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――今でもよく思い出す。一年前のあの日の事を。
僕がリヴァイブのリーダーとなったあの日の事を。
「ロマ、そろそろ時間だよ。準備はいい?」
少女が背中越しに声をかけてきた。
「もう少しだけ待ってくれないか。すぐに行くから」
振り返らずに、僕は答える。
「わかった。でも、急いでよロマ。……いや、"リーダー"」
背後で戸の閉まる音が聞こえる。コニールの去った部屋は再び元の沈黙に戻っていた。
この地での僕の名前はロマ=ギリアム。
それは『ユウナ=ロマ=セイラン』の代わりに得た名前だ。 早いもので僕がこの地に来てからもうニ年が経とうとしている。
コーカサス州ガルナハン。
生まれ故郷であるオーブとは正反対の、貧しく、厳しい土地だ。 正直なところ、ここに来た当初の僕は驚きの連続だった。 赤道付近の海に囲まれた温暖なオーブと比べ、ガルナハンの冬はとても厳しかった。 食べ物はトウモロコシの粉や芋屑、不味いと言うよりまるで味がしない。 世界中から食材が集まってくるオーブの美食に慣れた僕には耐えられなかった。他にも、風呂が泥水のようだったり、布団を持ち上げると下でネズミが交尾していたり……
これらのときほど、表情を隠してくれるこの仮面が嬉しく感じられたことはない。 不審に思いながらも、ガルナハンの人々が心から僕を歓迎してくれていることに気づいていたから。 人と接して自分の心が温かくなる、という経験をしたのは初めてだった。 むしろ、僕は己の薄汚さに身の縮むような思いだったから。
僕は、ウズミ=ナラ=アスハやその片腕として働く父ウナトを身近に感じながら育った。彼らの後を継ぎ、オーブをさらに発展させる政治家になるのだ、と決めていた。
それが、おかしくなったのはいつからだったか。地球連合による襲撃でオーブが焼かれ、ウズミは死んだ。それを悼む間もなく、僕は父に連れられて政界入りし、オーブ再建のため力を尽くした。 アメノミハシラや関係を修復したプラントの援助もあって、オーブは元の繁栄を取り戻す。しかし、その過程で、僕の中では傲慢な気持ちが育っていたようだ。
"オーブの獅子"と呼ばれたウズミが壊してしまったものを、僕は元通りに直したのだ。僕は彼よりも優れている、そんな思いは、セイラン家の権勢にあやかろうとする連中におだてられ、褒めちぎられたことで、さらに強くなっていった。今の地位を当然のことのように思い込み、政敵を葬る小狡い計算ばかりに頭を働かせていた。
自分を省みることもなくなっていたかもしれない。 ブレイク・ザ・ワールド事件以後の、僕の数々の失策。 そのせいで軍人も民間人も大勢死んだ。 地中海での戦闘においては、地球連合軍の口車に乗せられて兵士たちを犠牲にしてしまった。 彼らと同盟を結ぶことは仕方ないとしても、もっと粘り強く交渉していれば出兵は避けられたし、前線にオーブ兵を送らなくて済んだかもしれない。
そして、ザフト軍によるオーブ襲撃。 今になって冷静に考えれば、あそこでロゴスを庇う必要は全くなかった。なのにあの時そんな事も気付かず、オーブを再度の戦火に晒したのは紛れも無く僕の責任なのだ。
僕の責任――そう、全て僕のせいだ。
それなのに僕は、カガリやトダカ、周りの人々のせいにして、心の中で言い訳していた。
僕が悪いんじゃない、と。
所詮は、意志が弱く、経験もない、無能な2世政治家というだけだったのだ。
名門育ちで世間知らずの、お坊ちゃんに過ぎなかったのだ。
そんな人間を、誰が相手にするだろう。管制塔でオーブの軍人たちからリンチを受けた記憶が蘇る。嘲笑を浮かべる彼らの血走った眼は怒りに燃えていた。
――おまえの、おまえのせいだ、おまえが無能だったせいで、みんな死んだんだぞ――
それは、盲目愚昧な支配者に対する怒りと悲しみのこもった鉄拳だった。 彼らが従っていたのは僕ではなく、セイラン家の権威と権力だったというわけだ。 カガリだって、そんな虫けらのような男と結婚したいとは思わないはずだ。
「ふぅ……」
ほとんど視力を失った眼から、次々と涙が溢れ出てくる。 いくら悔やんでも時間は元に戻らない。ロマ=ギリアム、いや、ユウナ=ロマ=セイランとして、僕は今泣いていた。
あの後、僕は逃げたい一心でシェルターから飛び出して
――墜落してきたモビルスーツの下敷きになりかかった。
かろじて命は拾ったけど代わりに両目から光を失った。 今ではこのマスク無しでは、何も見る事はできない。 戦争の混乱にまぎれてオーブから逃れ、身を寄せた先はアメノミハシラ。 そこで僕はロンド=ミナ=サハクに、オーブの、そして世界の惨状を見せ付けられる。
愚かで増長していた僕の過ちの結果を。
再び焼け野原になったオーブ。
ロゴスのレクイエムで破壊されたプラント。
そのプラントに侵攻し、支配したオーブ。
ああ、世界は殺し合いに満ちて非情で残忍で――。
僕もその引き金を引いてしまって――。
取り返しのつかない過ちと後悔が絶え間なく僕を責める。
まもなく世界はオーブの元に収まったけど、今度はそのオーブが小国を操り支配するようになってしまった。 平和の名の元にあちこちに軍隊まで送って――。
駄目だよカガリ、そんな事をしては。
それでは地球連合やプラントがオーブにしてきた事と何も変わらないだろう?
どうして?どうして?どうして?
いてもたってもいられなくなってしまった僕はそんな小国のひとつ、東ユーラシアにあるコーカサス州に降りて、地元のレジスタンス『コーカサスの夜明け』に潜り込んだ。 雑用や家事手伝いしか出来なかったけど、人のいいリーダーのおじさんはそんな僕を暖かく見守ってくれた。よく最初の頃失敗ばかりしていた僕に、ガッハッハと笑いながらリーダーはおおらかに言ってくれた。
――出来ない事や出来なかった事をくよくよしても始まらないぜ。今出来る事、今からやろうとする事をひとつづつ大事にやっていこうや――
僕は一生懸命働いて働いた。
その内僕の持っていた知識や技術が役に立つ時が来て、いつの間にか組織が重要な決定をする場に僕も参加するようになった。 ところがそんな矢先の事、僕の恩人だったリーダーや主だった周りの人たちが治安警察の攻撃でみんな死んでしまった。
途方に暮れる仲間達を前にして、これからの事を決められる人は誰もいなかった。
僕を除いて。
「……これからどうするの?」
すがる様なコニールの声に、僕は心を決めた。
――数日後、壊滅した『コーカサスの夜明け』に代わり、新たに作られたこの組織に僕はリーダーとして迎えられた。 そして今、僕はそのリーダーの就任式典(といっても大掛かりなものではないが)を目前にしている。
こんな弱い人間にその資格があるのかわからない。けれど、覚悟を決めるときが来たことは自然に悟っていた。 一度踏み出せばもう後戻りはできない。己の生き方を決める覚悟を。脳裏に浮かぶのは楽しかったオーブでの過去。
その故国オーブを、僕はこれから敵として闘わなくてはならないのだ。 この地を愛し、自分達の誇りを取り戻すために戦う人達と共に。 かつての許嫁カガリ=ユラ=アスハも倒すべき敵となる。 僕は、彼女に対して、恋愛の情よりも憧れに近い想いを抱いていた。 思いついたらすぐに実行する機敏な行動力、誰をも隔てなく扱う公正な心、皆が親しみやすい快活さ。 どれも、昔の僕にはなかったものである。
オーブの民が彼女を慕うのは、ウズミの娘だからというだけではないのだろう。
その憧れの女性と生まれ育った国を相手に、僕は闘っていけるのか。特別な能力を持ったコーディネーターでもなく、強い意志と経験を備えたウズミ=ナラ=アスハのような政治家でもない僕に。再び自分の弱さに負けて、失敗するのではないか。大切な仲間を犠牲にするのではないか。
それでも、やらなくてはならない――――。
僕よりもっと上手くやる人間はいるだろう。
武力による解決よりもっと優れた方策もあるだろう。
世界を変えようという傲慢さを嘲笑ってくれて構わない。
僕は、ユウナ=ロマ=セイランとしてこの世界に生を受けた以上、全てをかけて足掻く。
それだけだ。
「え、ロマ……?」
ドアを開けると前にはコニールが立っていた。 もう一度呼びにきたのだろうが、今は驚きに言葉を失っているようだった。 それも当然。
僕がここガルナハンに来て、仮面の下を他人に見せたのは初めてだからだ。
自分を隠して他人に信用してもらうことなどできない。素を曝け出してこそ、己の弱さに打ち克てる。そう思ったから素顔を見せることにした。
「待たせちゃってごめん。すまないけど、みんなのところまで連れて行ってもらえるかな。君の顔でさえ、ほとんど見えないんだ」
仕方ないわね、ほらとコニールが手を差し伸べてくれた。 優しく暖かい温もりが手のひらに伝わる。
「組織の新しい名前はもう決まった?」
「うん」
コニールの問いかけに僕は頷く。
「新しい名前は『リヴァイブ』。“再生”という意味だよ」
「リヴァイブか……いいね。みんなきっと喜ぶよ」
自然は厳しく人は温かいこの地で、僕は再び闘うことを誓った。
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