ユーラシアへ

ページ名:ユーラシアへ

――貴方が何もかも、一人で背負う事なんて無い。

助ける事が私でも出来るのなら、私は助けたい。

それが私のやりたい事なんだから……。



西ユーラシア自治区、チューリンゲン州の一都市ズール。

この一帯は旧世紀、ドイツ連邦と呼ばれた国にあったが、今はその面影はない。

内陸部にある上に大きな河川の支流も無く、『大都市』になる素養は薄い地域なのだが、古来より『優秀な技術者』を排出していた奇妙な存在感を有する土地でもある。

『技術者を排出する』という事例に対して必要な条件は何か?

それは、“優秀な教育”であり、“勤勉な生徒”であり、そして“それを認める人柄、風土”だろう。

技術とは日進月歩であり、それに追いつくのは一握りの天才ではない。

常日頃からそれを追い続ける勤勉な愚者であり、日々を犠牲に出来る者達だけなのだ。

そしてここ、ズールという都市はそれを推奨し、支援し、都市を上げて勉学に励む土地柄だった。

それ故、この街出身の技術者は数多く、決して無視出来ない実力を持つ都市となっているのである。


――そして、この時代。

先の二度の世界大戦や、その直後に起きた東西ユーラシア内戦、つい半年前に起きた九十日革命の動乱など、幾多の戦火をしぶとく潜り抜けたこの街は、その気風故に更に大きくなっていく。

人々が惑い、蠢いている間にも、ただ勉学に励む事によって。当人達の思惑を遙かに超えて、国々に影響を及ぼす程に。

強すぎる力が、災いを呼ぶ事を、先人達は知っていたにも拘わらず。



延々と続く山道を、四輪駆動の大型車を駆りつつ、アスランは一人物思いに耽る。

何でこんな事態になってしまったのやら、と。

助手席には、珍しい風景にずっと気を取られている――様に見えて、実は心ここに在らずというソラ。

そして後部座席には空港からずっと爆睡している“野次馬”ジェス=リブル。

有り得そうで決して有り得ないメンバーである。

この様な事態に至った経緯を、アスランはこれまで、何度と無く反芻していた。

その度に、「もっと上手いやり方があったのではないだろうか」と思いながら。



事の発端は、ソラの親友シノ=タカヤの失踪だった。

動転するソラは電話でアスランに相談し、彼は直ぐに警察機構にシノの捜索を依頼した。

「安心しろ。この時代に、一人の人間を捜す事など簡単だよ」とソラを宥めつつ。

しかし、数十分後に上がってきた報告に愕然としたのはアスランだった。


「……ロストしただと!? どういう事だ!」


電話口で思わずアスランは怒鳴りつけた。

全ての国民に対してID登録が義務付けられ、移送機関や公共機関を利用すれば必ずその記録が残るオーブに於いては、考えられない事態である。


『それが、既にオーブ国外に出ている模様でして……』


申し訳なさそうに報告する警官の様子に、アスランは深呼吸して冷静さを取り戻すべきだと自戒する。

……焦っても怒鳴っても事態は変わりはしないから。


「追跡出来る範囲で、報告してくれ」


とにかく、オーブ領域内では追跡出来る。

その先は別方向から調べなければならないが、切っ掛けさえ見えれば幾らでもやりようはある筈だ――そんな風に考えながら、アスランは報告を待った。


『8:40のオロファト空港より発進していたヨーロッパ方面行エアバス337便で渡航、その後幾つかのエアバス経由でドイツ方面へ向かった模様です。その後は……追跡不能です』

「そうか、ではデータを送ってくれ。……ありがとう、協力感謝する」


そう言って、アスランは通信を切る。

そもそも自分の為に警察官僚は動く必要はない――これも、“権力を笠に着たやり口”だと思うと釈然しない思いがある。

しかしその思いに囚われたのは一瞬で、アスランは事態を推理してみようと頭を無理矢理動かす。


(報告によると、飛行機に乗ったのはシノ一人。空港からの報告でも、随行者は見あたらない――本人の意志によるという事か。しかし、何故……?)


司法権を駆使して、シノの銀行口座も確認させた。

それによると残高ゼロ――本日朝8:00の開店と同時に全額払い戻しの手続きが成されている。

結構貯めていたらしく、年齢の割には結構高額の預金だった。

旅行するには十分、いや十分すぎる金額だ。


(学校側によると、『そんな事をする筈が無い生徒』という。兆候は学校側でも把握出来て居なかったらしい。……つまり動機探しから始めなければならないという事か)


面倒な事になった、とアスランは思わず呟くが、隣の部屋で休んでいるソラの事を思い出し、次の瞬間には気を引き締める。ようやくこれから、という時に何故もこうトラブルばかりが巻き起こるのか不憫でならない。



正直な話この程度の事件、すぐに解決出来るだろうと考えていた。

何しろ今の自分は世界最高の組織の一員で、しかも上から数えた方が早い人間なのだから。

それは自惚れだと自戒しつつも、アスランは思考を巡らす。

とにかく自分には出来る事があり、それが誰かを助ける事である。

――それは、アスランを沸き立たせるものだった。



暫く後、アスランはソラの休んでいる部屋にやってきて『把握した事態』について説明した。


「君の親友であるシノ=タカヤは西ユーラシア自治区にあるチューリンゲン州の一都市、ズールへ向かった様だ」

「ズール?」

「オーブで聞くほどに有名な都市じゃない。向こうではそれなりに知れているかもしれないが……」


ソラには初めて聞く都市名だ。

アスランもそうだったらしく少しどこか説明がたどたどしい。

サーバーからコーヒーを自分で煎れながら、アスランは続ける。


「シノ=タカヤはその都市へ向かった様だ。理由はわからない。ただ、自分の意志だという事は間違いなさそうだ」


コーヒーをソラの分も煎れ、アスランはブラックのまま一息で煽る。

苦いコーヒーが喉に刺激を与え、思索に喘いだ脳に活を入れてくれる。ソラは自分のコーヒーにミルクを入れながら、「……動機、わかりましたか」とぽつりと言った。

アスランは怪訝な顔をする。国家権力を動員しても解らない物は、人の心だ。

確かにソラは、シノの心を知る事が出来る位置に存在している。親友という立場だから。


「ハーちゃん……ハナちゃんが教えてくれました。私がいない間、シーちゃんには付き合っていた男の子が居たんだって。交換留学生で二週間程度しか居なかったそうだけど……。きっと、ハーちゃんはその男の子を追って行ったんです。一途な子だったから……」

「家族も、友人も捨てて、か。漫画やアニメならロマンチックとでも言うべきかもしれないが……何を考えているのやら」

「そういう言い方は止めて下さい。確かに、思いこんだら一直線だったけど……」


君も人の事は言えないと思うな、という思いはおくびにも出さずアスランは続けた。


「なら、早い所彼女を連れ戻さなければならないだろうな」

「……?」


ソラは怪訝な顔をする。

チューリンゲン州は先の大戦での連合のデストロイ侵攻や、東西ユーラシア内戦の戦火を辛うじて免れた地方でもあり、比較的治安は保たれているはずだった。

今やこういう都市は貴重な存在なので西ユーラシア復興事業の重要拠点として、統一地球圏連合の保護も厚い。

――ある地域を除いて。


「彼女が向かったチューリンゲン州は、テロリスト組織“ローゼンクロイツ”の本拠地だ。近々、大規模なテロを画策しているという噂もある。……到底、観光に行けるような場所じゃないんだ」

「……!」


それを聞いたソラは動揺を隠せなかった。

それは勿論、アスランの語った内容による、シノの安否の心配から来るものだろう。

しかしもう一つ、彼女の心を捉えて離さない言葉があった。

“ローゼンクロイツ”。

そしてその名を持つ組織とコーカサス州、ガルナハンで組んでいたのは――”リヴァイヴ”。

……奇妙な縁と、既に懐かしい人々との思い出が、ソラの心を鷲掴みにしていた。



――そのソラが単身ドイツに向かったと報せが入ったのは、数日経った後だった。

四輪駆動車を運転しつつ、アスランは思う。


(……年頃の女の子というのはわからない……)


思いこんだら純情一途――言い換えれば猪突猛進。

自分の妻でさえ、自分の組織を裏切り、そして仲間から銃撃を受ける事にまでの事をしてのけたのだ。

それもこれもひとえに、自分への恋心によるものだけで。

――アスランにはつくづく理解不能である。

あの後、「自分も行きます!」というソラの願いをアスランはすげなく却下した。

どう考えても人をやれば済む話だし、危険だからだ。

ところが、ソラがその程度で納得する人間ではないという事を、アスランは知らなかった。

なんとソラは内密にジェス=リブルに手紙を送ると、単身でドイツ国内行きの飛行機に乗り込んだのだ。

慌てたのはジェスから報告を受けたアスランである。

ジェスも仕事そっちのけでソラを追わざるを得なくなり、結局アスランもソラを放ってはおけなかった。

両名とも、ソラとは公私共に密接な関係のある人間であり、ソラを見捨てられない人間だったのだ。

……全て計算の上で動いていたのなら、大したものである。

そこでジェスとアスランはオロファト国際空港の搭乗記録から、ソラの行き先を割り出し、西ユーラシア自治区にあるフランクフルト国際空港に先回りした。

待ち構えていた二人を前に、到着したばかりソラはあっさりと言う。


「あれ? 早かったですね」


空港ロビーで彼女の姿を見た時、アスランは怒るよりも呆れた。

芯の強そうな娘だとは思っていたが、まさかここまで行動的だとは思わなかったのだ。

何故自分の周りには無駄に行動力がある女性ばかり集まるのだろうか。

皆、外見だけなら大人しそうなのに……カガリ以外。

ところがアスランが何か言おうとしたとき、隣にいたジェスがつかつかと前に出る。


「たぶん現地で会う事になるだろうと思ってたんですけど、私――」


と、ソラがそこまで言いかけたとき。

ぱんっ。

乾いた音が響いた。

一瞬、彼女は何をされたのか分からなかった。

頬が熱く、そしてじわりと痛みが広がる。

ジェスがソラを引っぱたいたのだ。


「……ジェ、ジェスさん……?」

「なんでこんな無茶な事をしたんだ!皆心配してたんだぞ!」


ジェスが怒鳴った。

本気で怒っている。


「……だってシーちゃんが、友達がここに来てるんですよ!ちっちゃい時からずっと一緒にいてくれた大事な親友なんです!……だから私……!」

「それは知っている!だからと言って君がこんな所に来て何の役に立つ!ここは軍や警察に任せて、君は大人しくオーブで待ってるんだ!」


目に涙を浮かべて訴えるソラだが、ジェスは引かない。

常識で考えればテロリスト組織の本拠地があるといわれる地域に、女の子一人が向かうなど死に行くようなものだ。

戦場カメラマンとして幾多の戦場や危険地帯を潜り抜けてきたジェスには判る。

リヴァイブの一件は稀有な幸運にすぎないという事が。

だから一人の大人としてジェスはソラに説教をする。

当然だろう。

しかしソラは頑として譲らなかった。


「嫌です!私が行かなかったら誰がシーちゃんを連れ戻せるんですか!誰もシーちゃんの事判らないのに!」

「だからそれは軍か警察に任せればいい!」

「だってシーちゃんは好きな男の子を追いかけていったんですよ!駆け落ちなんですよ!」

「か、駆け落ちぃ?」


”駆け落ち”の一言にジェスとアスランが顔を見合わす。

拉致や誘拐、単なる行方不明だったら分かりやすいが、こと恋愛沙汰が入るとややこしくなる。

民事不介入とかで現地警察も二の足を踏むかもしれないからだ。

そうなるとどうしても発見が遅くなる。


(やっかいな事になったなあ……)


内心アスランは頭を抱えた。


「アスランさん、シノ=タカヤには捜索願は出ているんですか?」

「まあ、一応学校側から出してもらったよ。しかしどうやって連れ戻すかが難しい所だろう。逮捕というわけにもいかないしなあ」


親兄弟がいれば簡単だ。

保護者として連れ帰ってもらえばいい。

しかしシノはソラと同じく孤児なのだ。

頼れる近親者もおらず、かといってプライベートな問題では国や役所はどうしても一歩引かざるを得ない。


「私が説得すれば、シーちゃんも分かってくれると思うんです。シーちゃんがオーブに帰るんだったら私も一緒に帰ります。どうかお願いします!ジェスさん、アスランさん」


頭を下げるソラを見て、ジェスは困り果ててしまう。

ソラの言う事には確かに一理あるが、かといって「はい、判りました」とすんなり納得するわけにもいかない。

理由がどうにせよソラのやった事は無謀だし、そのために自分も含めて心配した人間も多く出たのだから。

さてどう落とし所をつけようかと思案していると、おもむろにアスランが口を開いた。


「……判った。君がそこまで言うなら許可しよう。ただし条件がある」

「条件?」

「俺とジェス=リブルさんのいう事をちゃんと聞くこと。それと俺達から離れない事。この二つを守る事だ。これを守れない様ならすぐオーブに帰ってもらうからな」

「……判りました」


アスランにとってはやや不本意だが、こうするしかない。


「というわけだ。厄介事を押し付けるようになってすまないが、頼まれてくれないか?ジェス君」

「しょうがないですね。ま、こうなる事は予想はしてたんで。ただ貴方の名前で俺の会社の方に一言言っておいてくれませんか?」

「分かった。そうしておこう。政府から内々に同行取材を頼んだという事でな」

「恩に着ます。仕事のサボりになっちゃたまりませんから。会社クビになっちまう」


そんな二人にソラが謝る。


「あ、あの、ジェスさん、アスランさん。……本当にご迷惑かけてすいませんでした」


ペコリと頭を下げるソラにジェスもいささかバツが悪そうに返す。

自分のしでかした事の重大性が、多少は身に染みたらしい。


「俺もいきなり叩いたりして悪かったな。でも本当に心配したんだ。それだけは判ってくれ。……痛くなかったか?」

「痛かったですよ、思いっ切り」

「ハハハ、すまん。次からはもっと手加減するようにするよ」


少し涙の残る蒼い眼差しで笑って答えるソラに、ジェスは思わず苦笑いをした。

不意にアスランは彼の顔に女難の相が浮かんでいるような気がした。

彼とは仲良くなれるかもしれないと、ふとアスランは思う。

結局、ジェスとアスランはソラの旅(?)に同行する事となるのだが、その時はまだ単なる旅行で済む話だと思っていたのだ。

ジェスもアスランも――ましてやソラも。

誰も予想だにしなかった事態が、蠢動していた。



――テロリスト組織、ローゼンクロイツ。

度々名前のみ登場する組織だが、その全貌は闇に包まれている。

曰く、「背後にアメノミハシラが居る」だとか、「後方支援を大西洋連邦がしている」とか。

実際のところ、組織が大きすぎて組織の内部の人間も「俺達何処の誰から支援されてるんだ?」という有様なのである。

逆に言えば、それだけの巨大規模のレジスタンス組織が必要な土壌がある――それは、見えない民衆の声であり、統一地球圏連合という巨大組織が生み出した“歪み”そのものだろう。そうした流れを受けて生み出されているのが“紛争”というものなら、人は己の意志によって大量殺戮を起こしているのだろうか。


そんなローゼンクロイツだが、当然ながら指導達は存在する。

“円卓の騎士達”と呼ばれる、ミハイル=ベッテンコーファー率いる十二人の幹部達。

国籍も素性も解らない、しかし間違い無く戦争屋――彼等によってローゼンクロイツは運営されていると言って過言ではないだろう。

今、その十二人は熱心に激論を応酬していた。――題目は“ガルナハンについて”だ。


「……いっそ見捨てるという選択肢も必要だと思うがね」


初老の男が呟く。その一言は会場の人間の心に突き刺さるものであったらしく、全員がそちらをきっと睨み付ける。


「戦い無き転進など、敗北と同義! 我らに敗北はなく、ただ前進あるのみだ!」

「未だその様な事を言うのが貴殿の“騎士道”か。……なるほど、落ちぶれる事だけはある」

「嬲るかっ!」


若い者と歳を取った者――両者が争うのは、その組織の縮図であろう。

そもそもローゼンクロイツは既に九十日革命で敗北して以来、ずっと厭戦ムードが漂っていた。

あの戦いは組織の命運を賭けた戦いだったのである。現在散発的に反動活動を繰り返してはいるが、それは組織の総意等というものでは無かった。


「……止めたまえ」


彼等を止めたのは、議長のミハイルだ。この中では若輩に位置する彼だが、思考は年寄り達に近い。若者の熱意だけで、組織は動かせないのだ。


「ガルナハンに、統一地球圏連合を跳ね返す力は無い。それは、衆目の一致する所だ」


寄せ集めと言って差し支えないのがガルナハンに於けるテロリスト事情だ。

……逆に、それで良くもあそこまで出来るものだと感心はするが。

対して、統一地球圏連合軍は文字通り主力軍と言って良い布陣を持ってガルナハン平定に動き出している。

戦力差は実に十対一、勝負にもなりはしない。

それ故、“支援を送るか”“見捨てるか”で紛糾しているのである。


「支援を送るという事ならば、それは覚悟を決めるという事だ。我々の命運をガルナハンの大地に賭ける、と言う事だ」


既に九十日革命で敗北している――その上の敗北は組織の浮沈に係わる。

それは、ミハイルとしても考慮しなければならない事だ。


「逆に見捨てる、という事は――“ローゼンクロイツ恐るるに足らず”という事になる。“統一地球圏連合の驚異に恐れを為した烏合の衆”とな」


会場に沈黙が落ちる。

彼等の誰もが、その事を熟知していたが、言葉に出されるとその重さに愕然とする。

進むか、引くか――間違えば組織の失墜。

それだけは避けねばならない。

だからこそ彼等は既に二時間以上も怒鳴り続けているのだ。

そんな中、一人が悠然と立ち上がった。

今まで黙して語らなかった、新参の幹部――シーグリス=マルカ。

妙に色気を醸し出す、この場では異端と言って良い人材である。


「一つ、提案があるのだが……どうか?この提案は今までの議案には触れないが、幾らか事態を改善できることは保証しよう。“我々の大儀を世間に知らしめ”、“またガルナハンへの支援も同時に行い”、“統一地球圏連合軍の勢いを削ぎ”、“そして我々ローゼンクロイツは矢面に立つ事は無い“――そういう案なのだが?」


初めて聞く声は、まるで鈴を転がす様な声だった――ミハイルはそう思った。



ここ数日、メイリン=ザラは治安警察内の執務室に缶詰状態になっていた。

統一地球圏連合が大規模な作戦行動に出る――その為の各国の情報収集に終始せざるを得なかったからだ。

その任に当たるのは本来情報省のみの筈なのだが、この事に関して忌憚のない意見を治安警察側から言えば“信用ならない”となる。情報収集は現代の国家に於いても複数の情報収集部局が動く事は頻繁にあるので、このこと事態は別に奇妙な事ではない。もっとも、当のメイリンはストレスで胃潰瘍になりそうだが。


(何千何万、いえもっと存在する情報――その中で我々統一地球圏連合に敵対する兆候を見つけ出し分析して報告する。……文字通り、砂中から金を探す様なものね)


メイリンが常人よりも優れた分析力を持っていたとしても――いや、だから尚更、その困難さを思い知らされる。

とはいえ、それが必要なのだとも理解しているが。


(一つの敗北も、我々には許されていない。……勝者の矛盾、ね)


統一地球圏連合は発足して間もない――それこそ十年に満たない組織だ。

その様な組織が世界の頂点で居られる理由は、“勝ち続けている”という事だ。

逆に言えば、一度でも負けてしまえばそれは崩落の前兆――取り返しのつかない事となる。

それは、何としても平安の世を望むメイリンには耐え難い事だ。


(戦乱になれば、あの人はまた戦争の彼方に行ってしまう。……そして、傷付いていく。それは、避けなければならない)


それはメイリンの意地だ。

姉を裏切り、組織を裏切り、国を裏切った人間――それと対価にした男への。

もはやそれは決定された事であり、今更覆せる事ではない。

ならば、もはや惑う事は無い。ただ、ひた走るだけ――それがメイリンの意志である。


(統一地球圏連合軍に負けて貰う訳にはいかないのよ。……私の為にも)


そうした思いがメイリンを駆り立てる。

そしてその意志は、ゲルハルト=ライヒと方向性に於いて同一であった。

それ故、メイリンの執務室は現在“対ガルナハンにおける情報室”と化しているのである。

今は一人部屋で端末に向かい合っているが、別室では数十人のスタッフがメイリンと同じ任で動いている。

……少しでも情報を集めようとして。

既に時刻は日付を跨いでいる。サーバーから泥水の様に濃いコーヒーを煎れながら、もう一度端末に向かおうとして――部屋に設えてあった内線電話が鳴り出した。


「どうしたの?」


連絡先は、情報部――オスカー=サザーランドだ。

嫌いな人間ではあるが、好悪で仕事が進む訳ではない。

一瞬の躊躇の後、メイリンは電話を取る。

挨拶もそこそこに、オスカーは直ぐに切り出した。


「いえ、面白い話を聞きましてね」


「今度は何? ヨーロッパ戦線の遺物が統一地球圏連合軍の行軍ルート上に有るって話かしら」


今日のお昼過ぎの話題である。


「残念ながら違いますよ。スカンジナビアの“知人”から聞いたんですけどね“モビルアーマーが整備出来るタンカーが北海に入った”という噂が流れているようです。それがまた設備が整っているらしいんですよ。……それこそデストロイ級でも扱える程にね」


メイリンの目の色が変わった。

可能性を見出すのが諜報戦――今正に、知恵比べが始まろうとしていた。


金髪の青年が、暗闇を歩く。

それは、隠喩でもなく本来の意味での暗闇――遠くに灯りがぼんやりとあるだけの暗黒の通路だ。

古い遺跡をそのまま使った、軍事基地である。足下には外から引っ張った電力のコードが無造作に置かれており、それが道案内代わりだった。慣れた足取りで青年は進む――その明かりの下へ。

灯りのある場所へ来た時、それは直ぐに彼の目に飛び込んできた。

黄金のモビルスーツ――いや、モビルスーツとは到底言えないサイズの代物。

かつてベルリンを大惨事に追い込んだ、規格外のモビルアーマー“デストロイ”の意志を継ぐもの――“オラクル”である。


「…………」


その瞳には、憎悪がある。

相手が物言わぬモビルアーマーであるにも拘わらず。

その姿が、己から全ての幸せを奪っていったのだと言うかの様に。

握られた両の拳が、更に強く握られる――相手が人間であれば、直ぐにでも殴りかかりそうだ。


「壊すのは勘弁して貰いたいな。ようやく形にしたのだから」


青年の背後から、一人の女性が近づく――シーグリスだ。


「この機体だと知っていたら、貴方の案には乗らなかったよ」


青年が苦々しく吐き捨てる。それが子供の理由だと知っていながら。


「だが君は、既に金を受け取った。違うか?」


「…………」


女――シーグリスは青年の肩を抱く。まるで招き入れるかの様に。


「万病の弟――彼の医療代。健気なものじゃないか」


「…………」


青年は俯く。それが悪魔の囁きだと知っていたから。


「君の才能は、我々に必要なんだよ。“エクステンデッド”としての君をね。……コード三〇八、セシル=マリディア――己の力でエクステンデッドになった君を。そして、君は資金を必要としている。これこそまさに、オラクル(神託)じゃないか」


白々しい物言いに青年、セシルは更に強く掌を握る。

強く握りすぎて切れたのか、血が滴り落ちる。


「……何を、すればいい。国内での戦闘以外はやってやる」


それは、悪魔との取引に他ならない。

それを知って――解っていても。

人は、“他人”と“知人”、どちらをより大事にするのか?当然、“知人”である。

“他人”とは、後に“親しい人間になるかもしれない”が、後に “唾棄すべき、近寄ってはいけない悪党”になる可能性もある。それは可能性の話であり、事態を説得するべき事ではない。

しかし、それに別の要因が絡めば ――話は違ってくる。


(結局……俺はこうなるのか!)


デストロイの暴挙の後――西ユーラシアでは二つの動きがあった。

一つはデストロイの様な凶悪な武器は造らせないと考える人々。

もう一つは――今度はあの様な“軍神”を創り上げようとする人々である。

そして後者の人々にセシルは体を明け渡したのだ――貧困から、弟カシムを守る為に。

元より体の弱かったカシムは、専門の医療機関が無ければ生命の維持すら難しかった。

ただ、両親がそれなりに裕福だったからなんとかなった――しかしそれも、両親が死んでしまった事で難しくなった。

その後はセシルが稼がねばならず、彼は様々な方法で金策に奔らざるを得なかった――幼き身で。

セシルが“エクステンデッド開発機関”に出会えたのは、寧ろ幸運だったかも知れない。他のところに行けばこれ程厚遇もされず、カシムは既に死んでしまっていただろう。

彼がエクステンデッドとしては類い希なる成績を出せたのも、幸運の一つだったかもしれない。それが、誰の、何の為の“幸運”だったかは別として。

交換留学をセシルが頻繁にしていたのは、何の事はない“各国の偵察”が目的だ。各国の要衝を知り、いざとなれば攻撃できるように――。彼の命の事など一切考慮しない組織だと知りつつも。


(シノ――俺なんかの力になんて、ならない方が良い。俺は……力なんか持っちゃいけない人間なんだ……)


オーブで、友達になった女の子が居た。

いや、“好きになれた”かも知れない。

だとしても、もうそれは思い出にするしかない。

彼にとって、人並みの幸せなど望むべきでは無いのだ。もうここまで来てしまっては。

オーブでの淡い思い出が、ここでは片時も思い出せない――それがセシルには辛い事だった。



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