登録日:2021/12/21 Tue 20:39:43
更新日:2024/06/17 Mon 11:54:12NEW!
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競走馬 テンポイント 競馬 牡馬 栗毛 ttg 悲運の名馬 サラブレッド 故馬 グッドルッキングホース 年度代表馬 最優秀5歳以上牡馬 76年クラシック世代 流星の貴公子 旅路の果て
77年、有馬記念。
その直線で、過去も未来も消え去った。
ただ、今と今のぶつかり合う、伝説のデッドヒート。
戯れにも見えた、死闘にも見えた。
その"勝者"の名は…
――2012年 JRA CM The WINNER 有馬記念編より
テンポイントとは、日本の競走馬。70年代後半の三強「TTG」の一角であり、その美しい栗毛と額の流星から「流星の貴公子」と呼ばれた、悲劇の名馬である。
※年齢表記はレース名を除き、現表記に合わせています
血統
父コントライト、母ワカクモ、母父カバーラップ二世*1
父のコントライトはアイルランドで走り通算成績5戦2勝、複勝率100%ではあるものの重賞未勝利と優秀な成績を収めていたわけではない。そんな彼が何故種牡馬として日本に来たのかというと彼の父であるネヴァーセイダイの産駒であったダイハードやネヴァービート達が種牡馬として成功を収めていたためであり、やや期待はされていなかったが日本に輸入されることとなった。
母のワカクモは桜花賞馬であり、その母であるクモワカは馬伝染性貧血の集団感染騒動に巻き込まれ殺処分になりかけたものの関係者の尽力によりなんとか繁殖牝馬として認められたという経緯を持つ。そのため、テンポイントは「幽霊の孫」とも称された。
1973年4月、吉田牧場で生まれたテンポイントは「文句なしの特級」といえる体つきをしていたという。その上素直で頭の良い馬であったが、その反面丈夫な馬ではなかった。
きっと活躍してくれる。そう感じた馬主は当時新聞の本文に使われていた8ポイントではなく、見出しに使われていた10ポイントの活字で報道されるような馬になってほしいとの願いを込め、「テンポイント」と名付けた。当初はボクシングが由来だと思われていたそうだが。
圧巻のデビュー
小川厩舎に入厩したテンポイントは8月17日、函館1000mの新馬戦でデビュー。単勝1.6倍の支持を受けたこのレースでテンポイントはその才覚をいかんなく発揮することとなる。
絶好のスタートを切ったテンポイントはそのまま先頭に立つと2着に10馬身もの着差をつける圧勝。しかも走破タイムはコースレコードを0.5秒更新するものであった。
続くもみじ賞でも2着に9馬身つけて勝利。
年内最後のレースである当時の関西の3歳王者決定戦、阪神3歳ステークス*2でも1番人気に応え、2着に7馬身、走破タイムは同日の古馬のオープン競争よりも速かった。途中6番手まで後退してしまい*3、関係者も諦めてしまったが、結果として圧倒的な力を見せつけての勝利となった。
この活躍を受け、テンポイントは関西のクラシック候補に名乗りを上げ、この年の優駿賞最優秀3歳牡馬に選出された。
天馬との戦い
年が明けて1976年。初戦の東京4歳ステークスではクライムカイザーに半馬身差、続くスプリングステークスでは太め残りもあってメジロサガミにハナ差の勝利と、クラシックの本命馬という評価に変わりはなかったが遅れてデビューしてきたトウショウボーイの方が強いという声も多くなっていった。
そして本番の皐月賞。無敗馬同士の戦いということもあり注目を集めたがここでアクシデントが起きてしまう。
ベースアップに関する厩務員側のストライキにより、テンポイントの調整が大きく狂ってしまったのである。
これにより調子を落としてしまったテンポイントはトウショウボーイに5馬身差ちぎられ、初の敗戦。
次走は年初からの目標である東京優駿。2番人気に推されたもののレース中に落鉄し7着。しかもレース後に左前脚の剥離骨折が判明。治療のために休養に入ることに。
なお、このレースでは主戦騎手の鹿戸明の怪我により、武邦彦が騎乗していた。
骨折は7月頃には治り、復帰戦は古馬との混合戦である京都大賞典となった。ただ、調整は小川が「やっと出走にこぎつけた」とコメントしたように万全ではなかった。それでも優勝馬に0.1秒差の3着と健闘。
菊花賞ではライバルのトウショウボーイ、ダービー馬クライムカイザーに次ぐ3番人気。
トウショウボーイをマークする形で進めたこのレースでは最後の直線でトウショウボーイを交わして先頭に立ったものの、内から強襲してきた12番人気グリーングラスに交わされ、2馬身半差の2着に屈する。
当時グリーングラスの勝利はまぐれだと言われていたが、これが後に「TTG」と呼ばれる3頭の因縁の始まりであった。
有馬記念では一時馬郡に埋もれ、最後の直線でトウショウボーイとの一騎打ちになったものの1馬身差の2着に敗れる。
トウショウボーイは年度代表馬に選出されたが、テンポイントは結局タイトルを取ることなく1976年を終えた。
しかし、両陣営は互いのことを強くライバル視するようになっていった。
悲願のタイトル
1977年、天皇賞・春を目標に据えたテンポイントは前走2つをクビ差ながら勝利。
本命の天皇賞・春では1番人気に支持される。
レースは最終直線で先頭に立つとそのままグリーングラスらの猛追を退け勝利。念願の八大競争制覇を果たした。
観客席からは手拍子と口笛が鳴り、これはそれまでの中央競馬にはなかった現象であった。
次走の宝塚記念では再びトウショウボーイと対峙。
トウショウボーイは前走から5ヵ月のブランクがあり、調子も悪かったためテンポイントが1番人気に支持される。
しかしレースでは逃げたトウショウボーイを追い抜くことができないまま2着に敗れる。
この敗戦により「テンポイントは永久にトウショウボーイには勝てない」という声も上がるように。
宝塚記念の後、テンポイントはアメリカで行われるワシントンD.C.インターナショナルへの招待を受ける。
元々テンポイントは3歳シーズンの初めごろに4歳になったら海外遠征することを計画していた。しかしトウショウボーイに勝てていないままで海外へ挑むことはできない。陣営は招待を断り、打倒トウショウボーイを掲げてテンポイントを鍛えまくった。
これにより、テンポイントは完全に本格化。京都大賞典では2着に8馬身つけて逃げ切り、続くオープン戦も逃げ切り優勝。
これを受け、陣営は翌年に海外遠征することを決断。1977年最後のレースである有馬記念へと挑む。
伝説のデッドヒート
迎えた第22回有馬記念。
トウショウボーイはこのレースで引退することが決まっていたため、テンポイントとトウショウボーイの最後の対決となった。
一番人気に支持されたテンポイントはトウショウボーイと並び、3番手につけたグリーングラスを引き離してレースを引っ張り始める。完全に2頭だけの世界。2頭だけのレースといっても過言ではない展開だった。
夕日に照らされながら2頭は4コーナーを超え、最終直線へ。
外からテンポイントが交わすとトウショウボーイが差し返す。テンポイントは再び盛り返そうとするも、トウショウボーイが粘る。しかし坂を上がったところでテンポイントが抜け出し、トウショウボーイは懸命に抜き返そうとする。まさに死力を尽くした激走。外からグリーングラスも詰め寄り、トウショウボーイもじりじりと差し返しにかかる。
しかし、テンポイントは見事粘り切り勝利。
最後の対決で、ついにテンポイントはトウショウボーイを破ったのだった。
このレースは伝説の一戦となり、中央競馬史上最高のレースといえば?という議論では確実に挙げられる。
テンポイントはこの年、宝塚記念以外全勝であり、1956年のメイヂヒカリ以来史上2頭目の満票で年度代表馬に選出されたのだった。
翌年の海外遠征に向け、態勢を万全に整えたテンポイント。海外でも素晴らしいレースをしてくれるだろうことを、ファンは信じて疑わなかった。...しかし。
雪の日の悲劇
2月にイギリスへ向かうことが発表されていたが、関西圏のファンから「遠征の前にテンポイントの姿を見たい」という要望が多数寄せられた。これを受け、壮行レースとして1月22日の日本経済新春杯への出走が決定。
しかし、課せられた斤量は66.5kg。関係者の多くが懸念を抱いていたが、小川は斤量67kg以上なら出走させないことに決めていたため、出走を決定させた。
レースでは快調に飛ばしていき、途中エリモジョージやビクトリアシチーに競りかけられるも、斤量をものともせず楽勝ムードで迎えた第4コーナー。
鞍上の鹿戸が勝てると思った...その瞬間だった。
テンポイント故障発生か!?
大変なことになった!
テンポイントは競争中止だ!
小崎愃アナウンサー
突如としてテンポイントが失速。故障発生。
左後肢の骨折。それも折れた骨が皮膚から突き出し、鮮血が噴出する程の重度のものであった。
小雪の舞う京都競馬場、テンポイントの門出を信じてやまなかった人々はその光景を前に悲鳴を上げ、テンポイントは最終直線に入ることなく、競争を中止した...。
さらば、テンポイント
テンポイントの故障はまず助かるわけのないものであり、当然安楽死になるはずであった。しかし、JRAに「テンポイントを殺さないでくれ!」と助命を嘆願する電話が数千件寄せられ、電話回線がパンクする寸前になった。陣営のテンポイントを種牡馬にしたいという願いもあり、同会は助かる確率が非常に低いことを認識しつつも手術を行うことを決定した。
テンポイントの手術と治療のために33名の獣医師からなる医師団が結成され、1月23日に手術が行われた。
特殊合金製のボルトで折れた骨を繋ぎ止め、ジュラルミン製のギプスで固定するという2時間を要する手術の末、手術は一応成功とされ、一時期には体温も心拍数も安定した。しかし実際にはテンポイントが体重をかけた際にボルトが曲がり、折れた骨がずれたままギプスで固定されてしまっていた。
2月13日には患部が腐敗して骨が露出してしまい、同月下旬には蹄葉炎を発症して鼻血を出すようになり、さらに食欲も減退、全身はやせ衰えて目にも光がなくなり、症状は悪化の一途をたどった。
3月2日には右後肢の蹄底部の角質が遊離。3日には事実上治療が断念され、5日の午前8時40分、テンポイントは寝藁の中に沈み込むように倒れ死亡。骨折前に500kg近くあった馬体重は死亡時には300kgを切るほどにまで減少し、最期を看取った鹿戸は、テンポイントが死亡した瞬間無言でその場に座り込んだという。
死後、テンポイントは生まれ故郷である吉田牧場に土葬された。
葬儀の席で馬主の高田久成氏は「助けてほしいという私のひとことが、かえってテンポイントを苦しめる結果になったように思えて辛い。覚悟していたが死を知らされて、大きなショックと申し訳なさで何と言っていいか」と泣いたという。
なお葬儀は栗東トレーニングセンターと吉田牧場の2つで行われ、後者には母のワカクモ、全弟であり後の優駿賞最優秀障害馬であるキングスポイント*4も姿を見せた。
吉田牧場の敷地内には馬主の高田が建立したテンポイントの墓があり、当時を知るオールドファンは勿論のこと、メディアでテンポイントを知った最近のファンまで、多くのファンが献花に訪れている。
余談
-顕彰馬
1984年、JRAは30周年記念事業の一環として、顕彰馬制度*5を開始した。
ライバルの一頭であるトウショウボーイも開始初年の1984年に選定されているが、テンポイントは選ばれなかった。
選ばれなかった理由は種牡馬実績がなく、競走実績だけをみれば他にも選ばれる馬がいるというものだったが、発表後「なんでテンポイントが選ばれてないんだ!」という非難が多く寄せられた。*6
JRAもこれに折れたか、1990年、顕彰馬にテンポイントが選出されることとなった。
顕彰馬選考委員会のメンバーの一人だった大川慶次郎(競馬評論家)曰く、選出の理由は「数字には出てこない部分で日本の競馬に大きな貢献があった」というものだったという*7。
-杉本清とテンポイント
当時関西テレビのアナウンサーで競馬実況を主に担当していた杉本清は、何かとテンポイントに肩入れした実況をしていた。本人も認めている。
阪神3歳ステークスにて行った「見てくれこの脚!これが関西の期待テンポイントだ!」という実況は有名。
他にも最後のレースとなった日経新春杯で関西テレビの実況を担当していたのも杉本氏であり、鹿戸が下馬した後には「なんとしても無事でと、なんとしても無事でと願っていた、願っていたお客さんの気持ち、もう通じません」「なんともこれはまた、テンポイント故障だ。なんとも言葉がありません...」と無念に満ちた言葉を残した。
-斤量について
テンポイントの骨折事故を受けて、日本中央競馬会ではハンデキャップ競走等の負担重量について再検討がなされ、過度に重い斤量を課す風潮が改められた。平地競走で60kgを超える斤量を見ることはかなり稀になった。
2023には、時代が進んで日本人全体の体格が大きくなっていったことで、今度は斤量を満たすための過剰な減量が騎手の健康を害していることが大きな問題となり、斤量制度が全体的に重くなる方向に修正された。
それでも別定戦で60kgを超える斤量を計算上背負うレースは殆どない上に、ハンデキャップでも60kgオーバーを背負わされることも殆どなく、そもそも60kgやそれに近しい斤量を背負わされた陣営が馬の負担を考慮してレースを回避することも珍しい話ではなくなっいる。*8。
よって、66.5kgという酷な斤量は現在では「非常識な物」とされており、平地で課されることは全くと言っていい程なくなっている
-日経新春杯について
現在では日経新春杯の実況では、局によっては枠入り完了後に実況アナウンサーが「今年も全馬無事に」と言うのが慣例となっている。
競馬がどれほど変化しても、ファンや関係者の一番の願いは変わらないのだ。
-治療で得たもの
テンポイントは安楽死もやむなしの怪我を負いながらも闘病を続け最後には衰弱しきったの末に死亡してしまった。
なぜ、サラブレッドは脚の骨折という人間が命取りになることの殆どない怪我を理由に、安楽死させなければいけないことがあるのか?もし、それ程の怪我を無理に治そうとすると何が起きるのか?これらを説明する上で、テンポイントの例は必ずと言っていい程に話題となる。
だが一方で、テンポイントの怪我とその治療が貴重な症例となったことで、当時はとても助からない故障をした馬たちが、現在では復帰してターフに戻ったり、一命をとりとめることが可能になった。
その最たる例がトウショウボーイの孫ヤマニングローバルだろう。
三冠馬ミスターシービーの仔ヤマニングローバルはデビュー前からかなり評判を集めており、無敗のままデイリー杯3歳ステークス*9を勝利するも、入線後に右前第一種子骨を複雑骨折してしまう。
調教師が「うちでなければ殺処分だった」と回想するほどの重傷だったが、割れた脚の骨にボルトを入れる手術を実施。
1年余りの休養の末現役復帰に成功し、GⅠ勝ちには恵まれなかったもののアルゼンチン共和国杯と目黒記念を制し、ボルトを入れたまま現役を全うした。
種牡馬入り後も成績には恵まれなかったものの、2016年に29歳で余生を全うするなどかなり長生きな馬だった。
このように、テンポイントの故障はサラブレッドの無謀な治療に対して警告をする最たる症例ではあるものの、その過程が獣医学の発展に大きな貢献をしたこともまた事実であった。彼の治療は無謀と言われ、失敗にも終わったが、決して無駄ではなかったのである。
前述した斤量ルールの改訂も含めて、彼は結果的に後世の多くの馬を救ったとも言えるのではないだろうか。
もし朝が来たら
グリーングラスは霧の中で調教するつもりだった
こんどこそテンポイントに代わって日本一のサラブレットになるために
もし朝が来たら
印刷工の少年はテンポイント活字で闘志の二文字をひろうつもりだった
それをいつもポケットにいれて
よわい自分のはげましにするために
もし朝が来たら
カメラマンはきのう撮った写真を社へもってゆくつもりだった
テンポイントの最後の元気な姿で紙面を飾るために
もし朝が来たら
老人は養老院を出て もう一度じぶんの仕事をさがしにゆくつもりだった
「苦しみは変わらない 変わるのは希望だけだ」ということばのために
だが
もう朝は来ない
人はだれも
テンポイントのいななきを
もう二度と聞くことはできないのだ
さらば テンポイント
目をつぶると
何にもかもが見える
ロンシャン競馬場の満員のスタンドの
喝采に送られてでてゆくおまえの姿が
故郷の牧草の青草にいななくおまえの姿が
そして
人生の空き地で聞いた希望という名の汽笛のひびきが
だが
目をあけても
朝はもう来ない
テンポイントよ
おまえはもうただの思い出にすぎないのだ
さらば
さらば テンポイント
北の牧場にはきっと流れ星がよく似合うだろう
寺山修司『旅路の果て』より
追記・修正は流星に思いを馳せながらお願いします。
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▷ コメント欄
- まさかテンポイントの項目が立つとは…。この三強には競馬の全てが詰まってる -- ディープの人 (2021-12-21 21:06:46)
- タイテエムやモンテプリンスの系譜…ウマ娘登場だとビワハヤヒデやテイエムオペラオー…それにライスシャワーやサイレンススズカの要素まで加わってるというという最強のアイドルホース。 -- 名無しさん (2021-12-21 21:28:49)
- どうして怪我した馬を安楽死させるのか、という声に対して必ず引き合いに出される馬。こういう悲劇を忘れず繰り返さない事も大事よね。もちろん失わなくていい命を失って欲しくはないけれど -- 名無しさん (2021-12-21 23:25:58)
- OG枠で他の2人と一緒にウマ娘に登場しないかな -- 名無しさん (2021-12-22 00:29:43)
- ↑ダメでしょ、他の予後不良馬はともかくこの馬だけは殺さないと。競馬ファンもホースマンも、この馬の死だけは目を背けちゃいけない、背負うべき業と化している。同人でキャッキャウフフするなら別にいいけど、公式に商業でウマ娘化するなら、死を描かないのが関係者に対して慰めではなく侮辱になりかねない -- 名無しさん (2021-12-22 04:00:08)
- ↑サラブレッド界のトレーズ閣下みたいなポジションか... -- 名無しさん (2021-12-22 08:39:04)
- ↑2いや、それを言ったらサイレンススズカやライスシャワーはどうなのってなるし。個人的にはケガで引退して卒業後は医者を目指して勉強中位で良いと思う。まあ、現状登場の予定は無いので只の妄想なんだが -- 名無しさん (2021-12-22 12:26:54)
- ウイポ7辺りでスペシャル種牡馬には出来てたけど2022で遂に自己保有出来る様になるんやな…DLCだろうけど -- 名無しさん (2021-12-22 15:25:24)
- ↑2その二頭に限らずだけど、一番の違いはファンが殺さないでくれと言ってしまった事。死なせたくないという思いはファンも関係者も一緒だが安楽死だろうと手術だろうと馬主の決断を尊重するというファンの戒めを築いたのもこの馬だし -- 名無しさん (2021-12-23 01:14:13)
- 写真撮ろうとしたカメラマンが朝日の中に佇む姿に見惚れてシャッターを切り忘れたとか、幼い武豊が父の駆るトウショウボーイではなくテンポイントを応援してたとか -- 名無しさん (2021-12-23 20:30:20)
- この馬以降もサクラスターオーとかマティリアルとか、治療を試みて結局…というのはいるけどね。 -- 名無しさん (2021-12-25 09:43:04)
- 関わった人たちの馬への想いがことごとく悪い方に向かってるのがただただ辛く悲しい… -- 名無しさん (2022-01-25 15:32:06)
- 生きていてほしいと思うのは誰もが思う事だから悪いってもんじゃないよ別に、今だってありとあらゆる予後不良を無くそうと頑張って研究してる人たちだっているし、この時の苦闘がライバルの孫を救ってるのも事実なんだから暗い方ばかり見るのもテンポイントに失礼だ -- 名無しさん (2023-06-12 02:06:01)
#comment(striction)
*2 現阪神ジュベナイルフィリーズ。なお、現在は牝馬限定戦であるが、当時は牡馬牝馬混合戦だった。
*3 これはテンポイントの走りの傾向としてこの後のレースでも見られた。
*4 なおキングスポイントもまた、1984年中山大障害中に右前脚を骨折、予後不良と言うやりきれない最期を遂げている。
*5 いわゆる「殿堂入り」
*6 この手の意見で一番抗議が多かったらしい。
*7 他にも産駒の活躍や他の選出馬との比較などで最初期の選考の時点と状況が大きく異なる馬も出現し始めていたという理由もあった。
*8 一例として、同年の目黒記念では、前年覇者のボッケリーニが59.5kgの斤量を背負わされたことを理由に回避している。
*9 現デイリー杯2歳ステークス
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