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西ユーラシアの街並みは急速な変化を見せ始めていた。
C.E.73のデストロイによる西ユーラシア主要都市に対する攻撃は、多くの都市に大きな爪あとを残していた。立てて加えて、昨年起きたユーラシア全土に発生した飢饉により西ユーラシア全体の復興は頓挫してしまったかに見えた。
しかし、ここに来てようやく復興を軌道に乗せる程度には経済復興を果たすことが出来た。ひとえにそれはC.E.75にこの地が統一地球圏連合の直轄地になっていたから他ならない。そのこと自体は誰も疑問をはさむことが出来ない事実であった。
現実、今このベルリンで行われている復興事業のうち、純粋に元から西ユーラシアに存在していた資本のみで行われているものがいったいどれだけあるだろうか?
それほど、デストロイの攻撃は広範かつ徹底的に行われていた。
「破壊と復興が同じ資本で行われているというのは、悲劇と通り越して喜劇かもしれないな」
アスランは誰につぶやくでもなく、眼下に広がる街並みに向けてつぶやいた。
今いるズールはベルリンの南に位置する街で旧世紀より武器の生産で生計を立てていた歴史と共に歩んできた土地柄である。
当然のことながら、ベルリンでの悲劇の時にも攻撃対象とみなされ、徹底的な破壊が行われた。
その結果、ズールの行政機構は事実上停止し、スラム化が進んだ。当然治安は悪化し、多くの人々が生き残るためにありとあらゆる手を尽くしていた。
西ユーラシアが統一地球圏連合の直轄を受け入れたのも、ズールのような都市の正常化を望む政治的意図があってのことだ。
「この街の犠牲に上に、俺達の理想は成り立っているわけか……」
「……だからあなたはこの街に来たんでしょう?」
メイリンは窓際に立つ夫に向けて言った。
こういうときのアスランは、目の前の悲劇を救うために自分の目的も意図もないがしろにしてしまう傾向がある。『治安警察の魔女』としてはそれも良いことであろうが、メイリンもまた目の前の夫が悲劇に突っ込んでいくのを見過ごせるような女性ではないのだ。
「……わかっているさ……」
アスランは窓の外を見つめたまま答える。メイリンは思う。アスランがもし、普通の男性のように自分の幸せを望める人だったら、自分も一緒に幸せになれただろうか?
そう考えて頭を振る。
あの日、アスランがアスランであることを望んだのは他ならない自分。
そして、世界はアスランを望んでいる。
だから、自分が求めるのはアスランや自分の幸せではない。アスランがアスランであり続けること。
(そして、私は……『魔女』に……)
メイリンは曇り行く感情に楔を打つ。アスランが「あの地」に近づくことさえなければ、自分は守れるのだ。
アスランのいる明日を。
「でも、ソラちゃんを一緒に連れてきたのは、危険じゃない?」
「そうだろうな。……だが……」
アスランは思い起こす。あのサナトリウムでのソラの涙を。
かつて、アスランは同じものを見ていた。そのときの涙は今でも忘れない。
果てしなく続く憎しみの連鎖。その連環を断ち切ることを望む少女の涙。隣人の痛みを自らの痛みにするものの涙だった。
ソラ=ヒダカ。
彼女の流した涙は昔カガリの流した涙そのものではなかったか。
そうアスランは感じていた。
「彼女には……見せておきたいんだ。この世界を」
「なぜ……?」
「そうだな………。信じてみたくなったからかもしれないな」
「信じるって……何を?」
「この世界の未来を―――さ」
聞いてからメイリンは後悔した。
アスランの瞳に宿る光を見てしまったから。
その光は彼女が最も忌み嫌い、そして狂おしいまでに求め続けているもの。
カガリ=ユラ=アスハを見守る光そのものだったから。
「アスランさん……おそいなぁ」
「まあ、焦らないでもズールの街は逃げやしないさ。のんびり行こう。のんびりね」
「そんなこと言って、ジェスさんだってお仕事しないといけないでしょ?」
「今はとりあえずこのお茶を飲むのがお仕事かな」
ジェスはそう言うと、紅茶をすすった。ソラは肩をすくめて、エレベータホールのほうを見るとはなしに見ている。
ソラはこの街に来た理由をほとんど聞かされていなかったこともあり、何ともいえない居心地の悪さを感じていた。ズールの街は復興の工事があちこちで行われていることもあるが、一種独特の雰囲気を持つ街だった。
夕方になれば娼婦らしき女性が街角に立ち、暗がりにはよからぬ感じを前面に出したような人々が群がっていた。
アスランはソラに一人で出歩くのは危険だと言い、ジェスをお守り役にあてがっていた。そして、アスラン自身は昼夜の区別無く諜報活動に専念している。そんな日がこの街に着てから一週間ほど続いていた。
「アスランさん、今日は一緒にいられるって言ってたけど……」
「ははぁん、ズールの街よりもアスランが気になるお年頃か」
「そ、そんなんじゃないです!」
「まあ、照れるな照れるな。別に変なことじゃないさ。歴戦の英雄。世界の守護者。全世界の人々が羨望のまなざしで見ている男だ。気になって当たり前だ」
「だから、そんなんじゃないですってば」
「まあ、とりあえず、ズールの街のお勉強はすすんだのかい?お嬢さん」
ソラは西ユーラシアに発つ前に出来るだけ訪問先のことを調べようと、ネットにかじりついている日々をすごしていた。
アスランと行動を共にするにあたり、自分のせいで恥をかかせないための最低限の知識だけは身に着けておこうと思ったからだ。
ただ、ユーラシアの歴史は思ったよりも複雑で、ソラはほとんどの情報をうまく飲み込めないでいたのだが……。
「ええと、ズールは昔から兵器産業が主産業で、鉄鋼などの重工業が盛んな土地で……」
「お、アスラン来たぜ」
「……人の話はちゃんと聞きなさいって習わなかったんですか?」
ソラは頬を膨らませながらジェスに抗議したが、すぐにアスランに向き直る。
「おはようございます。アスランさん、メイリンさん」
「ああ、おはよう」
「おはよう、ソラちゃん」
「……その切り替えの早さを見習いたいもんだ」
いたずらっぽく微笑むジェスを無視しながらソラは続ける。
「今日はどこに行くんですか?」
「今日は街の東部の視察だ。あそこにはモルゲンレーテの施設もあるから様々な商業施設が集まってきている」
「モルゲンレーテ? ユーラシアにもモルゲンレーテってあるんですか?」
「モルゲンレーテも今や国際企業の代名詞みたいな大企業ですもの」
ソラの疑問にはメイリンが答えた。
「ああ……」
アスランは浮かない表情で答える。
「……? どうしたんですか? アスランさん」
「いや、なんでもない。出かけるとするか」
そう言うとアスランはホテルの出口に向かって歩き始める。それにメイリンがつづく。
ソラは良くわからないと言った表情を浮かべながらついていく。
「モルゲンレーテ……ね。土地柄とは言え、軍需産業が街の復興に携わっているってのは、さすがの英雄さんも複雑ってところか」
ジェスは誰に言うとでもなくつぶやきソラを追いかけるように歩き始めた。
モルゲンレーテの工場までの移動の途中の街並みはソラに少なからず驚きを与えた。まるで箱庭のようにビルが整然と立ち並ぶ様は、生活臭というものを感じさせない。
「……なんかお墓みたい……」
「……実際そうだろうさ。ズールにあった軍需産業の拠点はベルリンと同じくらい徹底的に攻撃されて破壊されちまったんだ。この無理やりの復興は、志半ばで散っていった多くの人たちの慰霊碑代わりなのかもしれないぜ」
ジェスはソラと並んで歩きながら街を見上げてつぶやいた。
「整備された街並み。チリ一つ落ちていない道路。何とも金のかかった慰霊碑だがね」
「……ジェスさん。その皮肉を言う癖、直したほうがいいですよ」
「まあな。でも、このビルを作る金がどうやって捻出されているかを知ったら皮肉の一つも言いたくなるさ」
「お金?」
ソラは不思議そうにジェスに問い返したが、それ以上は答えは返ってこなかった。
アスランはそんな二人のやり取りを聞いてジェスと言うこのジャーナリストを改めて観察した。
(なるほど、ジャーナリストという人種は物事を非難するためだけの人々だと思っていたが……この男もご他聞に漏れず……と言ったところか……)
もちろん、アスランもこの地で行われているあまりにも急ピッチで進められている復興事業に疑問が無いわけではなかったが、この5年間のアスランの経験は、安易に為政者の選択や判断を非難することにためらいを覚えさせていた。
政治とは多数派の幸福のためにある。それはアスランにとっての現実であり、事実西ユーラシアはその目的に沿って復興がなされている。
統一地球圏連合による統治の成功例として、西ユーラシアの復興は必須のものなのだ。
世界に向けて、統一国家の樹立による「戦いのない未来」の可能性を示すためにも。
ただ、そのために切り捨てられる少数の人間は確実にいるだろう。その人々を不当な搾取から守ることも同時に必要なことだ。
自分はそのためにこの地に来ている。アスランはそのことを改めて墓標のように整頓された街並みを見て感じていた。
しばらく街中を歩いていると、少し開けた場所に露天商が軒を連ねていた。整然と並ぶビル群から突然こういった雑然とした風景に転換する。これはズールに限ったことではなく、西ユーラシア全土に見られる傾向だった。
「こうもあからさまに復興がまだら模様だと、住んでる人も大変だな。こりゃ」
ジェスが大声で感想を漏らす。
だが、これこそが西ユーラシアの現実の一側面であることはその場にいるソラ以外の人間には明らかに意識されていた。
ソラはと言えば、めまぐるしく変わる街並みに、ただ好奇の目を向けているだけだったが。
「……! アスランさん、あのお店……」
ソラが指差す先には、雑多に並べられた生活雑貨にまぎれて、様々な武器が並べてあった。
ハンドガン、手榴弾、アーミーナイフ……。そのいずれもがオーブでの生活では存在すらしないものばかりだった。
「まだこの国は平和とは言いがたい状態だからね。残念ながらこういう武器は必需品となってしまっているんだ」
アスランは店先に並べられたハンドガンを一つを手にとりながら答えた。
「オープンボルトのハンドガンか。護身用にしては精度が低すぎるんじゃ……」
そこまでつぶやいて、アスランの表情が一変する。
(オープンボルトのハンドガンだって?)
あわててアスランは手に取っていた銃のスライド部分を調べ始めた。
「……刻印が削り取られている……」
そういうアスランの横に居たメイリンも別の自動小銃を調べ始める。
「こっちもよ……。アスラン」
「おいおい、どういうこった?」
「見てみろ、この銃を。このハンドガンは単発式のオープンボルトガンだ。オープンボルトというのは構造をシンプルに出来るんだが、その分命中精度が下がる」
いいながらアスランはジェスに手にしていたハンドガンを手渡す。
「通常はその命中精度の低下をマシンガンなどの連射式の銃にすることによって補うんだが、この銃はさっきも言ったとおり単発式だ」
「こういう銃は通常どこで用いられるか? それを想像すればわかるでしょ?」
「まだるっこしいな。どう言うことだ?」
「オープンバレルの銃はその単純な構造にメリットがある。そのメリットが最大限活かされる場所。それが宇宙空間だ。宇宙空間での銃撃戦という非常にまれな状況であっても、ほぼメンテナンスフリーで使い続けることが出来る」
「結論から言ってあげるわ。この銃はモビルスーツパイロットのサバイバルキットのものよ。しかも統一連合軍のね」
メイリンは持っていた小銃を置いて、店主に向き直る。
「よりによって、統一連合軍の盗品を売るなんて……ずいぶんと思い切ったことをするものね」
店主はビクリと体を震わせたが、すぐに持ち直し、メイリンの目の前に立つ。
「……こっちは商売なんでね。お買い求めいただけないようなら、お引取り願いたいもんですな」
「盗人猛々しいとはこのことね。どうする? アスラン」
「……アスラン……だって?」
とたんに、店主の顔色が青ざめる。
「アスラン……アスラン=ザラ……」
店主の全身には嫌な汗がじっとりとにじみ、その瞳は目の前の男、アスラン=ザラその人を凝視していた。
「……話を聞かせてもらおうか……」
アスランはゆっくりと、そしてはっきりと言い放った。その光景はまるで蛇に睨まれた蛙のようだった。
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