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☆第三幕:外交者達の古傷(前編)
シゲトが極寒のゴランボイで所々赤く染まった雪の中に埋もれていた頃、ロマ=ギリアムはガルナハンの市庁舎にて東ユーラシア共和国より極秘裏に派遣された内務省の代表者と会談を行っていた。会談内容は現在レジスタンス連合の支配下に落ちたコーカサス州の帰趨である。コーカサス州がレジスタンス連合の支配下に置かれている事は前述したが、東ユーラシア共和国もレジスタンス連合もこのレジスタンス連合支配下のコーカサス州というものを快く思っていないのである。
まず、東ユーラシア共和国だが、当然の事ながら国内で独立勢力が事実上の独立圏を確保している事は忌むべき事態である。本来なら軍でも何でも用いて早急に独立圏を奪還して鎮圧するのが東ユーラシア共和国の基本方針であるが、あいにくな事に立て続けの連敗によって東ユーラシア共和国軍はシロアリに食まれた大黒柱のような惨状であり、未だ独立機運の濃くないコーカサス州の周辺州に事実上の”国境守備隊”を置くのが精一杯の状況の為、恥を忍んで外交手段による解決に打って出たわけである。
一方のレジスタンス連合であるが、意外な事にこのコーカサス独立圏を実は持て余し気味なのである。
確かに、コーカサス州がレジスタンス連合の支配下に置かれた事により、本来なら西ユーラシアへとひたすら送電する為だけの存在だったはずのゴランボイ地熱プラントがコーカサス州内に電力を供給するなどのメリットはいくつか生まれてきていたものの、それを相殺するほどのデメリットも出始めていたのである。
その最たるものはやはり国境封鎖による食料不足である。コーカサス独立圏という統一連合始まって以来、否そもそも地域国家という見方をすればCE始まって以来の異物の存在に東ユーラシア共和国はおろか、隣国の汎ムスリム会議もまた恐怖感を抱いてしまい、結果両国から国境封鎖をされてしまった事により外部との交換に食糧獲得を少なからず頼っていたコーカサス州は満足な食糧自給ができなくなってしまったのである。
CE9年に現在の世界情勢のベースとなる世界ブロック国家11カ国体制が設立されて以来、大西洋連邦や大洋州連合のような比較的国民国家アイデンティティーを損なわないような世界ブロック国家も存在してはいたものの、各国は既存の国民国家の枠組みを強引に叩き壊す過程に忙殺され、遂にはかつて存在していたはずの国民国家という概念をたった70年余りで忘れ切ってしまったのである。
君主制や宗教などのように新世界に移り変わるにつれて急速に衰亡していったかつてのメジャーパワーでさえ、相当な過渡期と少なからぬ生き残りを有しているのに比較して、国民国家という概念の絶滅ぶりはまるでジャイアントインパクト(月が生成された原因とされる原始地球と火星クラスの隕石の激突の事。)を受けた生態系の如く一瞬で全てが根絶され跡形さえ残さないものであったのだ。
その前提に立って、地域自立を掲げるコーカサス独立圏が曲がりなりにも存在しているという事実は、地球上に少なからぬ領土を持った絶対王政の国家が立っているほどに異質なのである。(厳密にいえば、現代世界においてもリヒテンシュタインなどの絶対王政国家が存在しないわけではない。ちなみにリヒテンシュタインは侯国である。)結果、コーカサス独立圏はレジスタンス連合という守護者がいるが為に首を絞められるという何とも奇妙な格好に立たされてしまったわけである。
これを解消したいのはレジスタンス達も同じであったが、結論が出るまでには相当な時間を消費せざるを得なかった。そもそも、レジスタンス達は連合を組んでコーカサス州を獲得したは良いものの、今後の方針を巡って決定的対立とはいかないまでも3つの派閥に分裂してしまっていたのである。
1つめはコーカサス州のレジスタンス達で構成されるコーカサス閥である。この派閥はコーカサスの独立を目指す集団であり、その為このコーカサス独立圏ができた時点で所要の目的は達せられているともいえる。
後はこのコーカサス独立圏を安定化させるだけであり、その為に彼らは東ユーラシア共和国や統一地球圏連合からコーカサス独立圏の承認を求めているわけである。故に彼らの方針は交渉、現状維持である。この派閥の筆頭が理念的には中道独立派筆頭にして戦力的にはコーカサス州最大の武力集団であるリヴァイブであり、そのリーダーがロマ=ギリアムである。
2つめはローゼンクロイツ及びそれの傘下団体で構成される薔薇十字閥である。ローゼンクロイツの名が示す通り、この派閥の目的は東ユーラシアの統一連合からの独立、ひいては東西統一大ユーラシアの実現である。
その為の第一歩がこのコーカサス独立圏であるわけだから、彼らにとって東ユーラシア共和国や統一地球連合圏との交渉と妥協とは存在し得ない選択肢なのである。彼らが取るべき方針は闘争、現状打破でありそれは第一のコーカサス閥の方針と完全に相反するものであった。この派閥の筆頭は当然ローゼンクロイツであり、そのリーダーはミハエル=ペッテンコーファーである。
3つめは派閥といえるかは難しいが他地域勢力閥である。この派閥は本来、別の地域のレジスタンスであり、ローゼンクロイツ傘下でもなかったのだが、ローゼンクロイツの一大糾合に誘われて自地域における東ユーラシア共和国の圧力を弱める意味合いを含めてレジスタンス連合に参加した者達である。
彼らには正直なところゴランボイ地熱プラントの無力化とレジスタンス達の武威の誇示というレジスタンス連合参加の目的は果たせた為、コーカサス独立圏などどうなっても良いのである。かといって、ローゼンクロイツの言いなりになればそのまま成り行きで九十日革命の二の前を踏む可能性もあり、正直どちらにも肩入れできないわけである。彼らの方針は撤退、現状忌諱であり彼らを故郷へ帰還させてくれる派閥ならどちらであろうと肩入れする、つまりは流動層である。
この3派閥、特にコーカサス閥と薔薇十字閥との間で今後の方針が対立したのである。このようなレジスタンス同士の内ゲバは最悪の場合、互いが憎しみ合って内部戦争が起きるという場合も無いわけではない。
しかし、今回に関しては意外と簡単にこの派閥抗争は収まったのである。理由は至って単純である。薔薇十字閥のリーダーであるミハエル=ペッテンコーファー、及び参謀格であるニコライ=カルウォーヴィチ=ペトリャコフが揃いも揃ってガルナハンにいないのである。
この不在の真意こそがガルナハンの春の一要因でもあるのだが、当座の間はギリアム率いるコーカサス閥優位に働いた。何せ、薔薇十字閥はローゼンクロイツ系といえども実質は九十日革命で崩壊したローゼンクロイツの末端組織、及びそれを再編した新生ローゼンクロイツの力を頼りに従属した連中で構成される、名前ばかり有名な烏合の衆なのである。今回、ローゼンクロイツがコーカサス州への介入を承諾したのも、このままでは名折れして組織が空中分解する事が目に見えていたからに他ならなかった。
それだけに、その烏合の衆をくっつける核の役割を持つミハエル、ニコライの両人の不在はこの派閥の組織力を大きく下げる結果となったのである。こうして弱体化していた薔薇十字閥をギリアムが放っておくはずもない。
ギリアムは『コーカサス州が自立するだけでも東ユーラシア共和国の安定性は大幅に下がる。こんな僻地で戦力を消耗するより今はここで深い楔を打っておくだけでも十分過ぎる。』という殺し文句を片手に、数の上では圧倒的にコーカサス閥に勝る薔薇十字閥の動揺層を丁寧に刈り取ると、『東ユーラシア共和国はコーカサス独立圏がレジスタンスの巣窟になる事を恐れている。自治共和国のような形を取れれば他地域のレジスタンスが抗争に巻き込まれる事も、コーカサスに滞留している義理も無い。』と他地域勢力閥の弱みを突いて自らの味方にして最弱派閥コーカサス閥への賛成者を増やしたのである。
薔薇十字閥もただ指を咥(くわ)えて見ていたわけでもなく、身内を抉(えぐ)られ、味方を増やしていくコーカサス閥に対して様々な対抗策を巡らしてはいた。だが、ローゼンクロイツの老舗暖簾を掲げていようと今回ばかりは相手が悪い上に暖簾を掲げる人間も未熟であった。
ミハエル、ニコライがいなくなった後に、レジスタンス連合におけるローゼンクロイツの代表を務めていたのはミハエルの副官兼秘書を務めていたセーヴァ=ラーヴロヴィチ=スタニスラフである。無能というわけではないが、千載一遇の好機に全力を傾注するギリアムと比較すればセーヴァの熱意は焼き過ぎて焦がしてしまったアップルパイのように表層的な熱さであり、遮二無二にでもギリアムから主導権を奪い取ろうという気迫には欠けていた。
かといって、ギリアムを泳がせて自分の思い通りの可能性に導くなどという高尚な技能に堪能であるわけでもなく、ギリアムの行動に後手を取り地団駄を踏む以外にさしたる行動が取れなかったのである。
結果的にはギリアムの老獪ぶりとセーヴァの未熟ぶりが見事に噛み合わさって、レジスタンス連合はギリアム主導のコーカサス閥の意見を尊重する形となり現在東ユーラシア共和国政府側と交渉するに至るのである。
「我々、東ユーラシア共和国は貴殿らレジスタンス連合による独立国家を認めるつもりはない。加えて、旧ユーラシア連邦に見られた自治共和国体制を承認するつもりもない。
これは東ユーラシア共和国の最低交渉ラインであり、このスタンスが変更される事は無く、レジスタンス連合がこの前述2条件に拘るようであれば交渉は決裂以外の道を見つける事は無いと断言できる。」
東ユーラシア共和国政府代表は内務省秩序保証部カフカス課々長ホーコン=カレロヴィチ。若干36歳で内務省課長を務める実力者でありカフカス地域に精通した強敵である。裏の顔の一枚や二枚当たり前という秩序保証部において実直剛健を貫くその姿勢の為に、好感を持たれる相手と悪意を持たれる相手がはっきりする人間でもある。
「我々レジスタンスの要求はコーカサス地域の独立です。これはコーカサス地域の窮状を解決し、現状を捻じれを打開する最も有効にして唯一の手段です。
この要求が受け入れられない場合は、現状は平行線を辿り、加えて東ユーラシア共和国政府がこれ以上の武力手段に訴えるというのでしたら、貴国は西方ロシアにおける軍事的アプローチに致命的な欠陥を生じるでしょう。」
一方のレジスタンス連合代表はリヴァイブ代表ロマ=ギリアム。『道化師』の異名を持つ仮面を被った怪しい男であるが、この男が凡百の指導者に秀でる事はレジスタンス連合の結成、そしてレジスタンス連合内での主導権争いを見れば自明であり油断していてはどのような事になるか知れたものではない物騒極まりない男でもある。
「………外交交渉においては最初は互いの最大要求を率直に述べるのが通例だが、ここまで対決した要求とは交渉は難事になりそうだ。」
カレロヴィチが呟(つぶや)く。外交交渉とは全権大使同士がその場のテーブルで全てを決めるものではない。最初に、互いの最大要求同士を交換して、それを文書化した資料を両者が交換して両者が両者の本音を探り合うものである。
要求は多数あれども、相手の本音、つまりこれだけは譲れないという最大レベルの要求が理解できれば、その要求を餌に他の要求を削り取るなどの攻めができるからだ。すなわち、全権大使とは互いの表情と資料と現状から相手の最大要求を読み取り、自分の情報を適切に放出しながら両者にとっての均衡点の中で最も自分に有意なそれを求める者達なのである。
逆説的な言い方をすれば交渉を成功させる、つまり両者の妥協できる均衡点を互いに試行錯誤しながら求めていくという点では両者はゼロサムゲームのプレイヤーのような宿敵であると同時にテニスのプレイヤーのような盟友でもあるという奇妙な結論に行き着いてしまう。
呉越同舟とはある意味で交渉者たちの為の言葉でしかない。それだけに、交渉の為の言葉のジャブの端々に時たまながら交渉者同士の共感じみた感想が流れるのである。
「そのままでは双方が納得できない要求だからこそ闘争が起きるのです。その相容れない要求の共通項を探しつつ、対立点については対話で解決するなり未来に先延ばしにするなりして当面の流血を回避する。その為のこのテーブルです。」
そう言いながらギリアムは一まとめの資料をテーブルの上に差し出す。レジスタンス連合側の要求文書である。
「確かこの会議室からはガルナハンのメインストリートがよく見える事から『通りの間』と呼ばれていると聞く。願わくばこの『通りの間』が叡智の暴力に対する勝利を記念する誇るべき場所になってほしいものだ。」
カレロヴィチもまた東ユーラシア共和国側の要求文書をテーブルの上に差し出した。そして、ギリアム、カレロヴィチの双方は相手側の要求文書にそれぞれ手をかけた。
「同感です。モスクワへの電通設備のある部屋をお貸しします。”本国”との調整が必要な場合はお使い下さい。」
「必要無い。私は課長級ではあるが今回の件に関しては全権を委任されている。交渉成功を知らせる以外に”首都”に通信を送る意味も無いだろう。」
そう言って両者は『通りの間』を後にした。互いが恐ろしく相手の要求を無視した要求だった事が分かった以上、これ以上の交渉は無意味と賢明な判断を下したのである。両者は互いの要求文書を睨みながら新たな提案として要求文書を提出する。それが外交交渉というものであった。
『通りの間』を後にしてガルナハン市庁舎のリヴァイブに充てられた一室へと帰ってきたロマ=ギリアムは席に着くと、早速片手に抱えていた東ユーラシア共和国側の第一次要求文書の封を開けてそれに目を通し始めた。
が、1回目の交渉、そして今までの東ユーラシア共和国政府の態度から推察して余り始めから芳しい要求を手にできるとは思っていなかったものの、レジスタンス側から見ても余りにも東ユーラシア共和国のこの地域における現状を無視した高圧ぶりにギリアムは驚愕を超越し憮然を通過して苦笑に到着してしまったのであった。
「う~ん………カレロヴィチ氏がこれを渡したって事はこれが東ユーラシア共和国政府の少なからぬ本意だって事だけど………こんな要求文書を出して本気で交渉を成功させるつもりがあるのかな?」
ギリアムが苦笑するのもむべなるかなな内容は以下のとおりである。
東ユーラシア共和国の要求文書、それは正しく降伏勧告である。それも、ポツダム宣言(太平洋戦争に手連合国側が提示した、近代国家に対しては初の無条件降伏勧告。)やプラント併合演説に並ぶ無条件降伏勧告である。
死地に置かれた兵は強兵となるとは兵法の常道であるがこの宣言は正しくレジスタンス連合を死地に追いやる、逆をいえばレジスタンス連合を結束させて対東ユーラシア共和国戦争に躊躇無く踏み込ませる類の代物であった。そして、それは交渉によるこの紛争の解決を目指すギリアムを中心とするコーカサス閥穏健派にとっては非常にまずい代物でもあったのだ。
「この文書をレジスタンス連合のお歴々にお見せしたら、一瞬で対話機運なんて吹き飛ぶでしょうね。」
と、ギリアムの隣でぽつりとしゃべる声が聞こえた。ギリアムがその方向に顔を向けると、そこにはギリアムと同じように要求文書に目を通していたセンセイの姿があった。
リヴァイブの面々はその戦力の強さからゴランボイ地熱プラントの防衛に当たっていたのだが、ギリアムとセンセイはガルナハンにてリヴァイブの代表として他勢力の代表等と会合を重ねていたのである。もっとも、会談を重ねていたのはもっぱらギリアムの方で、センセイはそれを支える事務参謀スタッフといった位置付けである。
「そうだね。そもそもコーカサス州の他の組織の中でも今まで散々傷め付けられてきた東ユーラシア共和国の支配下に自治共和国としてでも再加入する事に嫌悪感を隠さない組織も少なくないからね。
ローゼンクロイツ系の連中がこれを見たら、それ見た事かと強硬路線が再燃するだろうし、そうやってローゼンクロイツの主張が強くなっていくと他地域の連中もおいそれと抜け出すわけにもいかなくなるからね。」
軽く溜め息をつくギリアム。なまじ実力を持ってしまったレジスタンス連合は結成当初の荒熱とでもいうべき東ユーラシア共和国憎しの感情を未だに理性で制御する事ができなかったのだ。
「とりあえず、どうしますか?一応、今回の資料は私達のところでブロックするとして次回の会合で出す折衷案ですが、相手方のこの強硬ぶりでは下手(へた)に下手(したて)に出るとより一層厳しくなりそうですから。」
「そうだね。とりあえず、この要求文書の中から絶対に受け入れられない部分だけは相手側に伝えよう。えーっと、まずは二番ぐらいは最低条件だし、三番は僕らリヴァイブやコーカサス州内のレジスタンス代表だけならまあ妥協できない事も無いけれどもまず構成員全員は無理、四番はこれらの条件への追加として受け入れるのはまず無理、五番も無理、ってほぼ全部要求拒否って形になるのか。うーん、やっぱり厳しいなぁ。」
「そうですね。交渉は難しいです。どれだけきれいな事を言ってみても、最後には力の下で屈服させなければならない。所詮は交渉など血塗られた道の一里塚でしかない、ってところでしょうか。」
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