため、ロマを初めとしたリヴァイブの主要メンバーのほとんどが、スレイプニールへ乗り込んでいる。
結果として、現在東ユーラシアのレジスタンスで稼動しているシグナス全四十機のうち、(ダストを含めて)実に五機がスレイプニールに搭載されている勘定になる。さらにユーコとリュシーの乗るエゼキエル二機を加えれば、レジスタンスたちの中でも五指に入るほどの戦力が、この部隊に集中していることになる。
本来は別個に活動しても良いこの二つの部隊を集結させたのには、もちろん理由がある。
「俺達の今回の役割は『撒き餌』だ」
作戦に先立ち、戦闘要員たちを集めてのブリーフィングが行われたが、説明役の大尉は自分達の部隊をそう表現した。
「第三特務隊を倒したシンの存在を、遠征軍の連中は絶対に無視できないはずだ。そもそも派遣が決まったのは第三特務隊を倒しちまったからだからな。シンを含めた俺達の部隊が動けば、嫌でも注意がそちらに向けられる。うまく相手を引き回して統制が乱れたところを本隊が叩く、というのが戦術の基本路線だ。 だからせいぜい派手に、目立つように、うまく立ち回らなければならん」
それはある意味、非常に危険な役割だった。少しでも作戦行動に乱れが生じたり、相手の動きを読み違えて引き際を誤れば撒き餌は食べ散らかされた挙句に、獲物の魚は逃げてしまうという事態もありえるのだ。
「期待されているのはありがたいけれど……責任重大よね、これ」
シホの言葉は皆の気持ちを代弁していた。もっとも、彼女をはじめとしてリヴァイブやスレイプニール隊の目には弱々しさが無かったが。
彼らは自分達の指揮官を信頼している。そのロマやラドルが「今回の統一連合軍はまったく統制が取れていない。苦しい戦いには違いないが、普段通りに戦えば、十分に勝機はある」と言っているのだから、自分達はそれを信じて全力を尽くすだけだ、と良い意味で割り切っているのだ。
そのため、困難な任務を前にしても彼らには緊張感が無いように見え、悲壮感も薄かった。
頼もしいと思うと同時にラドルは上に立つ者の気持ちとしては、少しだけ不安を感じていた。この期に及んでシゲトの「ギ、ギブ、ギブアップ!」がBGMになっているようでは少し力が抜きすぎていると思えたからだ。
いい具合に肩の力が抜けているリヴァイブ=スレイプニール合同部隊ではあったが、あと数日で作戦が開始されるまでになると、さすがに乗員達の口数も少なくなり、張り詰めた雰囲気が支配するようになっている。
準備に余念の無いメンバーたち。そんな中、銃器のチェックをしていたコニールは不意に後ろから声をかけられる。
「……あれ、どうしたのよ、シグナスの整備中じゃないの? 」
振り返るとそこには中尉がいた。中尉は無言でハンガーの片隅を指差す。少し顔を貸してくれ、ということらしい。何の用事だろうかとコニールは疑問に思ったが、とりあえずは素直に従った。
「まず、本当にこの前は迷惑をかけました。私達の至らなさのせいでシンに負担をかけただけでなく、その後のフォローまで貴方任せで解決させてしまって。面目ない」
深々と頭を下げる中尉にコニールは面くらう。そんなに今更かしこまらないでよ、と言うのが精一杯だった。
ドムクルセイダーをシンが単騎で迎え撃たなければならなくなったとき、確かにコニールはその場にいない大尉、中尉、少尉を非難するような発言をしたが、冷静になってみれば彼ら三人の行動に非がある訳ではない。
呑気に色街に繰り出していた事には、女の立場としてみれば多少腹が立たないこともないが、それで三人を糾弾するのはお門違いと言うものであろう。それとこれとは別の話題のはずである。
だからあの後に事情を知ってとんぼ返りし、土下座してメンバー達に謝ろうとした三人を、ロマもセンセイも、そしてコニールも責めることは無かった。当然ながらシンもである。
ただ、この話は前段に過ぎず、中尉が本当に言いたかったのは次の話題のようだった。
「……これはセンセイとも話し合ってのことなのですが、シンの様子にはもう少し気を配り続けた方がいいと思います」
シンの? と首をかしげるコニールに中尉は、普段の寡黙さとはうって変わって滔々と説明をした。
「彼は強い。その反応速度、冷静でありながら大胆な判断、窮地に陥ったときに発揮する常識外れの戦闘能力、私が今までに見てきたパイロット達とは比較にならない。ザフトのトップガンであるFAITHの称号は伊達ではない、と思います」
一呼吸置いて、中尉はただし、と続けた。
「でも今回、戦闘後にしばらく気持ちが不安定になったように、シン=アスカという人間にはどことなく危うさがつきまとっているんですよ。 ナイフのような鋭さと、ガラスのような脆さが同居している、と言ったら少し気障でしょうが、そうとしか表現できない側面を持っている。今回は貴方のおかげで何とか沈んだ気持ちを克服した様子ですが、こうして立て続けに大規模な作戦行動に駆り出されることになってしまった。これでは、いつまた振り子が悪い方に大きく揺り戻されるか心配だとセンセイは言っていました。正直、私も同じ意見です」
心配のし過ぎではないのか、とはコニールは言えなかった。それは、コニール自身が捨てきれない考えでもあったからだ。
「とりあえずこちらでも注意はします。ただし私達も所詮は戦争屋です。戦うことには慣れているから、戦うことで受けるシンの心のダメージを見過ごしてしまうことはあるでしょう。彼はまだまだリヴァイブに必要とされている人間です。仲間だからこそ頼るだけでなく、重荷をできる限り軽くしてあげることも必要だと思いましてね」
コニールは頷いた。そしてこう問いかける。
「それにしても、中尉も結構気を使うタイプなんだね。シンのことがそんなに心配? 」
半ば軽口のつもりだったが、中尉の返答は意外なものだった。
「なに、私も同じような経験がありましてね。色々と事情があって、押し潰されそうになっていたとき、大尉や少尉に何かと助けてもらったんですよ。他人事とは思えないだけに、つい、というやつですね」
コニールは今度こそ驚いた。冷静沈着、沈思黙考、不言実行を絵に描いたような中尉にそんな経験があったとは意外だったのだ。 そんなコニールに、照れたようなかすかな笑いを向けながら、中尉は「それではくれぐれもお願いします」と言い残して背を向けたのだった。
「何だ? あの二人、やけに熱心に話し込んでいるな」
《大方、猪突猛進してよく搭乗機を壊す傾向のある問題パイロットの手綱を、いかにして上手に握るか。それを真剣に議論でもしているのではないか》
「……いったい誰のことだよ、おい」
コクピット内でダストの調整に余念の無いシンとレイ。コニールと中尉の様子をモニターで眺めつつ交わした会話は冗談で終わってしまったが、レイの指摘がある意味事実を言い当てていることには、さすがに二人とも気付かない。
《とりあえず、ローゼンクロイツから部品を大量に手に入れたおかげで、今回は整備が楽だったとサイが言っていたな。それを考慮しても、いつにも増してメカニック陣の仕事は完璧だ。見事なものだ》
「ああ、後は俺達がその仕事に見合った働きをするだけだ」
シンの言葉にも緊張が込められている。アメノミハシラから地上に降り、傭兵として様々な戦場を渡り歩いたが、これほど大規模な戦闘に臨んだことはない。しかも、自分たちは陽動部隊として戦場を縦横無尽に駆け巡ると言う、作戦の要を担う役割を負っている。
その思いが我知らずこぼれる。
「やってやるさ……統一連合の奴らに一泡吹かせてやるためにもな!」
全てを失ったあの日から、五年もの月日が経った。言葉どおりの徒手空拳、傍らにいるレイを除いては、何もかもゼロから始めなければならなかった頃を思えば、今の自分は最終的な目的に向かって大きく前進している。 ようやく統一連合の本隊と、まともにぶつかり合えるところまで来たのだ。シンは胸の前で拳を打ち鳴らした。戦意を鼓舞するかのように。
その時不意にシンを呼ぶ声がした。コクピットから顔を出して覗き込んでみれば、ユーコが手を振っている。
「おーい、降りといでーっ! 懐かしい人から手紙が届いているよーっ!」
大人二人がかりでようやく運べるほど大きいダンボール箱。レジスタンスを介して届けられたその荷物の表面には大きく“From Jess the Onlooker!(野次馬のジェスより)”とあった。
中身は山ほどの映像ソフトだった。ジェス自身によるドキュメンタリー番組、過去の映画の名作全集、コメディショー、お色気映像など、ジャンルは様々だ。娯楽の少ないレジスタンスにとっては、非常にありがたい差し入れである。中にはジェスからの手紙もあり、サイが皆を代表してそれを読み上げる。
「何、えーと『親愛なるレジスタンスの皆様。ユーラシアでは常になく厳しい冬が訪れていると聞きます。曇天が続く中では、なかなか気分も晴れないでありましょう。そこでささやかながら贈り物をしたいと思い立ちました。会社の無料配布物の余剰分ではありますが、わずかでも皆様の心を慰められれば幸いです。……なお、これが代価というわけではありませんが、お預けしてあるアウトフレームの整備をくれぐれもよろしくお願いします』だってさ」
サイは苦笑する。自前の機体だけでなく、ジェスの置き土産の整備まで押し付けられた身としては「こんな程度で釣り合うか。さっさと引き取りに来い!」と嫌味の一つも言いたくなるというものだ。しかしながら、映像ソフトを手に歓声を上げる仲間たちを見ているうちに、まあいいかという気持ちになった。ただでさえ殺伐とした環境なのだ。少しは気晴らしも必要だろう。
しかし一番気分転換が必要だと思われるシンは、ジェスの贈り物にも特に興味を示した様子もなく、機体の整備に戻ろうとしていた。そんなシンを、サイが慌てて呼び止める。
「ちょっと待てシン。お前宛にメッセージがあるぞ……えっと『追伸、シン=アスカ殿。今取材で西ユーラシアにいるのですが、面白い人物に出会いました。貴方とは旧知のアレックス=ディノ氏です。貴方の話をしたところ、ぜひ会って思い出話をしたいとお望みです。せっかくなので、彼からのメッセージを同封しておきました。ぜひご覧ください。なお、もしご希望ならば再会の仲介をいたしますので、ご連絡をお願いします』だってさ」
シンは無言のままサイのところに戻り、手を差し出す。その手にサイが光学メディアを乗せた。少しの間メディアを眺めていたシンだったが、その表面は無地で、記憶容量と製造元会社のロゴしか書かれていない。
あらためてシンは皆に背を向けると、そのまま歩いて自室へと戻っていった。
サイは、ほんの少しだけだが、そんなシンに違和感を覚える。
(あいつ、いつもなら整備を終わらせてから見るのに……よっぽど親しい相手なのかな、アレックスとかいう奴)
そこで違和感に気付く。サイがおかしいと感じたのは受け取った時のシンの眼に怒りとも悲しみとも取れる複雑なものを見たからだという事を。
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