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外では猛吹雪が吹き荒れていた。嵐のように吹きつける風と雪が、窓ガラスに激しく叩きつけられる。もう日が落ちたせいもあって、外の景色は1m先も見えない。
「吹雪か。毎年の事とはいえ、今年の冬もマロース(極寒)とは厳しいわい」
パチパチと音を立てるレンガ作りの暖炉のそばで、木の椅子に座る老人は白い髭を指で弄りながら、ぼそりと小さく呟いた。それに相槌を打つように、そばにいた仮面の青年が寂しげに言う。
「……これでまた幾つの村が潰えるのでしょうかね」
外とは違ってこの小屋の中は暖かい。だがその暖も取れず、食べる事も出来ずに今こうしている間にも飢え、凍え死ぬ人々がいる。過酷な現実。老人は無言のまま、じっと青年を見つめた。ひどく寂しげな眼差しで。やりきれない思いがそこにあった。そんな二人の間に鋭い男の声が差し挟まれる。
「それを食い止めるためにも、本作戦は必ず成功させる必要があるのだよ。ロマ=ギリアム」
「分かってますよ。ミハエル」
ロマが声の方を向くと、ドアのところに鷹のような鋭い目つきをした男が立っていた。
ローゼンクロイツのリーダー、ミハエル=ペッテンコーファー。
統一地球圏連合ブラックリストNo.1に載る男。九十日革命で中心的役割を果たした人物である。
「そろそろ作戦会議を始めようと思う。部屋に来てくれ。皆も集まっている」
「やっとか。待ちくたびれたわい」
「ニコライ翁もお早めに。席は用意してあります」
「わかっとるわい、そう急かすな」
ニコライと呼ばれた老人が椅子から重い腰を上げる。ミハエルの後を追うように、二人は屈強な男達が集う一室へと向かった。そして今回ここに集まった男達こそ、ロマと同じく統一連合に反攻する東西ユーラシア各地のレジスタンス組織のリーダー達であった。
各レジスタンスのリーダー達は互いに協力関係を築いてはいるものの、一同に会すことはまずほとんど無い。何故なら活動そのものを秘密裏に行わなければならない上に、集まったところを敵に狙われて一網打尽にされる危険があるからである。しかし今回、その危険を押して彼らは集まった。
コーカサス州西部、奥深い山岳地帯の中に立つ一軒家。
今日ここで東西ユーラシアの命運をかけた会合が行われるからである。
30~40人は入ろうかという小屋の一番広い大部屋にしつらえた大型テーブルには、コーカサス州とその周辺の大きな地図が乗っている。それを囲んで、ミハエルを始めとして東ユーラシアに集結したレジスタンス組織の長たちが顔を並べていた。当然ながら、ロマやヨアヒム=ラドル艦長の姿もその中にあった。
ミハエルは大部屋に集まった十数人の男達の顔をざっと眺めると、ここまで来た彼らの労をねぎらう。彼の隣にはニコライと呼ばれたあの老人が椅子に座っていた。
「諸君。あの敗北の日以来、よく今日まで生き残ってここに来てくれた。礼を言う」
それに応える様に男達は頷き、あるいは逆にミハエルを励ます者もいた。
「ミハエル、アンタもしぶといな!まだ生きていたのか」
「待ちくたびれたぞ、ミハエル!早く連合の糞野郎共に一発食らわしてやろうぜ!」
そんな男達の一人、ラドルはミハエルと固い握手を交わす。
「ミハエル、お久しぶりです」
「ヨアヒム。君が無事でいてくれた事を私は神に感謝するよ」
男達の間からどっと歓声が上がる。
ラドルも含め、彼等の多くが九十日革命での敗戦後、シベリアなどユーラシア大陸の奥地に逃れた敗残兵達だった。レジスタンスと名乗る以上、それぞれの組織はそれなりの戦力は持っているのだが、今ではその多くが名前とは違う実態を晒していた。
ある組織は身を隠して息を潜め、またある組織は密輸など非合法業務でその日の糧を得るなどして、ひっそりと生き延びてきた。水面下で互いに連絡を取りながら。しかし今日ここに来れたものはまだ幸せである。
革命以後、落ち延びた者の多くが治安警察の執拗なレジスタンス狩りの犠牲となっていたのだから。彼らは再び決起の日が来る事を心待ちにして、今日この日まで生き延びてきたのだった。
「集まったのは1/5というところかのう。ミハエル」
「はい。ですが今回の作戦遂行には支障ないかと」
ミハエルの隣に座る老人が満足げにうなづく。
ニコライ=K=ペトリャコフ
九十日革命では参謀として、革命軍全体の指揮を執ったいわば軍師である。齢70を越えた彼もまた、この日のために生き永らえた一人だった。
「他には……と」
老人は一堂に会した男達をゆっくりと眺めていく。ここには九十日革命には参加しなかったものの、東西ユーラシアで現在もなお活動中のレジスタンスを率いる男達の姿も多く見られたからだ。
「ミッドランド師団、ゲルマン復興の会、月の顔、十二教徒騎士団……。うむうむ、我らが同士の他によう集まってくれたのう。これなら統一連合を相手にするには十分な数じゃわい」
「私も同感です。ニコライ翁」
「皆の衆、この老骨から一言礼を言わせてもらうよ。ありがとう」
ニコライは男達に深々と頭を下げた。そして彼が再び向き直るのを見届けると、ミハエルはついに本題に入った。
「諸君、今回集まってもらったのは他でもない。ついに我々が統一連合に楔を打つ日がやってきたのだ。最近完成したコーカサス州の大規模地熱エネルギープラント『ゴランボイ・地熱エネルギープラント』がついに稼動まで秒読みに入った。知っての通りここは西ユーラシア全域へのエネルギー供給の要になる」
東西ユーラシア最大勢力を誇るローゼンクロイツの長の言葉に一同は一心に耳を傾ける。
「情報では今週中にも本格操業を開始するという。そこで我々は今回、レジスタンス勢力を結集させ、大攻勢をかけてこれを奪取する。ここを押さえれば我々は西ユーラシアの命運を握ったも同然。統一連合も大混乱に陥るはずだ。それを交渉材料として、我々は統一連合政府に対してコーカサス州の独立を迫る!」
辺りに一斉にどよめきが走る。最盛期の二割にも満たない戦力で、統一連合と渡り合おうというのだから無理もない。一人の男が疑問を唱える。
「だがミハエル。それでその作戦の勝算は?すでに連合政府もプラントへの地上軍の派遣を決定してるわけだろう?正面からぶつかっても戦力差が違いすぎて勝ち目があるとは思えないが」
同感だと言わんばかりにミハエルは頷く。
「もっともな質問だ。だがここからは私より、ニコライ翁から説明してもらった方がいいだろう。では翁、お願いします」
するとそれに応える様に、ミハエルの隣に座っていた老人――ニコライが重い腰を上げる。コホンと咳払いをひとつすると、ニコライはそのしわがれた声で全員に説明を始めた。
「そなた等の懸念は儂にもよく分かる。現在分かっているだけでも、我が軍と統一連合軍の戦力差は5倍以上の開きがある。これを正面から叩くというのはまさに無謀に等しい。だが本作戦の目的は統一連合軍の殲滅ではない。あくまで地熱プラントを占領する事なのじゃ」
そういうとニコライはチェスの駒を取り出す。黒いキングの駒だ。それを地図上のプラントのある位置に置く。そしてその周囲にクィーンとポーンの駒も置く。キングの駒が置かれたのはコーカサス州のほぼ中央部に広がる大平原。そしてその場所こそ、目指すべき攻略目標『ゴランボイ地熱プラント』がある場所であった。
「諸君。まずこの一度地図を見てほしい。今回の目標である『ゴランボイ地熱プラント』は、このコーカサス州のほぼ中心に位置するゴランボイ村に建造された。つまりここじゃな」
そう言うとニコライはしわだらけの手で指し棒を持ち、地図上に置かれた黒いキングの駒を指し示す。
「この地熱プラントはこの地方一帯の地熱エネルギーの集積所である上に、ユーラシア大陸全体から集められたエネルギーを西ユーラシア運ぶ大動脈路としての役割も果たしておる。いわば東西ユーラシアの”心臓”というわけじゃな。すなわちここを堕とすこ事はまさに、西ユーラシアを堕とす事と同義になるのじゃ。だが統一連合も儂らが地熱プラントを狙っている事をすでに察知しておる。恐らくその意図も見抜いておるじゃろう。しかも今回の地熱プラント防衛にはあのジュール隊まで派遣されるそうじゃ」
ジュール隊。その名が出た途端、男達の間に動揺が走る。
「ジュール隊といえば……、あのイザーク=ジュールか!」
「統一連合軍の中でも特にラクスに近い一人じゃないか。……とんだ大物だな」
「奴の操る最新モビルスーツ、ストライクブレード。あれでオセアニアのレヴァンスター師団は壊滅させられたんだろう。旧型機ばかりの俺達が勝てるのか?」
互いが顔を見合わせ、不安を口々にする。だが老人は周囲のそんな様子を気にもせず、地図にあるコーカサス州の北側に白いポーンを数個置く。そして最後に地図の南部にひとつだけ、ポツンとひとつだけ駒を置いた。それらがレジスタンス連合軍の配置を示しているのは誰の眼にも分かった。プラントを南北から挟みこむ様に部隊が展開している。北側が主力で、南側が別働隊だ。駒を置き終えると、ニコライはふむふむとニ三頷くと、再び語り始めた。
「今回の戦は連合にとってもまさに正念場なのじゃ。だからこそここで勝ちを得る意味は非常に大きい。じゃが最初に言った様にこの戦力相手に正面から当たるのは無謀そのもの。そこで……」
枯れた指が南部に置いた一個の駒を差す。
「これが生きてくるのじゃ。我々のとっておきの一つ。それがここにおるロマ=ギリアムよ」
全員の視線が一斉に仮面の青年、ロマに集まった。彼はわずかも動じずそれを受け止める。するとミハエルは男達に改めてロマを紹介した。
「諸君。彼が長年このコーカサス州で独立運動を続けてきたリヴァイブのリーダー、ロマ=ギリアムだ」
「ご紹介に預かりましたリヴァイブのリーダー、ロマ=ギリアムです。どうかお見知りおきを」
ロマが静かに頭を下げると、再びどよめきが沸き起こる。
「あれが『道化師』ロマ=ギリアムか。はじめてみるな」
「あいつ等、カガリ=ユラ=アスハの暗殺にも加わったんだって?」
「第三特務隊を倒したザフトのエース、シン=アスカがいる組織はあいつの所だったのか……」
畏怖と尊敬、感嘆が入り混じるざわめきが部屋の中に満ちる。そんなの空気を遮るように、ミハエルは再び話を元に戻した。
「皆も知っての通り、彼らリヴァイブはあの悪名高き統一連合地上軍第三特務隊、ドムクルセイダー隊を撃破したツワモノだ。彼らの勇名は統一連合にも高く鳴り響いており、今回のコーカサス州へのジュール隊派遣はそれに備えてと考えられる。そこで今回我々はそれを逆手に取り、彼らリヴァイブとラドル隊にジュール隊を引き付ける任務を負ってもらう事にした。ジュール隊はいわば統一連合の切り札だ。これを倒せば、統一連合軍は相当のダメージを受けるだろう。だがもちろんこれだけでは勝利にはおぼつかない」
そこまで言うとミハエルは部下に命じて、大型のプロジェクターを用意させる。
「統一連合地上軍の構成は主にオーブから派遣された部隊が中心だが、我々とミッドガルド師団との合同調査により、実は彼らが内部に重大な問題を抱えている事が最近判明した」
ミハエルが手元のスイッチを入れると、背面のスクリーンに映像が浮かび上がった。統一連合軍の制服を着た、上級将校と思しき人物達がそこに映し出される。
「次にこれを見てほしい。今回のゴランボイ地熱プラント防衛作戦のために派遣された統一連合地上軍を指揮するのがこの二人だ。統一連合軍司令官イエール=R=マルセイユ中将。そして副司令官カリム=ジアード中将だ」
映像が出てすぐ、出席者の一人が疑問を口にする。
「……中将が二人?」
無理も無い。一つの作戦において、司令官と副司令官に同じ地位の者を据えるなど普通はしない。上意下達が基本の軍隊にあって、こんな人事を認めたら命令系統が混乱してしまうからだ。
「これが彼らの決定的な弱点なのだ」
わが意を得たりとばかりにミハエルが答える。
「驚くべき事だが現在、統一連合地上軍は二つの派閥に分かれており、かなり深刻な権力抗争の真っ只中にあるらしい。もともと二人はそれぞれ旧連合軍とオーブ軍出身の上級将校で、いわば連合閥とオーブ閥という二大派閥を形成してしまったというわけだ。これには統一連合地上軍総司令官レオニド=キサカ大将もほとほと手を焼いているらしい」
「キサカはカガリの側近中の側近ですからね。連合閥から反発されていても不思議ではないでしょう」
「そういう事だ」
ロマの言葉にミハエルはニヤリと笑う。
「この権力抗争は今回の派遣にも重大な影響を及ぼしている。苦笑するしかないがあの二人はこの最前線まで縄張り争いをしていて、それがこの不可解な指揮系統というわけだ」
ミハエルの分析にロマを除いた一同は、心底呆れ返った。そんなデタラメな状況で戦おうとは、よほど油断しているのか、レジスタンスを舐めているのか。しかしこれから攻め込む自分たちにとっては朗報以外の何物でもない。
「この無様な縄張り争いに加えてさらに彼らは我々に素晴らしいプレゼントまで用意してくれたよ」
今度は別の上級将校が写される。続いて東ユーラシア共和国軍の上級将校の顔写真が映し出される。
「ダニエル=ハスキル少将じゃないか。何でまたあいつが?」
「おいおい、『疫病神』のご出陣かよ。こりゃとんだラッキーだな」
「今回の戦は一発も撃たない内に終わっちまうか?ワハハハ」
男達がどっと笑い出す。
ダニエル=ハスキルとは、東ユーラシア軍内外から『疫病神』とか『アンラッキー・ハスキル』といった不名誉な渾名を付けられている有名な将校だ。これまでの戦歴でもこれと言った勝ち星に恵まれていないが、特段に彼自身が無能というわけではない。にも関わらず彼には、極めて不名誉なあだ名がつけられていた。
その理由は一体何か。
なぜか運が無いのだ。
例えば現場が彼の指揮を無視して暴走したり、不意の天候悪化で援軍が遅延したりと、何故か必ずといっていいほどトラブルに見舞われる。彼が作戦に関われば放っておいても足並みは乱れ、勝手に自滅してしまう。そんなジンクスからついた異名が『疫病神』というわけである。
そんな彼がここまで昇進した理由は、第一次汎地球圏大戦でのアラスカ壊滅の際、当時参戦していたユーラシア連邦軍の中核部隊を無事本国に帰還させた功績によるものだった。当時、例によって運悪く彼の部隊は連合アラスカ基地到着が遅れたのだが、そのため敵味方を巻き沿いにしたあのサイクロプスの災厄を免れる事となり、それが本国に高く評価される。
負け戦でも部隊を生還させる、そんな持ち味を持つ彼を兵士達は、戦う事の出来ない『アンラッキー・ハスキル』と陰口を叩いていた。
「その『疫病神』ハスキルは東ユーラシア政府から統一連合地上軍の戦略アドバイザーとして派遣されたらしい。おそらく現場の地理や気候など戦場に関しての助言を行うのだろう。あの男が敵にいる。これが何を意味するかは、自明のことと思う」
ミハエルの説明を聞きながら、ロマは苦笑する。
(今回の派兵人事は旧連合とオーブの両派閥、そして東ユーラシア共和国の顔を立てた人事という訳か……。いやいや、キサカも苦労してるなあ)
画面に映る三人の軍人の映像を見ながら、ふとロマは常にカガリのそばに控えていた寡黙な大男を思い出す。
今回の戦いが統一連合の趨勢を占う重要なものである以上、軍内部に対してもその手柄を均等に配分できるよう配慮しなければならない。そうする事で部下の人心掌握を図ろうというのだろう。だが裏を返せばそれは組織の掌握に苦心しているという現れであり、またそのツケを現場に押し付けるという事だ。
ただでさえ二分されている指揮系統に、アドバイザーという存在。アドバイザーが調停役ではない以上、それは指揮系統のさらなる混乱の要因となるだろう。
(だから僕らの総兵力の5倍以上もの大軍を投入したわけか。おまけにジュール隊まで動員して。)
過大な兵力はいわば保険であり、半数でも満足に動けばレジスタンス軍を壊滅できるというのがキサカの目論見なのだろう、とロマはその意図を見抜いた。
「そこで今回の我々の作戦じゃが軍を二つに分け、ゴランボイ地熱プラントに対して南北から挟撃する。北からは我々ローゼンクロイツを中心とした部隊。そして南からは……」
するとニコライはその細い目で、すっとロマを見つめた。
「ロマ=ギリアム。おぬしの部隊、リヴァイブにやってもらおうと思う。いいかの?」
「もちろん」
「ほう、たやすく安請負しおって。後悔しても知らんぞ、若いの。おぬしの部隊にはあのイザーク隊を引き付ける大役を任せる事になるんじゃからな」
リヴァイブがイザーク隊を引き付ける。ニコライの提案に辺りから一斉にどよめきが走り、集まった男達全員の視線がロマに集まる。その意味の重さ、そしてそれがどれだけ”死”に近いか、誰もが理解していたからだ。
だがロマはそんな周囲も意に介さない。フッと軽く微笑むと、ミハエルに返す。
「そう来ると思っていましたよ。第三特務隊を倒した僕達ですからね。囮としては絶好の獲物になるでしょう」
「そういう事じゃ。あのドムクルセイダー隊を倒したおぬし達リヴァイブの名は、統一連合の中でも随一の脅威として目されていよう。故にこの任務はリヴァイブ以外に果たせぬ役目じゃ。恐らく危険度は最も高いじゃろうが、それだけに重要な役目でもある。頼まれてくれるかの、ロマ=ギリアム」
「喜んで」
そういうとロマはミハエルに礼をする。老人はそんなロマに満足そうに、うむうむと頷いた。
「ひとついいでしょうか?」
男達の中から一人挙手が上がる。『パープルクロス』というごく小規模のレジスタンスのリーダーだ。
「ジュール隊をリヴァイブに任せるというのは分かります。しかしそれだけで勝てるのでしょうか?ジュール隊や”疫病神ハスキル”を差し引いても、統一連合軍と我々との戦力差は歴然としています。まともに戦って勝てる成算はあるのでしょうか?」
ごく当然な問い。誰の目から見てもレジスタンス連合軍が大幅に劣勢なのは明らかだった。ミハエルの説得をもってしてもなお、その不安感を払拭しきれない。だがそれも予想の範疇なのか彼に焦りは見られず、むしろふてぶてしい笑みを浮かべ周囲を一瞥すると続ける。
「確かに我々と統一連合軍との戦力差は明白だ。すでにニコライ翁が指摘した通り、東ユーラシア共和国政府のみならず、統一連合の地上軍が投入されるとあっては、我々レジスタンスの劣勢は明らかだ。だが冷静に考えてほしい。我々の目的は統一連合軍を倒す事ではない。地熱プラントを陥落させる事なのだ。すなわち……」
ミハエルの意図に気づいたロマが言う。
「内部工作ですか」
「その通り」
ロマの言葉にミハエルは薄く笑った。
「今は詳しくは言えないが、我々の作戦に合わせて大規模な内部撹乱を行う予定になっている。外部からは我々の軍が攻め立てている最中に、内部から切り崩すわけだ。しかも今の季節は冬。統一連合軍も訓練は積んでいるだろうが、彼らはここの地理にも気候にも疎い。対して我々は厳冬期での戦いに慣れており遥かに分がある。そんな中で大混乱が起きれば、いかに数を誇る統一連合軍といえどもまともに戦うことはできなくなるだろう。そこが勝機だ」
一同からどよめきが起きる。そして同時に彼らの目が輝きを増してきた。もしかしたら勝てるのかもしれない、あの統一連合軍に。そんな思いが集まった男達の表情からこぼれている。場の空気が変わり始めたのをミハエルとロマは感じていた。
「派兵された統一連合地上軍を撃退できれば、我々レジスタンスの存在を東ユーラシア共和国政府も無視できなくなるだろう。必ず彼らも何らかの妥協をせざるを得なくなる。作戦決行の日、すなわちXデーは追って指示する!それまで各自英気を養っておいてくれ!」
「「「「おおっ!!」」」」
レジスタンスを率いる男達の、意勢のいい声が室内に木霊した。
会議の終わった後、レジスタンスのリーダーたちはそれぞれの本拠地に帰還した。
ただしリヴァイブから参加したロマとラドルは、ローゼンクロイツともう少し話をするために居残っている。二人はあてがわれた部屋で、ふるまわれたコーヒーにほっと息をついた。安堵したように天を仰ぐロマにラドルがそっと耳打ちする。
「上手くいきましたね」
「ああ」
実は今回の作戦はロマからの提案であった。
当初ロマはこのコーカサス州での東ユーラシア共和国軍の要、サムクァイエット基地を無力化した事で、政府側が武力闘争を諦め、話し合いに路線変更すると考えていた。ところが状況は彼の期待を大きく裏切る事になる。
ドーベルマンの独断とはいえ第三特務隊ドムクルセイダー隊が投入され、東ユーラシア共和国政府は武力闘争を続行せざるを得ない状況に追い込まれ、さらに統一連合地上軍の派遣まで決定される。このままでは圧倒的な戦力の前に各個撃破されるのは目に見えていた。そこでロマは以前から密かに計画していた件を、実行に移すことにした。
それが地熱エネルギープラント占領計画なのである。
地熱プラントを奪取し、東ユーラシア共和国と統一連合から大幅な妥協――すなわちコーカサス州の独立か自治権の確立――を引き出そうと考えたのだ。しかしこの作戦はリヴァイブ単体で行うのは不可能で、他のレジスタンスとの協力が絶対不可欠である。そこでロマはローゼンクロイツに話を持ちかけたのだった。
ロマの提案を受けるや否や、ミハエル以下ローゼンクロイツの面々は、すぐに話に乗ってきた。片やミハエルにしても、このコーカサス州はリヴァイブの縄張りで、しかも自分達は居候に過ぎない事を十分理解している。それにこのままではジリ貧になるのは目に見えていた。ミハエル達ローゼンクロイツを始めとした九十日革命の残党にとっても、この作戦は渡りに船だったのだ。
会談の席でロマの話を聞いたローゼンクロイツの軍師、ニコライは目を細め、ほっほっほっと低く笑った。。
――あの地熱エネルギープラントに目をつけたか。お主も目ざといのう。
――儂らもな、以前よりあそこには目をつけておったのよ。
「しかし、いいんですか。エネルギープラント攻略作戦を立案したのは貴方なのに。このままでは、ローゼンクロイツに手柄を殆ど持っていかれますよ?」
「それに関しては問題ないですよ。むしろ今回の作戦提案はミハエルにやってもらわなければ、僕としても困るんです」
「といいますと?」
ラドルが指摘にロマは笑って返した。ロマはこう考えていた。
そもそもリヴァイブ単体では地熱プラントを攻略しようにも、戦力が決定的に足りない。だが他のレジスタンスの協力を得ようにもリスクが高い上に、「新参の弱小組織のくせに、調子に乗るな」と拒絶されるのは火を見るより明らかだ。またそれ以上にプラント攻略に必要な大兵力を集めるだけの人脈を、さすがのロマも持ち合わせてはいなかったのである。
そこで彼はローゼンクロイツの看板を借りる事にした。彼らは裏の世界では依然として大きな力を持っている。その戦力も最盛期と比べ大幅に落ちたとはいえ、東西ユーラシアでは最大規模である。コーカサス州に今ある彼らの戦力は僅かだが、ユーラシア大陸全域に散らばっている戦力を集めれば、相当のものになるだろう。そう踏んだロマはアリーの街に潜伏していたローゼンクロイツの首魁、ミハエルとニコライにこの作戦への協力を交渉する事にしたのである。
「しかしよくミハエルやニコライが納得しましたね。どうやって説得したんです?」
一筋縄にはいかないだろう事は、ラドルにも容易に想像できた。地熱プラント攻略となれば総力戦になる。そのリスクをミハエル達が知らないわけが無い。ロマは続ける。
「当初難色を示していたローゼンクロイツですが、彼らを決断させたのは僕ではないんです。むしろ統一連合地上軍の派兵決定が彼らを動かしたんですよ」
「ほう?」
「地上軍が本格的に展開すれば、この地方で活動するレジスタンスへの大規模な掃討作戦が始まるのは確実です。そうなってしまえば全てが手遅れになります」
「だからローゼンクロイツとしても先に打って出る必要に迫られた……という訳ですな」
「ええ。それに彼らとしてもこのままでは同士を各地に散らばらせたまま、立ち枯れていくのは目に見えていた。一発逆転のチャンスがどうしても必要だったんです。そこで彼らは僕の話に飛びついた、というわけです。先日のアリーの街の件もありますしね」
「なるほど」
にっこりと笑うロマに、ラドルは感心することしきりだ。
確かにローゼンクロイツが東西ユーラシア最大の戦力を持つといっても、それは各地に潜伏する同士を結集した上での話である。今すぐに動かせる戦力は微々たる物だ。アリーの街での攻防戦がそうだった様に、リヴァイブの助力が無ければ街に潜伏していたミハエル達も、今頃政府軍に逮捕されていたかもしれない。現状のままでは彼らは座して死を待つしかないのだ。そこを上手く突いて、ロマはローゼンクロイツの協力を取り付けたのだろう。ここまで首尾よく計画を推し進めたものだ、とラドルはロマの手腕に深く脱帽する。
「そこで今回の作戦での貴方の地位はどうなるんです?」
「参謀としての地位は確保しました。ですから作戦がまったく僕達の手を離れたわけでもないんです。それと今回の作戦では、ローゼンクロイツからの支援をかなりもらえることにもなりましたから。うちやラドル艦長のところのパイロットたちも、今回は充実した装備で戦いに臨めそうですよ」
ラドルに向かうロマの言葉には全くよどみが無い。自分の功を誇ることなど、全く興味が無いようだ。彼の過去を知る人間が見れば、あの頭は切れるが目立ちたがり屋で独占欲の強いセイラン家のボンボンが、こうまで変わるものかと、感嘆を禁じえないだろう。
「このまま良い春を迎えたいものですねぇ」
「ええ」
残ったコーヒーに口をつけながら、ロマもラドルも来るべき日に想いをはせた。
「ようやく・・・・・・ようやく、ここまで来たぞ、アルベルト」
誰もいない個室に独り言が静かに響く。
ローゼンクロイツ現リーダー、ミハエル=ペッテンコーファーは一人静かにグラスを傾けながら、今は亡き友の姿を思い浮かべていた。
アルベルト=ウルド=メルダース。
前リーダーであり、ミハエルと共に九十日革命を起こした首謀者、そして散って行った親友。
今でも脳裏に鮮烈に蘇るあの日のモスクワ。
敗戦も決定的になり、翌日にもオーブ軍が侵攻してくるという状況で、二人は別れた。既に主力部隊は撤退をすませ、ミハエルたち幹部も次々と脱出していく中で、アルベルトは独り残ると告げたのである。
「責任をとる」と。
責任は後でとればいい、犠牲には勝利で報いればいい、とミハエルは一緒に逃げるようにアルベルトを説得する。しかし彼は静かに首を横に振った。
『全ての責任は僕が負うよ。僕はこの革命を起したリーダーだからね。何より無関係な人々を巻き込んだ責任、敗北した責任を取らなければならないんだよ。僕らは国民を見捨てて逃げ出すような、あの東ユーラシア共和国大統領と同じになってはならないんだ。ミハエル、この戦争は僕らの負けだ。しかし終わりじゃない。ローゼンクロイツが負わなければいけないのはユーラシアの人々の思いなのだから』
一片の揺るぎもない友の固い意志を前に、ミハエルは成す術もなく立ちつくす。そんな彼にアルベルトはニコリと笑って、肩を叩いた。
『ミハエル、これが僕のリーダーとして君に託すの最後の命令だ。残存部隊を率いてシベリアまで撤退し、そこで体勢を立て直しつつ時機を待て。いいね』
それが二人の永遠の別れとなった。
大企業のボンボンで、世間知らずのろくでなし。でも自分には無い、包み込むような温かさをもった人だった。命を懸けるに値する男だったと、今でもミハエルは確信している。そのアルベルトがたった一つだけミスを犯した。それが革命を敗北へと導く。
統一連合との和平を目前にしたその時、徹底抗戦継続を訴える一部の部下達から上げられた進言を、彼は無視した。すでに和平路線は組織の決定事項だったからだ。だがそれが落とし穴だった。世の中には理性的に物事を考えられない、損得勘定のできぬ人間がいるという事実を、アルベルトは失念していた。
なんとその後、徹底抗戦を訴えたその者達が先走って、パリを訪れていたオーブ和平派を爆撃に巻き込み、死亡させるという暴挙を行ってしまったのだ。その結果として和平は頓挫し、あと僅かで実を結ぶかに見えた彼の理想は最悪の結末を迎えることになる。
『責任は取らねばならないよ。ミハエル』
アルベルトの最後の言葉。そういって彼は二度と生きて帰らぬ戦場へと向かって行った。彼だけではない。統一連合に反旗をひるがえし、そして散って行った多くの戦友、義勇軍として参加した市民達。燃え落ちる瓦礫の街の中で、本音では誰もが逃げ出したいはずなのに、多くの市民が絶望的な徹底抗戦に参加してくれた。昨日今日、初めて銃を握ったかのような、穏やかな顔をした主婦の言葉が忘れられない。
『この街は私達の街です。オーブ人なんかにいいようにさせません。私は私達の街を守りたいんです』
彼女の傍らには5歳ぐらいの小さな男の子がいたが、あれから彼女も子供も一体どうなっただろうか?
ふとミハエルの目頭が熱くなる。
津波のように押し寄せたオーブ軍の大群の前に、誰も彼もが死んで行った。アルベルトがそうであったように。彼を筆頭に、300万を超える犠牲者がそうであったように。
彼らの魂に報いるためには、自分は何をすべきなのか。
敗北の日から落ち延びて以来、その悩みがミハエルの頭から消える事はない。
「また何か考え事かの?」
不意に差し込むしわがれた声。後ろを振り返ると、ドアのところにあの老人が立っていた。
「ニコライ翁……」
「儂も一杯もらえるかの」
「ええ、いいですよ」
空いたグラスを棚から取り出すと、ミハエルはニコライのためにウイスキーの水割りを用意した。琥珀色の酒がグラスの中に注がれていく。
「まあ、あまり根を詰めるもんでもないわ。先は長い」
「は……、申し訳ありません」
「アルベルトが生きておったら見せてやりたかったのう。儂らが再起したこの日をな」
しみじみと感慨にふけるニコライにミハエルは言う。
「翁、まだ始まったばかりですよ。アルベルトの墓前に訪れるのは勝利の報告をする時だけです」
「そうじゃったのう。かつてはは儂とお主、そしてアルベルトの三人でこうしてよく酒を酌み交わしたもんじゃが、もう遠い昔の様に思えてしょうがないわい」
「まだ一年しか経っていないんですけどね」
「もうろくした証拠かのお。そろそろ隠居も考えにゃならんわ」
「そうは行きませんよ、ニコライ翁。翁にはまだまだ働いて貰わなければ困ります。このローゼンクロイツの軍師としてね」
「人使いの荒い奴じゃの~、お主は。もうちっと年寄りをいたわらんかい」
「申し訳ありません、翁。敬老の精神などとっくの昔に忘れてしまったもので」
「全くこの罰当たりモンが」
そう言うと老人はガハハと鷹揚に大きく笑う。ミハエルにとってニコライは本音で話し合える数少ない同志の一人だ。年の差は祖父と孫ほどにもある二人だが、そんなものは大した問題にもならない。ミハエルにとってアルベルトがそうだったように、またニコライもミハエルにとっては大事な親友であった。
「まず第一弾としては成功じゃな。我等が同士を含め、東西ユーラシアで活動するほとんどのレジスタンスを集められたのじゃからな」
老人は酒を飲みながら、愉快そうに話す。
「しかしまだまだこれからじゃ。儂らの動きはすでに統一連合にも察知されていよう。恐らく事に及べば西ユーラシアからからも、この地に増援が差し向けられるのは確実じゃろう。だがそれも無駄なあがきじゃて。のう、ミハエル」
「ええ」
その時、不意にミハエルが席を立つ。
彼は「何か音楽でも聞きませんか?」と言って、部屋の一角にあったレコードをかける。
選んだ曲はシューベルト作『交響曲第五番』
黒い円盤に針を落とすと、遥か昔に置き忘れたような、柔らかいメロディーが室内を優しく包んでいく。
しかし当のミハエルは音楽に耳を傾ける事も無く、老人のそばに寄っていくと、小さな声で話しかけた。”音楽をかける”というのは極秘の会話をする、という合図なのだ。外部に漏れてはならない話をする時、盗聴を警戒して、こうした手段を取るのが彼らの常であった。
「ところでミハエル。”アレ”はどうなっておる?」
”アレ”という言葉にミハエルの瞳の奥が鋭く光る。この場では決して表には出せない忌み言葉。今、ここでそれが何であるか知られてしまえば、全てが崩壊する危険すらあった。誰が聞いているか分からない。ミハエルは慎重に言葉を選びながら、老人に答えた。
「シーグリスからの報告によると海路で西ユーラシアに輸送する手筈が整ったとの事です。また機体はまだパーツごとに分解されたままですが、組み立てさえ行なえば近日中には稼動できるそうです」
「もうそこまでこぎつけたか。素早いのう、あの女」
「確かに」
「”アレ”を儂らが使うと知ったら、『道化のギリアム』はどう思うかの?」
「知られなければいいまでです。仮に教えねばならなくなったとしても、もう引き返せないところまで来てからでいいでしょう。手段を選んでいる余裕など我々にはありませんよ。いかなる大義も敗北の前には無価値なのですから」
「その通りじゃ。全ては勝利すれば許される事。あのラクス=クラインがそうであるようにな。あの坊やはまだまだ甘いわい」
老人は不適な笑みを浮かべる。
「ところでニコライ翁」
「なんじゃ?」
「ロマ=ギリアムがこのまま我々と歩調を合わせていくと思いますか?」
ミハエル達は戦後処理について、ロマと意見を対立させていた。
ロマはあくまでコーカサス州の独立達成によって、全ての活動を終わらせるべきだと考えていたが、彼らはさらにその先を見据えていたのだ。ミハエルの問いに老人は首を横に振る。
「無理じゃろうな。あやつの目的はコーカサス州の独立にある。確かに地熱プラントを占拠すれば、統一連合も東ユーアシア共和国もその交渉のテーブルに乗るじゃろう。じゃが、あの統一連合が大人しくしていると思うか?連中がどれだけ狡猾で薄汚いペテン師か、儂が一番よく知っておる。この戦いだけでケリがつくと思うのは、甘すぎじゃわい」
今は統一連合軍を打ち破るために共にいるが、早晩対立が表面化するのは明らかだろう。それはニコライならずともすぐに分かる話だった。
「ではどうされるおつもりで?」
「東じゃ。東ユーラシア共和国と手を結ぶんじゃ。あそこは表は親オーブじゃが、内部は強烈な反オーブよ。未だに議会や軍にも儂らのシンパは数多くおる。あやつ等と手を組み、ゆくゆくは政権そのものを手に入れるんじゃ。さすれば西ユーラシアなど苦もなく堕ちる。あの地の生命線は全て儂らの手にあるのじゃからな。さすれば大ユーラシア復活も遠い未来の事ではない」
栄光あるユーラシア連邦の復活。それこそがローゼンクロイツの最終目的なのだ。遠大なる野望を語る老軍師に、組織の長たるミハエルはさらに問いかける。
「しかしそれではせっかく手に入れた独立も反故にする事になりますね。恐らくロマ=ギリアムは反発するでしょう。そして統一連合も」
「他の国は無視して構わんわ。標的はオーブ一国よ。オーブに奪われたかの地をこの手に取り戻すという大義を掲げるのじゃ。それでもなお介入してくるというのであれば、その時は」
「その時は?」
「全面戦争じゃの。統一連合を真っ二つに分け、親オーブ派と反オーブ派の全面戦争に発展させてやるわい。大西洋連邦とて儂らに組するしか術はないわ。何しろオーブの仮想敵国筆頭なのじゃからな、あそこは。その時には……」
青年と老人の視線が交差する。互いの思惑は同じ。ミハエルは一層声を落として、小さく呟いた。
「恐らくロマ=ギリアムも生きてはいないでしょう」
「そうじゃのお」
二人の呟きは音楽に飲まれて他の誰も聞くことは無い。小屋の外は相変わらず激しい吹雪が吹き荒れていた。それぞれの思惑も陰謀も、全て厳しいコーカサスの冬が包み隠していく。
春の訪れはまだ遥か遠くにあった。
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