平和の裏側

ページ名:平和の裏側

「……う…」

まぶしい。明るい光に照らされているのが目を瞑っていても分かる。ゆっくりと目を開くと、滲んだ景色が次第に形を成していった。

「……あ」


最初に目に飛び込んできたのは真っ白い天井とカーテンの隙間から差し込む陽の光だった。まだ頭がぼんやりと痛い。ゆっくりと体を起してみると、そこはとても殺風景な部屋の中だった。

曇りの無い白一色の天井と壁。デジタル表示の時計がひとつかかっている。自分の寝ているベットも白、シーツも白。今着ている寝巻きのような薄手の服も真っ白だ。

唯一、色があったのは枕元のそばにある小さな机。オールドブラウン一色の木製机で引き出しは一つ。アンティーク調で少し高級そうな感じがした。その机の上には花瓶と飲料用ミネラルウォーターが入った水差しがひとつ。花瓶には白百合の花が一輪生けてあった。

どこからか匂うのか、かすかに消毒液の匂いがした。

口の中が酷く乾いていたので、ソラは水差しのふたになっていたコップを取り、それに水を注いで一気に飲み干す。


「……ふうっ……」


やっと一息ついた様な気がする。ところでここは何処なんだろう?誰か分かる人はいないのだろうか?そう思って辺りを見回していると、遠くからこの建物の館内放送が聞えてきた。


《……内科のクロード先生……第二病棟の503号室に定期健診をお願いします……》


「ここ、病院……?私、ラクス様にお会いして……。そうか、そうなんだ……」


あの時気を失ってここに担ぎ込まれたと、ソラはぼんやりと理解した。壁の時計に付けられた日付表示はあの日から3日過ぎていた事を告げていた。






こんこんと眠り姫となっていたソラはまだ知る由もなかったがこの3日間、世間の話題の中心にいたのはジェス=リブルであった事は間違いない。気を失ったソラが救急病院に搬送された後、空軍基地のブリーフィングルームを借り切って、予定通りに公式の記者会見は緒紺割れた開かれた。

もちろん情報管理省役人の立会いの元であったが。

一人の主役は不在となってしまったが、もう一人はいるわけだから記者会見を開くのに何ら問題は無いと判断されたのだ。ソラの時と同じく無数のフッラシュが焚かれ、同業の記者達から様々な質問が飛んできた。

ところがジェスはこれらに対して、たった一言で切り返してきたのだ。


「明後日発売のオーブタイムス紙に俺の独占手記が載るから、そいつを楽しみにしてくれ!!」


この部屋にいた全員があっけに取られた。誰も彼もが一様にポカーンを口を間抜けに空けて。立会いの情報管理省の役人も目が点になっている。

だが永遠とも一瞬とも思える沈黙の間が過ぎたとき、彼らの驚きはたちまち怒りへと変わった。


「ふざけるな!」

「ひでえよ!こんなの記事になんねえよ!!」

「取材ソースを独占するつもりか!?」

「お前には国民に対する説明責任があるんだぞ!!」


ありとあらゆる苦情や文句が遠慮なく飛び交う。ブーイングの嵐だ。

そんな同業者達を尻目にジェスは背を向けて「じゃ、そういう事で」と無駄に爽やかな笑顔を残してその場を後にしてしまった。

あとに残ったのは罵詈雑言の恨み節だけである。

翌日の朝刊はどれもダコスタが予想した通り、ソラの帰国とラクスの出迎えがトップを飾る。


『奇跡、誘拐された少女。テロリストから解放される』

『恐怖からの解放。奇跡の少女、無事オーブへ到着』

『奇跡の少女、帰国。ラクス様がお出迎えなされる』


見出しは様々だがどれも『奇跡の少女』というフレーズを好んで使っていた。そして記事はソラの無事帰国を喜び、彼女をさらったテロリスト達への怒りを書き連ねていた。

一部紙面ではジェスへの文句も“多少”書かれていたが。

それから2日後、ジェスの予告どおり彼の独占手記がオーブタイムス紙に載る。当然の事ながらこれは飛ぶように売れた。午前中にはコンビニや駅やバス停のスタンドなど取り扱っている店という店から、あっという間に姿を消してしまい、インターネットの有料配信も接続過多でサーバーがパンク寸前にまでなった程だ。一躍時の人となったジェス=リブルの勇名は、ついにこんなところにまで鳴り響いていた。






「『ガルナハン潜入リポート第一弾』……か」


使いの者が買ってきた新聞『オーブタイムス誌』をキラはざっと広げてみる。いきなりジェスの記事が目に飛び込んできた。


「ああ、それか。私はまだ読んでいないんだが、取材した記者のジェス=リブルって奴は大層な曲者で有名らしい。バルトフェルドがやたらとボヤいてたよ」


キラの呟きが聞えたのか、向かいで紅茶を飲んでいたカガリが興味深そうに話しかけてきた。


「カガリ。ガルナハンって言ったら、この間君を襲った……」

「……ああ、その内のひとつ、例のリヴァイブとかいうレジスタンスが根城にしている土地だ。あの後、治安警察が現地軍と共同で狩り出そうとしたが、逆に返り討ちにあってな。今議会で一番問題になっている。先日、ついに国防省が地上軍の全面投入を進言してきた。満場一致で可決賛成されたよ」

「……また、戦争なんだね」

「ああ……」


開け放たれた大きな窓からは深く蒼い海が、遠く彼方の水平線まで一望できた。見慣れた風景はいつもと変わらず、そして穏やかだった。

ここは通称『歌姫の館』と呼ばれるキラとラクスの住む館だ。いくつもある応接室の一つで、キラとカガリは午後のお茶を楽しんでいた。

カガリは公務が終わったら必ずここに来る事にしている。主席官邸に帰っても一人で寂しいだけだし、ここに来れば家族同然のキラやラクス達と会える。

ここにいる時が一番気分が安らぐ。ストレスの溜まる議会や政治もここにはこないから。カガリはそう思わずにいられない。

元々ここはキラとラクスが住む本邸とは別に建てられた別邸で、以前ライヒがキラに『キラ=ヤマトに関する戦闘時における脳波測定分析結果』の報告書を持ってきた館でもある。別邸といっても実質ここがキラやラクスにとっての我が家のようになっている。

本邸は別にあるが、ラクスやキラが公務を行うために実質、政府機関公邸であるせいか、機能重視で実にそっけない。それに対して別邸『歌姫の館』は童話に出てくるお城のような豪華絢爛な宮殿だ。広大な敷地の中に立てられ、現実の喧騒を忘れさせる心安らぐ佇まいを見せている。


「ジェスって人、確か誘拐されたソラさんを助けた記者なんだよね」

「ああ。元々は戦場カメラマンで、『真実を伝える』ためなら自前のモビルスーツで何処にでも行く熱血ジャーナリストなんだそうだ。記者会見の時もちょっとした騒ぎまで起したらしい」


ダコスタの受け売りだけどね、と言いながらカガリはお茶請けに用意された苺のミルフィーユを一つまみする。


「カガリはあの会見見てたの?」

「録画でだけどな。あの時はまだ議会だったから」

「そうなんだ?」

「そういえばキラも空港でとんだハプニングに巻き込まれてたよな」


カガリが悪戯っぽくからかう。


「あ、あれかい?まさかあんな事になるなんて思わなかったよ……」


パプニングというのはソラがラクスに出会った時、ショックで気絶してしまった件だ。少女が病院に搬送されたのを確認した後、自分とラクスはあの場を後にしてしまったが、あの少女は大丈夫だったんだろうか?今でも気になる。


「そのソラという子も空港でラクスとキラが出迎えているなんて、夢にも思わなかっただろうなあ。まあ、ああなってしまったもの無理もないか。何せラクスとキラは全国民のアイドルだからな。きっとレイラがあんな不意打ち受けたら、キラに出会っただけで卒倒ものだろ」


クスクスと笑うカガリに、キラはどうにもばつが悪い。


「やっぱり僕はついて行かない方が良かったのかなあ……」


情報管理省の主、バルトフェルドの依頼はラクスだけという事だったのだが、少し我がままを言って自分も加わらせてもらったのだ。

キラにはひとつ気になる事があった。以前、アスランが言っていたシンという男の事だ。

かつて自分を撃墜した男。そして、この間の事件ではカガリを狙撃した犯人――。

しかしそんな男を、アスランはひどく気にかけていた。


――ここはあいつの故郷なんだ。少しずつ世界は平和に向かっている。それなのに……あいつは――

――俺だって何とかしてやりたいんだ。あいつは日の当たる場所に居ていい奴なんだ――


件の少女はそのシンに誘拐され、今まで彼の組織にいたらしい。そこまでアスランが気にかけるシンという男とは一体どういう人物なのだろうか?アスランはあまり多くを語ってくれない。何か思うところもあるのだろう。

問い詰めるのも悪い気がしたので当人――誘拐された少女に聞いてみれば何か解るかと考えキラはラクスに同行したのだ。ところが、あの顛末だ。

考えこむキラにカガリは言う。


「そこまで気になるんだったら、何か埋め合わせをすればいいじゃないか。……そうだな、キラの名前で手紙とプレゼントを贈るとか。秘書官に言えばすぐにやってくれるぞ」

「そうじゃないんだ、カガリ。僕は……あの子に会って聞きたい事があるんだ」

「聞きたいこと?」


と、その横から不意に聞きなれた涼やかな声が差し込まれた。


「あらあら、キラったら。カガリさんとお二人で浮気の相談ですか?」


ラクスが公務から帰ってきたのだ。ちょっと拗ねてみせる妻に、キラは慌てて訂正する。


「そ、そうじゃないよ、ラクス!ただちょっとあのソラって子が、どうなったのかなって心配になっただけで。別に……その……」

「分かってますわ、それぐらい。ちょっとからかっただけですわ」

「相変わらず尻に敷かれてるな、キラ」


たちまち三人の間に笑いが溢れる。


「ソラさんでしたら、今日退院されたと聞きましたわ。疲れが溜まっていただけで、特に異常は無かったようですわね」

「そっか、それは良かったな。ところでキラ。お前、さっきソラに会って聞きたい事があるって言ってたな。一体何を聞きたいんだ?」


二人が注視する中、キラは少し間をおいて話し始めた。


「知りたいんだ。シンという人の事を」

「……シンって昔アスランの部下だった――」


その名を聞いてカガリも思い当たった。

4年前ザフトの戦艦ミネルバの中で、自分に突かかってきた少年がいた。


――綺麗事はアスハのお家芸だな!――


思い出す。あの時の言葉を、あの怒りに満ちた赤い眼を。


「アスランはその人を今でも気にしている。何とかしてあげたいって。でもそのシンって人は、今レジスタンスに加わってて、僕らと戦ってるんだ。ソラさんがこの間まで囚われていたレジシタンスは、その彼がいる所なんだ」


キラは続ける。


「僕は知りたいんだ。何故戦うのか。やっと世界が平和になろうとしているのに、何で僕らとまだ戦おうとしているのか」


それを聞いたカガリとラクスも沈黙してしまう。


「あの事件で彼女はシンに誘拐されたというのは、僕も報告を受けたよ。それからオーブに帰ってくるまで何があったは知らない。でも彼女は覚えていると思う。どういう感じの人だったとか、何を話したかとか」

「現地警察は、ずっと軟禁されていて何も分からなかったと、報告してきたそうだが……」


疑問を持つカガリにキラは答える。


「ハッキリとしたものじゃなくてもいいんだ。印象とかどんな話をしたのかとか。僕達に銃を向ける人がどういう人なのか。そのシンという人がいた組織はどんな感じの所なのか少しでも解れば」


銃を取るのはシンだけではない。いまだ世界中で戦火は絶えず、多くのテロリスト達から自分達は標的にされている。

4年前メサイア戦の後、やっとナチュラルとコーディネイターとの対立に終止符を打てた、と実感した。これでやっと戦争の無い平和な世界が来る、と考えた。だから、二度と戦争を起さない為に自分達の手で平和な世界を作っていかなければ――そう思い、ここまで来た。

しかし世界は未だ――。


「やっとナチュラルとコーディネイターが共に手を取り合って、平和な世界を作ろうとしてるのに、あの人達は何故戦おうとするんだろう……。殺しあう世界より平和な世界の方がいいはずじゃないか。それなのに……僕にはそれが分からない……」


沈黙が流れる。口には出さなかったがキラの疑問は、カガリとラクスの二人も持っていたから。


「判りましたわ、キラ。ではこうしてはいかがでしょう?」


良い事を思いついたとばかりに手を合わせるラクス。


「この間のお詫びに、今度ソラさんをお茶にお誘いしましょう。お時間がかかるのでしたら、そのまま夕食もご一緒にという事で」

「そうだな。それぐらいだったら大丈夫じゃないか、キラ?あまり格式張らないものなら、彼女も気軽になれるだろう」

「……それはいい考えだねラクス。そうしよう」


そして少しの間の後、ラクスはキラにこう続けた。


「ソラさんとお話する時は、わたくしも同席させていただいてもよろしいですか?レジスタンスの人達がどういう人達なのか、わたくしも気になりますし。それに、ソラさんとはもう少しお話してみたいですから」


キラの想いはラクスも同じ。分かっていてもそれがキラには嬉しかった。


「うん、一緒に彼女と話をしてみよう。これから僕達がどうすればいいのか、何か判るかもしれない」

「ええ」


最愛の人が微笑んでくれる。キラにとって至福の時。

この笑顔は命に代えても僕が守る――、それがキラが自分に課した誓い。

そんな二人だけの世界にカガリが横から茶々を入れてきた。


「あ~熱い熱い。独り者には目の毒だ」

「あ、カガリさん……」

「二人とも。続きは私が帰った後、たっぷりやってくれ。もう止めないから」

「か、勘弁してよ、カガリ」


再び辺りは三人の笑いで満ち溢れる。ずっとこんな平穏が続けばいい。キラはそう思わずにいられない。

ベランダの向こうでは、夕日が静かに水平線に沈みかけていた。






病院で目覚めた後、ソラは診察を受け医者からは異常なし、と診断された。ただ医者はソラにこう付け加えた。


「これからしばらく週に一回、定期健診に来なさい。今のところ特に目立った異常はないが、これから顕在化してくるかもしれないからね。何せ君はあんな過酷な状況に数ヶ月もいたのだから。体や心がこれから悲鳴を上げても不思議じゃない」


PTSD(心的外傷後ストレス障害)の心配をしているらしい。あまり実感は無いのだが時折はあ、と頷きながらソラは医者の話に耳を傾けていた。

その後、病室に戻って着替えをし、荷物をまとめる。もうすぐ迎えの人が来る、と看護婦は言っていた。

する事がなくなったソラはベットに倒れこむ。


「シーちゃん、ハーちゃん、クラスのみんな、寮母さん……。早く会いたいなあ」


懐かしい顔がいくつも浮かんでは消える。

早く会いたい、帰りたい。

と、その時。病室のドアをノックする音がした。


「ソラさん。迎えの方がお見えになりましたよ」

「あ、はい!」


看護婦の声で慌てて飛び起きて、ソラはドアを開けた。

するとそこには看護婦と一緒に見慣れない背広を着た女性が立っている。彼女はソラを一瞥すると丁寧に挨拶をしてきた。


「初めまして、情報管理省広報担当官ミリアリア=ハウです。本日付けでソラ=ヒダカさんの担当となりました。よろしくお願いします」

「あ、はい。こちらこそ」


軽く一礼をする彼女――ミリアリアにつられて、ソラも礼を返す。


「迎えの車が来ています。どうぞ」


やや事務的な口調が気にかかったが、ソラは頷いた。迎えの車にはミリアリアに連れられて乗った。病院前でソラの退院を待ち構えていた報道陣が、彼女の乗った車に向けて幾重ものフラッシュを炊いた。しかし車はそれを無視してたちまち市街に向けてスピードを上げていく。

これで家に帰れる。

やっと帰れる。

そう思っていた。

その時は。






ソラの目に入ってきたのは、無骨でひび割れだらけのコンクリート、ではなかった。

清潔で贅を凝らした、だが生活感のない白い天井。華美な照明。装飾を凝らした調度品の数々。ふかふかだが太陽の匂いのしないマット。

リヴァイブのアジトではない。そして、少し染みや汚れが目立つが、温かい思い出とともにある石造りの天井、ではなかった。ソラが住む寮の部屋でもない。

ソラの意識が徐々に覚醒して、思考が明晰になっていく。


「そっか、ここホテルなんだよね……」


そのままベッドの上で枕に顔をうずめる。


「本当に、どうしてこんなことになっちゃんたんだろう」


ソラは深くため息をついた。

まだ帰してもらえない。いつになったら帰れるのだろう、と。






寮にやっと帰れると思ったら、ソラが連れて来られたのはホテルだった。それもオーブで一、二を争う豪華なものだ。

だがソラはこんな所に来たかったわけではない。戸惑いながら抗議すると、ミリアリアはこう告げた。


「しばらくソラさんにはここで生活していただきます。」

「そんな!何で家に帰っちゃ駄目なんですか!?」

「まずこれをご覧下さい」


そういうと、ミリアリアはざっと新聞を数誌ソラに見せた。どれもソラの帰国は一面トップだ。


「ごらんのように今、貴女はオーブで最も注目されている方のひとりです。このまま家に帰宅すれば、保安上問題がありますし、何より周囲に多大な迷惑がかかります。ソラさんが住んでいた寮の周りには、マスコミが大挙して待ち構えていますので」

「……」

「寮の女学生がインタビュアーやカメラマンに追い回されるなど、いくつかトラブルも起きています。こんな状況で帰れば何が起きるか、貴女にも想像はつくと思います。情報管理省としても報道各社に自粛するようには指導していますが……」


理路整然な説明にソラは何も言えなくなる。病院から出たときのあのマスコミの熱狂振りが思い出されたからだ。


「落ち着くまでの間だけですので、しばらくご辛抱下さい」

「あの、じゃあ宿泊代はどうすれば……私あまりお金持ってませんけど」


ソラが素直な疑問を言うと、ミリアリアはさらりと言った。


「その辺はご心配無く。滞在費だけでなく、ソラさんが必要とする生活費は全て政府の公金から拠出されます」

「公金って……政府がお金を払ってくれるってことですよね。それって何故ですか?」

「すぐ分かりますよ」


この時はミリアリアの言葉の意味が分からなかったが、ソラはそれをすぐに理解させられる事になる。






それから程なくして、ソラは時の人として、マスコミに出ずっぱりになった。

国営放送のニュース、民間のワイドショー、バラエティ番組等々、日に何本もの番組を梯子する状況である。

ミリアリアが自分の担当官になった、という意味もようやく理解できた。彼女がマネージャーよろしくソラのスケジュールを管理し、ホテルにいるとき以外は常に傍にいる。

時折現れるパパラッチの様な無礼なカメラマンを追い払うのも彼女の役目だ。

TVは繰り返し繰り返し帰国当日の映像を流す。空港でひざから崩れ落ちる自分の姿が大画面で、何度も何度も。はじめは、それに赤面するくらいの感想しか持たなかったソラだったが、流石に一週間を過ぎても収まる様子の無い過熱報道にいささかげんなりしてくる。

この頃には、いい加減からくりが見え始めた。過去にガルナハンで経験したのと同じ事――だと気づいたのだ。

リヴァイブ基地で見たあのニュース番組。一方の側による一方的な報道。そこにはただ対する敵を糾弾する思惑だけが込められ、もう一方の意見は微塵も出てこない。


「……そっか。私、宣伝に使われてるんだ」


テロリストのアジトから奇跡的に救出された少女。両親は過去の戦災の尊い犠牲者。孤児院で過ごしたあと、けなげに寮で自活しつつ、オーブ政府からの奨学金を受けて勉学に励んでいる。そして将来の希望は看護師。

どこで調べたのかソラの経歴を勝手に紹介し、『奇跡の少女』などと聞き飽きたフレーズを連呼した後には、かならずこんな内容が続く。

「こんないたいけな少女が犠牲になるテロリズムを許すわけにはいかない。今こそ統一連合は断固たる態度で、無法な武装集団に対して正義の鉄槌を下すべきなのだ」と。

それが『犠牲となった少女に心を痛めるアスハ代表』や、『平和の誓いを新たにするピースガーディアンの青年将校たち』、『首尾よく少女を救い出した政府の見事な手腕』など、微妙に表現が違うだけで本質は何も変わっていない。

ソラを悲劇のヒロインに仕立て上げるとともに、その庇護者としての政府のイメージアップを図ろうとしているのが明らかだった。

特に婦人向けワイドショー辺りは酷かった。ソラの服装や、つけているアクセサリーやら学校の友人関係など、中には『大手芸能プロダクションがソラ=ヒダカに注目?』など、愚にも付かない内容を延々と垂れ流す。


――気持ち悪かった。


ミリアリアからは一応の説明はされていた。自分もそれに納得はしたはずだった。主席暗殺事件などの発生で国民の気分は暗く沈んでいる。そんな中、貴方が無事救出され、帰国したのは数少ない明るい話題なのだ。世相が貴方に飽きて冷めてくるまでしばらくの間、我慢して協力してほしいと。

政府の宣伝だという事。それはミリアリアも否定しなかったし、ソラも仕方ないと思っていた。

でも。

ホテルに帰ってくるや否や、ベットに倒れこむ。時計は22時を指している。今日も取材やTVの収録ですっかり遅くなった。こんな日がずっと続いていた。


「こんな事、何時まで続くんだろう……」


せっかくオーブに戻ってきたのに、マスコミが押しかけて寮が迷惑でもこうむるかと考えると、帰ることもできない。学校にも通えない。空港で会った昔いた孤児院の子ども達との出会いが、オーブに戻ってきてからの唯一の、親しい人たちとの再会だ。

悲しい。

寂しい。

辛い。

ホテル暮らしを強いられて、はや一ヶ月が過ぎようとしていた。






オーブタイムス新聞社国際部。

すっかり有名人となったジェス=リブルは、迫り来る記事の締切と格闘しつつ、多忙な日々を送っていた。

ジェスの元にもソラと同じように取材要請がたくさん来たのだが、そこは彼もマスコミのひとり、抜かりはない。取材を受けるのは極力オーブタイムス新聞社系列の報道媒体に限定していた。TV、インターネット、雑誌全て、である。

苦情一切も広報の方に任せているので、雑音がここに届く事もなかった。

だがジェスの露出が少なくなった分、ソラにしわ寄せが来ているのは誰の目にも明らかで、すっかりマンネリになった自社系列TV局のワイドショーを見たカイトがジェスの横でぼやく。

“また”ソラが出ているぞ、と。


「そろそろマズイんじゃないのか。あの子、このままじゃ遠くない内に潰れてしまうぞ?」

「まいったなあ。もうそろそろ熱も引くと思ったんだが……こうまで大々的にやられるとなぁ」

「ジェス、何とかしてやれよ」

「何とかしたいのは山々なんだが……」


わざわざ会社まで訪ずねてきた友の問いにも満足な答えが返せない。流石の『野次馬』もすっかりお手上げだった。






ソラの限界は、ジェスやカイトが思っていたよりも早く訪れた。

その日ソラは、『“オーブ・テレビ激論道場”』というショー番組に出演させられていた。政治討論番組とは聞こえがいいが、タレントや御用学者や次の選挙を狙っている当落線上の候補者たちが出演して、さもそれらしいことを話すだけの生放送バラエティだ。

オーブタイムス新聞社の系列局なので、これにはジェスも出演していた。


「ジェスさん!」


スタジオで懐かしい顔を見つけたソラは、はしゃいで彼の元に駆け寄った。


「聞いてるよ、いろいろ大変だな。……何も出来なくてすまない。」

「い、いいんですよ、そんな!……でも、いい加減終わって欲しいんですけどね、こういうの」


空港で別れた時と随分印象が違っていた。向日葵のように明るい笑顔だったが、それはなりを潜めすっかり疲れが染み付いている。表向き明るく振舞おうとしているだけにとても痛々しかった。


「あー、そこの二人。そろそろ本番だから席について。君が奇跡の少女?ふうん、顔は悪くないけどちょっと地味だね。ま、いいか。とりあえずそこに座って。ほらほら、もたもたしないで!」


スタジオの隅で二人を見つけた番組ディレクターは居丈高に言ってのける。


「おい……!」


むっとしたジェスが何か言い返そうとしたが、ソラが袖を引っ張って止めた。


「ジェスさん、もういいです。早く終わせましょう」

「あ……、ああ」


ソラの顔を見て、ジェスは驚いた。必死に笑ってるが、痛みがそこににじみ出ていた。

――もう嫌、と。

ぞっとするような、それでいて悲しい表情だった。こうもぞんざいな扱いをずっと受けて来たのか。マスコミという業界にいたジェスには分からなかったもの。

かつて取材した『英雄』や『人の上に立つ者』とは違う、巻き込まれただけの者やマスコミに振り回された者が受ける痛みと苦しみ。

それがようやく少しだけ分かったかもしれない、とジェスは思った。

番組はソラの存在などお構いなしに進行した。いつものようにソラの誘拐から帰国までが誇張交じりに放送され、ソラには適当な質問が二つ三つなされて、司会者がそれを都合よく解釈。

後は司会者の元、出演者たちの討論とも呼べぬお喋りに移行した。


(――……早く終わらないかなあ)


ソラはいつも通りの展開になりつつあるスタジオをぼーっと眺めていた。出演者達の交わす言葉もあまり耳に届かない。退屈を紛らわせようとテーブルのジュースに手を伸ばす。


(なんでこんな事になっちゃたのかなあ……――)


ぼんやりとした頭の中に、楽しい思い出が浮かんでくる。オーブにいた頃、ではない。リヴァイブにいた時のだ。

初めて基地の厨房で料理をした事。

ジャガイモの皮むきが上手く出来ないシゲトに、コツを教えてあげた事。

寂しくてたまらなかった時、じっと抱きしめてくれたセンセイの事。

寒いのは嫌でしょ、と冬着をいっぱい持ち込んでくれたコニールの事。

仮面のリーダーが退屈だろ?と気遣って、山のように本を貸してくれた事。

帰国が決まったあと、みんなが祝ってくれた誕生パーティー。

そして、シンの事。


(帰りたいなあ……)


ここに比べれば、リヴァイブの方がずっと良かった。みんな自分の事を気遣ってくれた。仲間として扱ってくれた。憎いオーブの人間なのに。ずっと離れたかったと思っていたあの場所に、今は帰りたい。そう思う自分がいた。

政治評論家という肩書きの男が、勝手な事を言っている。


「しかし、過去の戦争による被害からの復興が至上命題のはずなのに、テロリストたちはいたずらに破壊と混乱を撒き散らしていますね。まったく、野蛮人という他無い」


(他人の都合も考えず私を追い回してるここの人達は、野蛮じゃないのかしら……)


大学教授という男が、それに答える。


「全く同感です。今、議会では『主権返上法案』という法律が論議されています。過去の二度に渡る大戦で地球圏は、世界は筆舌に尽くしがたい被害を受けました。そもそもこれらの大戦の原因はプラントと地球連合という二大大国の対立にあったのです。しかしそれら両国も含めて、いやプラントはオーブに併合されましたが、今、世界は統一連合という同じ枠組みの中に入り、同じテーブルにつく事になったのです。いまや世界は一国となったようなものです。これから名実共に地球が一つの国となり、国家間の対立が解消されようとしているにも関わらず、あえて対立を煽るようなテロリストの行動は、実に許しがたい」


(難しくてよく分かんないや……)


それからも延々と出演者は口々に勝手な事を話しあう。ソラにとってはどうでもよく、ただただ苦痛なだけの時間だった。


(……帰りたいなあ。みんなのところに……)


時間がどれくらい経っただろうか。スタジオの全員がいつの間にか自分を見ていた。


「…………さん?どうしました、ソラさん?」


何が何だか分からない。


「……は、はい。何でしょうか?」

「今の先生の質問なんですが……」


討論を仕切る司会者が不安そうに聞いてくる。先生と言うのはさっきの大学教授の事らしい。ソラの向かいに座っている。


「す、すみません。よく……聞いてなかったです」


ごめんなさいと、ソラは頭を下げた。しかし大学教授は無視されたのが不満だったのか、嫌味を込めて言い放つ。


「やれやれ、人の話はちゃんと聞くことと学校で学ばなかったのですかな?まあ、貴方も当事者だったらもっといろいろ勉強した方がいいですな」


まるで見下す様な視線だ。気持ち悪い。


「いいですか?価値観と言うものは時代の流れとともに変容していく。しかし自分達の利益を守りたい。しかし人々からの支持は得られない。そういう層が安易にテロリズムに走るんです。まさにエゴイストなのです」


エゴイスト?その言葉にソラは酷く違和感を感じた。リヴァイブのやっている事の全てが正しいとは思わないが、自分たちの利益を守るためだけに戦っているのではないと知っているから。

初めてリヴァイブに来た時、リーダーはこう言っていた。


――我々は『みんなで』幸せになる世界を作ろうとしているんですよ――と。


その言葉に嘘は無かった。だから自分を取引の材料にもしなかった。エゴや私欲で戦っている人達なら――、きっと今頃生きて帰る事はできなかっただろう。

ソラの中で目の前の男への不満と疑問が渦巻く。だがそんなソラの気持ちにもお構いなしで、今度は政治評論家という男は話し始めた。


「今、世界各地でレジスタンス活動と称して、反政府運動が起きていますが、結局既得権益を守りたいだけの利権集団なんですよ。こうした輩は断固として排除するのが、正義というものであり、オーブや統一連合の使命なのです」


正義――?

リヴァイブは悪で、統一連合は正義?

……違う。

それは絶対に違う!

確かにリヴァイブのやっている事は褒められる事ではない。でも、彼らが武器を取った、いや武器を取らざるを得なかった理由だって、ちゃんとあるのだ。

それは決して正当化できない理由だったとしても、単なる暴力の一言で片付けられるものではないはずだ。


(――なのに、なのになんでこの人はこんな一方的に、高みに立った物の言い方をするの?)


それは目の前の大学教授に限らず、ジェスを除いた他の出演者達も同じだった。相手の事など何も知らず、言い分も聞かず、安全で誰からも非難されない場所で、相手を一方的に断罪していく――。

歪な公開裁判のようだ。

醜い。この人たちは醜い。

そんなソラの想いに気付くことなく政治評論家はさらに言い募る。


「テロリストは女子供まで戦闘に駆り立てているそうじゃないですか。 彼らは自分の生活苦が政府の無策のせいだと教え込まれ、喜んで死地に赴くそうですよ。まさしく精神の貧困と無知が生んだ野蛮人の悲劇というわけですな。ハハハッ」


その言葉を聞いた瞬間、ソラは固まってしまった。ソラの脳裏に、ほんのわずかな付き合いだったが鮮烈な印象を残して去っていった友人、タチアナの姿がよみがえる。

一杯の貧しい麦粥を手に彼女は叫んでいた。


――アタシ達から絞り上げたお金は全部、オーブに行ってしまうのよ!――

――お金だけじゃない、燃料も食べ物も何もかもだ!――

――アタシ達はアンタ達オーブ人の踏み台になってるのよ!!――


…違う、そうじゃない。

ターニャは無知だから銃を取ったわけじゃない!

ソラの脳裏に、ロマ達リヴァイブのメンバー、そしてシンの顔が浮かんだ。

あの人たちは決してエゴイストでも、野蛮人なんかじゃない!

あの人たちは心が貧しくもないし無知でもない!

絶対に!


バンッ!!!


突然、激しい音が響き渡る。――ソラが思い切り、机に両手を叩き付けたのだ。

スタジオの空気が一瞬で凍りつく。ソラに視線が一斉に集中した。


司会者が何事かと慌てている。

弁を振るっていた大学教授が、何も言えずにポカンと口を開けている。他の出演者達も狼狽して、誰も何もいえない。ジェスも含めて。

すっかり静まり返った中、ソラはすっと立ち上がる。

そして唖然とする出演者たちを睨み付け、積もり積もった怒りをその場に叩きつけた。


「……何も見てないくせに、ちゃんと話しあった事もないくせに……好き勝手なことばかり言わないで!」


そう言い放つと、ソラはそのままスタジオから走り去った。予想外のことで――担当官のミリアリアも含めて――誰も引き止めることはできなかった。






急遽CMが挟まれ、そのままその番組は内容を変更して放送される。番組のディレクターは顔を紅潮させながら周囲に当り散らした。


「クソ!!どうしてくれるんだ!これじゃ生放送が滅茶苦茶じゃないか! まったく何のつもりだ。あの小娘!いったいどう責任を……」

「いい加減にしろよ、この俗物!」


ジェスが珍しく怒りをあらわにしていた。その迫力に気圧されて、ディレクターはたちまち言葉に詰まる。


「あの子は16歳の、ただの女の子なんだぞ!そんな子を散々TVの玩具にしておいて、何が責任だ!!」

「オ、オマエだってマスコミだろうが!」

「ああ、そうさ!だがな、散々人を話のネタにして使い捨てするのがマスコミってんなら、そんなもの辞めてやるぜ!!」


口から泡を吹きそうなディレクターに一瞥をくれると、ジェスもスタジオから走り去る。


「……俺もまだまだガキだな。ソラを追いかけるのが先なのに、あんな馬鹿に怒りをぶちまける方を優先しちまった」


残されたミリアリアは即座に”上”に連絡を取った。


「申し訳ありません、ソラ=ヒダカがTVスタジオから逃走しました。監視チームに直ちに彼女の身柄を確保するよう要請願います」






その頃、汎地球圏大戦戦没者墓苑。

オーブの首都、オロファト市街からそう遠くない小高い丘にあるこの墓苑には、数多くの戦没者が今も眠り続けている。とは言え、近代戦における戦死はその遺体すら、残された人々に与えはしない。この地に眠るのは残された人々の思いそのものだった。

残されたものは夢を見続ける。彼らの死に意味があったことを。彼らの生に意味が与えられていたことを。

その夢は墓標にこめられ、残されたものによって形にされる。

その夢は世界の続く限り紡ぎ続けられる。

―――そう、世界の続く限り。


「……お姉ちゃん……」


西日が無数の墓標に長い影を映し出す。 メイリン=ザラは姉、ルナマリア=ホークの墓の前に居た。 治安警察の魔女と恐れられる彼女と、そこにいる彼女は果たして同一人物と言えるのだろうか?墓前のメイリンは魔女というよりも親とはぐれて泣きそうな幼子の様に見えた。

彼女の目の前に眠る姉を殺したのは他ならぬ彼女の夫、アスラン=ザラ。五年と云う歳月の中、彼女は彼女の姉を殺した夫と共にあり続けた。

いや、『あり続けようとした』と言ったほうがいいだろう。

メイリンは思う。姉を殺したのは、確かに自分の夫だったのか、と。

――それは、自分ではなかったのか、と。

あの日、アスランをザフトから逃したあの日。その時から彼女の苦悩は始まった。 メイリンはあの日選んだものは何だったのだろうか?

アスランの命?

いや、メイリンがあの日選び取ったのは「アスランのいる明日」だった。その選択によって彼女は「ルナマリアのいる明日」を手放す事になったのは皮肉以外の何者でもなかっただろう。

メイリンはその選択を後悔はしていない。たとえアスランの心が自分に向いていないとしても確実にアスランのいるこの世界は続いているのだ。

だからこそ彼女はルナマリアの墓前に立ち、祈り続けていた。

自らのエゴによって形作られた、この「アスランのいる世界」に自分が生き続けていることを贖罪するために。

そして、この愛すべき悲劇の舞台が永遠に続くようにメイリンは祈った


「お姉ちゃん……もう少しだけ生きさせてね。知ってると思うけど、あの人って放っておくとすぐに戦場に行ってしまうの。泣いている人を見過ごす事はできない、って。だから世界を平和にしなきゃいけないんだ……」


姉の墓につぶやいても返事は無い。ふとメイリンは苦笑する。


「私……わがままだね。お姉ちゃんを殺した人に生きていてもらいたくて、今日も生きてる。お姉ちゃんの命を奪った、憎むべき人なのにね」


メイリンの目の前の墓標は何も語らない。だが、自分を見守ってくれている。そうメイリンは思いたかった。






ジャリ……。メイリンの後ろで土を踏む音がする。


「メイリン?」

「……アスラン」


後ろにアスランが来ていた。青いリンドウの花束を抱え、メイリンを見ている。


「来ていたのか」

「……お帰りなさい。あなた」


アスランは手にしていたリンドウの花束を墓前に手向け、右手を胸に当て哀悼の意をルナマリアに捧げた。


「……オーブへはいつ?」

「ああ、今朝な」


アスランは記念式典での主席暗殺未遂以来、各国の動揺を防ぐ意味もこめて、査察活動を展開していた。世界各地を飛び回り、仕事仕事で忙殺されている日々だ。妻の顔を見るのも、何日ぶりだろうか?


「すまないな。まともに家にも帰れないで」

「気にしないで。私も式典以来てんてこ舞いで、家に帰れない日も多いから」

「……メイリン」

「何?アスラン」


メイリンはまっすぐにアスランを見つめる。その視線をアスランは思わずそらしてしまう。そんな夫をメイリンは悲しい瞳で見つめるしかなかった。


「……すまない……」

「そんなに謝らないで。あなたは一生懸命にやってるんだから」


アスランはそらした視線を元には戻せなかった。自分がやっていることは、確かに今の世界には不可欠なことだ。それは理解しているし、そのことに誇りも持っている。

だが、現実に自分の目の前には自分が幸せにするべき女性が、今にも泣き出しそうな表情でたたずんでいた。

そして、その不幸の原因は間違いなく自分の過去と現在なのだ。愛妻の背の向こうには彼女の亡き姉、ルナマリアの墓標が物言わず静かに佇んでいる。

ルナマリアを殺し、今またメイリンを不幸に追い込む。他の誰が許そうとも、自分自身が許せない。そのこと自体がメイリンを更なる不幸に追い込んでいることも理解しているが、アスランはそれを自分への免罪符に出来るほど器用な人間ではなかった。


「アスラン。そういう時は、『ありがとう』って言うのよ」


アスランは思わず視線をメイリンに戻した。悲しげな表情の上にやさしい微笑をたたえた妻がそこにいる。


「……ありがとう……」

「うん……」


アスランは思う。この優しき妻が生きる世界をまた戦いに満たしてはいけない。絶対にいけないのだ、と。

アスランはルナマリアの墓に向き直り、改めて祈りを捧げた。


(ルナマリア……改めて誓う。俺はメイリンの生きるこの世界を守る。この命に代えてでも……必ず)


メイリンはそんな夫を静かに見守るしかなかった。 その思いが痛いほど理解できたから。

自分の夫が自分のいる「世界」を愛していることを。



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