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モビルスーツデッキの端に据え付けてあるありふれた電話器。
しかしその電話で介して交わされる“他愛ないお喋り”は、他の人間から見れば牙を研ぐ狼達の唸り声でしかない。
「――久しぶりだな、ヒルダ。三人とも元気か?」
『アンタに心配される程落ちぶれちゃ居ないさ、宿無しの“猟犬”さん』
ドーベルマンは違いない、と苦笑する。
「さすがに早耳だな。その通り、俺は今や身一つだ。……だが、お前達となら取引は出来るぞ?」
『取引』のおおよその見当は付いていたが。ヒルダはあえてドーベルマンの小芝居に付き合うことにした。
『野良犬になったアンタにアタシ達を満足させられるモノが出せるのかい?……まぁいいさ、アンタには借りがある。――言ってみなよ』
「お前達を倒した“カナード=パルス”よりも強い男が居る――そいつを倒してみないか?」
ヒルダ=ハーケンはパイロットには珍しい隻眼だ。片目は生まれつき視力が無く、機械での矯正も不可能だった。にも拘らずヒルダが軍人になった理由は、『それ』を理由に見下し、嫌悪の目を向ける人間を排除できる最も分かりやすい手段だったからだ。
片目でパイロットになる。それがどれ程の不利か解らない人は今すぐにでも片目で生活してみれば解る。何もかもが不便なのだ――世界は両目で作られているのだから。
だがヒルダは隻眼である事にハンデを感じさせない。同時に、己の実力に露程の疑念を挟む事も無い。それは徹底したリアリズムで、兵士にもっとも重要な要素の一つだ。だからこそ、なのだろう。マーズ=シメオン、ヘルベルト=フォン=ラインハルトといった歴戦の戦士を心酔させる事ができたのは。
5分位だろうか、簡単な打ち合わせをしてヒルダは電話を切ると、マーズとヘルベルトの元に戻ってきた。
「今度は誰からだ?」
「ま、誰からにせよあまりいい話ってわけじゃないだろうよ。俺等にゃいつだって厄介事しか回って来ないからな」
ヘルベルトはニヤリと笑う。
……しかしこの男達は幾ら笑っても、その目は常にヒルダに向けられている。ヒルダがラクス=クラインに心酔している様に、この二人もヒルダに心酔しているのだ。
それは、狂信と言い換えても良い代物だった。
「喜べ、厄介事だよヘルベルト。ドーベルマンの旦那が『お願い』してきたのさ」
「そりゃ、凄ぇ。明日は隕石でも振ってくるんじゃないか?」
ヒルダはパイロットスーツのヘルメットを無造作にロッカーに押し込み――先程ブルーコスモスの基地を叩き潰してきたばかりだからだ――これまた無造作にパイロットスーツを脱ぐ。下着姿なのだが、ヒルダに恥じらう様子は一切無い。マーズ達の方が一瞬怯む位だ。ヒルダにとって、女としての自分などどうでも良い事だった。女として生まれた事は、ヒルダにとってハンデに過ぎないのだ――その隻眼と同じように。さっさと服を着替えると、まだ少しぼんやりしているマーズとヘルベルトに一喝する。
「これから基地司令に転属願いを叩き付けに行くよ――さっさと礼服に着替えな!」
この二人が自分に付いてこない等と言う事は微塵も考えていない。それだけの信頼を二人には寄せているからだ。そしてその通り、「イエス、サー!」という敬礼と共に男達は着替え出す。それを目の端にしながら、ヒルダはさっさと先に歩んでいった。
――地平線から地平線までの雪景色。それはとても幻想的で、残酷で、「もう、いい加減にしてくれ……」と愚痴をこぼしたくなるものだった。ジェス=リブルが降下した地点はコーカサス地方の国境線沿い、しかも最も民家や人里と離れた場所――言い換えれば僻地だ。そして、そうした場所は過酷な環境であると相場が決まってくる。その例に漏れず、今ジェスの居る世界は猛吹雪渦巻く雪山であった。
ジェス=リブルはアウトフレームを一歩、また一歩と歩ませる。その度にバランサーを制御して雪に埋まり過ぎない様に懸命に操作する。ハチが手伝ってくれている分、楽な作業ではあるが……それが着陸してから二十時間以上も続けばどんな人間でも限界になるものである。
「ハチぃ、何処まで歩けば良いんだ~?」
もはや何度目か解らない、どう聞いても愚痴でしかない質問をハチに投げかける。溜息ですら、真っ白に染まる。コクピットには一応の暖房が行われているが、それ以上に外が寒い。長時間駆動出来るバッテリーを背負っているとはいえ、バッテリーには無論限度がある。それゆえ、暖房も最低限しかかけられない。オーバーコートを着たままアウトフレームを操縦するのはそれだけでも骨が折れるが、寒さを凌げるだけマシだった。
『……本日二百十二回目の質問だな、ジェス。答えは同じだ、『真っ直ぐ前進』――いい加減飽きないか?』
「……十分飽きてるよ」
さすがに疲れた様子で答える、ジェス。漫才をする気力も無いらしい。
『疲れたのなら、寝ていたらどうだ?その間はオレが面倒を見よう』
それはハチなりの優しさなのだろう。とはいえ
「……さっきそれで三時間位寝てたら、見事アウトフレームが雪に埋まってたろうが!這い出るのどんだけ手間が掛かった事か!」
……優しさがあだになる、というのは良くある事である。もっとも
『また這い出れば良いじゃないか』
「お前はこの仕事を成功させたいのか失敗させたいのかどっちなんだ!?」
トドメを指すのはお約束なのだろうか。
ともあれ、ひたすら歩くしかない。作戦自体に制限時間がある以上、その中で効果的に立ち回らなければならないのがジェスの役目だ。それはそれで納得していたのだが。
「カイトの野郎……こうなるのが解ってて『今回はお前に任せる』なーんて言いやがったな!!」
誤解もいい所なのだが、やりかねない性質の男なのも又事実である。
『それは言い過ぎじゃないのか?』
さすがのハチも一応弁護に回るが
「いーや、そうに決まってる。でもって、輸送機に同乗してた女性クルーに声かけてるに決まってるんだ!」
今、ジェスの脳裏では何故か高級そうな椅子にふんぞり返り、両手に美女を侍らせて哄笑するカイトの姿が鮮明に描き出されていた。……顔がどう見ても悪役面だが、気にしてはいけない。
「うがあああ、許せん!俺にばかりこんな事させやがって!」
『……ポリグラフに同乗した女性は軽く見ても五十過ぎなんだが……』
「あーあー、そうですよ。どうせ俺には彼女居ないよ! 俺は“真実のスクープ”に命賭けてるんだ! あんな奴の事なんざ知った事か!」
『処置無し、だな。……まあ騒ぐだけでストレス解消になるなら良しとするか』
ハチの突っ込みも聞く耳持たず、一方的に捲し立てるジェス。……寝不足で切れたらしい。これではハチが何を言っても無駄である。
ふと、ハチがぽつりと呟いた。
『……遭難しなきゃ良いが』
「今、現在進行形でしとるわ!」
……賑やかな二人の珍道中は続く。
「ドーベルマンに手を貸すな、だって?」
基地司令に一方的に転属願いを受理させて、直ぐに自室に戻り荷物をまとめ、埃っぽい体を熱いシャワーで長そうとしていたヒルダは、突然のオーブからの緊急国際電話を受ける。
そこに出てきたのはメイリン=ザラ。あの『治安警察の魔女』だ。お説教をする赤毛の将校にヒルダは不機嫌さも露わに聞き返した。白いバスローブ姿のヒルダは引き締まった体をしており、決して女性としての魅力が無いわけではない事を控えめにアピールしていた。
……当人に女の武器を使う意志は一切無く、通信相手も特殊な性癖を持たないため何の意味も無いが。
「その通りよ、少佐。ドーベルマンは現在、治安警察本部からの命令を完全に放棄し独断で動いているに過ぎないの。そのような人物に協力してもあなた方には何の見返りも発生しはしないわ」
メイリンは冷淡に言い放つ。
「意味がわからないね、ガルナハンのゲリラ組織を潰すことはあんた達にとって願ったり叶ったりじゃないのかい?」
言下に邪魔をするな、と言い放つヒルダ。しかしメイリンも一層眼光を強める。
「事態はそう簡単じゃないわ。こちらにはこちらの大局的なプランというものがあるの。一介の戦争屋でしかないドーベルマンにはそれが解らないのよ」
メイリンは苦々しげに語り続ける。
「はっきり言うわ。ドーベルマンはもう終わりよ、残念だけどね。誉れ高き歴戦の勇士であるあなた方が利用されることはないのよ。なんならもっと簡単に手柄を上げられる任地を紹介してあげてもいいわ」
メイリンは説き伏せるように交渉してきた。
「ドーベルマンとアタシ等は前の大戦からの付き合いだ、それは知っているね?」
ヒルダはさらに不機嫌さを増した声色で問う。対して、メイリンも負けず劣らずの声色で「それがどうかして?」と言い返す。
「これはライヒ長官本人のご意思でもあるのよ、少佐?」
しかしこの台詞は逆効果だった。
「特務隊はね治安警察の指揮系統には属さないんだよ、お嬢ちゃん?このヒルダ=ハーケンが脅されてダチを見捨てるとでも思ったのかい?言うことが十年早いよ、小便臭い小娘が!」
そう怒声を張り上げると、ヒルダは通信パネルの電源スイッチを強引に切った。そのまま浴室に駆け込み、熱いシャワーを全開にする。ドーベルマンは元々地球連合軍の将校だったが、早々にブルーコスモスに見切りをつけたライヒの元に糾合した男達の一人だ。
第一次汎地球圏大戦の後、ブルーコスモスの衰退を予見していたライヒはクライン派とコンタクトを取り、来るべき事態に対して備えていた。そして彼の予想通り第二次汎地球圏大戦は勃発し、その裏で彼らは暗躍していたのである。
ヒルダがドーベルマンと知り合ったのもそういう経緯からだ。ナチュラルとコーディネイターという違いはあれど、共に来るべき世界のために戦った同士だった。友人、戦友、あるいはそれを超えた間柄だったかもしれない。
「ふざけるなよ……アタシ等を何だと思ってるんだい」
その呟きもシャワーと共に流されていく。
一方オロファトでは、いきなり通信を切られてしまったメイリンが憎々しげにギリリと歯軋りを鳴らす。
「ヒルダ=ハーケン、分からず屋!……成程、あの気性じゃラクス様に距離を置かれるわけだわ」
悔し紛れにそう吐き捨てる。そのメイリンの背後のソファーに、先刻から三人の警察将校が黙って待機していた。今やメイリンの忠実な部下となったエイガー=グレゴリー、オスカー=サザーランド、エルスティン=ライヒの3人が次々に発言する。
「交渉は決裂したようだの」
「言った通りの展開となりましたね、ザラ司令。……やりますか?」
「愚か者は前を見る事しか出来ない。横や、ましてや後ろを見ようとしない。哀れな人達……」
彼等三人はメイリンの方を向く。「やるならば、動く」という意志がメイリンにも伝わってくる。
「焦る事は無いわ。……今はね」
メイリンはそう言って彼等を制すると、自らもソファーに体を預けた。
(シン、出来る事なら私の手で捕らえたいけれど)
それは、かつて同じ艦で共に戦った者としての思いか。
好きとか嫌いとか、一元の思いではない複雑な心境がメイリンにそう思わせる。目尻を押さえ、ソファーにもたれるメイリンの表情に安らぎは見えなかった。
ああ言えばこう言う――ジェスとハチの会話とはそういう類のものである。 しかし、その騒々しい行進も突然の収束を向かえた。……ジェスが倒れたのである。
『おいジェス!起きろ!また埋まるぞ!』
ジェスはピクリとも動かない。動き疲れた子供がばったりと倒れる様にジェスも倒れた。電池が切れたかの様な倒れ方だった。
『子供っぽいとは常々思っていたが、まさか本当に子供並みだったとは……!』
ハチは茶化して言うが、事態はそれなりに深刻だった。ハチから見てもジェスの疲労は深かった。 吹雪の中を神経を磨り減らして歩いていたのだ。様々な修羅場を潜り抜けてきたジェスとはいえ、限界も来ようと云うものである。
とはいえ、ハチも今ジェスに倒れられてはどうしようもない。
『不味いな、また吹雪いている。……おいジェス起きろ!また埋まるぞ!今度は化石になっちまうぞ!それでもってマンモスと一緒に展示されてしまうぞ!』
……何処までも賑やかなAIである。
しかし、そんなハチが急に真顔に――表情があるのなら――なる。
『音源ソナーに反応……何かデカイものが近づいてきてる!?』
アウトフレームに搭載された外部マイクを改良した音源ソナーが、大型船の駆動音をキャッチしたのだ。
――俗に言う地上戦艦クラス。そしてそのようなものを民間人が所持できる訳が無い。
『軍隊しか無い……という事は!』
不正規なルートで侵入したアウトフレームは思い切り犯罪者だ。そして紛争地域での犯罪者の扱いは、苛烈の一言である。
『まずい、まずいぞジェス!起きろ!起きてくれ!』
ハチ一人でもアウトフレームは動かせる――が、今は雪の中だ。まともに歩く事すらおぼつかない筈。……ジェスが居なければどうにもならない。その時、またも音源ソナーに感応が出る。
『……モビルスーツが出撃してきた!?完全にこっちは探知されている!』
もはや時は無い。何とかハチはアウトフレームの操縦系を移すと、操縦しようとして
――盛大に転ける。
『くそ、やはりオレ一人じゃ……!済まん、ジェス……!』
ジェスと共に数々の戦場を渡り歩いてきた。その最中、勿論危険な事にも幾度と無く会った。それを切り抜けてきたのはジェスの強運と、そして自分のサポートに寄るものだ――そう思っていた。
……だが現実は非常だった。
『せめてジェスだけでも……』
やむなくハチは近づいてくるモビルスーツに救難信号を打つ。せめて命だけでも助かるのなら、まだ手はある。 そう判断しての事だ。ハチは待った。救いの手になるかは解らないが、せめてもの救助を。 そう考えたハチは音声をジェスに似せたものに変え通信を送る。
『そこのモビルスーツ、救難信号をキャッチしました。安心して下さい。……え、乗ってるのはカメラマン?紛争地域だからそういう事もあるんだろうけれど……』
ところが、ハチのそんな心配などあっさりと霧散した。近づいてくるモビルスーツからの通信は、少なくとも東ユーラシア軍のものでは無かった――ZGMF-X3000G/MH-01R“シグナス”。この地域ではミナの息の掛かった組織、ローゼンクロイツとそしてこれから向かう組織であるリヴァイヴにしか配備されていないからだ。
『相変わらず、強運の男だよ……お前は』
撫で下ろす肩があるのなら、そうしていたろう。そんなハチの思いなど露知らず、ジェスは安らかに寝息を立てていた。
この状況下に置いて、ドーベルマンにはまだ軍上層部を動かす力があった。“転属願い”――サムクァイエット基地上層部が喉から手が出る程欲しいものをちらつかせると、多少の我が儘も許されるものである。「早く居なくなって欲しい……」それはこの基地上層部全体の総意であり、至上命令であった。
「……随分と嫌われたものだ」
自嘲気味にドーベルマンは苦笑する。それは彼にとって気にする事でも無い。自分は嫌われてこその職務だと理解していたからだ。とはいえ、こんな紙キレ1枚がこうも劇的に作用するというのは何度見ても面白いものである。
「こちらです」
今日限りでドーベルマン付き秘書を解任されるマルコ=ブルームは
――ドーベルマンにとってかなり意外な事に一瞬難色を示したが――
言われた事に一言返しはしても、反対する事は無く淡々と職務をこなしてくれた。そして、マルコの案内した場所――そこにドーベルマンが軍上層部に求めたものがあった。
「ゼクゥドゥヴァー……か。なるほど、仕様書を見る限り確かに『既存のモビルスーツより活動時間が長く』、『場合によってはそのまま国外脱出も可能な』機体だな。……俺としてはマサムネ辺りをくれるものかと思っていたが」
初めて見る機体なだけに、好奇の視線で眺める。
「機動力という点ではマサムネに軍配が上がりますが、活動時間ならこいつの方が上です。……後この機体は航空機形態へ変形出来るようですね。もっとも、戦闘機としてはとても使えるレベルでは無いという事らしいですが」
マルコが持ってきたカタログを読みながら説明してくれる。
「いざとなれば、そのまま飛んで出て行けという事か」
「……この機体は出撃後、東ユーラシア政府軍から登録を抹消されます。そのままオーブ軍に行っても構わない様に、という配慮からだそうですが……」
「帰ってくるな、という事だろうな……それでいい」
「…………」
のんびりとゼクゥドゥヴァーにドーベルマンは歩み寄る。己の運命をどこか悟っているかのような振る舞いにマルコは居たたまれない気持ちになった。
「武装は?」
「あ、はい。連装偏向ビームキャノン“トライデント”一門と翼に内蔵されているビームブレード。後は外付けのミサイルユニットです。機体自体はゼクゥと比べて大型化してますが、殆ど変形用のパーツに費やされているので……」
「つまり、性能自体はゼクゥと大差は無いのにコストだけは掛かってしまったという事か。“張り子の虎”だな」
ますます居たたまれなくなるマルコだが、ドーベルマンはこの機体に不満があった訳ではなかった。
(今の俺には、似合いの機体だな……。“意地”だけで、立ち上がらねばならんのだからな。)
何故か、奇妙な親近感を目の前の機体からは感じる。変形機能はあれど、人型にはならない珍しい設計思想。兵器として理想のスペックを追い求める余り、何もかもが中途半端になってしまった――それは、生まれた時から厭われる鬼子に他ならない。
だが――ドーベルマンは“相応しい”と思えていた。己の命運を賭けて、戦いを挑むのにこれ程相応しい機体も無いと。だからこそ
――自分でも珍しい事だと思ったが――
素直に感謝の言葉が出た。
「マルコ、感謝する――良い機体を受領してくれた」
マルコは不思議なものを見る様にドーベルマンを見る。ドーベルマンもそれには苦笑せざるを得ない。「……ガラじゃないな」そう呟いて。ついで、ドーベルマンはマルコに二つの封筒を渡した。先程、書き上げておいたものだ。一つは、このサムクァイエット基地司令への感謝状。そしてもう一つは……。
「マルコ、お前は軍人には向かん。……オーブに俺の恩師が居る。厳格な人だが、面倒見の良い人だ。お前は教師にでもなった方が良い」
たった数日一緒に勤務しただけの、何処か憎めない副官のためのもの――ドーベルマンの恩師に当てたマルコの紹介状だった。ドーベルマンは、表情を変えずに言う。だが、それは何処か優しいものだった。
マルコは、出撃していくドーベルマンを最後まで見送った。
――もう、帰ってくる事は無い。そう知りつつも。
吹雪の中、ゼクゥドゥヴァーが発進する。未だ雪降るサムクァイエット基地の大空を切り裂いて。ゼクゥドゥヴァーが残した爆音は軍属という首輪から解き放たれた猟犬の咆哮にも聞こえた。
ヒルダ達は、輸送機から降下、旧ローエングリン基地のかなり近い場所に着陸していた。この辺りがテロリストグループ『リヴァイブ』の本拠地であるという情報を受けたからだ。そして、今ヒルダ達はその情報を持ってきた男を待っている。
……ヒルダ達をここに呼びつけた男、ドーベルマンを。
『一体奴ぁ何時来るんだぁ?』
『普通こういう場合基地に呼びつけるもんだがな』
暇なのかヘルベルトとマーズが愚痴を漏らす。
「そう出来ない理由があるんだろ。おそらく、軍上層部とテロリストはつるんでるって事さ。……だからこそ、これは完全な奇襲になりうるんだよ」
『そういうもんかねぇ』
『そういうもんなんだろ』
マーズとヘルベルトの何処か思考停止している会話を適当に聞き流しながら、ヒルダはレーダーから目を離さない。そこに何か動きがあれば、直ぐに動ける様に、だ。ヒルダは隊長としては得がたいものを持っているという事である。
それから暫くして待っていたものが来た。この場所は通常の航路からも、ましてや輸送ルートからも外れた場所。
迷い無く来る者はたった一人しか居ない。
『……時間前に到着とは、随分と礼儀に五月蠅くなったな、ヒルダ』
まだ雑音の入る距離から聞き覚えのある声の男から通信が入る。
「生憎と敬老精神は忘れてないからね。この寒空は年寄りには堪えるだろう?」
『隠居できるほどの年寄りじゃないさ。……まだまだ現役だと思ってるんでね』
『へッ……無理するなよ。俺達が来たからにゃ、アンタは高みの見物でもしてくれりゃいいんだぜ?』
憎まれ口は挨拶代わりだ。これから命を預ける相手だ、この位許容出来なければ一緒に部隊として活動など出来るものではない。ドーベルマンの駆るゼクゥドゥヴァーがヒルダ達ドムクルセイダーの前に降り立つ。総勢たった四機。しかし、その者達がリヴァイヴとシンに恐るべき危機をもたらす事になる。
……その事を今は誰も感じていなかった。
「……ジャーナリストの行き倒れっていうのは珍しいわね」
「ひょっとしてさ、これも番組なんじゃないの? “緊急スペシャルなんちゃら”とかいってさー」
「その割には他にスタッフ居ませんでしたけれど……」
ジェス=リブルを拾った人達――それはローゼンクロイツでもリヴァイブでも無かった。
もう一つのシグナスを擁する部隊、ヨアヒム=ラドル率いる“スレイプニール”隊である。シホ=ハーネンフース、ユーコ=ゲーベル、リュシー=マドリガルの三人は行き倒れであるジェスを肴に、雑談で盛り上がっていた。隣の部屋ではジェスの取り調べが行われている。その様子を、シホ達は艦内カメラで覗いているのである。
『だーかーら、俺は軍属でも何でもないッ!』
『一介の記者が、こんな立派なモビルスーツに乗って紛争地域に来るとでも言うのかね?』
『さっきから言ってるだろコイツは……!』
捲し立てるジェス、泰然とそれを聞き流すラドル。取り調べと言うには何ともユーモラスな感じである。
「とっくに身元わかってるくせに、艦長も人が悪いよね~」
「大分ストレス堪ってらっしゃったんですね。やはり艦長には秘蔵の紅茶を……」
溜息をつくリュシーに、これ以上の被害を防ぐべく遠回しな表現でシホも言う。
「艦長ってコーヒー党だったと思うんだけど……」
「それそれ、きっとそれが……むぐぐ」
……何か言わんとするユーコの口を塞ぐのも、隊長の仕事の一つであるだろう。多分。
「何か仰りたいの?ユーコさん……」
「いえいえ何も何も。ね、ねぇ隊長?」
「え?うん、そうね。……それよりそろそろお茶の時間じゃない?」
何とか話を逸らそうとするシホ。そしてそれは、どうにか成功した様だった。
「あら、そうでしたわ。私とした事が、失礼しました。直ぐにお茶の支度をしますので、お待ちになって」
そう言ってリュシーが居なくなると、シホとユーコは二人揃って肩を落とした。
「ねぇ隊長。前にコーヒー飲んだの、いつ頃だっけ?」
「もう覚えてないわ。何だか、遠い昔の話みたい。アカデミー時代に毎日飲んでた、泥水みたいなコーヒーが懐かしいわ……」
「泥水飲んだ事あるの? 隊長」
「……比喩よ比喩。飲んだ事あるわけ無いでしょ」
その後ろでは、何度目か数えるのも馬鹿らしくなる漫才が続いていた。
『頼むから、俺の話を少しは聞いてくれ!』
『誰よりも良く聞いているつもりだがね。しかし私が聞きたいのは……』
『俺が嘘なんか付くものかぁぁぁーーーーー!』
ジェスの受難は続く。しかしそれでも――
『リヴァイブのアジトに遭難もせず行けるのなら、こんなに運の良い事は無いさ。なあジェス』
と、掴まった途端バレない様にモニターのフリをしているハチはぽつりと呟いた。
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