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更新日:2024/03/28 Thu 13:31:48NEW!
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東京箱根間往復大学駅伝競走とは、毎年1月2日と3日に行われる駅伝競技大会である。
通称「箱根駅伝」。
●目次
概要
大学陸上競技の地方大会であり、関東学生陸上競技連盟に加盟する大学間*1で争われ、現在は通常前年度のシード校10校+前年10月の予選会を勝ち抜いた10校+オープン参加の関東学連選抜、合計21チームで争われるが、5の倍数の記念大会の際は予選枠が増える。
東京都千代田区大手町の読売新聞本社と神奈川県足柄郡箱根町・芦ノ湖の間の道路をコースとしている。
そんな箱根駅伝の最大の特徴といえば、「2日かけて東京・大手町と箱根・芦ノ湖を往復する」ことと言えよう。
1月2日に東京→箱根間の往路、3日に箱根→東京間の復路を行い、往復それぞれのタイム、そして往復合計の総合タイムでそれぞれ優勝を決める。
総合計距離217.1km・平均区間距離21.7kmともに日本の駅伝走ではぶっちぎりのトップである。
一地方大会に過ぎないのだが、今や三が日の定番ともいえる行事であり、老若男女問わず親しまれ、毎年の新年にお茶の間を賑わせている。箱根駅伝が終わると「サザエさん症候群」に襲われる人もちらほらいる。
歴史
第1回大会はアメリカ大陸横断レースの代表選考会として、1920年に日本人五輪選手第1号である金栗四三*2発案の元開催されたのが始まりと言われている。なお、第1回は往路が2月14日、復路が翌15日に開催された。現行の1月2・3日に開催されたのは昭和30年の第31回大会からである。
他にも冬場は観光客が減る箱根の観光イベントとして、東京から東海道の宿場町を経由して2日かけて箱根まで届けたことのが起源という説もある。
金栗四三は他にも1913年に富士登山駅伝*3の創設にも関わり箱根駅伝では最優秀選手に、富士登山駅伝では一般の部優勝チームに金栗四三杯が贈呈される。
コース
ここにあげるデータは2024年第100回大会でのもの。
往路 東京→箱根 5区間107.5㎞
1区 大手町(読売新聞本社前)→鶴見(市場大和町歩道橋下) 21.3㎞
- 区間記録…1時間00分40秒 第98回(2022年)吉居大和(中央大学)
午前8時に大手町の読売新聞社前を一斉にスタートし、日比谷通りと第一京浜を駆け抜ける。
この地点ではまだ1つの集団になっていることが多く、また品川の新八ッ山橋や六郷橋を除けば平坦なコース。
一方でこの2つのアップダウンでの駆け引きやスタート直後の先行逃げ切り劇は1区の見どころとなっている。しかし、基本は各校のエースの待つ2区へとつなぐ区間としての役割が大きい。
その為駆け引き主体のスローな展開となる事も多く、その隙を突いて単独で飛び出しての「大逃げ」が見られる事も。
東海大学・佐藤悠基は2007年当時の区間記録を出す程の個人のペースと集団のスローペースが噛み合った結果後続に4分1秒付けている。
逆に全員が逃げに付いて行った結果恐ろしいハイペースになる事もあり、10km通過タイムが1区出走選手中下位1/3の1万mベストタイムより速いペースで全員団子で進んだ事も。
99回大会では各大学選手が牽制し合った結果、学生連合の選手(育英大・新田颯)が六郷橋を下り終わった所まで先頭を走るというまさかの展開が起きた。
第66回大会では先導する白バイが六郷橋の先、本来通るはずの川崎駅付近の立体道路ではなく脇道に突っ込みランナーが全員そちらに行くという集団寺田事件ハプニングが起きた。全員が違うコースを走ったことになるがアクシデントによるもののためかこの年の成績も正式記録として残っている。
2区 鶴見→戸塚(古谷商事前) 23.1km
- 区間記録…1時間05分49秒 第97回(2021年)イエゴン・ヴィンセント(東京国際大学)
- 日本人最速…1時間05分57秒 第96回(2020年)相澤晃(東洋大学)
第38回(1962年)以降、下記の4区短縮・5区延長時代を除き長年最長区間。
各校エースクラスを投入する区間であり、「花の2区」と呼ばれる。
日本大学や山梨学院大学などの外国人留学生も大抵この区間に投入される*4。
1区で出遅れた学校がエースの力で一気にごぼう抜きするのはこの区間の名物となっている。
2区でのごぼう抜き記録を狙うため、わざと1区に10番目のランナーを配置してるんじゃないかという心無い意見が出るほど。
鶴見から来たランナーは横浜の街を抜けると保土ヶ谷から戸塚へ。
保土ヶ谷と戸塚の間の権太坂、そして戸塚新道に入った後中継所近くの「壁」と称される急勾配を越えていく。後半の急な上り坂にどれだけ力を残せるかが勝負のカギとなる。
権太坂の方は車で走ると「大したことないな」だが、壁の方に至っては車で同じ区間を走っても「まじかよ」というレベルのアップダウンが訪れる正念場。
国道1号の新旧分離ポイントから上り基調、そこから長後街道へ向かって一気に下り→中継所まで上りと交互に来るのが視覚的にも精神的にも折りに来る。かつて日本人記録を保持していた順大・三代直樹の上り坂区間の走りは未だに語り継がれている。
また、上り坂区間を快走すると翌年以降のレースで5区を任せられることがある。順大・今井正人や青学大・神野大地はいずれも2区で山適正を見込まれて5区ランナーとなっている。
現在は第59回の際に定められたコースが長らく使用されているが、それ以前は海側ではなく山側の旧東海道(具体的に言うと横浜駅西口側)を迂回するコースが使われており、距離も現在より1km程度長かった。
さらに旧東海道の権太坂は現在のルートのそれより険しいためより難しいコースだったことは想像に難くない。
第77回・第78回・第90回と3度途中棄権が発生しているが、いずれも鶴見中継所から12kmすぎ、7.3km地点、9.6km過ぎと区間前半に集中している。
また途中棄権に至らずとも大失速を起こす選手も2~3年に1人程度のペースで発生する、地味に魔の区間である。
3区 戸塚→平塚(唐が原交差点) 21.4㎞
- 区間記録…59分25秒 第96回(2020年)イエゴン・ヴィンセント(東京国際大学)
- 日本人最速…59分47秒 第100回(2024年)太田蒼生(青山学院大学)
遊行寺坂を下り藤沢の街を抜け、湘南のエボシラインこと国道134号を走る。年によっては海から吹く強風によって砂浜の砂が舞い上がり選手に影響を与えることもある。
往路の中ではかなり走りやすい区間なこともあり長年つなぎの区間とされてきたが、近年は一転してエースや外国人留学生を投入するなど重要視されており、ごぼう抜きを見ることも多くなった他、4区の距離変更後では6区でしか見られなかった1時間を切った走者が上述の通り2人も登場している。
この区間は市街地側から海側になったことを除きほとんどコースが変更されていない。
裸足で区間新記録という衝撃のレースが展開されたのもここ。
また黎明期の第6回大会では日大がこの区間に人力車夫を替え玉出走させたという珍事件も起きている。
4区 平塚→小田原(風祭鈴廣前) 20.9km
- 区間記録…1時間00分00秒 第99回(2023年)イエゴン・ヴィンセント(東京国際大学)
- 日本人最速…1時間00分30秒 第95回(2020年)吉田祐也*5(青山学院大学)
湘南の海を横目に小田原へと向かう。
第82回(2006年)に中距離への門戸拡大を目的に一度区間が短縮され、全区間で唯一20kmを切る18.5㎞の距離だったが、第93回(2017年)に旧来の距離に戻されている。
なお、距離変更こそ行われているが走るルートそのものは第1回からほぼそのまま。最も変更の少ない伝統あるコースである。
復路でフリーザ軍団の出没するポイントとして知られる二宮の押切坂や酒匂橋を始めとして、コースに細かいアップダウンがありスピードが出づらいためか、チーム内でも力の劣る選手が投入されることが多く、短縮中でも1km平均3分を切った選手が10%しか出なかったほど。
かつての短距離化以前は準エース区間と目されており、一部の選手からは「2区の次に難しい」とも言われていた。
現在はコンディションの問題等で2区・3区への起用を回避したエース級の選手や将来的なそれらのコースへの投入を期待されるルーキーなどが配置されやすい区間だが、そうした有力選手が不覚を取られることもしばしば。
5区 小田原→芦ノ湖(芦ノ湖駐車場入口・箱根駅伝ミュージアム横) 20.8km
- 区間記録…1時間09分14秒 第100回(2024年)山本唯翔(城西大学)
- 参考記録…1時間09分12秒 第81回(2005年)今井正人(順天堂大学)
標高34mの小田原から最高点874mの箱根の天下の険に挑む「山上り」。
この言葉から連想できる通り、ほかの区間とは大きく趣が異なり、この区間のスペシャリストが起用されることも多い。
特に順大・今井正人(現・トヨタ自動車九州)が凄まじい走りで区間記録*6を残し「山の神」と呼ばれて以降、この区間の区間記録を超え、今井同様にチームの優勝に貢献した「竜神」こと東洋大・柏原竜二と青山学院大・神野大地に対し同様に「山の神」という称号が与えられた。
近年は「山の神」の別名称で青山学院大・若林宏樹には「若の神」、城西大・山本唯翔には「山の妖精」という称号が与えられている。
一方で遡ると4年連続で5区を走った大東大・大久保初男や早大・金(木下)哲彦らが「山の神」に相当すると言われている。特に大久保は柏原と同様に4度の箱根全てで区間賞を獲得する活躍を見せた。
一方で風祭から箱根湯本までの序盤3kmは比較的平坦、また芦之湯過ぎで最高点874mのポイント以降距離にして4kmほどの区間は下り坂となっている。
このため序盤での体力温存、上りと使う筋肉が違う下りでの走りが勝敗を分けてくる。
特に下りは1月の山という気候や消耗しきった体力で通過するという関係から選手が脱水症状や痙攣を起こし、最悪の場合途中棄権という結果になることがある。
第84回(2008年)で、順大・小野裕幸が一時は6人抜きの快走をしていたものの終盤で脱水症状から棄権することになった件は特に有名。
なお、小涌園付近には箱根登山鉄道の踏切があり、箱根駅伝の日には係員を配置し、ランナーが差し掛かった際には電車を止めてランナーを先に通過させている。これは復路も同様。
なお、4区が短縮されていた頃は、逆にこの5区が小田原城近くのメガネスーパー本社前を起点とした23.2kmに延長されており、山登りかつ最長距離という相当に狂った区間となっていた。
実はこの山登りかつ最長という鬼畜仕様の5区は初期の箱根駅伝と同じで、小田原中継所の位置も当時とほぼ同一だった。第43回(1967年)から風祭の中継所に移転している。
また、元箱根の付近は長年市街地ではなく東海道唯一の杉並木のある側を通っていたが、第76回(2000年)で現在の市街地ルートに変更された。また、第91回(2015年)では函嶺洞門トンネルの老朽化による使用停止とバイパスの完成による区間変更*7も行われており、裏の6区とともに近年は何かと変更の多い区間でもある。
そのため、歴代の「山の神」3名の記録は全て文字通り永遠の記録になっている。ちなみに81回大会の今井の記録に迫ったのは柏原(88回)、神野(91回)、山本唯、若林(ともに100回)の3例のみ。高速化した現在の駅伝ですら山の神には及ばないのである。
一方でこの区間で最も重要な山登り区間のコースは上述の函嶺洞門付近を除けば第1回からほとんど変更されていない。
なお、第82回大会から第92回まで11年間の箱根駅伝はスペシャリストを上手く起用できたチームとそうでないチームとで平気で3分以上の差がついてしまい、5区区間賞から往路優勝を逃したチームが1チームしかないほどにこの区間だけで勝負が決まりすぎることや、あまりにも過酷で選手生命を削る*8といった批判があり、元の距離に戻された。目の前を中継所として利用していた鈴廣かまぼことメガネスーパーのスポンサー争いもあったのかもしれない。
復路 箱根→東京 5区間109.6㎞
6区 芦ノ湖(芦ノ湖駐車場入口・箱根駅伝ミュージアム横)→小田原(風祭鈴廣前) 20.8㎞
- 区間記録…57分17秒 第96回(2020年)館澤亨次(東海大学)
午前8時に前日往路を制したチームからタイム差をつけて順に芦ノ湖を発つ。
なお、往路ゴールが1位から10分以上経って到着した場合や往路で途中棄権となった場合は、8時10分に一斉にスタートする。
5区とは逆に山を一気に下りていくコースで、通称「山下り」。
下り坂の急カーブに加え、朝の厳しい寒さが選手を襲う。凍った路面で足を滑らせ転倒する例もあった。
また箱根湯本駅近くの箱根町役場から出てきた運営管理車が合流した前後のラスト3kmの平坦な区間も選手にとっては「上り坂に感じる」とされ大きな負担となる。実際キツイらしく、足の爪が剥がれたり豆が出来たりするなど、負傷することもしばしば。そのせいか担当した選手の一部からは「二度と走りたくない」と言われる事もあるが、来年も走らされるフラグにもなっている。東洋大・今西駿介(現SGホールディングス)が最もたる例かもしれない。
このため5区と同様に特化したスペシャリストが多いが、裏の5区と異なり特別な名称は与えられていない。解せぬ
日体大・谷口浩美、神大・中澤晃、駒大・千葉健太、日体大・秋山清仁、青学大・小野田勇次が代表例。全員58分代を記録し区間記録を保持していた経験がある。
谷口は3度走った6区全てで区間賞を獲得。特に第59回大会(1983年)では57分47秒で下りきり区間新記録を樹立している。当時の中継所位置が現在より100m箱根寄りだったことを鑑みて換算しても58分06秒相当となり、秋山が第93回大会(2017年)に58分01秒を記録するまで30年以上超えられなかった驚異的な記録である。
小野田はその谷口以来、中継所位置移動後初となる57分台のタイムを叩き出している。
現在の区間記録保持者の館澤など800mや1500m走を主戦場とする中距離ランナーを起用する例もよく見かける。
5区6区と低温対策などの理由で、半袖や長袖のTシャツ型特注ユニフォームを着る選手が多い*9。
7区 小田原→平塚(高村不動産前) 21.3㎞
- 区間記録…1時間01分40秒 第96回(2020年)阿部弘輝(明治大学)
4区とは異なり、大磯駅入口交差点を直進し長者町交差点で左折するため、4区より距離が少し長くなっている。
10区間の中では比較的走りやすいと言われるものの、4区同様小刻みなアップダウンがあり、時間とともに気温差が襲い掛かる。
長年「復路のつなぎ区間」であったが、近年の上位大学はここで差をつけにいくために力のある選手を投入することが多い。
8区 平塚→戸塚(ウエインズトヨタ神奈川戸塚中継店前) 21.4㎞
- 区間記録…1時間03分49秒 第95回(2019年)小松陽平(東海大学)
3区の裏返し区間で、遊行寺坂が上り坂として後半待ち構える。
これに加え、気温の上昇も選手たちに容赦なく襲い掛かり、ここを耐えられるかが鍵。
4区とともに有力校の配置したエース級の選手が不覚を取られることの多い区間。
この区間の区間記録に挑んだ選手は多いが、いつもラスト数秒が超えられず、結局1997年に「怪物くん」古田哲弘(山梨学院大学)が作った記録が長年にわたって残っていた。更新されたのは2019年第95回大会で、実に22年ぶり。
また、自称「駅伝おやじ」徳光和夫が沿道で自前のマイクを使って実況するのはこの区間である。選手には気づかれないことが多い。
中継所のトヨタのディーラーは2022年まで長く「トヨタカローラ神奈川」を名乗っていたが、この時から店舗名は「戸塚中継店」*10。販社統合でウエインズになった後は、店舗に襷をかけて走るランナーの看板が掲げられるようになった。
9区 戸塚→鶴見(市場大和町歩道橋下) 23.1㎞
- 区間記録…1時間07分15秒 第98回(2022年)中村唯翔(青山学院大学)
「松の9区」とも呼ばれる復路のエース区間かつ最長区間であり、大逆転も生まれることのある区間。
アップダウン的には序盤に壁下りと権太坂こそあるが、保土ケ谷を通過してからはほぼフラットなのでスピードが求められる。
上位校がスピードランナーを投入しがちなせいでタイム差が拡大しやすいのもあり、溜まりに溜まった遅れが取り戻せず繰り上げスタートが発生することが多く、「魔の9区」「9区の悲劇」とも言われることも。
中継所のアプローチが160m程度の直線になっているため、アプローチには進入したものの間に合わず目の前で繰り上げスタートということもある。
このように多くのドラマが起こる区間である。
逆に近年の上位大学はここで逆転をされないように、それまでの区間でいかに差をつけるかを重要視するようになっており、相対的に重要性が落ちつつある。
10区 鶴見→日本橋→大手町(読売新聞本社前) 23.0㎞
- 区間記録…1時間07分50秒 第98回(2022年)中倉啓敦(青山学院大学)
復路、そして箱根駅伝のアンカーを飾る区間。
第75回(1999年)以降は1区と異なり
(馬場先門)→鍛冶橋通り→(京橋)→中央通り→日本橋→(日本橋北詰)→読売新聞本社前
と銀座の街や日本橋を経由する大回りルートを取るようになった。
かなり走りやすい区間だがたまにビル風に襲われることもある。アンカーを担うプレッシャーとも戦わなければならない。
最後の区間、さらに人の集まる日本橋・銀座を通過することもあり沿道には多くの観客が駆け付け声援を送る。
2区ほどの頻度ではないが、シード権争いをしている大学がここで失速してしまい11位以下に転落する悲劇が時折発生する…
なお、1区も同様だが2012年の第88回までは京急蒲田駅から延びる京急空港線の踏切があった。
1990年代までは一介のローカル線であったためさほど問題はなかったものの、1998年からは羽田空港ターミナルに乗り入れ、同空港へのアクセス路線として都営浅草線・京成線からの直通列車が大幅に増発されたことから調整が非常に難しくなった。
ランナーが通過する時間帯は空港行きの列車を京急川崎行きに振り替えるなど最大限の努力はしていたものの、小涌谷踏切とは異なりランナー通過ごとに長時間踏切で電車を止めることは出来ず*11、大会としても不可抗力として踏切待ちをタイムに含めず待ち時間を計測してその分を差し引く措置をとっていた。
第84回にはこの踏切で東海大学の選手が線路に足を引っかけてしまい捻挫、結果途中で棄権している。
なお、2010年からは蒲田駅の要塞化高架化が進み、踏切による抑止はなくなり、2012年に高架化が完了したことで踏切も撤去された。
競走の方法
出場チームの選定
ここまで述べてきた通り、基本的にはシード枠+予選会突破枠+予選会で弾かれた大学から選抜された関東学生連合チームが出場。
第98回(2022年)現在、シード校10校、予選通過校10校にオープン参加である学生連合チームの計21チームが出場している。なお、節目の大会で予選通過枠が増加することがある。
予選会
毎年10月中旬に開催される。
コースは幾度となく変更されているが、近年は特別な場合を除き自衛隊立川駐屯地から立川市街地を経由し、国営昭和記念公園をゴールとする世界陸連公認ハーフマラソンコースが使用される。
予選会へのエントリーにも相応の壁があり、現在の基準だと10000mを34分以内で走れる走者を10人以上揃えなければならない。このため予選会への出場を目標としている大学も少なからず存在する。
コース内にも途中数回足切りポイントがあり、規定の時間までにそのポイントを通過できない場合は強制失格となる。
完走者のうちタイム上位10人のタイムを合計した総合タイムで順位を競い、大会ごとの上位規定校数が本戦に進出できる。
エントリー
各チーム、12月上旬に16人*12のメンバーをエントリーした後、12月下旬に大会数日前に区間エントリーを決定し、区間エントリーから外れた人は補欠として登録される。
その補欠メンバーは往路・復路の当日に当初メンバーと交代で変更することが可能なので、エース級の選手を一旦補欠に登録させ、当日変更で投入する戦略的な使い方をする場合もある。
当日の変更は1日最大4人で、第97回(2021年)からは補欠メンバー全員を交代で使用することも可能になった*13。
外国人留学生は、第82回(2006年)から2人までエントリーでき出走できるのは1人まで。
殆ど事例はないが当日エントリーされた選手と別の選手が出走した場合は替え玉出走の行われた区間で棄権した時と実質的に同様の扱いとなる。
第6回大会で替え玉出走させた日大は黎明期でルール整備が不完全だったこともあり記録こそ無効にならなかったが翌年の箱根出場を辞退。第56回大会の中大は補欠当日エントリー時のミスにより7区・8区・復路の記録が無効となった。
出走ルール
現在は年齢制限は特に設けられていないが、かつては年齢制限があった時期が存在していた。一旦社会人を経験して駒澤大学に入学した大八木弘明(現・駒澤大学総監督)は大学3年時までは出場できたものの、大学4年時に年齢制限(27歳までというルールだった)のため出場できなかったことがある。
過去には高卒から4年間社会人を経験した後に入学し、在学中にマラソンで世界選手権にも出場した中村祐二(山梨学院、70~73回出場)や30歳で「オールドルーキー」として登場した渡邊和也(東京国際)などがいる。また逆に第3回大会では、関係者に了承を取ったうえで旧制中学生(現在の高校生に相当)で日大一中の生徒3名が日大の選手として走ったという記録が残っている。
出場回数は、現在予選会含めて4度の出場エントリーまで認められており、留年や学部転籍により1年生として2回走った選手がいたり、6年制の学部での5年や大学院進学後に出場している例も過去にはある。大学院生の場合は「M1年」といった表記をされる。
あまり見られないが転学した場合にも出場回数は通算される。転学による出場制限はない。
昭和25年までは、大学制度が予科3年、本科3年(医学部は4年)であったため、1選手が6~7回出場することはザラであった。したがって個人の最多出場回数は8回、最多区間賞獲得は5回という今となっては絶対に破れない記録が一部残っている(後述)。
繰り上げスタート
先頭から往路鶴見・戸塚で10分、往路平塚・小田原で15分、復路全中継所で20分遅れたチームについては前の区間の走者の到着を待たない繰り上げスタートとなる。
この繰り上げスタートにはゴールを控える5区と10区では各校の予備の襷、それ以外ではストライプの襷が使われる。ランナーにとっては「継走」の軸である襷が繋げず悔しさがあふれる瞬間でもある。
少し待てば間に合いそうな場面でも時間になったら容赦なく号砲が鳴るが、運営上の都合や明らかなアクシデントの場合は少しだけ待つ場合もある。第88回大会の神奈川大学が代表例。*14
またこれとは別に上述の通り6区は前日の到着が10分を超えるチーム全てが先頭のスタートから10分後に一斉スタートとなる。
こちらは「復路芦ノ湖一斉スタート」と言われて繰り上げとは区別されている。
繰り上げスタート・一斉スタートの対象チームについては実際の順位と見た目の走行順が一致しない為、下記の中継番組では対象チームが最初に定点を通過するタイミングで順位ではなく見た目の順番による速報に切り替えられる。
かつては全校が復路一斉スタートだった時代もあった。
なお、繰り上げスタート、一斉スタートの影響で同時にゴールせずとも同タイムとなった場合は、区間順位の大小で順位を決定するというルールがある*15。
棄権
脱水症状や低血糖症を起こしてしまい、選手生命をも左右するほどの状態になったり、骨折や捻挫でそもそも走れるような状態ではなくなったりするなど、あまりにもレースを続けることが難しい場合は途中棄権を選択することがある。過去に15例ある。
その場合は、大会の競技運営スタッフが赤旗を掲げることでそれを知らせる。また、伴走する監督が選手に触れることによって途中棄権の意志を示すこともある。
途中棄権をした場合、棄権した次の区間で繰り上げスタートのタイミングからレースに復帰するが、これ以降はオープン参加扱いとなり、一切の記録が残らなくなり、棄権する以前の区間の記録だけが正式記録として残る*16。
このため、第85回(2009年)の伊藤一行(城西大・9区)*17、第89回(2013年)の永井秀篤(中央大・8区)のように、区間賞相当の走りをしても残念ながら記録が認められず「幻の区間賞」となってしまう*18。
その為、意地でも襷を繋ごうと無理をして走る例も多く見られ、駅伝への批判に繋がってしまっている。
優勝
往路・復路それぞれのタイムのほか合計タイム(総合)で順位を決定する。
このため、2006年第82回大会や2019年第95回大会のように往路・復路・総合で別の大学が優勝することもある*19。ただし最初にテープを切る往路、総合優勝と比較してタイム差で決まる復路優勝に関しては非常に目立ちにくい。
また、10月中旬の出雲駅伝、11月上旬の全日本大学駅伝とともに大学三冠と言われており、過去に大東文化大学(1990年度)、順天堂大学(2000年度)、早稲田大学(2010年度)、青山学院大学(2016年度)、駒澤大学(2022年度)が達成。特に2016年青山学院と2022年の駒澤大学は出雲・全日本・箱根往復総合完全制覇を達成した。
一応箱根は関東ローカルの大会ながら、その規模や歴史もあり、この大学三冠の中では一番格が上の大会となっている。
その他
学生連合が正式参加だった時期はシード枠圏の順位に入賞した場合シード枠1枠減少の上で翌年の予選会枠が11校になったり*20、関東学生陸上競技選手権(関東インカレ)の長距離競技だけでない、陸上部全体の成績により出場校が左右されることもある。
中継番組
日本テレビの中継がおなじみだが、実は最初に中継を開始したのはテレビ東京。
1979年の第55回大会から8年間、ダイジェスト+復路ゴール生中継という形で放送されていた。
その後、1987年第63回大会から放映権が日本テレビに移動。1989年に現在の全区間完全生中継が開始された。
日本テレビ移行後は「SAPPORO新春スポーツスペシャル 箱根駅伝」のタイトルで放送されている。
第84回(2008年)までは映画『ネバー・エンディング・ストーリー』のサウンドトラックから「Happy Flight」をOP曲として使用し、第83回(2007年)まではトミー・ヤングの「I Must Go」をED曲として使用していた。
第85回(2009年)以降のテーマ曲は久石譲が制作した「Runner of the Spirit」を使用している。
筆頭スポンサーは番組名の通りサッポロビールで、この番組専用のCMを放送している。
2区の生麦辺りで歴史を振り返るコーナーが定番となっていたが、これは生麦にキリンビールの工場があるため、スポンサーへの配慮としてこの工場を映さないという理由が推測されている。2017年からこの工場が目立たなくなったのも含め、他の競合スポンサーの看板が見える位置に振替えられるようになった。
ちなみにCM前には過去の大会の映像が流されるが、特に中継番組が無かった頃の映像だと細かい検証をし忘れているのか場所や大会が間違っていることが結構ある。後に検証が進むと正しい情報に訂正される。
沿道の説明は地名または公共施設がほとんどだが、箱根町にある小涌園のみ特別に紹介される。これは日本テレビにおける中継の際、スタッフ用の宿泊施設の予約を打診したところ年末年始ということで軒並み断られた中、小涌園のみ宴会場なら貸せるとの条件で申し出がありそれに同意したことからその恩返しとして紹介しているもので、小涌園前にはリポーターも配置されている。
年末年始の特別番組として高い知名度を誇り、1992年以降は毎年20%を超える視聴率を記録し、2021年の第97回大会は過去最高の33.7%を記録している。
お正月の朝から昼間にかけて放送されるためか、集中して見る人よりもBGM的に流す人が多いとされており、これが高視聴率の大きな要因ともなっている。
あまりにも高視聴率かつ安定しているため、他局ではこの時間にドラマやバラエティ番組の集中再放送を流してお茶を濁しているほど。
このためか、たびたびテレビに出て目立とうとする人が映り込んだりもしている。
代表例としては2018年往路1区のアンパンマン号、復路に毎年現れる定点カメラポイントのリラックマぬいぐるみ(6区・函嶺洞門付近に出現)とフリーザコスプレ集団(7区・二宮町押切坂付近に出現)か。
ラジオ中継はNHKが1954年といち早く中継を開始し、これに加え現在は文化放送・RFラジオ日本の3局で放送している。文化放送制作の中継はJRN・NRN系列の地方局にもネットされている。文化放送制作の使用BGMは野獣王国の「獏の夢」であり、番線CMやCM明けなどで使用されている。
著名な出場校
中央大学
駿河台→多摩の丘にある「白門」。MARCHのC担当。
白のユニフォームに、深紅の襷。
箱根駅伝史上最多14回の優勝を誇る名門大学。戦後から60年代にかけての最強校で、1959年第35回大会からの6連覇は過去最多記録である。
また出場96回は最多記録であり、出場していない大会は1920年第1回、1924年第5回、2017年第93回大会と、出てない大会を数えた方が早い程の常連校。特に第6回から第92回までの間は87回連続で出場しており、これも最多記録である。常連過ぎて現役世代へのプレッシャーが凄まじい。
安定した実力を持っていたが、第89回大会で途中棄権によりシードを落として以降、シードから遠ざかっていた時期があり、第93回大会ではよもやの予選落ちで連続出場が途切れてしまうも、第98回大会で10年ぶりのシード権を獲得し、第99回大会では総合2位と古豪復活をアピールした
…が、第100回大会では直前に体調不良者が続出して総合13位に沈み、またしてもシードを失ってしまった。
現監督、藤原正和のほか、72回大会で優勝経験のある榎木和貴、選手より速い事で定評のある上野裕一郎、そして同大学でコーチ経験のある大志田秀次を輩出している。
早稲田大学
大隈重信が創設した都の西北にそびえる学館。臙脂色のユニフォームと同色の襷。
第1回大会に出場した「オリジナル4」の一角。総合優勝回数は中央大学に次ぐ13回。
戦前から長距離だけでなく短・中距離、投擲、跳躍と陸上競技全体に様々な人材を輩出してきた。こと駅伝・長距離では1970年代の瀬古俊彦、1980年代の金(木下)哲彦、1990年代の渡辺康幸、2000年代の大迫傑が有名。
箱根駅伝3連覇以上を達成する文字通り「最強」だった時期こそないが、上述の選手らが在籍していた時期にそれぞれ優勝を果たすなど安定して強豪校であり続けている。近年では上述の通り2010年(箱根駅伝は第87回大会)に大学駅伝三冠を達成した。
日本大学
学生数では日本最多の大学であり、関東各地にキャンパスが散在する総合大学。
紺のユニフォームに桜色の襷。優勝回数は12回。
戦前の大会では最強を誇り、特に4連覇した際には優勝旗を永久授与されるという栄誉も得ている(戦時中~戦後のゴタゴタで紛失してしまい、現在は旗竿だけ残る)。
戦後の中央大学黄金期手前の時代も中央大学とニ強時代を作り、その後も優勝こそしないものの2000年代まで強豪であり続け、外国人留学生を起用するなど積極的な戦略も取っていた。
しかし2010年第86回大会でシードを落とすと、以降は予選会の常連となり近年は本戦出場も安定しない状態になり、出場しても外国人留学生が作った貯金を他で吐き出すレースが続いてしまっており、最近は予選会敗退が相次いでいたが、2023年に母校OBで倉敷高校を高校駅伝屈指の強豪に育て上げた新雅弘を監督として招聘。第100回大会予選会を5位で通過し、5年ぶりの本戦出場を掴み取った。
順天堂大学
江戸時代からの長い歴史を持つ医科大学。それゆえ、スポーツ医学を取り入れたトレーニングに定評がある。
「茄子紺」と呼ばれる青いユニフォーム*21に白地に赤筋の襷。優勝回数は11回。
箱根初出場は第34回大会(中央6連覇の最初の大会)と意外にも遅めだが、1980年代に無類の強さを誇り4連覇、2000年度(箱根駅伝は2001年第77回)に大学駅伝3冠、2007年83回大会では「山の神」今井正人の5区ごぼう抜き3年連続区間賞などもあり前年果たせなかった総合優勝を果たした。「復路の順大」「逆転の順大」とよく言われるため、復路に強いというイメージを持つオールドファンが多い。
今井の卒業後は一時低迷し予選落ちも経験。現在は上位に躍進しているが、年によっては終始落ち込んだレースを展開してシードを落とすこともある。
日本体育大学
「集団行動」でも有名な日本最古の体育大学で、体育教員という形で全国にOBが多い。
白地に青一文字のユニフォーム、襷は白。一時期濃紺のユニフォームを使用していたが、そのころチームが低迷したため強かった頃のユニフォームに数年で戻した。その紺ユニフォームの名残は女子チームに残っている。
戦後の1949年の第25回で初出場、以降一度も出場権を逃さず連続出場し、第45回から5連覇したこともある古豪。また、36年連続シード権確保という記録はいまだに破られていない。
6区で伝説を残し、バルセロナ五輪代表にも選ばれた谷口浩美など、多くの選手を輩出している。
1992年第68回大会で初めてシード権を失って以降は度々低迷することもあるが、2013年第89回大会には総合優勝を達成している。この優勝は前年繰り上げスタートに甘んじシード落ち、予選会上がりからのどんでん返しである。
しかし現在はさらに低迷してしまい、予選会の常連となってしまっている。
明治大学
東京の真ん中駿河台と杉並の和泉に本拠地を構える、日本最大の受験者数を誇る名門大学。MARCHのM担当。
ユニフォームは紫地に白で、襷は紫紺。第1回大会に出場した「オリジナル4」の一角。なお、第1回大会では準優勝。
「古豪」とされ、黎明期には幾度も優勝した実績を持つ。1960年代以降は本戦にすらまともに出れない程の長い低迷を続けていたが、2005年の第81回大会で久々に出場権を獲得し、2009年の第85回大会でシードを獲得してからは上位に返り咲いた。
しかし、第92回大会でシード落ち後、予選落ち(第94回大会)を経験する他、シードを取ってもたった1年でシード落ちを喫するなどまたも低迷気味となっている。
駒澤大学
世田谷区・駒沢にある曹洞宗系の大学。
ユニフォームは白地に紫の一文字、襷は藤色。日体大の陰に隠れるが、駒大も初出場から連続出場を続けている。
長年低迷してきたが、90年代から力をつけると、2000年代には大八木弘明監督の下圧倒的な力を誇り、「平成の常勝軍団」と呼ばれた。
近年も優勝争い~シード圏中位には入るも、なかなか優勝できなかったが、2021年第97回大会で残り2kmでの大逆転で久しぶりの総合優勝を果たした。
出雲・全日本を制して大学駅伝三冠に王手をかけた年が何度かあったが、過去2回はいずれも箱根で2位*22に終わり達成できていなかった。しかし2023年第99回大会で総合優勝、悲願の「学生駅伝三冠」を達成した。その後、大八木監督の退任が発表され、後任にOBである藤田敦史コーチが4月に監督就任した。なお大八木監督は総監督へと昇進した。
続く100回大会も2年連続の学生駅伝三冠に王手をかけていたものの、残念ながら青学に阻止されることとなった。
過去、総合優勝を8回達成しているが、そのうち5回は復路での逆転優勝である。
以前はたまにシードを逃して予選に回る事があったが、チームが強い為予選会で圧勝していた。その為、シード落ちすると枠が実質ひとつ減る形に。
最近はOBがマラソンで注目を集めており、中村匠吾が東京オリンピックの日本代表で出場したり、山下一貴と其田健也が日本歴代3位と4位にランクインするなど活躍している。
東洋大学
「お化け博士」こと井上円了が創設した白山の哲学館。
ユニフォーム、襷ともに鉄紺とよばれる深い紺色。
長年下位に低迷することが多かったものの、2009年に「二代目山の神」柏原竜二の活躍もあり初出場から76年目にして初の総合優勝を達成。
その後も柏原、設楽・服部の両兄弟らを軸に3度の総合優勝を果たす強豪として君臨している。
初優勝した第85回大会から第95回大会まで11年連続3位以内という偉業を成し遂げている。シード権は第82回大会以降死守し続けているが、96回大会以降その実力に陰りが見え始め、総合10位2回(96、99回)、往復どちらかは必ずやらかす(97復路9位、98往路9位)、99回に至っては往路2区で一時最下位転落などと近年は苦戦することも多くなったものの、第100回大会では総合4位と復調した。
87回大会で往路優勝しながら、復路で早稲田に逆転負けし、21秒差で2位になって以来「その1秒を削り出せ」というスローガンを掲げている。
青山学院大学
渋谷に近い青山の地に本拠を構えるミッションスクール。MARCHのA担当。
フレッシュグリーンのユニフォームと襷。
1976年第52回大会(10区残り150mで選手が倒れてしまい途中棄権)以来から長年出場がなかったが、2004年に原晋が監督に就任して以来急激に力を伸ばした。
2009年第85回大会に33年ぶりに本大会出場を果たし、2015年第91回大会で初優勝し、その後4連覇(先述の通り2016年度(箱根駅伝としては2017年第93回)は3大駅伝+箱根完全制覇)を達成。2010年代の「常勝軍団」及びシード常連校に上り詰めた。
総合優勝する大会では往路の時点で差がつく事がほとんどであり、多くの大学が復路一斉スタートになる羽目になり、青学が往路を制した第100回大会では16チームが復路一斉スタートをしている。
しかし、優勝争いに加わっていない大会ではチーム全体が苦戦している事もあり、優勝する時とそうではない時の差が意外と大きい場合がある。
初優勝以来メディア露出も多いことで知られ、原は毎年年末にその年の箱根の作戦名を命名するのが恒例になっている。
大東文化大学
大正期に設立された、漢学教育に定評のある大学。
ライトグリーンとライトオレンジを基調としたセパレートユニフォームにライトグリーンの襷。
1970年代から90年代にかけ山に強い「山の大東」と呼ばれ強豪として君臨。
特に1990年度(箱根駅伝は1991年第67回)に史上初の大学駅伝3冠を達成した。
しかし、近年はシード落ちや予選敗退など長らく低迷が続いている。仙台育英高校で監督を務めた大東大OB・真名子圭が監督に就任した第99回では、予選会1位で4年ぶりに出場権を獲得した。本戦は16位とシード権には届かなかったものの、名門復活への期待が高まっている。続く第100回大会予選会もエース留学生が途中棄権するアクシデントに見舞われながらも他選手の奮闘もあり見事1位で本戦出場を決め、本戦では総合10位に入り9年ぶりにシード権を手にした。
山梨学院大学
箱根常連出場校では珍しく、大学が山梨県に所在する*23。
初出場から97回大会までプルシアンブルーのユニフォームと襷。98回から大学の理念に合わせた従来より空色に近い「C2Cブルー」と称するユニフォームと襷に変更した。
1985年に順天堂大出身の上田誠仁を監督に招き、日テレ中継開始と同時に初出場を果たすと、外国人留学生をいち早く起用し1990年代に3度の優勝を達成した。そこからは長らくシード権争いの常連になっていたが、第93回大会でのシード落ち後、その争いにすら絡めず下位に低迷。第96回大会は予選落ちとなり、初出場からの連続出場が途切れている。
外国人留学生の先駆者であるJ・M・オツオリや早大渡辺康幸のライバルとして名勝負を繰り広げたS・M・マヤカ*24、2000年代後半に多くの実績を残したM・J・モグスなどの外国人選手がクローズアップされがちだが、日本人選手でもマラソンのトップ選手として活躍する尾方剛や井上大仁を輩出している。
神奈川大学
誰もが国立だと勘違いする大学筆頭候補。メインキャンパスは横浜の白楽*25。
「プラウドブルー」という紫紺色のユニフォームに同色の襷。
1997年第73回大会に前年途中棄権による予選会上がりからの総合優勝*26という大どんでん返しを成し遂げ、翌年の第74回大会もその勢いのまま完全優勝を成し遂げた。
2000年代中盤以降はシードを獲得できない年が続く一方、予選会には強く上位通過も多い。第99回大会では上位通過が期待された中でまさかの予選落ちを喫してしまったが、翌年の第100回大会予選会で7位に入り返り咲いた。
2017年ころから神奈川大学をSNSで応援するときは、「#神大いやほい」というハッシュタグをつけることが多い。
現マラソン日本記録保持者である鈴木健吾を輩出している。
筑波大学
教育大学から始まり、拡大や移転を経て現在は全国屈指の規模となっている国立の総合大学。ユニフォームは長らく黒だったが、2012年から大学運動部共通の「フューチャーブルー」に変更となった。襷は黄色。
箱根にはこれまでに62回の出場を誇る古豪で、もちろん国公立大学では最多出場である。そして、記念すべき第1回の優勝校でもある。ただし、現在に至るまで優勝はこの1回のみ。
箱根駅伝の創始者である金栗四三の母校でもあり、80年代までは頻繁に出場していたが第70回記念大会を最後に本選出場からは遠ざかる。
なお、第80回大会で日本学連選抜として出場した鐘ヶ江幸治が5区で9人抜き(現在でも歴代2位タイ)の快走を見せ区間賞に輝き、この大会から創設された金栗四三杯を獲得している。
NHK大河ドラマ「いだてん」で金栗四三が注目される中、2020年の第96回で26年ぶりの出場権を獲得したが、それ以降は予選落ちが続いてる。
専修大学
他校に先駆けて入学式と卒業式を日本武道館で行い始めた「質実剛健・誠実力行」の大学。
白地にグリーンの「S」が映えるユニフォーム。臙脂と深緑のツートンカラー(実況の呼称としては、ダークグリーン)の襷。第97回で7年ぶりに出場権を獲得して以降3年連続で出場を果たしてはいるものの、全て最下位と厳しい結果が続いている。
第20回大会で優勝したことがある。このときは日大の前人未踏の5連覇を阻止するという快挙であった。
1956年には、コース試走中に本戦出場予定だった選手が国道1号線宮ノ下界隈(6区に該当)にて交通事故により亡くなるという悲劇も経験している。
慶應義塾大学
福沢諭吉の創立した私立の名門。
第1回大会に参加した「オリジナル4」に名を連ねており、総合優勝の経験も1度ある。
戦後の一時期早稲田大学と組んで「駅伝有害論」を唱えたのが仇となってか低迷し、1971年の第47回に出場した以降は記念大会で出場枠が増えたときに、
たまに出場できる程度で第70回を最後に出場からは遠ざかっている。
この時の襷は青、赤、青でユニフォームは白。
なお、近年では学生連合チームでちょいちょい見かける。
亜細亜大学
武蔵境にある「自助協力」をモットーとする大学。外国語学部を持たない大学としては珍しい14ヶ国語の外国語授業を開講していることでも知られている。
萌黄のユニフォームに萌黄と水色のツートンの襷。
上位に食い込むことはあまり多くないが、4区が18.5km、5区が23.1kmに変わった第82回で総合優勝した。これは出雲駅伝が発足した1989年以降では唯一の、『大学三大駅伝初優勝が箱根駅伝』というパターンとなっている。この時の監督岡田正裕は初出場した第43回大会で9区を走っている。
また66回大会では、復路一斉スタート時に走者が付き添い部員に襷を預けたままスタートしてしまい、約50mほど襷をかけずに走ってあわててスタート地点まで戻り、襷をかけてから改めてスタートして約1分のロスを発生させるハプニングを起こしたこともある。
86回以降は本選から遠ざかってしまっている。
東海大学
湘南を中心に全国各地にキャンパスを構える総合大学。
21世紀に入ってユニフォームが目まぐるしく変わっており、現在は青地のユニフォーム(東海ブルー)に白紺ツートンの襷。
2000年代に佐藤悠基が台頭して以降、上位戦線には食い込むものの優勝はできずにいたが、2019年95回大会で初の総合優勝を達成した。ところが98回大会では、10区で法政に逆転されてシード落ちを喫してしまい(タイムは10時間59分38秒で現コースでのシード落ち最速記録である)、以降3大会続けてシードを落としている。
現在監督を務める両角速を慕って、彼が以前監督をしていた高校駅伝の名門校、佐久長聖高校の出身者が各学年に1~3人はいる。
法政大学
私立では最古の法学部を擁する総合大学。MARCHのH担当。
出場回数歴代4位の古参。往路優勝・復路優勝の経験は1回ずつあるが、総合での最高順位は3位。
藍色(法政ブルー)とライトオレンジを基調としたセパレートユニフォームにライトオレンジの襷から、チーム愛称は「オレンジエクスプレス」。
60年代まではシード校の常連であったが、その後はシードを獲得する年もあれば、シード落ち・予選会敗退など浮き沈みの激しい結果が続いているものの、98回大会、99回大会は共にシードを手にした。なお98回大会はゴール前でテラダッシュしそうになっていた。
また、選手の自主性を比較的尊重するチームカラーがあるといわれており、特に上位戦線を賑わせた2000年代前半には、派手好きで知られたエース・徳本一善*27の影響もあってか選手全員がスクールカラーのオレンジに髪を染めて出場したり、選手の多くがサングラスを着用するなど、派手なチームカラーを前面に押し出していた。
なお、2002年第78回大会では、その徳本が走行中に怪我してしまい、2区で途中棄権してしまった。スタート地点から28.3km=2区7.3kmでの棄権は大会史上最短記録となっている。
東京農業大学
日本初の農業大学。
ユニフォームは白に緑一文字。襷は松葉緑…が慣例だったが、100回大会では胸部が松葉緑、背部が白のユニフォームに白の襷だった(東京農業大学の文字は松葉緑)。どうやら変更した模様。最高順位は2位。往路優勝の経験が1度ある。
沿道で応援団が両手に大根を持って声援を送る「大根踊り」は日体大の「エッサッサ」と並ぶ箱根駅伝名物。
第90回を最後に本選出場からは遠ざかってしまっていたが、第100回大会予選会で記念枠の11位に入り、10年ぶりに出場権を獲得した。
国士舘大学
世田谷区役所の道路を挟んだ向かいにある右でも左でもなく直系の大学。駅伝以外では柔道部や、警察への就職実績に定評があることで知られる。
なお、陸上部の練習拠点は多摩市にある。
昔は白地に朱色一文字のユニフォーム、朱色の襷だったが、現在は黒のユニフォームに青に赤の縁取りの襷。なお85回までは黄土色の襷を使用し、一部のファンからう〇こ色と大不評だった。
60年代頃に優勝争いに名を連ねていたが、近年は予選会をギリギリで通過して本戦で下位に低迷することが多い。出場するも、シード権を獲得できなかった回数が最も多いという記録も持っている。
過去4年連続で1区区間賞を獲得するなど、伝統的に1区からエース級選手を惜しみなく投入する戦法をとり、「突進の国士舘」と呼ばれている。
拓殖大学
もともとは台湾を開拓する人材の育成のために創立した大学。オレンジのユニフォームと襷。
OBにロンドン五輪男子マラソン代表の藤原新と中本健太郎がいる。
80年代半ば~90年代半ばまで長期にわたり予選敗退が続いていたが、大東大OB・米重修一が監督に就任して3年目の第73回大会で、13年ぶりの出場を果たすと、翌第74回大会には18年ぶりのシードを獲得するなど、さらなる活躍が期待されていた。
…が、第75回大会で再びシードを失うと、再び予選会での苦戦が目立ち始めるようになる。第83回大会の予選会では、10人の合計タイムで1秒差で負けて本戦出場を逃すというにわかには信じがたい敗退を経験した*28。
その後、亜細亜大を優勝に導いた岡田正裕が監督に就任し、以前よりシードを獲得した大会が増えた時期があったものの、岡田監督勇退後は再び低迷。第98回大会以降は予選落ちが続いている。
立教大学
セントポールの通称で知られるミッション系の大学。MARCHのR担当。
ユニフォーム・襷は江戸紫。
実は戦前からの出場実績があり、33回大会で3位に入ったのが過去最高記録。
第44回を最後に半世紀以上出場していないが、中央大OBの上野裕一郎を監督に迎えて「立教箱根駅伝2024」プロジェクトを立ち上げた。
大学創立150周年記念事業のひとつとして、また駅伝としても第100回記念大会のメモリアルイヤーとなる予定の2024年を目標に箱根駅伝復帰を目指していた中、第99回大会の予選会で6位に入り55年ぶりに出場権を獲得した。青山学院大学が持っていた33年ぶり出場(52回⇒85回)を大幅に更新。総合成績は18位ながら、中継所での繰り上げ無しで襷を繋いだ。続く第100回大会予選会も通過、ひと騒動はあったもののプロジェクトは成功したと言える。本戦でも前回大会を上回る総合14位と大健闘した。
ゾロ目の数字に何かと縁がありそうなのはおそらく気のせいだろう。
中央学院大学
第70回記念大会で初登場した千葉県我孫子市にある商学メインの大学。
蛍光紫のユニフォームと襷だったが、97回大会で出場権を逃すと心機一転かユニフォームをフラッシュイエローに変更した。
初出場時、関東地方の大学事情に詳しくないファンからは「中央大学のBチームが出てきた」的な印象だった。もちろん中央大学とは全く別法人である。
大学の表記が、初出場当初は「中学大」であったが、その後東海地方に「中部学院大」「中京学院大」が創設された影響か、最近では「中央学院」「中央学大」とされている。
帝京大学
板橋区に医療系学部、八王子市に文系学部がある大学。
ファイアーレッドのユニフォームにグレーの襷。
1979年に創部、1994年に喜多秀喜を監督に迎えてから着実にチームは強くなり、第74回で初出場を果たす。近年はシード権争いをにぎわせている。
城西大学
埼玉県坂戸市にある大学。駅伝の他には、元皇族の守谷絢子さんが通ったことで知られる城西国際大学の実質的な母体としての方が有名。
セミレッドのユニフォームに黄色の襷。駅伝部は実は女子のほうが実績を残している。
2001年、日体大OBの平塚潤を監督に、早大OBの櫛部静二をコーチに迎えて男子駅伝部を創部すると、わずか3年で本戦出場を果たした。
これまで16回出場をしているが、3大会連続第11位を記録したり途中棄権が2回あったりわずか3秒差・10秒差でシード権を逃したことがあるなど「悲運の城西」と呼ばれている。
99回大会で初の留学生選手キムタイ、5区で区間新記録を出した山の神…もとい「山の妖精」山本唯翔の健闘もあり、5年ぶりのシードを手にした。その翌年の第100回大会では大学史上最高成績となる総合3位と大きく躍進した。
國學院大学
渋谷にある神職養成機関として創立された皇典講究所を母体とする大学。練習拠点は川崎市多摩区と横浜市青葉区あたり。
黒と赤のユニフォームに襷は古代紫に黒の縁取り。
創部5年目、第77回大会で初出場。その時の監督の息子は後に青山学院大学黄金時代のメンバーの1人に名を連ねる選手だったりする。
駒大OBで大八木監督の教え子である前田康弘が2009年に監督に就任以来地道に力を伸ばし続け、2010年代末から上位に食い込むようになってきた。最高順位は総合3位。近年も優勝候補校の一角に数えられている。
初めてシード権を獲得した第87回大会では、8〜11位を争う他3チームと並走を続けていたアンカーの寺田夏生がゴールまで残り300mを過ぎたあたりでスパートをかけるも、ゴール120m手前でコースから外れたテレビ中継車に釣られコースを間違え、30mほど誤走してから猛烈な巻き返しで10位に滑り込むという伝説を作った(通称「テラダッシュ」)。ギリギリシードを取れたので今では笑い話になっているが、もし逃していたらトラウマ以外の何者でもなかっただろう*29。
そんな寺田も、2023年に皇學館大学の陸上部監督となり、指導者としての道を歩みだした。
上武大学
群馬県伊勢崎市にある大学。プレミアムブラックのユニフォームと黒と銀の襷。
予選会参加は早いうちからしていたが、2004年にアトランタ・シドニー五輪代表で早大OBの花田勝彦を監督に迎えチーム強化をはかり、第85回で初出場した。
群馬県にある上武大学が出場したことで、関東1都7県で栃木県の大学だけがまだ出場していないことになった。
11回の出場があるもののシード権は1回も獲得したことが無く(最高順位は86回大会の14位)、第96回大会以降は予選落ちが続いている。
関東学院大学
横浜にあるミッション系大学。白地に緑のユニフォームと金色の襷。
第70回大会に初出場以降、6回の出場をしているがシード権争いに絡めず下位に停滞し、第80回大会を最後に出場が無い。
東京大学
文京区本郷に赤門を構える言わずと知れた最高峰の国立大学。
第60回記念大会に出場し、「赤門軍団」として話題になった。白地に水色一文字のユニフォームに「淡青」の襷。
大学としての出場はこの1回のみだが、第81、95、96回大会で関東学連選抜・関東学生連合に選手が出場している。
創価大学
第91回大会で初出場を果たした、母体宗教が有名な大学。
青山学院大学、立教大学(ミッション系)や駒澤大学(仏教系)など宗教系の大学と同列に語られることもあるが、実は意外にも母体宗教に関する授業は一切取り扱わず、また母体宗教に入っているかどうかも一切問われないため、実質的には普通の大学と変わりがない。
赤青の縦縞ユニフォームに同色の襷。ちゃんともう一つのカラーの黄色も文字色や襟のパイピングに取り入れられている。FCバルセロナか、あるいはFC東京っぽい。
当初はあまり目立つ結果を残せていなかったが、中央大で4年連続区間賞で名を馳せた榎木和貴が監督に就任した2020年第96回大会では1区で区間賞、10区で区間記録を獲得するなど奮闘し総合9位に入り大学史上初シードを獲得。続く第97回大会では前評判を覆しての往路優勝を果たす。復路も首位をキープし続けたが、残り2kmで駒澤大学に追い抜かれ出場4回目の総合優勝という快挙は僅かな差で逃すことになってしまった。以後は連続でシードに入り、全日本大学駅伝、出雲駅伝でも好成績を残すなど、現在乗りに乗っている。
東京国際大学
第92回大会で初出場を果たした、埼玉県川越市にある大学。紺青地に金のユニフォームに紺・青のツートーンの襷。
第93回大会時は学生連合の一員として10区で区間賞相当の走りを見せ、第94回大会時は異色の経歴を持つ30歳の1年生・渡邉和也を起用したことで話題を集めた。
第96回大会では予選をトップ通過し、その勢いのまま出場した本戦では2区で日本人歴代2位を記録した伊藤達彦、3区で1時間を切る驚異の走りをしたヴィンセントの活躍もあり5位に入り大学史上初シードを獲得。以降シード校の常連に仲間入りするかと思われたが、第99回大会で総合11位となりシード権を失ってしまった。なおこの時のタイムも11時間を切っている(10時間59分58秒)。翌年の第100回大会予選会も上位通過するかと思われたが、ヴィンセント以上とも言われているエース留学生が転倒するアクシデントが発生。ペース低下をチームでカバーできず僅差で予選落ちとなった。
学生連合
予選会でチームとしての出場は叶わなかった大学の中から、個人成績優秀だった選手を選抜し出場する連合チーム。過去には「学連選抜」と呼ばれていた。
選ばれるのは1校につき1名までで、補欠も含め全体で16名選ばれる。監督は予選会で次点となり箱根への出場を逃した大学の監督が務める。
留学生や予選会に出場しなかった選手は選ばれず、過去に箱根駅伝本戦に出走した選手も選ばれない。(過去にチームとしては本戦出場した事があっても、実際に出走していなければ選ばれる)
オープン参加であるため個人およびチームとしての記録は参考記録になる*30。学生連合でありながら区間1位相当のタイムを出した選手も存在するが、記録としては幻の区間賞である。
基本的には関東の大学内から選ばれる「関東学生連合チーム」であるが、第80回大会では関東以外の大学からも選手を招集し「日本学生連合チーム」として出場した。
最高位は青学の原晋が監督を務めた84回大会の総合4位で、優勝したことはない。
「公務員ランナー」として有名な川内優輝は学連選抜(学習院大学)として箱根路を走っている。
選手の所属を見ると、防衛大学校だったり薬科大だったり箱根に未出場の新参大学だったり様々なのでテレビに映った際はぜひ刮目してほしい。
選手はそれぞれ所属の大学のユニフォームを着て、襷は白。
主な記録<2024年現在>
大学単位
最多出場:中央大学 97回
最多連続出場:中央大学 87回
初出場からの最多連続出場:日本体育大学 76回(更新中)
予選会初参加からの最短出場記録:城西大学 創部3年目予選2度目の挑戦で予選会通過*31
最多総合優勝:中央大学 14回
最多連続優勝:中央大学 6連覇
最多往路優勝:中央大学 15回
最多復路優勝:早稲田大学 16回
最多連続往路優勝:日本大学・中央大学(2回)・東洋大学 4連覇
最多連続復路優勝:日本大学 7連覇
最多往路・復路完全優勝:中央大学・日本大学 9回
最多1区から首位を独走して順位を落とすことなく優勝:中央大学 6回
本戦初参加からの最速総合優勝(第一回出場校を除く):中央大学 出場5回目
本戦初参加からの最遅総合優勝:東洋大学 出場67回目 76年目で初優勝
最多2位:日本大学 17回
最多3位:中央大学 14回
シード権獲得最多:順天堂大学 54回
連続シード権獲得最多:日本体育大学 36回
前大会からのジャンプアップ:日本体育大学 18位(第88回 19位→第89回 優勝)
※参考:神奈川大学(第72回 棄権→第73回 優勝)
予選会通過回数最多:国士舘大学 34回
連続予選会通過回数最多:上武大学 11年
予選会トップ通過回数最多:専修大学 6回
予選会スレスレ通過:法政大学 神奈川大学 国士舘大学 8回
区間賞獲得数最多:中央大学 140回
一大会最多区間賞獲得(全体):中央大学 9区間(第27回)
一大会最多区間賞獲得(往路):中央大学 5区間(第26回)
一大会最多区間賞獲得(復路):中央大学(第27回) 順天堂大学(第64回) 5区間
連続区間賞獲得年:中央大学 24年
最多区間記録保持:早稲田大学 第72回大会時に8区間で区間記録保持
史上最長出場ブランク:立教大学 55年(第44回→第99回)
史上最長シードブランク:明治大学 43年(第42回→第85回)
オリンピック出場選手輩出最多:中央大学 15人
区間賞あれこれ
区間 | 通算獲得 | 回数 | 連続獲得 | 獲得年・回次 |
---|---|---|---|---|
1区 | 早稲田大学 | 17回 | 国士舘大学 | 4年連続(39~42回) |
早稲田大学 | 4年連続(67~70回) | |||
2区 | 早稲田大学 | 15回 | 中央大学 | 3年連続(26~28回) |
日本大学 | 3年連続(32~34回) | |||
山梨学院大学 | 3年連続(65~67回) | |||
3区 | 早稲田大学 | 13回 | 大東文化大学 | 3年連続(65~67回) |
日本大学 | ||||
4区 | 早稲田大学 | 15回 | 早稲田大学 | 4年連続(60~63回) |
中央大学 | ||||
順天堂大学 | ||||
5区 | 中央大学 | 12回 | 大東文化大学 | 4年連続(50~53回) |
東洋大学 | 4年連続(85~88回) | |||
6区 | 中央大学 | 19回 | 中央大学 | 5年連続(26~30回) |
7区 | 中央大学 | 21回 | 中央大学 | 4年連続(24~27回) |
8区 | 早稲田大学 | 12回 | 日本大学 | 5年連続(16~20回) |
日本大学 | ||||
9区 | 日本大学 | 15回 | 日本大学 | 7年連続(15~21回) |
10区 | 中央大学 | 13回 | 日本大学 | 4年連続(41~44回) |
※早稲田大学は1区で区間賞を4年連続で達成した際、4年連続で区間新記録を樹立した。
(武井隆次、武井、櫛部静二、渡辺康幸)
個人記録
- 金栗賞(MVP)最多獲得
今井正人(順大)・柏原竜二(東洋大) 3回
- 個人最多出場
曽根茂(日大) 8回
- 個人最多優勝(優勝メンバーだった回数)
鈴木房重(日大) 5回
- 個人最多区間賞獲得
八島健三(明大)・田辺定明(中大) 5回
※いずれも6回出場 また田辺は5回の区間賞すべて同一の区で達成(6区)
- 4年連続区間賞
土谷和夫(日大)・山本吉光(東農大)・大久保初男(大東大)・大塚正美(日体大)・中島修三(順大)・武井隆次(早大)・榎木和貴(中大)・柏原竜二(東洋大)
※このうち、大久保初男と柏原竜二は4年連続同一区間区間賞(ともに5区)。
また、4年間すべて別の区間を走ってすべて区間賞を達成した選手はいない。
- 4年連続区間新記録樹立
いまだ誰も達成していない。
- 3度の区間新記録樹立
麻生武治(早大) 第1回 9区 第2・3回 5区*32
矢ケ崎諌(東農大)第2~4回 6区*33
八島健三(明大) 第4回 3区 第5回 10区 第7回 5区
権泰夏 (明大) 第9回 4区 第10回 10区 第11回 7区*34
難波博夫(日本歯科大) 第14回 4区 第15・16回 3区*35
田辺定明(中大) 第26・27・29回 6区*36
佐藤光信(中大) 第31回 3区 第32回 8区 第33回 10区
岩下察夫(中大) 第38・39回 2区 第40回 4区*37
武井隆次(早大) 第67・68回 1区 第69回 7区
今井正人(順大) 第81~83回 5区*38
佐藤悠基(東海大) 第82回 3区 第83回 1区 第84回 7区
柏原竜二(東洋大) 第85・86・88回 5区
イエゴン・ヴィンセント(東京国際大) 第96回 3区 第97回 2区 第99回 4区
- 最長期間区間記録保持
区間 | 名前 | 大学 | 期間 |
---|---|---|---|
1区 | 佐藤悠基 | 東海大学 | 15年 |
2区 | 大塚正美 | 日本体育大学 | 12年 |
メクボ・ジョブ・モグス | 山梨学院大学 | ||
3区 | 森近繁則 | 日本大学 | 14年 |
4区 | 藤田敦史 | 駒澤大学 | 7年 |
5区 | 大久保初男 | 大東文化大学 | 8年 |
6区 | 金子宣隆 | 大東文化大学 | 10年 |
7区 | 武井隆次 | 早稲田大学 | 15年 |
8区 | 古田哲弘 | 山梨学院大学 | 22年 |
9区 | 坂口泰 | 早稲田大学 | 14年 |
篠藤淳 | 中央学院大学 | ||
10区 | 遠藤司 | 早稲田大学 | 15年 |
※2区のモグスと5区の大久保は自身が作った区間記録を1度自分自身で上書き更新している。
以下はコース変更等による参考記録。
区間 | 名前 | 大学 | 期間 | 備考 |
---|---|---|---|---|
2区 | 三代直樹 | 順天堂大学 | 20年 | 日本人記録 |
4区 | 藤田敦史 | 駒澤大学 | 20年 | 距離が異なる期間(11年)を挟んだため参考記録 |
5区 | 今井正人 | 順天堂大学 | 19年 | 現コースと記録当時のコースとで函嶺洞門付近が異なり、距離が異なる期間(11年)を挟むため参考記録 |
神野大地 | 青山学院大学 | 9年 | 現コースとは距離が異なる為参考記録・現在距離換算で今井を超える | |
6区 | 谷口浩美 | 日本体育大学 | 34年 | 更新当時のコースと記録当時のコースとで函嶺洞門付近・元箱根付近・中継所位置が異なる為参考記録・現在距離に換算 |
- ごぼう抜き(6区以降は一斉スタートがあるため見た目順位による)
区間 | 名前 | 大学 | 記録 | 回次 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
2区 | ギタウ・ダニエル | 日本大学 | 20人抜き | 第85回(2009年) | 記念大会につき23チーム参加 |
村澤明伸 | 東海大学 | 17人抜き | 第87回(2011年) | 日本人最多 | |
3区 | 佐藤悠基 | 東海大学 | 13人抜き | 第85回(2009年) | 同上 |
4区 | 田中秀幸 | 順天堂大学 | 8人抜き | 第89回(2013年) | |
イエゴン・ヴィンセント | 東京国際大学 | 第99回(2023年) | |||
5区 | 今井正人 | 順天堂大学 | 11人抜き | 第81回(2005年) | |
6区 | 秋山清仁 | 日本体育大学 | 6人抜き | 第92・93回(2016・17年) | 2回記録 |
7区 | 野中三徳 | 日本大学 | 9人抜き | 第50回(1974年) | |
蛯名聡勝 | 帝京大学 | 第90回(2014年) | 記念大会につき23チーム参加 | ||
8区 | 沼田大貴 | 中央学院大学 | 9人抜き | 第90回(2014年) | 同上 |
吉川修平 | 大東文化大学 | ||||
9区 | 平林清澄 | 國學院大学 | 5人抜き | 第98回(2022年) | |
岸本大紀 | 青山学院大学 | 第99回(2023年) | |||
阿部竜巳 | 山梨学院大学 | 8人抜き | 第90回(2014年) | 記念大会につき23チーム参加・2区途中棄権により参考記録 | |
10区 | 斎藤哲也 | 神奈川大学 | 5人抜き | 第69回(1993年) | |
鈴木陽介 | 早稲田大学 | 第77回(2001年) |
- ごぼう抜き通算最多
ギタウ・ダニエル(日大)
第83回 4人 第84回 15人 第85回 20人 第86回 11人 合計50人
※83回は3区 84~86回は2区で記録。
日本人最高記録
村澤明伸(東海大)
第86回 10人 第87回 17人 第88回 4人 合計31人
※すべて2区で記録。第89回はチームが予選敗退で出場できず。
- 繰り上げ・一斉スタート関連(第60回大会以降・途中棄権によるものを除く)
最多校数繰り上げ:第60回大会 18校(10区・鶴見中継所)*39
最小校数繰り上げ:第63・79・81・82・89回大会 0校
最速繰り上げスタート:第60・69~73・90・95回大会 3区・戸塚中継所
最多校数一斉スタート:第70回・100回大会 16校
最小校数一斉スタート:第76回・85回・87回大会 2校
サブカルとの関係
選手の中ではプロフィールの好きなものにアニメキャラを挙げるなど、オープンにオタ活している人が少なくない。
毎年誰かに発見され、ネタにされている。
もっとも注目されたのは第85回(2009年)から4年に渡って5区山登りに君臨し、花澤香菜女史の大ファンにして後輩にデュラララ!!を布教したと言われる「竜神」柏原竜二だと思われるが、他にも第87回(2011年)に「好きな芸能人」の欄に「如月千早」と書き入れた明治大学の田原淳平、第89回(2013年)、順天堂大学10区のアンカーを務め、見事総合6位で大手町ゴールをキメた堀正樹のジョジョ立ちフィニッシュ、第90回(2014年)、「一人に抜かれるたびにフィギュア1個没収」という極悪ノルマを監督に課せられた順天堂大学3区担当の稲田翔威*40、榊原ゆいファン兼ラブライバーで、第89回8区、第90・91回5区に出場した中央学院大・及川佑太、第92回から第94回まで8区で3年連続区間賞(うち当時の歴代3位記録を2度)を記録する一方で百合子担当Pとしても有名な青山学院の下田裕太、順大で第92回から4年連続で2区を走り、2016年のリオデジャネイロオリンピック3000m障害日本代表にも選ばれたラブライバー塩尻和也、創価大で初の往路優勝の立役者となった嶋津雄大は趣味でライトノベルを書く花譜推しのVTuberファン…
など、ランナーやチームも狙ってやってんじゃねえかと思う事例が度々…
最終兵器彼女の原作者である漫画家の高橋しんは、第63回大会に初出場となった山梨学院大学の10区走者として出場している。また、非公認戦隊アキバレンジャーのアキバレッド・赤木信夫役を演じた和田正人は、日大の選手として2年と4年時に9区を走っている。4年時(第78回大会)は主将も務めており、区間5位の好成績を修めている*41。本人が疾走している映像はあまり残っていないが、この縁で和田はNHKラジオの放送にゲスト出演している。
一方で知名度の高さに反し漫画やアニメの題材にされることは少ない。
小説は度々出ているが、メディアミックスまで到達できたのは三浦しをんの著した「風が強く吹いている」ぐらいである。
長年休部状態で殆ど新設レベルの弱小校が2006年の箱根駅伝を目指すという青春ストーリーである。作中9区で4人抜きして区間新を叩き出した蔵原カケルのタイムが出版前年の区間新より遅いというミスはあるが
余談
- 箱根駅伝は先導の白バイや放送関係などを除き学生主体で運営されており、出場校の長距離の控え選手だけでなく、学連選抜に選ばれなかった大学の選手や長距離以外の選手も駅伝そのものやチームの運営に関わる。このためコース上の給水などで他競技の有名選手が映ることもしばしば。
- 歴史に残る失速をした場合、その後の失速の代名詞として不名誉なことに名前が残ってしまうことがある。前述の小野や徳本のほか、櫛部静二(早稲田大)、難波祐樹(順天堂大)もそういった意味でよく名前が挙がる人物である。また先述の寺田のようにインパクトのあるアクシデントを起こしても名前が残ることがある。
- 伴走車などの車両提供は2014年以降トヨタ自動車が担当している。近年は全国放送でアピールできることから発売直後・あるいは発売直前の新型車が供給されることが多く、2019年の第95回から2023年の第99回大会までは特別仕様のGRセンチュリー(非市販車)が本部車として使用されている*42。
- 現在箱根駅伝のコース上に存在する踏切は小涌園近くの箱根登山電車踏切一か所のみだが、かつては小涌園と上述の蒲田の他に戸塚にも存在した(開かずの踏切としても有名な東海道線戸塚大踏切)。1950年代と早いうちにコースが迂回となったため知名度は低いが、第20回大会ではこの戸塚大踏切で首位の専修大学を猛烈に追い上げていた日本大学が足止めを喰らい、そのまま引き離されて優勝出来なかったということもある*43。
- 箱根駅伝は全国放送されて知名度が高いがあくまで関東地区の大会であり、特例*44を除き関東外の大学は出場できない。このため大学陸上競技における男子長距離競走選手の関東一極集中を招いている、10000m競走などのトラック競技を軽視している、との批判も少なくない。なお、全国の大学が参加できる駅伝としては1970年から朝日新聞社主催による「全日本大学駅伝対校選手権大会」が毎年11月に開催されており、こちらは名古屋の熱田神宮を起点に伊勢神宮を目指すルートとなっている。
- 箱根駅伝の知名度がありすぎて駅伝走は区間20km超えが普通だと勘違いされる場合も多いが、基本的に駅伝走の1区間は10km程度がデフォルト。箱根史上最短区間である旧4区(18.5km)ですら駅伝走の1区間としては長距離であり、それどころか15kmを超える区間ですら全日本大学駅伝の7区・8区と社会人駅伝で散見される程度であり、同じ月に広島県で開催される全国都道府県対抗男子駅伝の最長区間も13kmであり、15kmを超えていない。
- その全国都道府県対抗男子駅伝は箱根駅伝で活躍した選手も多く参加しているオールスター駅伝であり、箱根駅伝と同様に注目されるが、走れる区間に関しては京都府で開催されている全国都道府県対抗女子駅伝とは違い、中学生、高校生、大学生&社会人の走れる区間が固定されており、大学生&社会人が2区間担当するのに対し高校生は3区間(7区間合計48kmのうち20.5km)を担当する為、高校生の区間がより重要となっている*45。
- しかも、女子は開催地の京都が42回中18回の優勝に対し、男子は開催地の広島は29回中わずか1回しか優勝していない為、女子と違って地の利を生かして勝利する事が非常に難しい。また、大学生&社会人の選手に関しては「出身」の都道府県ではなく「卒業した高校」の都道府県からの参加している選手がほとんどの為、全国高校駅伝の強豪校のある地域が有利になる事も大きい*46。
- なお、全国男子駅伝と同じく1月の元日に全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)が開催されており、こちらは社会人選手が出場する大会であり箱根駅伝でも活躍したOB選手が男子駅伝よりも多く登場する。
追記・修正は東京と箱根を往復してからお願いします。
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▷ コメント欄
- 選手のプロフィール見ると結構面白い。好きな女性が4年間で暁美ほむら暁美ほむら暁美ほむら悪魔ほむらのランナーとかいた記憶。 -- 名無しさん (2019-01-09 20:23:54)
- ケニアのガル高出身を最近見ない -- 名無しさん (2019-01-09 20:37:37)
- 最近は選手がどこオタク(P)にも注目がwww -- 名無しさん (2019-01-09 20:40:13)
- テレ朝のモーニングショーで玉川徹が「駅伝見てたら関西の大学全然出てないな〜って思って」とか言っててそれに瀬古利彦さんが「ド素人ですね」って返してたのはほんと面白かった -- 名無しさん (2019-01-09 21:54:35)
- さむそう -- 名無しさん (2019-01-09 23:12:57)
- 好きな芸能人:如月千早 -- 名無しさん (2019-01-10 00:41:33)
- 何故か中々作られなかった項目だな。 -- 名無しさん (2019-01-10 09:51:28)
- 仮に関東以外参加可能にしたところでトラックじゃない道路走る時点で有利不利でちゃうしねぇ。 -- 名無しさん (2019-01-10 10:30:23)
- 青学駅伝部が体育会TVに出た際「会いたい人」でアイマスに出てる声優が出てきたのもあったな。 -- 名無しさん (2019-01-10 13:41:55)
- 今年、東洋の相澤君が4区で区間記録を更新して、数年先で20.9kmの区間でも1時間切る可能性が出てきたと思う。 -- 名無しさん (2019-01-10 14:22:04)
- しかし今年の箱根駅伝は往路復路総合優勝がバラバラだったり青学の追い上げ夜、シード争いと面白かったなあ -- 名無しさん (2019-01-10 14:40:00)
- 柏原竜二とか、このwikiに項目があってもおかしくない人だと思うんだが(ニコニコ大百科にはある) -- 名無しさん (2019-01-10 15:00:48)
- 言い出しっぺ。作るが良い。 -- 名無しさん (2019-01-10 16:07:50)
- ↑5 社会人になった下田Pは今も百合子のために走ってるよ。 -- 名無しさん (2019-01-10 17:03:32)
- 先程法政大学の記述をしてくださった方ですが、ただ他のサイトからコピーするのではなく自分の言葉で書く努力をしてください。 -- 名無しさん (2019-01-11 15:56:07)
- ↑5 今年は熱かったな。意外なチームの爆速も多くて見応え満点。個人的には國學院が熱い -- 名無しさん (2019-01-11 19:33:19)
- アニヲタランナーのエピソード集の小段落でも作ろうか?w -- 名無しさん (2019-01-11 21:58:35)
- 漫画家の高橋しんは山梨学院初出場時の10区ランナーだったんだよね -- 名無しさん (2019-01-13 21:32:43)
- フリーザについては流石に記載しないかw -- 名無しさん (2020-01-03 22:02:58)
- 今回の記録ラッシュのせいで人間の進化がすごいのかヴェイパーフライがすごいのかよくわからなくなってきた -- 名無しさん (2020-01-07 09:31:46)
- 来年のはどうするのかなぁ(´・ω・`) 無観客で走るのはとてもきついと思うぞ; -- 名無しさん (2020-07-11 16:57:40)
- 2013年の大波乱を思い出す展開だったな。スピーダー集団は強い向かい風を食らうと崩れる傾向があるらしい。 -- 名無しさん (2021-01-02 16:05:56)
- 王者→下位に沈む、目標は3位→一斉、やべえな -- 名無しさん (2021-01-03 11:42:43)
- 大乱戦の末に駒沢か。國學院とか中央とか伸びてきたし来年も楽しそう -- 名無しさん (2021-01-03 18:28:40)
- 項目内に今年の結果が書き込まれてるけど即日追記は大丈夫なの? -- 名無しさん (2021-01-03 22:06:13)
- 創価のところ2019年が2009年になってます -- 名無しさん (2021-01-03 22:45:01)
- ↑そもそも 96回大会は2020年だからその辺ふくめて修正 -- 名無しさん (2021-01-04 18:18:09)
- 走っている選手には何ら関係ないけれど、日テレの視聴率確保枠になっている感がある。細々と書くつもりはないけれど。 -- 名無しさん (2021-01-04 18:51:02)
- ラジオ番組でも言ってたけど、運営が「コロナが広まるかもしれないから応援に来るな」と言ってるのに応援に来る奴らはどうにかならんか? 中には「応援に来ることが彼らのためにできること」とのたまう奴もいるし(呆 -- 名無しさん (2021-01-14 10:06:04)
- フリーザ様も自粛なさったというのに… -- 名無しさん (2021-01-14 17:32:08)
- 出場回数、優勝回数などを考慮し、若干大学の順番を入れ替えました。 -- 名無しさん (2021-11-07 12:31:34)
- 普段見ないのだけれど、ちょうど寺田夏生選手のミスを見て固まってしまった。あれほど緊張が走る回はないと思う -- 名無しさん (2021-12-12 20:27:44)
- 3↑あのフリーザ様は何者なのだろう -- 名無しさん (2021-12-30 19:35:26)
- 4区の重要性が年々増してきている気がする -- 名無しさん (2022-01-02 18:54:45)
- 寺田交差点という名がつけられているとは -- 名無しさん (2022-01-03 23:39:07)
- たまに実況が選手のプチ情報を紹介してくれるけど、その時に「今年こそ彼女が欲しいと思っている」とバラされた選手がいたような...。 -- 名無しさん (2022-01-04 00:05:04)
- 箱根駅伝には「薬学部のある大学は優勝できない」というジンクス?がある(日大が例外に見えるが当時の日大にあったのは工学部薬学科で、薬学部になってからは優勝経験なし)。なお優勝常連校の順天堂大学には2024年に薬学部が新設される予定なので、順大がこのジンクスを破ることができるか。 -- 名無しさん (2023-01-02 12:00:22)
- フリーザ軍団復活したな… -- 名無しさん (2023-01-03 11:17:36)
- 玉川さんがワケ分からん理由で出なくなって、瀬古さんがド素人おじさんは?みたいな感じで玉川さんのことを言ってて変な空気になってたなあ -- 名無しさん (2023-01-15 22:15:47)
- また総合記録が更新。速い速い。 -- 名無しさん (2024-01-04 07:44:46)
#comment
*2 3回オリンピックに出場するもメダルを手にすることは出来なかったが、自身の経験を活かしシューズの改良やトレーニング方法の見直し、様々な陸上大会開催の発起人になるなど裏方で活躍し「日本マラソンの父」と呼ばれている。
*3 文字通り富士山山頂を上り下りする駅伝で日本でも有数の過酷さを誇る、その過酷さゆえ自衛隊が訓練を兼ねて参加し優勝回数が多かったことでも有名、2005年からは一般の部と自衛隊の部と分けられている
*4 例外といえるのは出場3大会いずれも5区を走った日本大学のダニエル・キトニーなどがいる。
*5 「祐」の字は実際は「示」に「右」と書く。
*6 第81回で11人抜きの快走で区間新、距離変更後の第82回・第83回でも区間新記録を残した。
*7 このときコースの再計測が行われ、実際の走行距離は微妙に伸びたにもかかわらず計測上の距離は短くなるというバグみたいなことが発生した。
*8 5区での途中棄権は上述の小野のものを含め3度発生しているが、全てこの11年間に起きている。
*9 5区は気温が高くなった大会などでは、タンクトップで走る選手もたびたび見られるが、気温が氷点下になりやすい6区において、第71回~第73回にエントリーされた中大の工藤利寿がタンクトップで走ったという極めて稀なケースがある。
*10 対向側の古谷商事へのアプローチにあるタックルベリーもこの名前である。
*11 タイミングによっては待ってくれる事もある。
*12 第78回(2002年)までは14人
*13 第96回(2020年)までは補欠メンバーの交代は往路・復路合わせて4人までの制限となっていた
*14 復路・鶴見中継所で繰り上げまでギリギリの所で到着したが、直前で転倒。しかし転倒がなければ継走できていた点や既にリレー前提で10区走者が襷を持っていなかったこともあってか2秒程度待ってリレーしたことを確認してから繰り上げとなった。記録上は20分ちょうどで到着として扱われている。
*15 100回大会で同タイムでのゴールとなった東海大学と国士舘大学は東海大学が1区で区間5位、国士舘大学が5区で区間7位が最高成績だった点が加味されて東海大学が11位、国士舘大学が12位と決められた
*16 なお、一部の記録が認められていたこともあり、実際に第72回大会で途中棄権した山梨学院大学と神奈川大学はともに後ろの区間での区間賞が認められている。
*17 なお、伊藤の走りにより城西大学は9区戸塚中継所を繰り上げタイミングでスタートしたが10区鶴見中継所での繰り上げスタートを回避している。
*18 個人記録の扱いに関しては大会によって異なっており、全日本実業団対抗女子駅伝競走大会、全国高等学校駅伝競走大会、全国男子駅伝、全国女子駅伝などはチームが棄権になっても個人記録が残るケースがある。
*19 2006年は、順天堂大学が今井の5区5人抜きで往路優勝するも復路8区で大失速。追い上げてきた亜細亜大学と駒澤大学が9区でデッドヒートを繰り広げた後、10区で駒大との差を広げた亜大が総合優勝を果たした。しかし復路優勝の栄冠はその裏で往路15位・タイム差換算で8分弱遅れていたものの復路で巻き返し総合7位に滑り込んだ法政大学が亜大と14秒差で獲得した。2019年は往路は東洋大学が優勝するも、2位につけていた東海大が復路8区で逆転し初の総合優勝を達成した。しかし、復路優勝は往路5分差の6位ながら、復路で区間賞3つを獲得して巻き返した青山学院大学となった。
*20 特に青山学院大学はこの恩恵を強く得ており、第84回大会時に増えた予選枠最後の一枠で33年ぶりとなる第85回大会の切符を掴んでいる。
*21 もともと順天堂大学のスクールカラーである江戸紫を茄子紺と表現していると思われ、そのままユニフォームのニックネームとしたのではないか
*22 第75回大会(優勝は順天堂大学)と第90回大会(優勝は東洋大学)
*23 陸上競技に限らず、学生スポーツの世界では1都6県に山梨県を加えて関東地区とするのが一般的。
*24 現在は帰化し桜美林大学の監督を務める真也加ステファン
*25 平塚にもキャンパスはあるが、陸上部は横浜白楽キャンパス。
*26 なおこの大会の2位も同様に前年棄権した山梨学院大学であり、前年棄権した二校がワンツーフィニッシュという異例の結果となっている。
*27 もちろん結果も残しており、2000年第76回大会では1区で後続をちぎって区間賞、2001年第77回大会では2区で区間2位の快走を見せている。現・駿河台大学駅伝監督。
*28 この時、純粋なタイムでは3分以上1つ上のチームより上回っていたが、当時存在した関東インカレ減算ポイントという悪名高いルールで逆転を許すこととなり、「監督、なんで俺らが負けなきゃいけないんですか」と主将選手がこぼした悲痛の叫びは周囲の涙を誘った。第83回大会以外にも、純粋なタイム上では予選通過ラインに入りながらインカレポイントによって出場を逃すという結果が何度もあった。
*29 実際、本人もインタビューに対し「あの時は真面目に終わったと思った」と語っている
*30 ただし過去には正式順位として認められていた時期があり、総合で10位以内に入ればシード権の枠が1つ減り、減った1枠が次回の予選会通過枠に追加されるルールとなっていた。
*31 黎明期を除く
*32 本職はスキー選手であり、1928年サンモリッツ五輪に日本選手団として冬季五輪初出場する
*33 ただし、第2回と第3回は区間賞はとってない
*34 日本統治下の朝鮮半島出身選手、第10回は区間賞をとってない
*35 なお、第12回で難波は法大の選手として4区区間賞を達成している。また日本歯科大は当時、日本歯科医学専門学校という名称だった。
*36 29回はコース変更のため、区間賞=区間新記録として計上。
*37 38回と40回はコース変更により、区間賞=区間新記録として計上。
*38 82回はコース変更のため、区間賞=区間新記録として計上
*39 ただし第60回大会当時は、復路は全中継所でトップ通過から15分経過での繰り上げスタートになっていた。
*40 二人に抜かれている。卒業後はフィギュアメーカーコトブキヤで実業団ランナーとして走っている
*41 なお蛇足だが、4年時に戸塚中継所でほぼ同時に帝京大学と一緒に襷を受けてしばらく並走したが、その帝京大学の選手はプロレスラーのグレート小鹿氏の息子である
*42 2024年の第100回は新ボディタイプのセンチュリーが使われた
*43 当時は引っかかった際のタイムの差し引き処理が行われなかった。
*44 記念大会に「日本学連選抜」としてオープン参加という形で出場したり、やはりオープン参加ではあるものの関西大学・立命館大学・福岡大学が出場したことはある。
*45 全国都道府県対抗女子駅伝は全9区間で、高校生は最低でも3人起用、中学生は3区と8区で固定というルールがあるが、高校生以上の選手の走れる区間は決まっていない為、高校生と大学生&社会人の選手が同じ区間を走る事が多い。
*46 最多優勝は長野の10回。
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