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そして、何故か私はテロリストのアジトの中を散歩することになりました。腕時計の人、レイさんとしばらく話をしてからのことです。 もっともどうしても、あのサングラスの男の人に対する愚痴が、私の発言の大半を占めてしまいましたが。
そこでレイさんが提案したのです。
いわく
「部屋を出て歩けば少しは気持ちも紛れるだろう。外出まではできないが」
とのこと。
一瞬その提案に乗りかけた私ですが、すぐに気付きました。ここはテロリストのアジトなのです。犯罪者の巣窟に迷い込んだ自分を想像し、嫌な未来図ばかりが頭を巡ります。
しかし、それを察してかレイさんの冷静な指摘が入りました。
「俺は一応レジスタンスの中では有名人だからな。腕時計を見せつければ事情を察して君に手出しはしない。ここの情報もすべて記憶している。観光ガイド兼ボディガード役には適任かと思うが、どうかな?」
レイさんの説明をよく吟味して、私は最終的に決めました。ここに居たってめげるだけです。少しは気分転換になるかもしれません。
ただ、出かけるよりも先に、まずは洗面所の場所を教えてもらいました。いくら何でも、昨日から満足に洗っていない顔や髪の毛をどうにかしたかったので。で、とりたてて目的のない散策です。
ただしビルの中に限定して、でした。
この場に似つかわしくない私を見て、怪訝な表情を浮かべる人もいましたが、なるほど腕時計を巻いた左手を見せるとそそくさと視線を逸らし、それ以上の反応を示したり、危害を加えてはきませんでした。
私の方は迷い込んだ異邦人の気持ちをぬぐいきれませんでしたが。
そんな中を、レイさんに案内してもらいながら私は歩き回ります。まず驚いたのは、思ったより人が多いことでした。
年配の人から、私よりちょっと年上程度の人まで。それに、男だけでなく女の人も少ないながら見受けられます。
男と見間違えそうな無骨な感じの人もいれば、優しそうな表情の中年女性もいました。そして交わされる会話も、銃や襲撃や爆弾といった剣呑なものがある反面、掃除や洗濯当番の順番をめぐっての口論など、奇妙に生活臭があるものもありました。
部屋を出るまでの犯罪者の巣窟、といった雰囲気はほとんど感じられませんでした。
そうこうしているうちに、厨房らしき場所にたどり着きました。おいしそうな匂いに誘われたせいもあります。
「お腹の虫には勝てないな」
と腕時計からさりげない指摘があり、誰もいないのに恥ずかしさに顔が赤くなってしまいました。
中では、大きな鍋に向かって昼食の準備をしている人がいました。手伝役の若い人に怒鳴り声で指示を出しながら、見事な手さばきで料理を作っています。
野菜たっぷりのシチューみたいです。
料理の準備がひと段落着いたのか、鍋に蓋をして手を休めたその人が振り返りました。ちょっと太り目のおじさん。いかつい表情。
テロリストというよりは、定食屋の頑固職人の方がはるかに通りがよさそうです。
腕時計を見て、納得したような表情を浮かべるまでは他の人と同じ。でも、いきなりその人は私に話しかけてきたのです。ぶっきら棒な口調で。
「ガルナハンの連中のお荷物ってのは、アンタか」
いきなりだったので心の準備もできないまま、私はカクカクとうなずきました。
「ふん。ちょっとそこに座りな」
私は何かこの人の気に入らないことでもしたのでしょうか? パニックになりかけている私にレイさんは、とりあえず言うとおり座ったらどうだ、と無責任にも聞こえる台詞です。
泣く泣く私はテーブルの前の椅子に座りました。手足が微かに震えるのをとめることができません。面白くもなさそうに、男の人は再び鍋に向き直ると、シチュー皿にできあがったばかりのシチューをなみなみと注ぎました。
そして私の目の前にそれを置いたのです。
「ウチのむさ苦しい連中と一緒だと、喉も通らないだろう。昼休憩までまだ時間がある。ちょうどいいから、ここで食べていきな」
え、どういうこと? これってもしかして、私のことを気遣ってくれているとか?でもここはテロリストのアジトで、私は誘拐されてきて、さっきはお荷物って言われて……
そんな考えは、目の前のお皿から立ち上る湯気の前に消え去りました。そういえば、昨日の夜からまともな食事をしていません。
船上では軍用食とか言うおいしくもないものを無理して食べただけですし。私は恐る恐るながら、スプーンでシチューをすくうと、口に含みました。
「……美味しい! すごく美味しい!」
つい出た言葉に、男の人の表情がちょっと緩んだようなのは、単なる気のせいでしょうか。そのまま私は、一日ぶりの食事らしい食事を満喫したのでした。
食事の後、あてがわれた部屋に戻ってきた私は、どうしても分かりませんでした。あんなおいしいシチューを作る人が、何でテロリストにいるのでしょう……もちろんシチューの出来とテロの間には何も関係がないことくらい分かっていますけれど。
昨日の式典での爆破騒ぎと、今日の料理を美味しいと誉めたときのおじさんがかすかに見せた笑顔。どうしても二つが結びつきませんでした。
レイさんに聞いても、さすがに個々人の事情までは把握してなかった様子です。
ただ、と言ってレイさんは教えてくれました。
この街はかつて10㎞離れた別の場所にあったこと。しかしオーブがモルゲンレーテ直轄の工場を建設するために土地の強制収用がおこなわれたこと。反対運動が起きたが、瞬く間に鎮圧されたこと。
その鎮圧の中で、犠牲者が出て、中には無関係の一般人が多数含まれていたこと。
最後の犠牲者のくだりについては、にわかには信じられません。オーブの治安警察は、たとえ相手がテロリストであろうといたずらに暴力は用いず、穏健な解決策を可能な限り取るということは、ニュース番組でもよく言われていることです。そのため、治安警察からは殉死者がたびたび出ているということも。
でも……正直に言うと、少し私は考えてしまっていたのです。
あんな笑顔のできるおじさんがテロに走るのは、何か想像もつかない理由が過去にあったのではないかと。
オーブに戻りたい気持ち、昨日の体験、おじさんの笑顔とシチューの味。私の気持ちは散歩前よりも、かえって混乱してしまったのでした。
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