未来のために断ち切られるもの

ページ名:未来のために断ち切られるもの

「……ミッションの詳細は以上だ」


薄暗い部屋――煙草の匂いが充満し、張りつめた雰囲気の漂う会議室。その室内を、鈴を転がす様な声が隅々まで響き渡る。――“蛇姫”シーグリス=マルカの声が。


「損害、被害は多ければ多いほど良い。これは通常のミッションではないのだからな。しかし案ずるな……これは、次への布石だ。次に勝つ為の」


しかし、紡がれる言葉は驚く程酷薄な内容だった。人を人とも思わない類の。


「諸君等に待つのは地獄への片道切符でしかない。……だが、だからこそやって貰いたい。……未来を取り戻す為に、な」


誰一人として、言葉を発しない。ただ、獣の様な視線がシーグリスを貫いていく。そのぞわりとした感覚をシーグリスは楽しんでいるのか、口の端を歪めて微笑むのみだ。


「私を殺したい者が居るのなら、今すぐに私を殺せ。犯し、食らいつくせ。……それが出来ぬのならば、私の言う通り『死ね』。それがお前達の“未来”へ続く“運命”だ」


ハイヒールの足音だけが、室内に響き渡る。その言葉の内容を室内の人間は厳粛に考えているのか――皆の瞳は一様に中空を泳いでいた。

ややあって、一人の男が口を開いた。シーグリスの次席――この会議室に集まった人間の中ではリーダー格の男だった。


「セシルはどうする?」


それは、この場に居る人間以外には判り辛い台詞だったに違いない。それは、普通に考えれば生か死を選ぶ様な言葉に聞こえる。……だが違う。その言葉の真意はもっと陰惨なものだった。


「やる気になって貰うさ。その為に高い金を払ってまでカシムを生かしておいたのだからな……!」


くっくっと、喉を震わせてシーグリスが笑う。ただ一人この女だけが、この場所で笑う――それは、人の笑いでは無かった。



怒られる事は、実際覚悟していた。

用件も告げず、来週予定していたはずのドイツ方面の査察を強引に繰り上げて単身ドイツ入りなんかすれば、自分の秘書官であるライス=リッター辺りは延々と小言を続けてくれるだろうし、カガリ=ユラ=アスハの“爺”ことレドニル=キサカは小言どころでは済ませてくれないだろう。

そういう訳で、連絡出来ない程意気地無しでも責任転嫁出来る性格でもないアスラン=ザラは少々躊躇いながらもオロファト官邸へと連絡を入れた。

結果として、リッターでもキサカでも無い人間――アスランにとっては“唯一”の上司である、カガリ=ユラ=アスハその人が現れた。


「この馬鹿、アホ、唐変木! 公務を放り出してドイツ旅行とは何事だっ!」


要約するとこの様な内容の暖かい言葉が掛けられた。適当に聞き流し、上司の息が切れた所でアスランが口を開く。この辺は長年の付き合いによるものだろう。


「止むを得ない事態に寄るものだ。叱責は受けるべき事だが、判断は正しかったと言える。……理解はして貰いたいんだ」


よくもまあ、とはアスラン自身も思う事である。だが、こういう台詞を言った後にじっとカガリをテレビ越しに見据える――するとアスランの予想通りカガリは目を逸らした。


「……事情があるなら仕方が無いが、それにしたって……!」


良く見れば、カガリの目尻には隈が出来ていた。一睡もしてなかったのだろうか。アスランとて、少々悪かったとも思うが――ここで引いたら話が余計拗れるだけだ。


「とにかく、一人の人間の『人生の危機』を救ったんだ――まあ、細かい話は国に帰ってからするよ。そういう事にしておいてくれ」


なおも何か言わんとするカガリを無理矢理押し込め、アスランは通話を切った。どの道納得させる方法はこの場では限りなく不可能に近い。電話ボックスから出ながら、アスランは嘆息した。



麗らかな昼下がり、女の子好みのカフェテラス。そこで甘いものを食べる自分と友人――それがソラの記憶と大きく違うのは、舞台がドイツはズールという田舎町という所である。


「お代わりっ!」


ボーイッシュな格好、女の子らしさを強調したポニーテールの少女――シノ=タカヤはもの凄い勢いで店員が持ってきたチョコレートパフェを平らげていた。既に目の前には三つのパフェの容器が並んでいる。自分の分をさくさくと食べながら、ソラは友人に言う。


「シーちゃん、その辺で止めておいた方が……」


……消え入りそうな声ではあるが。


「何よ、ソラ! あんた、あたしの失恋に水を差すの!?」

「そういう訳じゃないけど……」


店中に響き渡る声で、シノ。ますます消え入りそうになるソラ。


《失恋―、失恋―♪ ヨサホイヨサホイ~♪》


そう小声で歌い踊るハロを足蹴にしつつ、ソラは周囲に気を配る。……視線が痛い。

シノの勢いは全く収まる様子が無く、しばらくはこの状態に甘んじるしかないのだろうか。――ソラはそっと嘆息した。



「兄ちゃん、兄ちゃん! どうしたってんだよ!?」


何度もドアを叩くが、中に閉じこもったセシルからの返事はない。


「あんなにシノねーちゃんに会いたいって言ってたくせに、何でなんだよ!?」


カシムは、留守がちな兄の私室を何度と無く掃除した事がある。その時、見つけていたのだ――親しげに微笑む、セシルとシノの姿を。そして、シノを求める兄の寝言を。

だからシノの姿をズールで見つけた時、カシムは直ぐに話しかける事が出来た。そして、シノの方もセシルに好意を抱いている――それは、カシムにとって嬉しい事だった。たった二人の兄弟に、新しい家族が増える期待は、カシムにとって得難い幸運に違いないのだ。兄が懸命に働いて購入してくれる、高価な薬によって命を繋ぎ止めているカシムにとっては尚更。

カシムは、兄――セシルに幸せになって欲しかった。自分の為に傷つき続ける兄をずっと見続けていたから。

暫くドアを叩き続けるも、返事が無いのでカシムは嘆息して踵を返した。理想の未来が急速に遠ざかっていくのが、悔しかった。



さて、世間では“野次馬”などと揶揄される『騒動ある場所に必ず現れる男』ことジェス=リブルは取り敢えずズールの街中を散策していた。……要するにヒマなのである。


「まあ、面倒臭いこったよなぁ」

《色恋沙汰には縁遠いお前らしい感想だな》


頭をぼりぼりと掻きながら、一張羅のジャンパーを相も変わらず着こなすジェスに、ハチは抑揚もなく突っ込みを入れる。

「……別に俺だってその気になればモテるぞ。しかし俺にはもっと大事な……」

《ゴビ族か?ラマ族か?はたまたラカン族か?なるほど、その辺りならジェスはモテモテだな》


少しムッとしてジェス――更なる追撃を掛けるハチ。


「何で人間外なんだよ! 俺がモテるのは淑女でありレディでありだな……!」

《……言っておくが、先程上げたのは歴史上の人類に与えられた名称の一つだぞ。それに、淑女とレディはほぼ同義だ。まだまだ甘いな、ジェス》

「お前とは、つくづく話し合わなきゃならんようだな……?」


アタッシュケースを目線まで持ち上げて、不気味に笑うジェス。遠巻きにその様子を市民が眺めているが、気にしてはいけない。


《望む所だ。今日こそバビロンの空中庭園に対するアンチテーゼを完成させてくれる》


相変わらず、奇怪なボキャブラリーを持つ連中である。

口論?を続けていたジェスが、ふいに真顔に戻った。


「――上手く行かないもんだな、人生ってヤツは」

《お前だってそうだろう?ましてや、お前より若いんだぞ彼等は。……なあに、まだ先は長いんだ。いずれ立ち直るさ》

「そうだよな……」


ふと、見上げると空は眩いばかりの青空だった。今日は良い天気になりそうだ、とジェスは呟いた。



ドイツに着いて直ぐにメイリン達を襲ったもの――それは“諸手続”という名の膨大な雑事であった。


「……なんだってこんなに意味不明な書類申請が必要なのよ!」


そうメイリンが絶叫するのも無理からぬ事だろう。世界最高水準の工業力と、世界最大級の――それこそ伝説のワーカーホリック『ニホン民族』と肩を並べる位――書類大好き民族のドイツ人は、効率最重要視の治安警察の業務とは対極に位置する様な事務効率を誇っていた。元々が事務畑出身のメイリンにしてみれば、見たくもないホラー雑誌を見ている様なおぞましさすら感じられる。


「まず、『端末操作者登録証』を発行する必要があります。次に端末のある室内への入室証明を発行して貰い、更に……」

「なんだって端末に触れるだけでそれだけの手間が掛かるのよ!?」

「ドイツですから」


エルスティン=ライヒの身も蓋も無い答えに、メイリンの柳眉は上がるばかりだ。エルスティンに非は無いが慰めて欲しい時もある。

叫びたい気持ちを何とか喉元で無理矢理抑え込み、メイリンは思考を切り替える。


「地元警察の掌握は?」

「協力要請レベルまでは取り付けました。……歴史の古い国だけあって全権委任レベルは根回しが無ければ不可能です。強引な武力制圧は礼状無しでは不可能ですね」

「……現段階では使う必要性は見あたらないし、そんな所でしょ」


テロは、おそらく起こる――明確な証拠は無い。だが、治安警察幹部達の一致した見解である。ならば、メイリンにとっては決定事項である。ならば、それをどの様に未然に防ぐか――

そこにメイリンの目的があり、苦悩がある。


「何から始めますか?」


エルスティンは愛想は無いし、融通も効かない不器用な娘だが有能だ。上手く手綱を握るのが私の仕事、とメイリンは深呼吸する。


「まずは、おさらいよ。オーブの本部と情報をリンクさせて。それから、こちらでの情報収集を開始。ドイツ在住の陸運輸送社のデータを全て抽出、重量の多い順にピックアップして。デストロイクラスが存在するのなら、それは必ず一つ所では生産しない――見つかり易くなるでしょうしね。陸運局の情報を抽出して、陸路輸送から当たりましょう。おそらく、パーツ移送にそういう手段を使うでしょうからね」

「拝命します」


色々な意味で疲れる娘だが、頼りにしても問題は無いだろうとメイリンは考え、自分も端末に向かった。ともかく、自分の考えもまとめておきたかった。



駐機状態のヘリのローター音が、辺りに響き渡る。夕焼けに照らし出され、統一地球連合軍ドイツ方面支部ミュンヘン基地地上支援ヘリ部隊“シュバルツ”の面々が、ヘリに乗り込んでいく。その様子は、ヘリのメンテナンスを引き受けている整備班に少々の奇異を与えていた。普段は陽気なその連中が、今日はまるで葬儀に参列するかの様な面持ちで乗機していくのである。その奇妙な違和感は夕日の紅さと相まって、一層の不気味さを醸し出していた。

まるで黄昏の時代の様に――


『全員、目的は判っているな。これより我々は“未来へ続く運命”を奪い取りに行く。全機、続け!……目標はズールだ!』


隊長機の通信で、八機のヘリ部隊は一斉に飛び上がった。それは、彼等の運命だけではない、これから起こる事件全ての運命の引き金を引く為の行動だった。



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