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執筆の途中です | この項目「ユーラシア東西内戦」は、調べものの参考にはなる可能性がありますが、まだ書きかけの項目です。加筆、訂正などをして下さる協力者を求めています。 |
CE74年5月における東ユーラシア共和国独立宣言を重く見た西ユーラシア政府が兵力を総投入してその動きを阻止しようとした大陸内戦である。内戦はほぼ1年間続き、紆余曲折を経てCE75年5月23日にオーブの手引きによるクーデターで誕生した西政府が東の提案した停戦を受け入れ終結した。
大西洋連邦を主体とした旧地球連合による西ユーラシア侵攻の結果ベルリンを始めとした西側都市の多くが壊滅状態へと陥ってしまい、結果ブリュッセルを中心とした西ユーラシア地域には空白地帯が存在することとなった。
当時ユーラシア連邦は首都こそブリュッセルに置かれていたと言えどもその広大な国土を治めるために事実上西のブリュッセル、東のモスクワという2つの政治組織が存在し、3年前の71年5月のアラスカ基地壊滅問題の処理で対立していた。
このうちモスクワ政府は74年5月、併合演説で地球圏の支配権がオーブ連合首長国の手に渡ったことを察し、東側諸邦を従え独立宣言を行い東ユーラシア共和国として独立することとなり、ユーラシアはワルシャワを分断する形で東西に分裂する。
この東ユーラシア共和国は親オーブ政権であり、当時推進されていた統一政府設立の推進を宣言していたが、西ユーラシアの政府にとってオーブはベルリンなどを焼き払った旧地球連合の計画推進者であったロード=ジブリールを匿っていたオーブは仇敵であり、それに与する東ユーラシア新政府を認めるわけにはいかなかった。
そんな思惑から両勢力は対立を急速に深め、ついに5月15日、西ユーラシア政府首相アルブレヒト=フォン=バルクホルンのT宣戦布告と同時に第五師団1万2000が東ワルシャワ侵入し燻っていた火種が一気に燃え出し内戦状態へと突入する。
独立したばかりの東側は数こそ西側より優位であったが装備も雑多で旧式機が中心であり、部隊によっては未だに戦車や戦闘機が主力兵器の地位を占めるのも珍しくなかった。
それに比べ西側は意外にも東側よりも戦力は充実し、陸空共にMSが多数配備されていた。皮肉にも壊滅したベルリンなどの都市に駐留していたザフト軍の多数の兵が解体時に命令に従わず兵器ごと西ユーラシア諸邦にそのまま亡命していたからである。
これらの兵士達は西側政府に迎えられ、機動師団を構成した他アグレッサーとして新米パイロットの育成に尽力することとなる。
開戦当初東側が陸軍63万、空軍10万であり、対する西側は陸軍37万、空軍12万であった。
CE74年5月15日未明、西ユーラシア政府首相アルブレヒト=フォン=バルクホルンの指令の元、西ワルシャワに駐留していた陸軍第五師団が、国境沿いに駐留していた東陸軍第12師団へ砲撃を開始、さらにモビルスーツ隊、戦車隊が国境を突破して東ワルシャワへと侵入し戦端が開かれた。
西軍はそれを機に各地に展開させていた陸軍部隊が空軍の援護の元、一斉に東側に侵攻を開始した。西側侵攻のために駐留していた東側各部隊は、西側の先制攻撃に浮き足立ち次々と打ち倒されていった。
これは情報部により東側の侵攻を事前に掴んでいた故の西側の完全な奇襲であった。機先を制せられた東側は体制を立て直すまで、1ヵ月近くの時間を有する。
この西側の奇襲成功に大きく貢献したのが、第二次汎地球圏大戦で西ユーラシアに駐屯していた旧ザフト軍である。彼らはプラント併合の後、西ユーラシア政府に亡命を果たし、正規軍として編入され、今回の奇襲ではその先陣を勤めていたのである。
5月27日にはワルシャワが完全に西側の手におち、勢いに乗った西側はさらに東側へと進軍を続け、先鋒は早くもビリニュスに達して攻撃を開始。さらに陸軍3個師団がリヴィフに侵入して東側守備隊を粉砕してわずか1日で占領するなど各地で西側軍が優勢に出ていた。
6月9日、西側軍13万5000がミンスクを包囲。この都市を巡る攻防はミンスク包囲戦として1ヶ月ほど続くこととなる。
そんな中6月17日、突如オーブ首長国連合が全世界に対し新たな国際組織統一地球圏連合の枠組みが提唱し、同時に統一安全保障条約機構を構成し、賛同国を募る。この組織構想にはスカンジナビア王国、大洋州連合、北アフリカ共同体、月中立都市群が加盟し、ジャンク屋組合も表立った表明こそしなかったものも協力を惜しまなかった。
これらの組織は後の統一地球圏連合の母体となり、その会合が6月24日にオーブ首都オロファトで開かれる。このとき、親オーブ派で内戦で窮地に陥っていた東ユーラシア救援が議決され、ユーラシア内戦に統一地球圏連合の介入が開始されることとなる。
7月3日、統一連合軍としてスカンジナビア空軍の爆撃隊340機が突如西側の首都ブリュッセルを空襲し、多数の死傷者が出た。さらに翌日には陸軍4個師団が船団に搭載されて西側の海岸へと出航する。このことは西側の市民感情を激化させ、内戦がそれまでのユーラシア内の戦争から反統一連合派対親統一連合派の戦争に転化することとなった。
そして統一連合軍の介入はそれまで破竹の勢いで勝ち進み、モスクワまで600Kmほどに迫っていた西側の戦略を一変させた。即ち東ユーラシア奥深くにまで侵攻していた陸軍部隊の本国帰還及び本国防衛体制の強化を図ることになったのである。しかし陸軍部隊の撤退は困難を極め、何度も追撃してくる東陸軍の痛撃に逢った。そのため西ではこれらの東軍の追撃を妨害するためにゲリラ部隊、通称ヴェステンツークンフト(西の未来)部隊を多数送り込んだ。これらの部隊は東軍に対して効率的に妨害を行い、そのため東の奥地に侵攻していた西軍30万のうち6万ほどが戦死するも、主力の精鋭部隊や装備の大半を帰還させることに成功した。
これらの部隊は再編が進められ、7月8日にフローニンゲンに上陸してきたスカンジナビアの4個師団8万人を内部に引き込んで包囲痛撃し、たった3日で海へと追い落とした。この戦闘でスカンジナビア軍は主力部隊の多くを失い、それを受けた統一連合軍は上陸作戦を躊躇することとなる。後に「オランダ3日揚陸」と呼ばれる大敗であった。
この戦闘の勝敗を分けたのは、スカンジナビア勢が陸上での機動戦闘に慣れていなかったのに対し、西軍は開戦当初からの東侵攻で十分に鍛えあげられていたからであった。西軍部隊は後退を装って巧みにスカンジナビア軍を内陸に引きずり込み、機を待って一気に包囲攻撃したのである。結局スカンジナビアは上陸作戦による西軍挟撃を諦め、陸路から東への増援に徹することになる。
しかし、その一方でスカンジナビアの諸基地からの西側都市空爆は続けられ、迎撃を対空砲などに頼っていた西軍はその損害の多さに悩まされた。西の都市の内北にあった都市は大半が爆撃されて水道や電気などのインフラが破壊され、市民生活に大きな影響を及ぼした。またこの空爆は命中率より破壊範囲を重視していたため大多数の市民の犠牲者が生まれ、それは後の九十日革命の元となる市民達の統一連合への憎しみの心を生むこととなった。
開戦から3ヶ月たった8月6日、人類初の原爆使用に関する式典などが相まって東アジア共和国ではユーラシア内戦への非介入との国民世論が高まり、その影響を受けた東アジア共和国は東西ユーラシアに対し不可侵の意向を表明した。それは西にとっては愕然とする、東にとっては歓喜に沸く報であった。西は東を挟撃すれば勝てると確信し、幾度も東アジア共和国に対しシベリア侵攻を要請していたからであった。それを察知していた東もシベリアに有力な師団を配備していた。だが、東アジア共和国の脅威がなくなったことによりシベリア師団の西軍攻撃作戦への投入が可能となったのである。
8月7日から12日にかけて相次いでシベリア師団が緒戦の西軍による包囲に耐え抜いたミンスクに集結を開始し、総計40万人による西軍に奪われた諸都市奪回と西領侵攻作戦を準備し、東政府首相エルヴィン=カナリスは開始日を8月24日と定めた。
しかし作戦準備に没頭する最中の15日、突如大西洋連邦がオーブに宣戦を布告。その有する大艦隊を以ってオーブ本国に侵攻を開始する。それを受け統一連合軍はユーラシアに振り向けていた空軍戦力の大半を権益下にあった宇宙やオーブ本国方面に振り向け、西軍空襲作戦を中止してしまったのである。結果東軍は支援をほとんど受けられなくなり、単独での侵攻作戦を敢行せざるを得なくなってしまった。中止すれば士気に関わることでもあったので作戦を延期するわけにもいかず、東軍40万は予定通り8月24日、西へ向け進軍を開始する。
一方西側は空襲作戦の中止を受け、課題となっていた防空迎撃システムの整備と空軍防空隊の組織を急ぎ推進。それと同時に数が揃いつつあった爆撃機集団と再編した陸軍部隊、東に潜伏するゲリラによる東軍陸上軍への攻撃作戦の準備を進めていく。
両軍の決戦第二ラウンドと言える戦いは8月25日の西軍爆撃隊による東軍ミンスク航空基地爆撃で戦端が開かれた。
西軍のゲリラ部隊や爆撃軍による攻撃に悩まされつつも東軍は西軍に奪われた東諸都市を奪還しながら西への進撃を続けていた。その原因は守備の軸である西軍部隊があまりにも本国の奥深くにいたため東戦線への展開が遅れたことが挙げられる。だが西軍の精鋭部隊13個師団26万5000人が9月1日にワルシャワに入り守備を固める。一方の東軍は各地の戦闘で兵力を減少させつつも緒戦で受けた負傷兵の回復及び前線投入で攻勢を維持しつつ9月5日には16個師団31万8000人がワルシャワの郊外へと達し、両軍は再びワルシャワを巡って睨みあう事となった。
戦闘は4日後の9月9日に意外なところから開かれた。ワルシャワに布陣する東軍の増援として向かっていたスカンジナビア陸軍8万に対し西軍3個機甲師団5万が攻撃し、それの救援に向かった東軍とその撃破に向かった西軍の部隊との間で砲撃の応酬となった。戦闘は当初装備に勝る西軍部隊が優勢であったが、東軍が部隊を2手に分け、片方が西軍を押さえ込む間にもう片方がワルシャワに侵入し、西軍防衛隊5万を撃破。9月16日にワルシャワが陥落し、戦闘の意義を失った西軍は撤退を開始。それを逃がさんとばかりに猛追した東軍だったがまたもや西軍ゲリラ部隊に橋を落とされるなどの妨害を受け西軍主力部隊を取り逃す結果に終わった。西軍は9月23日には東軍の追撃を振り切り、ベルリンへと帰還した。
この戦闘における死傷者は東軍戦死2万5000、負傷6万2000。(スカンジナビア兵込み)一方西軍は戦死3万1000、負傷4万9000。人員損害は両軍共に凄まじい者がある。が、東軍が重装備をあまり失わなかったのに対し西軍は主力の戦車や自走砲、ガズウートなどの陸上MSの多くを失い、西軍の東領侵攻能力は半減した。これ以後西軍はゲリラ中心の作戦に切り替え、主力部隊はオーデル河を基点にした防衛ラインに篭り、戦争は膠着状態となる。
8月15日に勃発したオーブ・大西洋連邦は11月1日の時点で戦闘がほぼ終結し、講和条約が締結される見通しとなった。それを受け大西洋連邦本土に派遣されていた部隊がユーラシアへと呼び戻される。11月20日、統一連合各国空軍のMS隊がスカンジナビア王国南部の諸基地に再び集結。3ヶ月ぶりに西側都市への空襲作戦が再開された。
11月21日、スカンジナビア南部を飛び立った総勢500機の爆撃隊は一路南下。これらの部隊は目標をハンブルクを定めていた。しかしその計画は西軍に察知され、ハンブルクの市民は空襲が始まる30分前には防空壕に避退し、防空隊は迎撃の準備を整える。かくして爆撃行程に入った統一軍機を待ち受けていたのは、3ヶ月前とは比較にすらならない熾烈な対空砲火とそれまでは姿を見せていなかった西側空軍の迎撃機部隊だった。
爆撃隊はその猛攻に成す術もなく数を減らしていき、この日爆撃隊は78機もの機を失ってしまい、さらに56機が2度と飛べないとの宣告を受けスクラップにされてしまった。損害率20%以上の大損害であった。この後も統一連合空軍は各地の西軍都市の爆撃を行なうが、いずれも損害が以前に比べて増加していた。
その原因には、西軍の工場整備による対空兵器の大量生産・配備もあったが、何より大きいのは空軍の迎撃部隊の養成であった。以前は元ザフト兵のアグレッサーによる訓練中だったパイロット達がこの3ヶ月の間に次々と実戦に加わり、彼らは東軍との交戦で実戦経験をつみ、強力な空軍部隊を構成していたのである。
12月10日、西軍と東軍の部隊はオーデル河を境ににらみ合っていた。が、面だった戦闘は行なわれていなかった。元々十分な国力も物資も持たずに戦争に突入した両軍の戦闘遂行能力は開戦時の半分以下にまで落ち込み、お互いに敵防衛線突破が困難になっていた。両軍はひたすらに塹壕陣地を構築し続け、その様は第一次大戦時の塹壕戦の様であった。
その一方、特に国力をすり減らしてまで戦争を遂行した西側では深刻な物資不足、エネルギー不足に陥り治安が悪化、略奪やテロが相次いだ。その中には東軍が西側のまねをして送り込んだゲリラ部隊によるものも多く含まれており、それらは軍事施設や主要な幹線道路を手当たり次第に爆破して西軍を悩ませていた。それまでの戦闘で失った兵力を補充するため後方の治安維持にあたっていた部隊が前線に投入された結果警察だけではそれらのテロや略奪を押さえ込むことは不可能となっていたのである。
一方の東側では特有の冬将軍による寒波に襲われていたが、その際に住居を暖める原動力であった発電所の多くが西軍の爆撃隊によって破壊されていたためエネルギー不足に陥り、凍死する者が続出していた。
このころになると、陣営問わず市民の間には厭戦気運が高まっていた。
エネルギー不足による凍死者の増加を防ぐべく東側は既存の軍艦を改造し、その動力を使って電力発電を行なうという方法でエネルギー不足のある程度の解消に成功し、またそれを応用して膠着していた戦線に長距離のエネルギー兵器を多数運び込み、かつてより考案されていた西軍のオーデルライン突破作戦を実行に移した。
2月1日、東軍の大口径エネルギー砲「マークドライ」50門が火を噴き、西軍の防衛陣地に大穴を開けることに成功した。それを機に凍結していたオーデル河を防寒装備を充実させた戦車や歩兵が渡河し西軍防衛陣地に殺到した。攻めかかってこないだろうとの予測で安心しきっていた西軍は虚を突かれた形となり潰走し、2月4日にはオーデル河防衛ラインは東軍の手に落ちた。またこの時期、本国からの指示も補給も途切れた西軍ゲリラ部隊は次々と東軍の摘発に遭い、長い間東軍を悩ませていたゲリラ部隊はほぼ壊滅した。
東軍は2手に別れ、A軍団25万がベルリン、B軍団15万がウィーンを目標として進軍を続け、2月18日にはそれぞれの目標に達して西軍守備隊への攻撃を開始した。
西軍は自慢の空軍部隊を投入して東軍陸上軍の壊滅を狙ったが、東軍が投入した統一連合各国からの支援で整えた空軍部隊によって防がれ損害を多く出し、失敗に終わった。2月の攻防で西軍は陸空ともに壊滅的な打撃を受け、内戦の帰趨が決まったと思われた。陸軍も空軍も東軍の2方面攻撃も統一軍の都市空襲も迎撃する力は残っていないと誰もが思っていた。
事実、2月26日にウィーンが、翌27日にはベルリンが陥落し、西軍の防衛線は構築もままならない状況に陥った。
3月1日、ミュンヘンを囲んでいた東軍3個師団8万9000が突如壊滅した。既に西軍に反撃するだけの戦力は残っていないと思われていた。西軍の軍需工場は物量に物を言わせる統一軍機の猛爆撃によってその大半が破壊され、陸軍部隊は装備も人員も失って再編すら不可能な状態へと追い込まれていたからである。
だが、この期に及んでも西軍には切り札が残っていた。西ユーラシアが旧連合の技術を奪取して製造した重MAザムザザーの大群である。ライン山地の地下工場で生産されていた20機のザムザザ-が2月25日に完成、早速シミュレーションで訓練をつんだパイロットが搭乗し、ミュンヘンに向けて放たれたのだ。ザムザザー隊は期待通りの活躍を見せ東軍を一掃。さらに雇った傭兵を中心に編成した第37機動航空軍がハノーファーを包囲していた東軍4個師団を猛爆して戦闘不能に追い込み、わずかな希望を覗かせた。この2つの部隊を中心として残った兵力を総結集し、各都市包囲のため分散した東軍部隊を一掃すべく最後の突撃を開始した。
戦闘はほぼ1ヶ月続き、西の奥深くに侵攻していた東軍は西軍の死力を振り絞った突撃を支えきれずに潰走し、戦線は4月5日にはオーデル河を境とするところにまで押し戻された。が、西軍の反撃もここまでであった。進軍するだけの物資も人員も既に残されていなかったのである。東軍もまたこれ以上の再度の侵攻を支えうるだけの物資は持ち合わせていなかった。
両陣営における厭戦気運の高まりは最大期に達していた。あまりにも犠牲が多く、また戦闘がこう着状態におちいり動く気配がないからであった。それを受け、東政府内では停戦の動きが生まれて停戦交渉を西側に対して行なっていたが、西側ではそれを断固拒否して戦争を続ける構えを崩さなかった。
一方オーブ政府内では莫大な予算をつぎ込んで整備したピースガーディアンの価値を疑う声が出始めていた。
2ヶ月前に赤道内戦に介入したとき、ストライクフリーダムとインフィニットジャスティスだけで実質戦闘鎮圧を成功させていたため、これ以上のピースガーディアン増強は無駄ではないか、という論である。
そうした声を抑えピースガーディアンの価値を認めさせるためにピースガーディアン推進派はピースガーディアンの実戦投入を決定する。その対象は西ユーラシア。数をかなり減らしていたとはいえ未だザムザザー隊や傭兵部隊は残っており、その脅威が実戦投入の格好の両口実となったのである。さらに西ユーラシア政府内でハインツ=メルス=ルーデル率いる親オーブ派のクーデター計画の存在を知ったオーブはそれを支援し、西ユーラシア独立国家建国そのものも支援することとなった。(しかしそれは後の主権返上計画のために親オーブ派の西ユーラシア政権を作っておくとの目論見もあったとされる)
そうして5月10日、ピースガーディアンは東側の帰還兵収容拠点となっていたワルシャワに展開、クーデター参加者からの情報でザムザザー隊と傭兵部隊がベルリンにいることを知ったピースガーディアンはすぐにベルリンに侵攻した。
当時派遣されたのはフリーダムブリンガー6機であった。これらは歴戦の傭兵部隊やザムザザー隊を1日で殲滅し、実質的な初陣を飾った。その後5月23日に西側政府内でクーデターが発生。ハインツ=メルス=ルーデルを首相とする親オーブ政権が誕生する。その日のうちに全世界に対してオーブ首長カガリ=ユラ=アスハが内戦終結宣言を行い1年にわたった内戦は終結した。
西軍東軍統一連合諸国一般市民
死亡16万500021万20001万800021万9000
負傷23万100030万90006万300027万1000
戦闘車両1300台1800台250台
空軍MS480機390機560機
陸軍MS370機230機140機
終戦後のユーラシア市民達を待ち受けていたのは想像を絶する苦難であった。東では物資が不足し、空襲で工場が潰れて重工業製品が造れなくなった事から復興は遅々として進まなかった。西の惨状はもっと酷いものがある。
街はどこも瓦礫が散乱しており、それを片付けていくと悪臭と共に無残な死体が現れることが多く、また電気や水道が統一連合軍の空襲で破壊されたため生活頻度が急落し、復興計画は立たれてもいなかった。
そして市民の不満の対象は後に発足する統一連合へと向けられた。元々この東西内戦で多数の犠牲者が出たとはいえ、それは自ら出征した兵士同士の戦闘であったのである。戦闘で狙われたのも軍事施設や軍需工場であり、市民の民家などはほとんど対象外だった。故に両陣営の市民同士は元々同胞であることもありそれほど対立感情をいだいていなかった。
だが、そのようなことなど知る由もない連合軍は戦争を一刻も早く終わらせるために西側の諸都市を執拗に爆撃し、工業施設だけでなく市民の生活そのものまでも奪ってしまった。一般市民の犠牲のうちその大半が連合軍機の爆撃で犠牲になった西側の一般市民であるという事実も存在する。
クーデターによって親オーブ政権となった西ユーラシアだが、それに反抗する将軍や部隊が野に降り反統一連合組織の母体となっていくということも見逃すわけにはいかないだろう。後に九十日革命の中心的な役割を担うローゼンクロイツといった組織もそれらの部隊が基なのである。彼らの不満は後に起こる北半球の大飢饉を経て再び九十日革命という形で再燃する。
そして西ユーラシア政府自体も当初は親オーブ政権であったが、後に提唱された主権返上政策を機に統一連合と対立して脱退し、半年足らずで再び戦争へと突入することになる。
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